三島由紀夫
小林秀雄
対談
三島由紀夫対談集『源泉の感情』河出文庫 pp.7-39

(『文藝』昭和三十二年一月号)

pp.36-37

 小林 […]テレビ見てるんだ。この間、感心したのはね、僕は名前知りませんけどね、大阪のほうの芝居ですよ。それはなぜ感心したかというと、大阪弁でやってたからでね、大阪弁でやると、とっても面白いんですよ。
 三島 それはフォームじゃないかな、言葉の。
 小林 台詞が生きてるんですよ。全部、言うことが生きてる。ところがね、近頃の新劇で使ってる台詞は、あれ、標準語でしょ、あの標準語っていうのは、今のところ死語だね。僕、大ッ嫌いなんですよ。映画もそうですよ。映画の台詞ね。これ、生きてない。その元兇は誰あたりか、僕にはよく解らない。小山内薫じゃないかと思ってるんだけどね、あれから発した芝居語というものがあるんだよ。これはいつまで経っても熟さないね..ますます悪くなっていく傾向があるね。あれ、一種のエスペラント語だよ。みんな同じ台詞を使いやがるんだな。それで死んでるんだ、みんな。
 三島 死んでます。日常会話に近づけようとすればするほど、死ぬんです、言葉は。
 小林 あれはあなたたちの責任だね(三島氏笑う)。だって、戯曲を書いて、演出してるんでしょ、責任だよ。あれ死語だね。歴然と解るんだもの。大阪弁でやると、全部生きる。やっぱり、生きた言葉っていうものをつかまえなきゃいけませんよ。役者は家へ帰りゃ別の言葉を使ってやがるんだからね。僕は何も江戸前の言葉を使ってくれとは言わないよ。これはむずかしい。教えるったって教えられやしない。これはダメだよ。だけどね、家へ帰りゃ、ちがう言葉を使ってるくせに……。これは僕は名優の出現を待つのみだね。
(以下略)


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Last-modified: 2024-02-21 (水) 10:28:53