上田萬年
『国語のため 第二』 所収。
『明治文学全集44落合直文・上田萬年・芳賀矢一・藤岡作太郎集』

h2>第一 奇矯にわたらざる範圍に於て純粋の日本語をなるべく用ゐる事</h2>
一國民が自國の祖先傳來の言語を用ゐる事はあたり前の事で、他の國民に征伏せられたとか、或は自國の文化よりも遙に秀でた他國の文化に壓服せられるとか、してし<!--p96-->まはぬ以上は、其の國民は容易に其の言語を變へはせぬものである。従つて一度他の國民に征伏されても、其の獨立を恢復する曉とか、或は自國の文化が非常に發達して、昔は優等であつて壓服された程の他國の文化も、今はさほどの價値がなくなるといふ様な曉とかには、自然と自國語の自由を忍び出で、其の獨立を計るやうになるものである。最も好い例は獨逸語の場合で、十九世紀に於いて獨逸語が佛國語の覊絆を脱し、其の獨立をなし得たのは、誠に近代の文學史上著名な事實であります。これには、上は天子様をはじめ貴族社會から、下は下女馬丁などにいたるまで、皆々同情を表して助けたので、これがため數百年間獨逸にはいつて、恰ど普通語同様つかはれた佛國語も、とうとう其の勢力を失ふやうになり、今では全く使はれぬやうになつたものも澤山あります。勿論、此の兩國語をくらべて見れば、佛國語でいふ方が簡單な場合は多いのである。しかし簡單な外國語よりも、長くてもわかりよい自國語の方を、獨逸國民は善いとして選んだのである。よし一方は上品にきこえ、一方は粗野にきこえても、粗野の方に自國語の生命はある、此の方をみがきあげさへすれば、他日は見事なものになるといふ望があると自覺したからである。<p>

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われ〳〵も此點に於ては、全く獨逸人のやうに自國語のために、漢語の覊絆を脱する覺悟をもたねばなりませぬ。しかし、なんぼ自國語がよいからと申して、世間見ずの國學者のやうに、<cite>古事記</cite>や<cite>萬葉</cite>の日本語ばかりで、萬事推していけると思うてはならぬ。あまりはげしい復古熱は、われ〳〵とても賛成せぬ。しかし、一般國民が上古以來、たとひ文學上をば放れても、猶ほ今でも使つて居るやうな普通語は、なるべくこれを言葉の上にも文章の上にも用ゐるやうにしたいと思ふのである。<p>

h2>第二 耳で聞いて混雑を起さぬだけの漢語を保存する事</h2>
二千年來我國に用ゐられて居る漢語を、一朝一タに淘汰しようといふのは、誠にむづかしい仕事には相違ありませぬ。なか〳〵すぐに結果を見ようなどゝいふ事も望まれませぬが、しかし、國民がお互に氣をつけあつて、せめて同音語だけでも、なるべく早く淘汰しようといふことには、是非したいと思ふ。それは此の同音語といふものは、耳で聞いて到底わけのわからぬもので、一種をかしな餘計な言葉數を増さなければわからぬものであるからである。たとへば。
  コーシャク  公爵  侯爵<!--p98-->
  シリツ    私立  市立
  クワガク   化學  科學
  ブンクワ   文科  分科
  センシヨク  染色  染織
  オンガク   音學  音樂
  シンリ    眞理  心理
  シガク    史學  斯學
のやうにこんな同音語はまだ〳〵幾百もある。われ〳〵は話す時にはキミシヤク、のコーシヤク、リテレーチュアのブンクワ大學などいふのである。萬事萬端漢字から割出した時代はしらず、又文字の上でばかりおもな事柄を辨じた時代はしらず、今日の日本帝國では、こんな事ではとても用は辨じない。そこで私はまづ此の同音語から手をつけはじめて、それからだん〳〵他の漢語で聞きとり悪いものを棄てるやうにしたいと思ふ。<p>

h2>第三 自國語にて譯しがたき外國語をばなるべく原語のまゝ輸入する事</h2>

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日本にもなく支那にもない外國語を、いろ〳〵骨を折つて漢字で飜譯するのはつまらぬ事と思ふ。一體日本語は音韻組織上支那語よりも、遙にアリヤン語に近い言葉であるのに、單に文字の上からばかりで、日本語にしてよい外國語を、日本語として不便な漢語體のものとする。漢字ばかり使つて居る支那人なればまだしもだがゴ立派な假字のある日本で、こんな事をするとは不見識といはねばならぬ。漢字に飜譯する人々は、文章の上の便不便をいふだらうけれども、言葉の上から観察すれば、それはむしろ末の話である。今の日本の文學のやうに、漢字や假字に執着して居ては、到底、日本語が滅びずにすむか、日本語が東洋の普通語になれるか、などいふ事は解釋されまいと思ふ。日本語を習ふよりも、英語を習ふ方が早い、便利も多い利益もある、といふやうな時代が來るまで、たゞしは又、英語が日本かけて東洋の言語となる、世界の言語である、といふ評判の定まる時代が來るまで、日本語の保護奨勵開拓に従事しないといふならしらぬ事、苟も日本語で何處迄も進まうといふ人々は、今から大々的の開進主義をとつて、國語の根本を動かさぬ限り、廣く外國語を輸入して、一日も早く萬事用のたりる活きた言葉とせねばならぬ事と私は思ふ。
(明治三十五年八月稿)

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Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:02:24