宮脇郁

雅言とは何ぞ。俗言とは何ぞ。此の二者の間には判然たる區別あるが如くにして、決して然らず。従來の國學者が雅言俗言と稱せしは、予に於ては何の謂なるかを解しがたく、殆んど無意味なるが如き感なくんばあらず。念ふに、今日、雅言と稱するものは古代の俗言にあらずや。然らば、今日の俗言といふもの亦將來の雅言たらじともいひがたし。况んや、太古以來今日に至るまで、その語形意義の變ぜずして、文語にもロ語にも用ゐらるゝもの數多これあるや。然るに、此の間に儼然たる區劃を立てんとするが如きは、固より誤れるのみならず、古代の死語を以て雅とし、今日の活語を以て俗とするが如きは、最もいはれなき謬見といはざるべからす。
是を以て、本書に雅言といひ、俗言といふは、敢て從來の國學者のいふが如き意義に使用せるにあらず。要するに、雅言とは、今日にありては一般に用ゐられずして多くは、古文、又は、古文を摸したる文に用ゐらるヽものを指し、俗言とは、昔日にありてはあまり用ゐられずして、主として、今日普通に用ゐらるゝものを指すと知るべし。名稱は、唯通俗の稱呼に從ひたるのみ。
本書中の假字遣法は、雅言は一々古來の慣例に準據したれども、漢字又は俗言に至りては、概して發音に從ひたり。されど、彼此一定せざるものあり。例へばジヂ、ズヅ、オヲ等を混じたる,イウとユ-と、ソウとソ-との一様ならざるが如きこれなり。こは、材料を一人にして採集せしにあらずして、數人の手によりてせしと。初め記述の方針を約せしにも關せず、不知不識の間に、從來の慣用法に束縛せられ、又は、偶然彼此を混合せるとによる。看者幸にこれを諒せよ。
本書を編纂する上に於て、編者の抱懐せる意見は一二に止らすといへども、今此にこれを詳述する餘裕を有せず。且つ、本書中の材料につきても、編者の意に満たざるもの少からず。こは、他日再版の期を待ちて訂正増補を加へ、以て漸次完成の域に達せしめんとす。
 明治三十九年四月下旬
                       編者しるす。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/gazoku/gazokutaiyaku.pdf
https://dl.ndl.go.jp/pid/862843


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Last-modified: 2024-01-31 (水) 17:14:41