久保田万太郎
戯曲の言葉

『国語文化講座4国語芸術篇』

!--

戲曲の言葉
久保田 万太郎
 ある劇團がイプセンのある戯曲の上演を企て、演出者に、毫本として使用すべき飜譯の選定を一任
しね直
 その戯曲の飜譯のすでに幾人遇の飜譯者によつて試みられてゐることを知つだ演出者は、その戯曲
のイギヲス譯、ドイッ譯、フランス驛とともに、そのそれみ丶の國語にくはしい助言者を用意し、し
かるのち俳優たちをあつめて、その幾つもの飜譯の同じ個所、いろくの部分を、適宜に拔きだして
の讀合せを行つね。
 その方法は、演出者に、まつその飜譯の良否を、つぎに鏖本としての適否を、同時に、併せあきら
かにすることが出來紀。そして、結果、ある學校の先生の一二年まへに出し把ものと、ある小設作家
     戯画の官葉              ・         二六三


の十四五年まへに本にし把ものとが演出者の手に殘つたが、演出者は一應その助冒者及び俳優沈ちの
意見を徴し托上、まへのものを捨て、あとのものを取つた。なせなら、まへのものは、語學的にはあ
くまでも確かだつ髯、が、壷詞としては:;すなはち舞韲の上で話される雷葉としては、その飜譯、
生硬にすぎ、晦澁に失した。
「諸君には{の言葉はいひこなせない。よしいひこなせねとしてもその甲斐がない。骨を折るだけ無
駄だ。」
 演出者は俳優たちにかういつセ。::目でみては分つても、耳・に聽いて::茸に聽いなゴけで直ち
にその意味の捕捉出來ない言葉では壷詞として逋用しない:∴
 ノ
 そこへ行くと、あとのものは、しばノ丶省略があり、.また、イギリス語譯にのみよつたことからの誤
譯さへ容易にみ出されたものの、それにもか丶はらす、さすがに飜譯者自身作家だけのことはあb、
言葉の流れが自由で、暢達で、明晰だつた。壹詞として生かすことの出來るいのちを十分にもつてゐ
た。
「これなら分る,これなら、諸君も、安心して役の性格が出せる。::これにしよう、これに。・・;
省略は補へばい丶、誤譯は直せばい丶::」


.濱出者は言葉をつ『けていつたo                       .
         口             ・
 この分るといふことが・:・耳に聽いて分るといふことが舞壼で話される言葉の・:・戲曲の言葉のま
つ以ての條件である。
 が、分るばかbではいけない、同時に耳に::觀客の耳に快くつたはらなければいけない、美しく
ひジかなければいけない。それがそのあとにすぐ來る大切な條件である。        ,.
 勿論、これは,盛詞を圭とする演劇::近代劇のための戯曲の場伶にのみいはれることで、歌舞伎
劇の如きは必すしもこれにあつからない。::といつたら、歌舞伎劇の壅詞とて「分る」に越したこと
はないではないかといふ抗議…が出るにちがひない。が、歌舞伎劇及びそれに準する演劇のための歔曲
に於ては、その中に、觀客に聽かせるだけの目的にかなふ言葉をもてばそれでい丶。たとへその歔曲
の中で、.いかほど多くの人物が、いかほど多くの言槊をかはし合ひ弄び合ふとしてでもである。畢覓、
目的は、それ以上に出ないからである。しかし近代劇のための歔曲にあつては、その中のどんな人物.
でもが觀客に聽かせるまへ、かれ自身まつかれの昌囂某を話さなければいけない。かれら、おたがひ同
士、かれら肩身の言葉をまつ話合はなければいけない。::そしてそこにあくなき「自然さ」が要求


されるのである。                      ・
 自然さ。            ・
 ぬきさしの出來ない自然さ。
.つねに暗示を忘れることの出來ない自然さ。
 ・:・戯曲の言葉の艱難はかくして盜きるところを知らない。
         口                 ・
 わが國ではじめて「垂詞を主とし把演劇」を提唱しためは森鴎外先生である。
           たまくしげムみりうちしま
 その把めに、先生は、ら玉篋兩浦嶼』を薔かれ、 「日.蓮聖人辻読法』・を轡かれ、 『プ〃ムウラ』を
替かれ、 『假面』を書かれ、 『靜』を誉かれ、 『生田川』を霽かれだ。
『玉篋.兩浦嶼』は明治三十五年の十二月に出版された。先生、この國民的慱詮に取材した戯曲を霄か
れるのに中古の雅語に遞いものをもちひられ忙。
  太郎   なに、浦島の、太郎とな        , .
       さら拭おんみの、とほつおやに


.後の太郎
,
やへのしほぢに、こぎいりて
かへらぬひとの、ありどきかずや
げにげに。ことし、天長の
二年を距ること、三百年
      すめちみニと
犬泊瀬幼武の、天皇の
みよしろしめす、二十二年
月さやかなる、あきのよに
とほつおやなる、浦島は
ひとり小ぷねを、こぎいでしが
いくひふれども、おほぞらに
雲なく、海に、なみなくして
ひともかへらず、ふねもかへちず
たれいふとなく、わたつみの
かみのみやゐに、ゆきぬとて
けふまでもよの、かたりぐさ。
それをおん身の、とひたまふは。


  太郎   その浦島こそ このおきな。
            ずに
      おんみはわが黹、たゴならぬ
       ふなよそほひはな.にゆゑぞ。
  後の太郎(下に居る)
 ●     わが父なりし 浦島らの
      とほきえみしを ・フちしより
       夲安城の みよさかえ
       みっぎするもの 讎化するもの
・      ひきもきらねど もののふの
         .あ
    ・ こムろは聾かずひのもとの
       武名をなほも あげんた.め
       わだつみこえて と.ほつくにへ
       わたらんとこそ おもひ候へ
  太郎   おう。いさましや わたつみの
       かみのみやこを わがいでしも
       おなじこムろよ さりながら


後の太郎
太郎
おもふは先薩
      行ふは
子孫にこそあれ
      もとらダ
      矧しし
たまをば(地を指す)舟に つみゆきて
総囓をだにをかさざる
いくさのたすけに せらるべし
0


      画語塾構篇.       ・                     二七σ
 『日蓮聖人辻諡法』は明治三十七年の三月蕨炎された。この作には狂言詞が加味された。そして左の
 如き,簡素な、清淨な歌舞伎劇::薹詞を童とした歌舞伎劇が出來上った。     、.
                                       もつけ
    妙  (笠を取り、呼ぴ掛く)阿朗様、囗朗様。 (R朗立ち留まり、顧みる)まあ、物怪なことでござんし
      たなあ。それにしても器はこはれる、油は流れる、お前の跡をみずに行かしますは、なんと思うての
      觚でござんする。
    日朗 こはれた器、流れた油が、見ればとてなんとなりませうそ。
    妙 (笑ふ)ほんにさうでござんすなあ。おう、路い事がある。松葉ケ谷に歸らせますには、大町は道筋
      ぢや程に、妾がさう申したというて、内のを持つて行かしませ。

    日朗 盜みて焚きし油にも、永劫身光の報あり。そんなら貰うて歸りませう。
    妙  (笑ふ)それはなんのお經やら。早う寄つて取つて行かませいなあ。
      ・(日朗橋を渡りて去る。妙、暫し見邊りて、下手に行きかかる)
                             し                                    おんユとにロめ
    善春  (H朗とすれ違ひ橋を渡り來て)妙殿、まだそれに居られたか。某は今年ゆくりなくも、御的始の
      じやうみやう
      交名に加へられ、今朝より由比ク濱にて、おん試にあつかりしが、若しおん身が日參の、いつもの時
      刻に遲れんかと、事の果つるを待ちあへず、米町通りをひた走りに、御邸のほとりまで引き返し、お
     跡を慕うてまゐつてござろ。
    妙 (萎れたろこなし)そのお志は、よう存じて居りますれど、先頃父がお黝め申して、あなたもどう---------------------[End of Page 8]---------------------
  聖人様へ御鑒誓すやうにと・くれぐ輩しましたのを.おん燹がないのみか、聖人鼕藩ぢ
  やと、あなたが仰しやりましたとやら。それからといふものは、折角お零ね遊ばしても、留守と申せ
             かな                あミら
  と父のいひつけ、所詮願は協はぬものと、妾はもう諦念めて居わまする。 (憂のこなし)
善春 ざてはさやうの譯でおりやるか、たとひ御父上はなんと仰せられうとも、おん身の心が變らずぱ.」
                                  コ
  此善春は引かぬ所存。必ず氣にばしかけられな。                '
妙 あなたに逢うて御親切な、そのお詞を聞くうちは争つい末頼もしいやうな心にもなりますれど、叉お
  目にか亠るまでは、苦勞の繕閼はござんせぬ。妾の心をよう知つた母上の御病氣は、凹に淵に重り行
  くばかり、その御平癒の断願ぢやとて、かうして一人參るのを、父が許せばあなたにも、.人目のうる
  さい大路ながら、たまたまお目に掛むれまする。・二迸かけた願ゆゑ。八幡様にも通らぬやら、どりや
.暹うならぬうち、急いで行つてまゐりませう。
                        あハたに
   (花道へXる。善摩殘げ、心配の思入。老若の群、慌忙しく橋を渡り來り、「又醗教に來たのちやろ」
  「めでたい正月に忌まはしい」などの白ありて、舞蘯に留まる)
                                         しつら
善春 さては噂の日蓮が、けふも醗敏に出でたるよな。去年の夏より、名越なる往遐に高座を補理へ、諸
    ヒ  リ
・ 宗を罵臂すと聞きながら、たノ餘所事に思ひ居りしに、比企殿の惑深きため、我身の仇となつておち
  やる。櫓き法師の何事を読くやらん。
   (群集又どよめき一、そoや來居つたLと叫ぶ。中には石瓦を拾ひ、橋に向ひ、擲つものあい)


國語婆術篇
二七二
日巡 (糟笠にて面を掩ひ、橋を渡りて出で、舞痘に留まり、笠を右手に持ち)やら,騒がしの人々や、・
  國に敏の地を拙ひ、目のあたりなる逸樂に、永劫猫せぬ苦艱を忘れ、あだにすぎゆく月日を惜まで、
  そのをりをりの節物を、貌ふ心ぞおぞましき。たまたま信者と呼ばるるものも、聲ばかりなる念佛し
  て、殊勝顔なる笑止さよ。 (群の中より「念佛がなんで笑止ぢやし おう、法然がさかしらの、選探
  粲の毒に醉うては、その笑止さがわかるまいの。敬の主なる繰迦佛を、もてあそびにすうものさへあ
  るを、帷子の里に行脚して、われまのあたりみしことあり。念佛は無間地獄の業因、諢宗は天魔波旬
● の邪法。
 雜誌「歌舞伎」の臨時號に發衰された翌月、この作は、歌舞伎座の脚光を溶び陀。後に中車になつ
た市川八百蔵、主役日蓮に扮し、こ丶に拔きだしたこの「やら、騒がしの入々や・:・」以下.の査詞を
まくその名調子で亥へ、一部,敏養ある觀客のあひだの評判をとつ把。
         □                    .
『プルムウテ』の世に出たのは明治四十二年の一月である。古代印度、信度國の王女団舞ロヨロドの
鰡七き復響を描くのに、先生は、淨珊璃風の七五調を基本とする丈慨をえらばれね。
                              ホにるし       しるし
  敵將 (落ちたる冠を拾ひ持ちて、王の妹に)これが后の我望を御許ありし證の冠。王女サチイ。さあ、


  我手から受けて下され。 (王の妹ためらふ)
姉の王女 〔王の妹を遮り'て、敵将の前に立つ。敵將と面を見合せて.やや暫く無習)妾は王女プルムウ
  ラぢ堕。妾は美しうないのかや。
      にゆ
敵將 (氣色霽やかになる)なんどおん身が美しう無からう、美しい茨の糠の花ぢやコどうやら剌もあり
  さうなが、それとて茨の美しさを添へるばかりで、・邪魔にならぬ。 (妹の王女に)それなるは妹の王
  女か。ここへ、ここへ。 (妹の王女おそるおそる姉の左に來て立つ)おん身の名は。
.妹の王女 スルグと申しまする。
敵牆(微笑む)おう、おん身も好い子ぢや。 (姉の王女におん身等二人の姫逵をかう竝べて見てゐると、
  某も氣が晴畷すろ。さりながら某は、髪をも焦す口を浴びて、咨麌燈く沙を蹈み、嗽ゼするが身の
                              くぼもり  う
  務ぢや。ヂξシュクの王宮には、蕾の花の喚くを待ち、青き果の黙むを待つ、ハレムといふ園があ
  る。おん身二入は、.そこへ遖る。此冠は(冠を取り直す)某が后の御手より受け糧ぎて(王の妹に)
  毒ん身の.頭に加へ申す田
王の妹 (思ひ定めたるさまにて脆き、頭に冠を受く)珠は碑けしまあながら。 (起つ)
敵將 破れて國を治むるも、碎け.し珠を償ふも、某が手の申にある。へ
姉の王女  (王の妹に)叔母上操。さき程からの御無禮はお許しなされて下さりませ。
                                 レヒ
王の妹 おん身がさきの振舞は、仔紬がなうてはかなはねど、妾も強ひて辭まずにかういふ縁を結ぶの


    は、思ふ仔細のある事ゆゑ(妃を見ろ)姉上濠もおん身等も、必ず案じて下夸りますな。
  妃 何事も國のため、民.のためぢやと思ふわいの。さうにてもプルムウラは、仇の都へ往くとの蛮。叉逢ふ
    事があらうやら。その幼ないスルグまで、 「しよに逾らねばならねとは、共に猛火に焚かるムにも塘
    して悲しい辮ぢやわいの。
    (姉妹の王女、后の傍に寄る。后二人の肩に手な掛けて歎く)
         口
 が、先生は、 『玉篋兩浦嶼』の場含のやうに、また『日蓮聖人辻溌怯』の揚合のやうに、この『プ
ルム・ウラ』の場合でも、その試みられた丈髏に對して、御黨身、決して溜…足はされなかつた。
 「・:・これも轡いてしまつてみると賊心しない、嫌に古めかしい域じがする」といつた意味の賊懐・
をさへもらされね。           .
 さういはれ忙ことが::すなはち第一作、第二作、第三作と經て來られ祉その辛苦が、やがて、そ
の年の十一月の『靜』になつて、さらに翌年の四月の『生田川」になつて結實し陀。・:・つひに先
生、行きつくところへ行きつかれ恒。
 そこに現代語が::歔曲の冒葉としての現代語が先生を待つてゐたのである。


 理代語・:・古代を描くのでもことさら古代語を必要としない。 「・:・とこそ熔もひ候へ」の雅語も
入らなければ、 「・:・行かしませ」の狂言詞も入らない。 「:・・ぢやわいの」の淨瑠璃風も入らな
い。様式さへ整へることが出來把ら牛明な現代語が一番い丶。・:・すなはち「靜』にも『生田川』湘
も先生は現代語を使用患れたのである。、        、           ∴
         口
  離 まあ、あなたなんぞも、そんな事を思つて入らつしゃるの。 (思入)・
  安逹 惣外ですか。
  靜  (正直に)ええ。全くo
  安逹 さうでせう。都で儲探偵をする。鍛倉では首斬役をする。そんな人間の腹の中には、人間らしい考
.  ・は無いと思っておいででしたらう。
  罅 それをきうでない乏は申しませんわ。'ですけれど、ね、わたしを身勝手ばかし考へて、.人樣の雍を悪
                                 
    く思ふやうな女だと思つて入らつしやると,それは違つてゐますわ。あなたの仰やろやうに申せば、
    あたしの身の上はどうでせう。思ふお方には別れてしまふ。 (聞晶愁の思入)そのお方が叉世に出
    て入らつしやるといふことは、先づ覺朿ないのでございますね。それに鰰叡陣衆と生きながらへてゐ
    ますでせう。そしてこちらへ引かれて參つて、お化粧をしで衣裳を着飾つて、舞を舞つたり、歌った
    hしまマでセう。それもまあ好いとして、女の子なら助けて邁み、男の子なら殺すと仰やつた。・.その
     戯曲の言,葉                 .      二七五  -
.


「」


'
,
     國艦…藝配伽醐励                                         二七亠ハ
    赤さんが男の子で、それを殺されてしまつたのに、まだ阿容阿容とかうしてゐます。死んでしまひも
    いたしません。尼法師にもなりません。人間ら.しい考が無いと云つて、人様を責めるに越、それより
    先に自分で自分を資めなくてはなりますまい。まあ、さうし九ものではございますまいか。
 ・以上は『靜』のある部分で、時は文治二年九月十六臼、場所は鍮倉の旅宿の座敷、靜といふのは伊
豫前司義縄の妾で、安逑といふのは錐倉方の筑士安達新三郎清恆である。::錚御筋の,吉野山で義
經にわかれたあと、捕へられて銀倉に逾られ、頼朝のまへで義経戀慕の舞を舞った史恥只に取材し投作
である。
1
母・これはお二人ともお揃で、好うこそお出で下さいました。
茅渟壯士 丁度こなたへまゐらうと存じまして、あの畢張の打つてあるあたりまでまゐりますうと。
菟會壯士 和泉のお客と落ち合ひまして。
茅渟壯士 鴨一朋つつ取のましたのを。
菟會壯士 鳶土碓に持つてまゐりました。
   〔二人鴨を母の前に出す㌧

母 まあ、揃ひも揃つた立派な鳥でございま丁ね.、娘。瞬へ持つて行つて毒置。

潴擢堤女はい


   (鴨を取りて、右手へ入る)
茅渟壯士  (菟會壯士に)こなたの母刀自が、立派なと仰やつたので、あの畷齪事を思ひ出しましたσ.あ
  れはまだあの儘浮いてをりませうかな。
菟會壯士 あの催をりませう。何處から飛んでまゐつたものか。今朝見たときからあの通りにぢつとして
  をのますろ。
母 あの、鵠がゐると仰やいますか。
茅濘壯士 さやうでござります。先程二人で鴨を射ますと、近くにゐた鴨の群は一度にばつと立ちました
  が、直その向うに鵠が一朋立たずに浮いてを㊨ました。小舟を出して射た鴨を取つてまゐりましたと
                ムたつゑ                                              ロ
  きも、鵠は罅かに波を切つて、二丈ばかり退いたばかりで、矢つ張立たずに浮いてゐました。
菟會壯士 雪のやうな眞白な、大きな鵠でござります。
母 それはまあ、珍らしい(少し間を置き、思案したる様子にて、膝を遒む)かう申すと、なんとやら差
  出がましうございますが、あなた方お二人で、その鵠を射て御魘なさいませんか。二筋の矢に鳥は一
     あて                                              ロ
  羽。お中なすつたその方を娘の婿に致しませう。
茅渟肚士 につ。これは何よOの仰でござ紅まする。菟會のお方、いかがなものでござりませう。
菟會壯士 なろ程。御尤な母刀自の仰でござ0ます、わたくしも異存ござりませぬ。   ー
茅渟壯士 かういふ内も心が急く。直にこれから。さあ。


   菟會壯士さあ。
     (二人弓を取⑳て立つ。處女、右乎より掛で、魂悔たるままにてぢつとこなたをみる雨二人の壯士、
    ....同時に處女の顔を見、さて同時に目を母の方寵移す).■  "
  茅渟壯士 後程お目に掛かります。
  菟會肚士 後程お目に掛かります。  .          ..・
   母お待申してをのまする。
      (二人の壯士、柴の戸を斟で、左手に入る)
 以上は『生田川』のある部分で,時はとくに指定してないが、季節は春で、場所は攝津國菟原郡蘆
屋の里。::二入の男に同時に求愛され、おもひみまつた末、入水して果てたあはれ漏少女をめぐる
傳論仁取材.し霍作である。
         □
 が、 『靜』も、 『生田川』も、はじめて世に出牝ときは誰もこ2Tをよろこんで迎へなかつ紀。大瞻
な試み、よくいふものにしてわつかにさういつた、だけだつ忙。大ていのものはこれを「滑稽」の一ト言
で片附けた、かれらは現代語のその表而にうかぶ現實性だけをみて、うちにひそむその韻律の象徴性
            ノ
にまるつきり關心をも牝なかつ弛のである。先生の、抉して、現代語を現代語としてのみあつか鳳れ


なかつたことにかれらは氣がつかなかつたのである。
  憾士いや、失禮をいた七ましヵ.
  夫人  (會繰して)どういたしまして。まことに御無理な環を願ひまして。
  博士 先日から山ロ君が見えますが。
  夫人 實は其事で一寸伺ひましてございます。痰の御檢査が願つてございますさうで、今日も十時にば御
   診察を願ひに參らうと申してをりましたが、どんな工合でございませうか。あんな風で、血色毛宜しう
   ござますし、いつもと少しも變つた様子はございませんが、若し萬一結核ででもございましては、容易
   ならぬ事だと存じますので、それを承りに參りましたのでございます。いかがでございませう。
                               かくし                 こみなら
  博士 さやう。御冤蒙つて一服もます。.(朮・上の葉卷を一木取りて.兜衣より小刀を出し、徐に切る)まあ、
    お掛けなさいまし。
  夫人 恐れ入ります。 (腰を掛く)栞は義理のある弟ではございますし、それに和歌山にをりまする母が
         たより
   あればかりを便にいたして、暑中休暇に歸りますのを樂にいたして、ゐるのでございますよ。.昨日參リました手紙にも、近頃栞が一向手紙をよこさないが、どうかいたしたのではないかと大さう心配いたして申して參りましたのでございま丁。當人は暮に放行をいたした時、風を引いたのが長引くのだから、
  . 潔になれば直ると申して、挙氣で大學へも通つてゐるのでございますが、いやな咳准いたすのが、餘り


    長くなりますので、宅でも氣遣つてをりますのでございます。         、
   博士 (葉卷に火を附け、椅子に掛く)御尤です。單純な氣管支加答鬼ではありません。
   夫人  (目かがやく)さやうでございますか。それでは。
                        
   博士 熱は少しもありませんし、大して御心配なさるには及びませんが、さうかといつて、決して馬鹿に
    してはならないのです。
   夫入 結核ではございますまいか。
      、
  これは、明治四十二年の四月噛 「プルムウ・7』のあとに書かれた『假而』の幕あきである。博士と
あるのは杉村茂といふ醫學博士で、失人とあるのはその友人の金井といふ丈科大學教授の夫人、うは
.さをされてゐるのは山口栞といふ文科大學生で、場所は駿河壷杉村博士宅の應接所、すなはちこの作
は現代を描いた作である。・:・そのころの批評家たちのい丶加減さは、 「靜』及び『生田川』に於け
る現代語と,現代を描い拠この作の現代諮とを比較する知慧さへ持合さなかつ把のである。
 現代諦墜牛明である。::準明なだけいくらでも盗荊としての細工がきくのである。いくらでも歔
         あヤ
曲の言葉としての文がつけられるのである。


  第一作.第コ作㍗第三作と二:气玉篋兩浦嶼』.『日遘聖人辻諡法』、『プルムウラ」、『靜』、『生田
 川』と經て來られ紀その先生の辛苦は博識な先生にしてはじめてもちえられ昶辛苦である。::が、
                         ●
 わねくしは、その辛苦の筋みちをあきらかにするR的ばかちで、そのそれぐの作に開してのくだく
 だしい抄出を弑みねのではない。先生の戯曲の中にもられね言葉の,いかに明瞭で、いかに美しく、
 .いかに自然だかといふことを:・・いかに歔曲の言葉の條件にかなつてゐるかといふことをこの抄出し

 ね郡分でさへが惜みなく物語るであらうからである。        ・


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:06:29