かんかんの 踊歌【名義】かん〳〵の踊(一名唐人踊)に用ひたため【沿革】曲は清樂の九連環から出たもので、初め長崎に行はれ、文化年中には三都に弘まつた。江戸には文化十一年から行はれ、踊が卑隈に失して文政五年に一時禁止された。大阪や名古屋は文政三年からで、この他諸國に弘まつたのは多く飴賈が仲介者だといふ。替歌が澤山出たが、本歌は
かん〳〵のう、きうのれす、きうはきうれんす、
きうはきうれんれん、さんしよならゑさアいほう、
にイくわんさん、いんびんたいたい、やアあんろ、
めんこがこかくて、しいくわんさん、もゑもんと
ハヱ、ぴいほうぴいほう。(守貞漫稿)
今も地方には山車の囃子にこれを用ひてゐる處がある。明治の中頃に流行したホーカイ節はこの曲の再生である。 〔高野〕
【參考】看々記事山崎美成 日本歌謠史 高野辰之
http://f.hatena.ne.jp/kuzan/20100116185422
新潮日本文学大辞典 高野辰之