掲載誌『日本評論』昭和十一年九月号とのこと*1 pp.484-510

狩野亨吉
長谷川如是閑
石原純
桑木厳翼
和辻哲郎
辰野隆
黒正巌
谷川徹三

1936.6の『思想』 での狩野亨吉「天津教古文書の批判」掲載から遠からぬ「昭和十一年七月二十二日」の対談。


今日は「和學・和學者・和書を語る」座談會といふ樣な顯目を決めて居つたのてありますが、さういふことに拘泥しまぜんで、色々なお話を承り度いと思ひます。


狩野文庫の話
日本的学問とその特性
徳川時代の大学者
日本及日本人について
草双紙と××*2の話
碁と天才
科学的鑑定法の話
狩野博士の天津教爆撃

2017年現在の著作権残存者、谷川徹三・長谷川如是閑の発言を削除したものを「うわづら文庫」で公開。
https://app.box.com/s/7n083tef9694yk5b8dhdkijjp8ny0wku


*1 青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』所収年譜による。
*2 春画なるべし。「狩野 それはどこへ行ったか分りませんがね。東北大學に金を出した人は荒井泰治と云ふ方で私の死んだ兄(狩野元吉)と一緒に毎日新聞社に居たことがある人です。仙臺の當時の總長の澤柳さん(沢柳政太郎)は要らないと云ふ。其次の北條さん(北条時敬)はそれは惜いことをしたと言ひました。」

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Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:04:20