轉寢記
もの思ふことの慰むにはあらねど、ねぬ夜の友とならひにける月の光待ち出でぬれば、例の妻戸おしあけて唯一人み出したる。あれたる庭の秋の露かこち顏なる蟲のねも物ごとに心をいたましむるつまとなりければ、心に亂れおつる泪をおさへて、とばかりこし方ゆくさきを思ひつゞくるに、さもあさましくはかなかりける契の程を、などかくしも思ひいれけむと我が心のみぞかへすがへす怨めしかりける。夢現ともわきがたかりし宵のまより、關守のうちぬる程をだにいたくもたどらずなりにしや。うちしきる夢のかよひ路は、一夜ばかりのとだえもあるまじき樣に習ひにけるを、さるは月草のあだなる色を、かねてしらぬにしもあらざりしかど、いかにうつり、いかに染めける心にか、さもうちつけに生憎なりし心迷ひには、ふし柴のとたに思ひしらざりける。やうやう色づきぬ(如元)秋の風のうきみにしらるゝ心ぞうたてく悲しきものなりけるを、おのづから頼むる宵はありしにもあらず。うち過ぐる鐘の響をつくづくと聞きふしたるも、いける心ちだにもせねば、げに今更に鳥はものかはとぞ思ひしられける。さすがにたえぬ夢の心ちは、ありしにかはるけぢめも見えぬものから、とにかくに障りがちなる蘆分船にて、神無月にもなりぬ。
降りみふらずみ定めなき頃の空のけしきはいとゞ袖の暇なき心ちして、おきふしながめわぶれど、絶えて程ふる覺束なさの、ならはぬ日數の隔つるも、今はかくにこそと思ひなりぬるよの心細さぞなにゝ譬へてもあかず悲しかりける。いとせめてあくがるゝ心催すにや、遽にうづまさに詣でむと思ひ立ちぬるも、かつうはいと怪しく、佛の御心の中はづかしけれど、二葉より參りなれにしかばすぐれて頼もしき心ちして、心づからのなやましさも愁ひ聞えむとにやあらむ、しばしば御前に、ともなる人々「時雨しぬべし。はやかへり給へ」などいへば心にもあらず急ぎ出づるに、ほふこんがう院の紅葉此の頃ぞさかりと見えて、いとおもしろければすぎがてにりおぬ[ママ]。高欄のつまの岩のうへにおりゐて、山の方をみやれば、木々の紅葉色々に見えて、松にかゝれる蔦の心の色も、ほかにもことなる心ちしていと見所多かるに、うき古郷はいとゞ忘られぬにや、とみにもたゝれず。をりしも風さへ吹きて、物騷がしくなりければみさすやうにてたつ程、
 「人しれず契りし中のことの葉を嵐ふけとは思はざりしを」
と思ひつゞくるにも、すべて思ひさまさることなき心のうちならむかし。歸りてもいとくるしければ、うち休みたる程、御ふみとて取り入れたるも、むねうち騷ぎてひきひろげたれば、たゞ今の空の哀に、日比の怠りをとりそへて、細やかに書きなされたる墨つき筆のながれもいとみ所ありと、例の中々かきみだす心まよひにことの葉の續きもみえずなりぬれば、御かへりもいかゞ聞えけむ。名殘もいと心ぼそくて、この御文をつくづくと見るにも、日比のつらさはみな忘られぬるも、人わろき心の程やとまたうちおかれて、
 「これやさはとふもつらさのかずかずに涙をそふる水莖の跡」
れいの人しれずなかみち近きそらにだに、たどたどしきゆふやみに、契たげへぬしるべばかりにて盡きせず、夢のこゝちするにも、いできこえむ方なければ、たゞいひしゝ(らカ)ぬ泪のみむせかへりたる、あかつきにもなりぬ。枕に近き鐘の音も唯今の命を限る心ちして、我にもあらずおき別れにし袖の露、いとゞかこちがましくて、君やこしともおもひわかれぬなかみちに例の頼もし人にてすべりいでぬるも、かへすがへす夢のこゝちなむしける。彼處にはうめきたの方わづらひ給ひけるが、つひに消え果て給ひにければ、その程のまぎれにや、またほどふるもことわりながら、いひしにたがふつらさはしも、ありしにまさる心ちするは、いかに思し惑ふらむと、とりわきたりける御思の名殘もいと苦しく推し量り聞ゆれど、あはれしる心の程、中々聞えむ方なくて、日數ふるいぶせさをかれがれぞ驚かし給ひつる、つれなさ、よのあはれさも、みづからきこえあはせたくなどあれば、例のうちゐる程の鐘の響に人しれずたのみをかくるも、おもへばあさましくよの常ならずあだなる身のゆくへ、つひにいかに成り果てむとすらむとこゝろぼそくおもひつゞくるにも、ありしながらの心ならましかば、うきたる身のとがもかうまでは思ひしらずぞ過ぎなましなど思ひつゞくるに、今さら身のうさもやる方なく悲しければ、今宵はつれなくてやみなましなど思ひ亂るゝに、例のまつほど過ぎぬるはいかなるにかと、さすがめも合はず、みじろぎ臥したるに、かのちひさき童にや、忍びやかに打ち敲くを聞きつけたるには、賢く思ひ靜むる心もいかなりぬるにか、やをらすべり出でゐるも、我ながらうとましきに、月もいみじくあかければ、いとはしたなき心ちして、すいがいのうち殘りたるひまに立ち隱るゝも、彼のひだちのみやの御すまひ思ひ出でらるゝに、いるかたしたふ人の御さまぞ、ことたがひておはしけれど、立ちよる人の御おもかげはしもさとわかぬ光にも竝びぬべき心ちするは、あながちに思ひ出でられて、さすがにおぼし出づるをりもやと、心をやりて思ひつゞくるに愧かしきことも多かり。しはすにもなりぬ。雪かきくらして風もいとすさまじき日、いととくおろしまはして人二三人ばかりして物語などするに、「夜もいたく更けぬ」とてひとはみな寢ぬれど、露まどろまれぬに、やをら起き出でゝみるに、宵には雲がくれたりつる月の、浮雲まがはずなりながら、山のは近き光の朗かにみゆるは七日の月なりけり。みし夜のかぎりも今宵ぞかしと思ひいづるに、たゞそのをりの心ちして、さだかにもおぼえずなりぬる御おもかげさへ、さし向ひたる心ちするに、まづ掻きくらす涙に月の影もみえずとて、佛などの見え給ひつるにやと思ふに、はづかしくも頼もしくも成りぬ。さるは月日にそへてたへ忍ぶべき心ちもせず、心盡しなることのみまされば、よしや思へばやすきと、ことわりに思ひ立ちぬる心のつきぬるぞありし夢のしるしにやと嬉しかりける。「今はと物を思ひなりにしも」といへばえに悲しきこと多かりける。春ののぢやかなるに、何となく積りにける手習のほんごなどやり返す序に、かの御文どもをとりいでゝみれば、梅がえの色づきそめし初より、冬草かれはつるまで、折々の哀忍びがたきふしぶしを、うちとけて聞えかはしけることの積りける程も、今はとみるは哀れ淺からぬなかに、いつぞや常よりも目留まりぬらむかしと覺ゆる程に、こなたのあるじ「今宵はいと寂しく物おそろしき心ちするに、爰にふし給へ」とて我がかたへも歸らず成りぬ。あなむつかしと覺ゆれど、せめて心の鬼もおそろしければ、かへりなむとも云はでふしぬ。人はみな何心なくねいりぬる程に、やをらすべりいづれば、ともし火の殘りて心細き光なるに、人や驚かむとゆゝしくおそろしけれど、たゞ障子ひとへをへだてたる居どころなれば、ひるより用意しつるはさみばこの蓋などの、程なく手にさはるもいと嬉しくて、かみを引分くるほどぞさすがおそろしかりける。そぎおとしぬれば、この蓋にうち入れて、かき置きつる文なども取り具しておかむとする程、いでつる障子口より火の光のなほほのかにみゆるに、文かきつくる硯の、ふたもせでありけるが傍にみゆるを引きよせて、そぎぎおとしたる髮を押しつゝみたるみちのくに紙のかたはらに、たゞうち思ふことを書きつれど、外なるともしびの光なれば、筆のたちどもみえず。
 「歎きつゝ(わひイ)身を早きせのそことだにしらず迷はむ跡ぞ悲しき」。
身をもなげてむと思ひけるにや、たゞ今も出でぬべき心ちして、やをらはしをあけたれば、つごもりごろの月なき空に、天雲さへ立ちかさなりて、いと物おそろしう暗きに、夜もまだふかきに、とのゐ人さへ折しもうちこわづくろふもむつかしと聞きゐたるに、かくても人にやみつけられむとそらおそろしければ、もとのやうに入りてふしぬれど、傍なる人うちみじろぎだにせず。さきざきもとのゐ人の夜深くかどをあけて出づるならひなりければ、その程を人しれずまつに、今宵しもとくあけて出でぬるおとすれば、さるは心ざす道もはかばかしくも覺えず。こゝも都にはあらず、北山の麓といふ處なれば人目しげからず。木の葉の蔭につきて夢のやうに見置きし山ぢをたゞ獨行くこゝち、いといたく危くおそろしかりける。山びとの目にも咎めぬまゝに、奇しく物ぐるほしき姿したるも、すべて現のことゝも覺えず。さてもかの處、西山の麓なればいと遙なるに、夜中より降りいでつる雨の、明くるまゝにしほしほとぬゝる[ママ]程になりぬ。故里よりさがのわたりまでは、すこしも隔たらず見渡さるゝほどの道なれば、さはりなく行き着きぬ。夜もやうやうほのぼのとする程に成りぬれば、みちゆき人もこゝもとはいとあやしと咎むる人もあれば、物むつかしくおそろしき事、このよにはいつかは覺えむ。たゞ一すぢに亡きになしはてつる身なれば、あしのゆくに任せてはや山深く入りなむとうちも休まぬまゝに、苦しくたへがたきことしぬばかりなり。いるあらしの山の麓に近づく程、雨ゆゝしく降りまさりて、むかへの山をみれば、雲の幾重ともなく折り重なりて、行く先もみえず。からうじてほふりんの前過ぎぬれば、はては山路に迷ひぬるぞすべき方なきや。をしからぬ命もたゞ今ぞ心ぼそく悲しき。いとゞ掻き暮らす泪の雨さへふりそへて、こし方ゆくさきもみえず、思ふにもいふにもたらず。今とぢめはてつる命なれば、身のぬれとほりたること伊勢の白水郎にもこえたり。いたくまはりはてにければ、松風のあらあらしきを頼もし人にて、これも都の方よりと覺えて、蓑笠などきてさへづりくる女あり。小童のおなじ聲なると物語するなりけり。これや桂の里のひとならむとみゆるに、唯歩みよりて「これは何人ぞあな心う、御前は人の手を逃げ出で給ふか、又くちろんなどをし給ひたりけるにか。何故かゝるおほ雨に降られてこの山中へ出で給ひぬるぞ。いづくより何國をさしておはするぞ。あやしあやし」とさへづる。なにといふ心にか、舌をたびたびならして「あないとほしあないとほし」とくり返しいふぞ嬉しかりける。しきりに身のありさまを尋ぬれば、「これは人を恨むるにもあらず、また口ろんとかやをもせず、たゞ思ふことありてこの山のおくに尋ぬべきことありて、夜ふかく出でつれど、雨もおびたゞしく山路さへ惑ひて、こし方もおぼえず、行く先もえしらず、しぬべき心ちさへすれば、こゝによりゐたるなり。同じくばそのあたりまでみちびき給ひてむや」といへば、いよいよいとほしがりて、手をひかへて導く情のふかさぞ佛の御しるべにやとまで嬉しくありがたりける。程なく送りつけてかへりぬ。まちとる處にも「恠しく物ぐるほしきものゝさまかな」と見驚く人おほからめなれども、かつらの里のひとの情におとらめやは。さまざまに助けあつかはるゝほど、山路はなほ人のこゝちなりけるが、今はとうち休むほど、すべてこゝちも失せて、露ばかり起きもあがられず、いたづらものにてふしたりしを、都人さへ思ひの外に尋ねしる便ありて、三日ばかりはとにかくにさはりしかども、ひとひに本意とげしかば、一すぢにうちも嬉しく思ひなりぬ。さてこの所をみるに、うき世ながらかゝる所もありけりと凄く思ふさまなるに、行ひなれたるあま君たちの、よひ曉のあか怠らず、こゝかしこにせぬれいのおとなどを聞くにつけても、そゞろに積りけむ年月のつみも、かゝらぬ所にてやみなましかば、いかにせましと思ひ出づるにぞみもゆる心ちしける。故里の庭もせに憂きしらせし秋風は、ほけ三まいの峰の松風に吹きかよひ、ながむる門におもかげと見し月影は、りゃうじゅせんの雲ゐはるかに心を送るしるべとぞなりにける。
 「捨てゝ出でしわしのみ山の月ならで誰をよなよな戀ひ渡りけむ」。
ゆたのたゆたに物をのみ思ひくちにし果は、うつゝ心もあらずあくがらそめにければ、さまざま世のためしにもなりぬべく、思の外にさすらふる身のゆくへを、おのづから思ひしづむる時なきにしもあらねば、かりのよの夢の中なるなげきばかりにもあらず。くらきより暗きにたどらむ長きよの惑を思ふにも、いとせめて悲しけれど、心は心として猶おもひなれにし夕暮のながめにうちそひて、ひと方ならぬ恨もなげきもせきやるかたなき胸のうちを、はかなき水莖のおのづから心のゆく便もやとて、人しれず書きながせど、いとゞしき泪の催しになむ。いでやおのづから大かたのよの情をすてぬなげの哀ばかりを折々にちりくる言の葉もありしにこそ。露の命をもかけて、今日までもながらへてけるを、うきよの人のつらきいつはりにさへならひはてにけることもあるにや。おなじ世とも覺えぬまでにへだゝりて(はカ)てにければ、ちかの鹽がまもいとかひなき心ちして、
 「陸奧のつぼのいしぶみかき絶えてはるけき中と成りにけるかな」。
日ごろ降りつる雨のなごりに、たちまふ雲まの夕づく夜のかげほのかなるに、おしあけがたならねど、うき人しもと生憎なる心ちすれば、妻戸は引き立てつれど、かど近く細き川野流れたる水のまさるにや、常よりもおとする心ちするにも、いつの年にかあらむ、此の川の水の出でたりしに人しれず、波をわけしことなど、たゞ今のやうにおぼえて、
 「思ひ出づる程にも波はさわぎけりうきよをわけて中川の水」。
あれたる庭に呉竹のたゞすこしうちなびきたるさへ、そゞろに恨めしきつまとなるにや、
 「よとともに思ひいづれば呉竹の怨めしからぬ其のふしもなし。
おのづからことの序になど、はかり驚かし聞えたるにも、よの煩はしさに、思ひながらのみなむ。さるべき序もなくて、みづから聞えさせず」など、なほさりに書きすてられたるもいと心うくて、
 「消えはてむ煙ののちの雲をだによも眺めじな人めもるとて」
とおぼゆれど、心のうちばかりにてくたしはてぬるはいとかひなしや、そのころ心ち例ならぬことありて、命も危き程なるを、こゝながらともかくもなりなば煩はしかるべければ、思ひかけぬたよりにて、おたぎの近き所にてはかなきやどりもとめいでゝうつろひなむとす。かくとだに聞えさせまほしけれど、とはず語りもあやしくて、なくなくかどを引きいづる折しも、先にたちたる車あり。さき華やかにおひて、こせんなどことごとしくみゆるを、たればかりにかと目留めたりければ、彼のひとしれず恨みきこゆる人なりけり。かほしるき隨身などまがふべうもあらねば、かくとは思し寄らざらめど、そゞろに車の中はづかしく、はしたなき心ちながら、今一たびそれとばかりもみ送り聞ゆるはいと嬉しくも哀にも、さまざま胸靜ならず、つひにこなたかなたへ行き別れ給ふ程、いといたう顧みがちに彼處にゆきつきたれば、曾て聞きつるよりもあやしくはかなげなる所のさまなれば、いかにして堪へ忍ぶべくもあらず。暮れはつる空のけしきも、日頃にこえて心ぼそくもかなし。宵ゐすべき友もなければ、あやしくしきも定めぬとふの菅薦に、たゞひとりうちふしたれど、とけしても寢られず。
 「はかなしな短き夜はの草枕結ぶともなきうたゝねの夢」。
日頃ふれどとひくる人もなし。心ぼそきまゝに、きゃうづと手に持ちたるばかりぞたのもしき友なりける。せかいふらうこと有る處をしひて思ひつゞけてぞ、うき世のゆめも自ら思ひさますたよりなりける。けふか明日かと心細き命ながら卯月にもなりぬ。いざよひの光まち出でゝ程なき窓のしとみだつものもおろさず。つくづくと眺めいでたるに、はかなげなる垣ねの草に、まどかなる月影に、ところがらあはれ少からず。
 「おく露の命まつまのかりの庵に心細くも宿る月影」。
いづくにかあらむ、幽かに笛の音のきこえくる。かの御あたりなりしねに迷ひたる心ちするにも、きと胸ふたがるこゝちするを、
 「待ちなれし故里をだにとはざりし人はこゝまで思ひやはよる」。
さても猶うきにたへたる命のかぎり有りければ、やうやう心ちもをこたりさまになりたるを、かくてしもやとてまた故郷にたちかへるにも、松ならぬ梢だにそゞろにはづかしくみまはされて、
 「消えかへり又はくべしと思ひきや露の命の庭の淺ぢふ」。
歎きながら、はかなく過ぎて秋にもなりぬ。ながき思ひの終宵やむともなき砧の音、寢屋ちかき蛬のこゑの亂れも、ひと方ならぬねざめの催しなれば、壁にそむける燈火のかげばかり友として、あくるをまつもしづ心なく、盡きせぬなみだのしづくは窓うつ雨よりもなり。いとせめてわびはつる慰に、「さそふ水だにあらば」と朝夕のこと草に成りぬるを、そのころ後の親とかたのむべきことわりも淺からぬひとしも、遠つあふみとかや、聞くもはるけき道を分けて都の物詣せむとて登りきたるに、何となく細やかなる物語などする序に、「かくてつくづくとおはせむよりは、ゐなかのすまひもみつゝなぐさみたまへかし。かしこも物騷がしくもあらず。心すまさむ人はすみぬべきさまなる」などなほざりなく誘へど、さすがひたみちにふりはなれなむ都のなごりもいづくを忍ぶ心にか、心ぼそくおもひわづらはるれど、あらぬすまひに身をかへたると思ひないしてとだに、憂きを忘るゝたよりもやと、あやなく思ひたちぬ。下るべき日にもなりぬ。夜ふかく都を出でなむとするに、ころは神無月の廿日あまりなれば、有明の光もいと心細く、風の音もすさまじく身にしみとほる心ちするに、人はみな起きさわげど、人しれず心ばかりには、さてもいかにさすらふるみのゆくへにかと、たゞ今になりては心ぼそきことのみおほかれど、さりとて留るべきにもあらねば、出でぬるみちすがら、先かきくらす泪の先に立ちて心細く悲しきことぞなにゝ譬ふべしとも覺えぬ。程なく逢坂山になりぬ。おとに聞きし關の清水も、たえぬ涙とのみ思ひなされて、
 「越えわぶるあふさか山の山水はわかれにたえぬ涙とぞ見る」。
あふみの國野路といふ處より、雨かきくらしふり出でゝ都の山をかへりみれば、霞にそれとだみみえず。隔たりゆくもそぞろに、心細く、何とて思ひ立ちけむと悔しきこと數しらず。とてもかくてもねのみ泣きがちなり。
 「すみわびて立ち別れぬる故里もきてはくやしき旅衣かな」。
道のほど目留る所々多かれど、こゝはいづくいづくともけぢかくとふべき人もなければ、いづくの野も山もはるばるとゆくを、とまりもしらず、人のゆくにまかせてゆめぢをたどるやうにて、日數ふるまゝにさすがならはぬひのながなが路のおとろへはつる身も、われかのこゝちのみして、みのをはりの堺にもなりぬ。すのまたとかや、ひろびろとおびたゞしき河あり。ゆきゝの人集りて舟をやすめずさしかへるほど、いと所狹うかしがましく怖ろしきまで罵りあひたり。からくしてさるべき人みな渡りはてぬれど、人々もこしや馬とまちいづるほど、河のはたにおりゐて、つくづくとこし方をみれば、あさましげなる賎の男ども、むつかしげなるものどもを舟にとりいれなどする程、何事にかゆゝしく爭ひて、あるひは水にたふれいりなどするにも、見なれず物おそろしきに、かゝるわたりをさへ隔てはてぬれば、いとゞ都の方はるかにこそ成り行くらめと思ふには、いとゞ涙おちまさりて忍びがたく、歸らむ程をだにしらぬ心元なさよ。過ぎ來つる日數の程なきに、とまる人々の行く末を覺束なく戀しきこともさまざまなれど、隅田がはらならねばことゝふべきみやこ鳥もみえず、
 「思ひいでゝ名をのみ慕ふ都鳥あとなき浪にねをやなかまし」。
此の國になりては、おほきなる川いとおほし。なるみのうらのしほひ潟、音にきけるよりも面白く、濱千鳥むらむらにとび渡りて海士のしわざに年ふりにける鹽がまどもの、おもひおもひにゆがみたてる姿ども、みなれず珍しきこゝちするにも、思ふことなくて、都のともに、うちぐしたる身ならましかばと、人しれぬ心のうちのみ樣々くるしくて、
 「これやさはいかになるみの浦なれば思ふ方には遠ざかるらむ」。
みかはの國八はしといふ所をみれば、これも昔にはあらずなりぬるにや、橋もたゞひとつぞみゆる。杜若おほかる所と聞きしかども、あたりの草もみな枯れたるころなればにや、それかと見ゆる草木もなし。業平のあそんの、「はるばるきぬる」と歎きけむも、思ひ出でらるれどつましあればにや、さればさらむと少しをかしくなりぬ。都いでゝ遙になりぬれば、かの國の中にもなりぬ。はまなの浦ぞおもしろき所なりける。波あらきしほの海路長閑なる水うみのおちいたるけぢめに、はるばると生ひつゞきたる松のこだちなど、繪にかかまほしくぞみゆる。おちつき所のさまをみれば、こゝかしこに少しおろかなる家ゐどものなかには、おなじ茅屋どもなどさすがに狹からねど、はかなげなるあしばかりにて結びおけるへだてどもゝ、かげとまるべくもあらず、かりそめなれど、げに宮も藁やもと思ふには、かくてしもなかなかにしもあらぬさまなり。うしろは松原にて前はおほきなる河長閑に流れたり。海いと近ければ、湊の浪こゝもとにきこえて、鹽のさすときはこの河の水さかさまに流るゝやうに見ゆるなど、さまかはりていとをかしきさまなれど、いかなるにか心とまらず。日數ふるまゝに都のかたのみ戀しく、ひるはひめもすに眺め、よるは夜すがらものをのみ思ひつゞくる。荒磯の波のおとも、枕のもとにおちくるひゞきには、心ならずも夢の通路たえ果てぬべし。
 「心からかゝる旅ねに歎くとも夢だにゆるせ沖つ白波」。
富士の山はたゞこゝもとにぞみゆる。雪いと白くてこゝろぼそし。風になびく煙の末もゆめの前に哀なれど、うへなきものはと思ひけつこゝろのたけぞ物おそろしかりける。かひのしらねもいと白くみわたされたり。かくてしも月の末つ方にもなりぬ。都の方より文どものあまたあるをみれば、いとをさなくよりはぐゝみし人は、はかなくも見すてられて心ぼそかりし思に、病になりてかぎりになりたるよしを、鳥のあとのやうに書きつゞけておこせたるをみるに、哀に悲しくて、萬をわすれていそぎのぼりなむとするは、人の思ふらむ事どものさわがしくかたはらいたければ、とにかくさはるべき心ちもせねば、遽にいそぎたつを、「道もいと氷とぢてさはりがちに危かるべきを、たゞ今はかばかしきうちそふ人もなくて」などさまざま止むる人も多かりければ、思ひわびてねのみ啼かるゝを、みる人も心ぐるしくとて、ともすべくものどもなど、たれかれと定めて登るべきになりぬ。いとうれしけれど、とにかくに思ひわけにしことなく、なにと又都へかへらぬとあぢきなくものうし。こゝとても又立ち歸らむ事もかたければ、ものごとになごり多かる心ちするにも、うちつけにものむつかしき心のくせになむ。常より居つる柱のあらあらしきが、なつかしからざりつるも、立ち離れなむはさすがに心ぼそくて、人いわくべくもあらず。ちひさく書きつくれど、目早き山賎もやとつゝましながら、
 「忘るなよあさぎの柱かはらずはまたきてなるゝ折もこそあれ」。
この度はいと人ずくなに心ぼそけれど、都をうしろにてこしをりの心ちには、此の上なく日數のすぐるも戀しき心ちするず。あやにくに我が心より思ひたちていでぬれど、我ながら定めなく、旅の程も思ひしられざれど、いとはずに日數もうらゝかにとゞこほる所もなかりけるを、ふはの關になりて雪たゞふりに降りくるに、風さへまじりて吹雪もかきくれぬれば、關屋ちかく立ち休らひたるに關守の懷かしからぬ面もちとりにくゝ、なにをがな留めむとみいだしたる氣色もいと怖しくて、
 「かきくらす雪まをしばしまつ程にやがて留むるふはの關守」。
京に入る日しも雨降りいでゝ、鏡の山も曇りてみゆるを、くだりしをりもこの程にて雨降り出でたりしぞかしと思ひいでゝ、
 「このたびは曇らば曇れ鏡山ひとを都のはるかならねば」。
かく思ひつゞくれど、まことにかの人を都はちかき心のみばかりにて、いつを限にと思ひ返すぞ又かきくらす心ちしける。日たくるまゝに、雨ゆゝしく晴れて、しろき雲おほかる山多かれば、「いづくにか」と尋ぬれば、「ひらの高根やひえの山などに侍る」といふを聞くに、はかなき雲さへなつかしくなりぬ。
 「きみもさはよそのながめや通ふらむ都の山にかゝる白雲」。
暮れはつる程にゆきつきたれば、思ひなしにやこゝもかしこもなほ荒れまさりたる心ちして、所々もりぬれたるさまなど、なにゝ心のとゞまるべくもあらぬを見やるも、いとはなれまうきあばらやの軒ならむと、そゞろにみるもあはれなり。おい人はうちみえてこよなく怠りざまにみゆるも、うき身をたればかりかうまで慕はむと哀も淺からず。その後は身をうき草にあくがれし。こゝろもこりはてぬるにや、つくづくとかゝる蓬がそまに朽ちはつべき契こそはと、身をも世をも思ひしづむれど、したはぬこゝちなれば、又成り行かむはていかゞ。
 「我よりは久しかるべき跡なれど忍ばむ人はあはれとも見じ」。
轉寢記終

国文大観

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Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:02:01