いつばかりの事にかありけむ、世をのがれて心のまゝにあらむと思ひて、世の中にきゝときく所々、をかしきを尋ねて心をやり、かつはたふとき所々拜みたてまつり、我が身の罪をもほろぼさむとあ(イす)る人ありけり。庵主とぞいひける。神無月の十日ばかり熊野へ詣でけるに、「人々もろともに」などいふもの有りけれど、我が心に似たるも無かりければ、たゞ忍びてとて、松の梢に風凉しくて、虫の声も忍びやかに、鹿の音はるかに聞ゆ。つねの住みかならぬ心ちも、よのふけ行くに哀なり。げにかゝれば、神もすみ給ふなめりと思ひて、
 「こゝにしもわきて出でける石清水神の心をくみて知らばや」。
それより二日といふ日の夕暮に、住吉に詣でつきぬ。みれば遥なる海にていとおもしろし。南には江流れて水鳥の様々なる遊ぶ。あまの家にやあらむ、蘆垣のやのいとちひさきどもあり。秋の名残、夕暮の空のけしきもたゞならずいと哀なり。御社には庭も見えず。色々さまざまなるもみぢ散りて冬篭りたり。経などよみ声して人しれずかく思ふ、
 「ときかけつ衣の玉はすみのえの神さびにける松のこずゑに」。
かくて、社々にさぶらひて祈り申すやう、「この世はいくばくにもあらず、水の泡、草の露よりもはかなし。さきの世の罪を亡して行く末の菩提をとらむと思ひ侍る心ふかうて、世を厭ふこと、思ひをこたらずあらむによりてなり。願はくば吾、春は花を見、秋はもみぢを見るとも、匂にふれ色にめでつる心なく、朝の露、夕の月を見るとも、世間のはかなきことを教へ給へ。
  世の中をいとひて捨てむのちはたゞ住のえにある松と頼まむ」。
いづみなる信太の社にてあるやうあるべし。
 「我が思ふことのしげさ(イき)にくらぶれば信太の社の千えはものかは」
きの国の吹上の浜にとまれる、月いと面白し。此の浜は天人常に降りて遊ぶといひ伝へたる所なり。げに所もいと面白し。今宵の空も心ぼそうあはれなり。夜の更け行くまゝに、鴨の上毛の霜うち払ふ風も空さびしうて、たづはるかにて友をよぶ声も、さらにいふべきかたもなう哀なり。それならぬ様々の鳥ども、あまた洲崎にもむらがれて啼くも、心なき身にも哀なること限なし。
 「少女子が天の羽衣ひきつれてうべもふけ井の浦におるらむ」。
月の海の面にやどれるを、浪のしきりあらふを見て、
 「月に浪かゝるをり又ありきやとふけゐの浦の蜑にとはゞや」。
波いとあはれなるよしを、また、
 「浪にもあれかゝるよの又あらばこそ昔をしれる海士も答へめ」。
吹上の浜に泊れる、夜深くそこをたつに、浪の高う見ゆれば、
 「あまのとを吹上の浜に立つ浪は夜さへみゆるものにぞありける」。
しゝのせ山にねたる夜、鹿の鳴くを聞きて、
 「うかれけむ妻のゆかりのせの山の名を尋ねてや鹿も鳴くらむ」。
磐代の野にねたる夜、あるやうあるべし。
 「石代のもり尋ねてといはせばやいくよか松は結びはじめし」。
ちかの浜(イ浦)小石拾ふとて、
 「うつ浪にまかせてをみむ我が拾ふはまゝのかずに人もまさらじ」。
みなへの浜に、知りたる人のみやまより帰るに逢ひぬ。「同じうはもろともに、まて給へかし」といへば、帰る人、「忍びて申し給ふこともこそあれ」といへば、庵主、「なにごとにかあらむ。ものうたがひは罪うなり」とて拾ひたる貝を手まさぐりになげ遣りたれば、「ものあらがひぞまさるなる。かうなあらがひ給ひそ」とてがうなの殻をなげおこせたり。又浪に藻うかびて打ちよせらるゝを、「かれ見給へ。入りぬる磯の」といへば、帰る人、「こふる日は」と心有り顔にいへば、庵主、「くまのおのづから」といへば、「浦のはまゆふ」といらふる時、庵主、「重ねてだになし」といへば、帰る人、「中々に」とて、
 「もしほ草浪はうづむと埋めどもいやあらはれにあらはれぬめり」。
庵主、返し、
 「三熊のゝ浦にきよする濡衣のなき名をすゝぐ程と知らなむ」。
などいひてたちぬ。「さらば京にて」といへば、庵主、「おさふるそでの」といらふれば、あなゆゝしや、後背の山に」などいひて立ちぬ。その夜、室の港に泊りぬ。きのもとに柞のもみぢして、いほり作りて入りふしぬるに、夜の更くるまゝに、時雨いそがしうふるに、
 「いとどしくなげかしきよを神無月旅の空にもふる時雨かな」。
御山につくほどに、木の本ごとに、手向の神おほかれば、水のみにとまる夜、
 「よろづ代の神てふ神に手向しつ思ひと思ふことはなりなむ」。
それより三日といふ日、御山に着きぬ。こゝかしこ巡りてみれば、あんしちども二三百ばかりおのが思ひ思ひにしたるさまもいとをかし。親しう知りたる人のもとにいきたれば、蓑を腰にふすまのやうにひき懸けて、ほだ杭といふものを枕にしてまろねにねたり。「やゝ」といへば驚きて、「とくいり給へ」といひていれつ。「おほんあるじせむ」とてごいしけの大きさなる芋の頭をとり出でゝやかす。「これぞ芋の母」といへば、「さはちのあまさやあらむ」といへば「人の子にぞ食はせめ」といひてけいめいすれば、さて鐘うてば御堂へ参りぬ。頭ひきつゝみて蓑打ちきつゝ、こゝかしに知らずまうで集まりて、れいしはてゝまかり出づるに、あるは上の御まへにとどまるもあり。禮堂のなかのはしらにもとに、蓑うちきつゝ忍びやかに顔引き入れつゝあるもあり。ぬかづき陀羅尼よむもあり。さまざまにきゝにくゝ、あらはにそと聞くもあり。かくてさぶらふほどに、霜月の御八講になりぬ。そのありさま常ならずあはれにたふとし。八講はてゝのあしたに、或人こういひおこせたり。
 「おろかなる心の暗に惑ひつゝ浮世にめぐる我が身つらしな」。
庵主も此の事をま心に、たう心を仏のごとしと思ふ。
 「白妙の月また出でゝ照さなむかさなる山の遠(一字おくイ)にいるとも」。
また年ごろ家につくせることをくいて、
 「玉のをも結ぶ心の裏もなくうちとけてのみ過しけ(イつ)るかな」。
さて侍ふほどに、「霜月廿日のほどのあすまかでなむ」とて音無川のつらに遊べば、「人しばし侍ひ給へかし、神もゆるし聞え給はじ」などいふ程に、頭白き鳥ありて、
 「山がらすかしらも白く成りにけり我がかはるべき時やきぬらむ」後拾。
さて人の室にいきたれば、ひのきを人のたくか、走りはためくをとりて侍(見イ)れば、むろのあるじ、「この山は、ほだくひけんありて、はたはたとぞ申す」といへば、「たきごゑならむ」といひてたちぬ。さてみふねじまといふ所にて、
 「そこ(やまイ)のをに誰さほさしてみふね島神の泊りにことよざせけむ」。
たゞの山の瀧の本にて、
 「名に高く早くよりきし滝の糸に世々の契を結びつるかな」。
この山のありさま、人にいふべきにあらず、哀に尊し。還るとて、そこに貝拾ふとて、袖のぬれければ、
 「藤衣なぎさによするうつせ貝ひろふたもとはかつぞ濡れける」。
この浜の人、はなの岩屋のもとまで着きぬ。見ればやがて岩屋の山なる中をうがちて、経を篭め奉りたるなりけり。これは弥勒ほとけの出でたあはむよに、とり出で奉らむとする経なり。天人つねに降りて供養し奉るといふ。げに見奉れば、この世に似たる所にもあらず。そとばの苔に埋れたるなどあり。側にわうじの岩屋といふあり。たゞ松の限りある山なり。その中にいとこきもみぢどもあり。むげに神の山と見ゆ。
 「法こめてたつの朝をまつ程は秋の名残ぞ久しかりける」。
夕日に色まさりて、いみじうをかし。
 「心あるありまの浦の浦風はわきて木の葉も残すありけり」。
天人のおりて供養し奉るを思ひて、
 「天津人いはほをなづる袂にや法のちりをばうち払ふらむ」。
四十九院の岩屋の許にいたる夜、雪いみじうふり、風わりなく吹けば、
 「浦風に我がこけ衣ほしわびて身にふり積る夜半の雪かな」。
たてが崎といふ所あり。かも(みイ)のたゝかひしたる所とて、楯をついたるやうなる巖どもあり。
 「うつ浪に満ちくる汐のたゝかふをたてが崎とはいふにぞ有りける」。
伊勢の国にて汐のひたる程に、見渡りといふ浜を過ぎむとて、夜なかにおきてくるに、道も見えねば、松原の中にとまりぬ。さて夜の明けにければ、
 「よを篭めていそぎつれども松の根に枕をしてもあかしつるかな」。
逢坂越えして休むほどに雪うち降りなどす。ものゝ心細ければ、なちの山にとまりなましものを、いづちとていそぎつらむなど思ふ程に、きあひたる人、「いかで関は越えさせ給ひつるぞ」などいふにつけて、かう覚ゆ、
 「雪とみる身のうきからにあふ坂の関もあへぬは泪なりけり」
とて立ちぬ。堤のもとにて京極の院の築土崩れ、馬牛いりたち、女どもなど笠をきて、こんくうちありくをみるに、ことのおはせし時思ひあはせて、猶世の中かなしやなど思ふ。
 「げにぞ世はかもの川浪たちまちに淵もせになる物は有りけり」。
など見ることの木草につけていはれける。
かもに葉月ばかり、鈴虫のいみじうなき侍りしかば、
 「聞くからにすごさぞまさるはるかなる人を忍ぶる宿の鈴虫」。
荻多かる家にて、風の吹き侍るに、よの中のはかなきことなど思ひ給へられて、
 「いかにせむ風に乱るゝ荻の葉の末葉の露にことならぬみを。
  秋の野に鹿のしがらむ荻のはの末葉の露の有りかたの世や」。
同じ月の十日比に、月出づるまで侍りしに、たゞ入りにいり侍りしかば、これを思ふやう侍りて、
 「さもあらばあれ月出でゝさも入りぬれば見るべき人のある都かは」。
同じころ、つれづれにねられで侍りしに、月の出で侍りければ、
 「天の原はるかにひとりながむれば袂に月のいでにけるかな」新古。
その比のことにや侍りけむ、いつとも侍らねども、
 「つれなくておさふる袖の紅にまばゆきまでになりにけるかな」。
かものふだ経にあひ侍りしに、鹿のなき侍りしかば、
 「鹿の音にいとゞわりなさまさりけり山里にこそ秋はすませめ」。
鈴鹿山に、
 「音にきく神の心をとるとるとすゞかの山をならしつるかな」。
かはもまゝにかんだちにまかりしに、川波のいみじうたちしかば、
 「わりなくも心一つをくだくかなよをへて岸にたつ浪はたゞ」。
つの国なる寺にまかりけるに、神なびのほどに鹿のなきければ、
 「我ならぬ神なび山のまさきへて角まく鹿もねこそ鳴きけれ」。
よの心うき心ひとつに思ひわびて、
 「君だにも都なりせば思ふことまづかたらひて慰めてまし」。
十月かもに篭りて、暁がたに、
 「瑞籬にふる初雪を白妙のゆふしでかくと思ひけるかな」。
二三日侍りて、貴船のもとの宮に侍りしに、むら消えたる雪の残りて侍りしかば、うち解けぬことや思ひ出でけむ、
 「白雪のふるかひもなき我が身こそ消えつゝ思へ人はとはぬを」。
もみぢのえもいはず見え侍りしかば、みくらし侍りて、夜になしていで侍るとて、
 「紅葉ばの色の赤さに目をつけてくらまの山に夜たどるかな」。
或人の初雪のふり侍りしつとめて、菊にさしていひて侍りし、
 「ませの中に移ろふ菊のけさいかに初雪といはぬ君を恨みむ」。
かへし、
 「初雪のふるにも身こそ哀なれっとふべき草の園しなければ」。
あけぼのにながめたちて侍りしに、露のいみじうみるまゝに立ち渡りて、空に見ゆらむと、まことにいひ侍りぬべかりしかば、
 「から錦染むる山には立田姫きりのまくをぞ引きまはしたる」。
かたらふそうのまうでこで、川藻にさして、
 「こゝにとてくるをば神も諌めしを御手洗川の川藻なりとも」。
かへし、
 「皆人のくるにならひて御手洗のかはもたづねずなりにけるかな」。
御手洗川のつらにはべりしに、もみぢのかたへはきくにあをばなみはへしを、人々みたまへて、帰り侍りてみえず侍りしに、ちり侍りしかば、
 「御手洗のもみぢの色は川のせに浅きも深くなりはてにけり」。
京よりまうできたるける人の侍らざりけるほどにまうできて、かういひ置きて罷りにける、しもの御社なりしほどに
 「御手洗の飾ならでは色のみはつゝ(如元)かゝらましやは」。
とてまかりにければ、こと人を「かくなむ」といひて誘ひて、はし殿にもろともに侍りしに、日の暮れ侍りしかば、
 「ひとの落つる御手洗川の紅葉ばをよに入るまでもおりてみるかな」。
夜ねられ侍らぬまゝに、きゝ侍ればまことに夜中うちすぐる程に、千鳥の啼き侍りしかば、
 「暁や近くなるらむもろともにかならずもなく川千鳥かな」。
神の御前に宵暁とさぶらひて、仏の御事を祈り申すに、
 「いひいづれば涙さし出づる人の上を神もあはれや思ひすぐらし」。
しものおきて侍りしつとめて、「もみぢはいかに」と人のいひて侍りしに、
 「おく霜のあさふす程やあらばあらむ今一目だにみぬは紅葉ば」。
紅葉の散りはてがたに、風のいたう吹き侍りしかば、
 「落ち積る庭をだにとてみるものをうたて嵐の吹きはらふらむ(はきにはくかなイ)」後拾。
十月一日かんしに、人々歌よみしに、
 「紅葉ばのこのもとゝしに見もわかず心をのみもめぐらかすかな」。
月を、
 「山のはを出でがてにする有明の月は光ぞほのかなりける」。
しぐれを、
 「ことぞとて思ふともなき衣手に時雨のいたく降りにけるかな」。
或僧の、御社に一夜侍ひてまかでけるに、しもの御社にまうでゝ侍りし程に、かく書きて簾にさし挿みてまかりにける、
 「たひのいもねて心みつ草枕霜のおきつる暁ぞうき」。
返し、いひにつかはしゝ、
 「さてをしれしもの社もよをへてはおきつつ通ふ我が衣手を」。
神に申し侍りし、よに侍るかひ侍らぬを心にかなふなど覚え侍りしかば、ながれむのちの名もしらでや侍りなましなど思ひ給へられ侍りしかば、身をやなげてましと覚え侍りて、
 「ひたぶるにたのむかひなきうき身をば神もいかにか思ひなりなむ」。
まかりいでしに、貴船に、
 「うきことのつひにたえずば神にさへ恨を残す身とやなりなむ」。
片岡の杉に結び付けし、
 「片岡のいがきのすぎししるしあらば夕暮ごとにかけて忍ばむ」。
いひちぎる事ありける人に、
 「契りおきし大和瞿麥忘るなよみぬまに露の玉きえぬとも」。
こまかなる文を尋ねて、嬉しき事の侍るに、
 「うきことも君がかたまづ見つるより露残さずぞ思ひすてつる」。
上らむ事遥に人のの給へるに「暗うなる程、蔀下す人のなどかさては」といふに思う給へし、
 「思ひやるかたしなければつれづれと」。
よろづに思ひやり聞ゆるに、しだりをのとのみ思ひしられ侍るによろづしられ侍りて、
 「かくしあらば冬のさむしろ打ち払ふよはの衣手今やぬるらむ」。
風俄におこり侍りて、みやしろよりまかりいで侍りて、
 「かつらぎのくめの岩橋しるまではと思ふ命の絶えぬべきかな」。
きくやうある人に、
 「下紐は結びおきけむ人ならでまだうちとけむことやものうき」。
返し、
 「濡衣につけゝむ紐はきながらも結びもしらず解きも習はず」。
すのりとりにとて、人々あまたまうできて、かりたてゝゐてまうできたるに、これをと思ふ人や侍りけむ。夜半のけしきぞいとあはれに侍るや。
 「すのりとるぬまかは水におり立ちてとるにも先ぞ袖は濡れける」。
さきざき見る人のねごろになりて、うとうもてなして侍るに、月の哀なりし夜、
 「ほのかにもほのみしものをはるかにも雲がくれ行く空の月かな」。
これはとほたあふみの日記。

三月十日あづまへまかるに、つゝみてあひみぬ人を思ふ、
 「都いづるけふばかりだにはつかにも逢ひみて人に別れにしかは」。
粟田寺に京をかへり見て、
 「都のみかへりみられし東路に駒の心にまかせてぞゆく」。
関山の水のほとりにて、
 「せき水に又衣手はぬれにけりふたむすびだにのまぬ心に」。
人の、「とうくだりね」といひしを、せきいづる程に思ひ出でゝ、
 「うかりける身は東路の関守も思ひがほして(はえこそイ)留めざりけり(れイ)」。
をかだの原といふ所をめぐるに、
 「浮名のみおひ出づるものを雲雀あがる岡田の原を見捨てゝぞ行く」。
鏡山の峯に雲の昇るを、
 「鏡山いるとてみつる我が身にはうきより外の事なかりけり」。
暁に雉子のなくを、
 「すみなれの野べにおのれは妻とねて旅ゆく(きイ)かほに鳴く雉子かな」。
遥にひえの山をみて、あすよりはかくれぬべしと思ひて、
 「けふばかり霞まざらなむあかで行く都の山をあれとだにみむ」。
昔、篭りて行ひ侍りし山里(寺イ)の、火にやけて有りしにもあらずなりて、あんす(しイ)ちの前にありし山吹の、草のなかにまじりて所々にあるを、
 「あだなりとみるみるうゑし山吹の花の色しもくだらざりけり」。
また、
 「山吹のしるしばかりもなかりせば何処を住みし里としらまし」。
そこより下るに日暮れぬ。かたらひし聖のある所にまかりたれば、その人はしにけり。もろともにはじめ侍りしに、ふけかうを行ふとて、人々あまた侍れど、みもしらぬ人なり。ひとを呼びいだしていふ、
 「我をとふ人こそなけれ昔みし都の月はおもひいづらむ」。
又こと人々のさるべきもなくなりにけりときゝて、
 「なぞもかくみとみし人は消えにしをかひなき身しも何とまりけむ」。
すのまたの渡にて雨に逢ひて、そのよやがてそこにとまりて侍るに、こまどもあまたみゆ。
 「沢にすむこまほしからぬ道にいでゝ日暮れし袖を濡らしつるかな」。
をはりなる箕のうらにて、
 「かひなきはなほ人しれずあふことの遥なるみの恨なりけり」。
ふたこ山にてつゝじのはるばると咲きて侍るに、
 「唐国のにし(如元)なりとてもくらべみむふたむら山の錦にはにじ」。
その夜こふにとまる。この折、しのをかに人々とまりて、きたなどいふべきにもあらず。柏木のしたに幕引きてやどり侍りて、人しれず思ふことおほう侍るに、暁がたに、
 「ねらるやとふしみつれども草枕有明の月も西(袖イ)にみえけり」。
しかすがのわたりにて、わたし守のいみじうぬれたるに、
 「旅人のとしも見えねどしかすがにみなれてみゆるわたしもりかな」。
みやぢ山の藤のはなを、
 「紫のくもとみつるはみやぢ山名だかき藤のさけるなりけり」。
たかし山にてすゑつきつくる所ときゝて、
 「たづならぬ高師の山のすゑつくり物おもひをぞやくとすときく」。
はまなのはしのもとにて、
 「人しれず浜名の橋のうちわたし歎きぞ渡るいくよなきよを」。
橋のこぼれたるを、
 「中絶えて渡しもはてぬ物ゆゑになにゝ浜名の橋をみせけむ」。
まかり着きてのち雨のふり侍りにければ、かくおぼえ侍る、
 「誰にいはむひまなき頃の眺か(ふイ)る物おもふ人の宿りからかと」。
郭公の声をきゝて、
 「此のごろはねてのみぞまつ時鳥しばし都のものがたりせよ」。
はこ鳥のなくを聞き侍りて、
 「故郷のことづてかとてはこ鳥のなくを嬉しと思ひけるかな」。
ぬなはの長きを人の持てまうできたるをみて、
 「我ならばいけといひても浮きぬなは遥にくるはまづとめてまし」。
夜ふかく郭公をきゝて
 「身をつめば哀とぞきく時鳥よをへていかゞ思へはかなし」。
五月五日、雨のふり侍るに、
 「世の中のうきのみまさるながめには菖蒲のねこそまづ流れけれ」。
立花の木に郭公のなき侍るに、
 「ほとゝぎす花橘のかばかりになくはむかしや恋しかるらむ」。
山里(寺イ)より梅をもてまうできたるをみて、
 「都にはしずえの梅も散りはてゝたゞ香ばかりの露や(のイ)おくらむ」。
郭公のなくを、
 「我ばかりわりなく物や思ふらむ夜ひるもなくほとゝぎすかな」。
六月七日、またつとめて、
 「夏山のこのしたかげに置く露のあるかなきかのうき世なりけり」。
よもすがら月をながむる暁に、
 「つれづれとなぐさまねどもよもすがらみらるゝものは大空の月」。
晦日にねられず侍るまゝに、夜更くるまで侍りて、
 「空はると闇のよるよる眺むれば哀にものぞ見え渡りける」。
同じ月の六日、つゆの蛍にかゝりて侍りければ、
 「恋ひわびてなぐさめにする玉づさにいとゞ(しイ)もまさる我が涙かな」。
七日のつとめて、河原へ人の「いざ」と申すに、
 「たなばたの天の羽衣すぎたらばかくてや我を人の思はむ」。
同じ日、うらやまれぬなど思ひ侍りて、
 「七夕をもどかしとみし我が身しもはては逢ひ見ぬためしとぞなる」。
又、
 「逢ふことをけふと頼めて待つだにもいかばかりかはあるな七夕」。
ある僧のもとより女郎花をおこせて、
 「白露のおくに咲きける女郎花よはにやいりて君をみるらむ」。
男の、「こと所よりかよふ人の許より、つくろふ人侍らねばいとことやうになむ」とて瓜をおこせて侍るに、
 「秋ごとにたゞみるよりはうりふ山我がそのにやはなり心みぬ」。
暁に虫のなくを、
 「きゝしかなわがごと秋のよもすがらねられぬまゝに虫も鳴くなり」。
或僧の、上り侍らむ事とひて侍りしに、
 「君はおもふ都はこひし人しれずふたみちかけて歎くころかな」。
菊をいと多う飢ゑて侍るに、「のぼり侍りなむ」とて結び付け侍りし、
 「みつぎなは古郷もこそ忘らるれこの花咲かぬまづ帰りなむ」。
おちゝうるこどものはゝの、こと男につきて侍れば、いみじうなげくよしをきゝ侍りて、
 「その原の梢をみれば箒木のうきをほの(のみイ)きく袖もぬれけり」。
かひのすけといふものゝ、ごをいみじう好み侍りしにつかはす時、鹿の啼き侍りしに、
 「よりこをぞしかも誠に思ひけるかひよかひよとこと草にして」。
京よりねんごろなる人々の御文どもあるに、なくなり給ひにし人おはせましかばと、みれば覚え侍りて、
 「今一人そへてやみましたまづさを昔の人のあるよなりせば」。
菊に結びつけしふみを、ある人のみ給ひて、九日
 「みつきなく留れとまでは思はねどけふはすく(まてイ)といふ花に(とイ)こそみれ」。
返し
 「真心によはひしとまる物ならばちゝの秋まですぎもしなまし」。
なほいでゝ、十一日浜名の橋の本にとまり(侍りイ有)て、月のいとおもしろきを見侍りて、
 「うつしもて心静かにみるべきをうたても浪のう(たイ)ち騒ぐかな」。
夜ふけて鹿の啼くに、
 「たかし山松の木ずゑに吹く風のみにしむ時ぞ鹿もなきけ(くなイ)る」。
うつろひする所に、祝の心を、
 「君が代はなるをの浦になみ立てる松のちとせぞかずにあつめむ」。
このまへに、なるをの浦といふ所の侍るなり。さてその松は、見え侍りしなりとぞ。

国文大観

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Last-modified: 2022-08-08 (月) 08:46:13