かめいたかし 1912.06.03~1995.01.07 言語学
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/mokuroku/kamei/kamei.htm
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/11635
http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00025356
小島幸枝『圏外の精神――ユマニスト亀井孝の物語』
1925|『詩集 松と杉』|亀井高孝刊||限200、菊池知勇序、河野通勢装 *1 https://dl.ndl.go.jp/pid/913310/ https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA3260157X
1935.2|卒論題目「桃山時代の語法の研究」|『国語と国文学』12-2||
1935.11|敬語「こしめす」について|『国語と国文学』12-11|4|
1936.9|理由を表はす接続助詞「さかいに」|『方言』6-9|4|6-7ではない。6-10に補遺あり。
1936.9|〈書評〉佐久間鼎博士著「現代日本語の表現と語法」|『国語と国文学』13-9||
1936.10|文法体系とその歴史性|『国語と国文学』13-10|1|
1937.7|〈書評〉湯沢幸吉郎氏著「徳川時代言語の研究」|『国語と国文学』14-7||
1937.8|室町時代末期における多行音の口蓋化について|『方言』7-7|3|
1938.2|現代国語学思潮の素描|『国語と国文学』15-2|1|
1938.2|日本言語学のために|『文学』6-2|1|
1938.7|〈書評〉金田一京助博士著「国語史系統編」|『国語と国文学』15-7||
1939.1.25|〈書評〉小林好日著「日本文法史」|『言語研究』1||
1939.3|〈書評〉吉田澄夫氏著「天草版金句集の研究」|『国語と国文学』16-3||
1939.4|国語と民族性との問題|『国語と国文学』16-4|1|
1939.8|日本語の論理構造(1)|『国語教育』||
1939.9|日本語の論理構造(2)──言語の論理の研究方法──|『国語教育』||
1939.9.25|〈書評〉Kolovrat Georges de. Les Japonais pensent-ils comme nous?|『言語研究』3||
1939.10|本居春庭の古道論(「道廼佐喜草」をめぐって)|『国語と国文学』16-10||
1939.12|国語文典について──その由來と意味と改修の問題──|『形成』||
1939.12|日本語の論理構造(3)──言語の論理と思想と──|『国語教育』||
1940.2|日本語の論理構造(4)──言語の論理をめぐる日本語における自覚的表現──|『国語教育』||
1940.2.21-23|国語の統制|『東京日日新聞』||イ23-25
1940.3|日本語の論理構造(5)──ヨミ(訓)の意義について──|『国語教育』||
1940.4|「言語形象性を語る」合評(西尾光雄・三宅清・吉田精一・飛田多喜雄・岩瀬法雲・大野静・波多野完治・百田宗治・石井庄司と)|『コトバ』||
1940.5|語学資料としての語り本平家物語|『歴史と国文学』22-5|5|
1940.6|日本語の論理構造(6)──「てにをは」の発見──|『国語教育』||
1940.7|〈書評〉重松信弘氏著「国語学史概説」|『国語と国文学』17-7||
1940.8|日本語の論理構造(7)──日本語は膠着語か──|『国語教育』||
1940.10|日本語の論理構造(8)──日本語は膠着語か──|『国語教育』||
1940.11.10|〈新刊紹介〉国語研究資料の影印三種「東大寺諷誦文稿」「新譯華厳経音義私記」「温故知新書」|『言語研究』6||釘貫亨「学説」『国語国文』57-1
1940.11.2|「だらけ」の由來|朝日新聞||
1940.12|日本語の論理構造(9)──格表示の膠着的手順──|『国語教育』||
1941|琉球方言の史的地位|『方言研究』2|2|『日本の言語学6方言』大修館1978.10
1941.1.26|新村出著『日本の言葉』|『東京日日新聞』||
1941.3|日本語の論理構造(?)──国語法研究の現段階──|『国語教育』||
1941.4|『詞のしるべ』について|『日本文化(天理図書館)』19||
1941.11|片かなとその名義|『図書』昭和16年11月号||
1941.11.15|国語学の手びき|『国語文化講座2国語概論篇』朝日新聞社||「国語学が我々を手びきしてくれる」
1942.6.1|国民古典観(イ、何々を国民古典としてお認めになりますか。ロ、それについての御所見)|『文学』10-6||
1942.9|国語改革の為には正しい認識を|『読書新聞』||
1942.10.10|国語現象としての外国語の流入|『現代日本語の研究』|5|
1943.4|上代和音の舌内撥韻尾と唇内撥韻尾|『国語と国文学』20-4|3|
1944.5.10|狂言のことば|『能楽全書5能と狂言』創元社|5|1953新修能楽全書として第四巻「能狂言」に。1980.8再刊、蜂谷清人の「補」あり。
1944.6.25|元和本下学集解題|『元和本下学集』岩波書店||
1944.10.30|共時態の時間構造|『橋本進吉博士還暦記念国語学論集』|1|
1946.4|巻頭言 国語問題と国語学|『国語と国文学』23-4||
1946.4|東大寺諷誦文稿の「コ」の仮字について|『文学』14-4|3|釘貫亨「学説」
1946.5|鼻毘之毘之爾|『ぬはり』20-5|3|
1946.6|「許呂久」考;誰か鴉の声を弁ぜん|『ぬはり』20-6|3|
1946.7/8|いはゆる「言語学的古生物学」の成立|『一橋論叢』16-1/2|2|
1946.8/9|続「許呂久」考|『ぬはり』20-9|3|
1946.9.10|「近代日本語の確立」について話したこと|『国語学会会報』1||1946.6.1の講演、『国語学』2(1949.6.10)に再録
1947.1|国語問題と国語学|『国語と国文学』24-1|1|井上ひさし『自家製文章読本』(新潮文庫p140)
1947.1/2/3/4|八咫烏はなんと鳴いたか|『ぬはり』21-1/2/3/4|3|
1947.3.1|こんどのかなづかひの改良について|『俳句研究』4-3||
1947.3.10|「橋本先生と国語音声史」と題して語ったことども|『国語学会会報』5||1947.2.1の講演
1947.7|ソソク>ソソグ──Excursus:「美那曾曾久」について|『国語と国文学』24-7|4|
1948.1.31|日本語は、はたして、むつかしいことばか、どうか|『国語学会会報』8||1947.11.3の講演
1948.11|日本語の現状と述語|『思想の科学』3-9|1|
1949.10|小山板節用集の系統と価値|『国語と国文学』26-10||
1949.10.29|手紙|『安倍亮追悼録』||大屋幸世『書物周游』p.162による
1949.11|「つなぐ」考──意味論的考察の試み──|『国語国文』18-16|4|
1949.6|日本語系統論の問題(上)|『一橋論叢』21-5/6|2|
1950.10.10|硯縮凉鼓集を中心にみた四つがな|『国語学』4|3|
1950.2|狐コンコンと題して話したことども|『国語と国文学』27-2||迫野虔徳「中世的撥音」『国語国文』56-7(1987.7)
1950.3|柿本人麿訓詁異見|『国語と国文学』27-3|4|
1950.4|古典的文学作品に対する言語感覚の問題|『国語と国文学』27-4|4|
1950.8.5|上代日本語の音節「シ」「チ」の母音|『言語研究』16|3|
1950.8.|日本語系統論の問題(下)|『一橋論叢』22-2|2|
1950.8.25|故橋本博士の学問像と国語音韻の研究|橋本進吉『国語音韻の研究』岩波書店|6|
1950.9|方言文学としての東歌・その言語的背景|『文学』18-6|2|迫野虔徳「「防人歌」の筆録──その言語資料としての性格──」『語文研究』50
1951.2.28|〈座談会〉日本語の系統について(金田一京助・松本信広・泉井久之助・服部四郎・河野六郎・金田一春彦(司会)と)|『国語学』5||1950.2.11の座談
1952.7|億良の貧窮問答のうたの訓ふたつ|『万葉』4|4|
1953.4|Are Japanese Turu and Ito Related to Korean Turumi and Sil Respectively?(日本語のツルとイトとは朝鮮語のturumiとsilにそれぞれ縁つづきか)|The Annals of the Hitotsubashi Academy.Vol.3No.2|2|1954.4に日本文
1953.5.30|古今和歌集の注釈のために|『金田一博士古稀記念言語民俗論叢』|4|小松英雄『やまとうた』
1953.7|「雁」|『文芸と思想』7||
1954|Ueber den Hintergrund der japanischen Sprache und ihrer Wissenschaftlichen Betrachtung|Nachrichten von der Ostasiatsichen Gesellschaft Nr.75||1954.9「日本語とその研究との背景」の独文
1954.3.31|「ツル」と「イト」―日本語の系統の問題を考へる上の参考として―|『国語学』16|2|1953.4に英文。村山七郎「亀井孝『「ツル」と「イト」』を読みて」『国語学』20(1955.3)
1954.3.31|大野晋『上代仮名遣の研究―日本書紀の仮名を中心として―』|『言語研究』25|6|釘貫亨「学説」
1954.6.30|日本人と言語生活|日本放送協会編『ことばの研究室II日本人の言語生活』大日本雄弁会講談社||JOAK後藤美也アナウンサーとの対話によるラジオ番組の文字化。金田一春彦編『ことばの研究室 日本人の言語生活』講談社1977.11.30として再刊
1954.8.20|国語の変遷と歴史(要旨)|『国語学』17||1954.5.15の講演
1954.9|日本語とその研究との背景|『一橋論叢』32-3|1|1954「Ueber den ……」の日本文
1954.10|On the Authenticity of on-Readings in Sino-Japanese|The Annals of the Hitotsubashi Academy.|6|
1954.12|Chinese Borrowings in Preliterate Japanese(文献以前の時代に日本が借用したシナ語);……Prehistoric……|単行本(吉川弘文館)|2|別邦題「太古の日本語とシナ語」(『国語学辞典』「原始日本語」の項に見ゆ)
1955.7|1955.6.16付け服部四郎宛私信|服部四郎「音韻論から見た国語のアクセント 補説」『国語研究』3(服部四郎『言語学の方法』岩波書店1960.12.24 p274)||
1955.7|室町時代末期の/Φ/に関するおぼえがき|『国語研究(国学院大学)』3|3|服部四郎「音韻論(2)」
1955.8.20|アオリスト|『国語学辞典』東京堂出版||
1955.8.20|音韻史|『国語学辞典』東京堂出版||『国語学大辞典』とは別
1955.8.20|系統|『国語学辞典』東京堂出版||
1955.8.20|言語学原論(書名)|『国語学辞典』東京堂出版||ソシュール
1955.8.20|原始日本語|『国語学辞典』東京堂出版||『国語学大辞典』とは別
1955.8.20|語族|『国語学辞典』東京堂出版||
1955.8.20|進行形|『国語学辞典』東京堂出版||「……つつある」
1955.8.20|中和|『国語学辞典』東京堂出版||
1955.8.20|トゥルベツコイ|『国語学辞典』東京堂出版||
1955.8.20|時|『国語学辞典』東京堂出版||
1955.8.20|橋本進吉|『国語学辞典』東京堂出版||『国語学大辞典』とほぼ同じ
1955.8.20|プラーグ学派|『国語学辞典』東京堂出版||
1955.8.20|平曲(国語資料として)|『国語学辞典』東京堂出版||
1955.8.20|歴史的現在|『国語学辞典』東京堂出版||
1955.9.30|近代日本語の諸相の成立|『国語学』22||1955.5.29の講演
1955.10|埋もれた言語と埋もれた訓話|『万葉』17|4|
1955.11.7|〈座談〉専門語をどうする?(鶴見俊輔(司会)・関根弘・大久保忠利と)|金田一春彦編『講座日本語3日本語の種々相』大月書店||1955.9.27の対談
1956.3|「音韻」の概念は日本語に有用なりや|『国文学攷』15|1|
1956.5.5|文章というもの|『学鐙』53-5|森|『学燈』ではない。阪田目録で昭和56.5にも載せるが、巻号は同じであるし、西暦と昭和の間違いで、再録ではあるまい。
1956.9|「ガ行のかな」|『国語と国文学』33-9|3|服部四郎「音韻論(3)」
1956.10|音便名義考|一橋大学研究年報『社会学研究』1|5|
1956.10.10|後記|『国語学』26||
1956.12.31|後記|『国語学』27||
1957.4|On Some Extra-phonologic Parallels to Neutralisation Proper|Travaux de l'Institut de linguistique, Faculte des Letters de l'Unuversite de Paris. Vol.II|6|
1957.9.30|〈新刊紹介〉Guenther Wenck"Japanische Phonetik Bd. III Die Phonetik des Sinojapanischen"|『国語学』30||
1957.9.30|〈新刊紹介〉計量国語学会編「計量国語学」|『国語学』30||
1957.9.30|〈新刊紹介〉石黒武顕「鳥取県方言分布の実態」|『国語学』30||
1957.9.30|〈新刊紹介〉仲原善忠「おもろ新釈」|『国語学』30||1962.11「ティダ」へ
1957.10.1|〈座談会〉言語技術をめぐって(大久保忠利・森岡健二と)|『言語生活』73||
1957.11|言語史上の室町時代|『図説日本文化史大系』7|5|
1957.11.10|〈書評〉高木市之助・五味智英・大野晋校注、日本古典文学大系 『万葉集』(一)|『文学』25-11||《『万葉集』(一)の書評に答える》高木市之助「はじめに」大野晋「亀井孝氏に」『文学』25-12
1957.12|古事記はよめるか|『古事記大成』3|4|山口佳紀『古事記の表記と訓読』有精堂(1995.9.1)
1957.12.31|〈新刊紹介〉奥里将建「日本語系統論」|『国語学』31||
1957.12.31|〈新刊紹介〉覆刊三種(懺悔録・コリャード日本文典・捷解新語)|『国語学』31||
1957.12.31|編輯主任より|『国語学』31||
1958.1|「捷解新語」小考|『一橋論叢』39-1||
1958.1|素描 かなの成立とその機能|『図説日本文化史大系』4|5|
1958.3.30|「最善の音韻論的解釈は一つしかない」といふ作業仮説に対して|『国語学』32|1|服部四郎「「最善の音韻論的解釈は一つしかない」といふ作業仮説について」『国語学』37
1958.7|鐘楼蝙蝠録|『一橋論叢』40-1|4|
1958.9|孤例の処理|『日本歴史』123|4|『中華若木詩抄(校本)』
1958.9.30|〈新刊紹介〉柴田武「日本の方言」|『国語学』34||
1958.9.30|編輯部より|『国語学』34||
1958.10|行動半径|『学鐙』55-10|森|『学燈』ではない。
1958.11|古代日本語の間投詞(講演記録)|『国語研究(国語研究会)』8|3|
1958.12|中世における文体の崩壊の問題|『文学』26-12|5|
1958.12.31|〈新刊紹介〉イェスペルセン著・半田一郎訳「文法の原理」、イェルムスレウ著・小林英夫訳「一般文法の原理」|『国語学』35||
1958.12.31|編輯部より|『国語学』35||
1959.1|孤例のあるばあひ|『日本歴史』127|4|
1959.3.31|編輯部より|『国語学』36||
1959.3.31|懴悔考・女郎考|『国語学』36|4|
1959.5|服部四郎著「日本語の系統」を評す―特に言語年代学に関することを中心に―|『文学』27-5|2|服部四郎「「言語年代学」について―亀井孝氏へのお答として―」『文学』27-6(1959.6)服部四郎『言語学の方法』所収
1959.6.30|「女郎」の語のニュアンス(寄せ書き)|『国語学』37|4|
1959.6.30|意味の変化と表現価値(寄せ書き)|『国語学』37|4|
1959.7.14|文部省の「おくりがなのつけ方」について|『毎日新聞』「私の意見」||『国語学』38に再録
1959.9.30|〈新刊紹介〉高田修編「醍醐寺五重塔の壁画」|『国語学』38||
1959.9.30|「送りがなのつけ方」実施案収録にあたって|『国語学』38||
1959.12.30|春鴬囀|『国語学』39|3|
1959.12.30|女郎考追記(寄せ書き)|『国語学』39|4|
1959.12.30|虹二題(寄せ書き)|『国語学』39|4|
1959.12.30|編輯部より|『国語学』39||
1960.1|万葉集第十五番の歌「渡津海乃……清明己曽」のよみについての私見|『万葉』34|4|
1960.2|お馬ひんひん|『国語国文研究(北海道大学)』15|3|『歴史読本臨時増刊』
1960.3.30|在唐記の「本郷波字音」に関する解釈|『国語学』40|3|
1960.3|死に関する日本語について|『人類科学』12|4|
1960.5|「あめつち」の誕生のはなし|『国語と国文学』37-5|5|『中古語』
1960.5|古代人のわらひごゑ|『日本古典文学大系』月報37(『宇治拾遺物語』)|3|
1960.8.30|なんだのゆくえ(寄せ書き)|『国語学』41|2|
1960.8.30|後記 編輯主任をしりぞくの辞に代へて|『国語学』41||
1960.8.30|琉球へながれた女房ことば;うめくさ一条|『国語学』41|つきのもの|2
1960.8.30|琉球特集を送る|『国語学』41||
1961.1|わたくしの琉球語への関心と疑問|『方言学講座』月報4|2|
1961.2|調|『日本歴史』152|4|
1961.2.19|服部四郎著「言語学の方法」をよむ;服部四郎著「言語学の方法」―得がたい研究書―|『朝日ジャーナル』|森|
1961.3.30|「日葡辞書」|『国語学』44|6|
1961.3|橋本進吉著「文禄元年天草版吉利支丹教義の研究」解説|『キリシタン教義の研究』岩波書店|6|
1961.3|日本語系統論の諸問題|『新潟大学国文学会誌』5||
1961.9.20|意味のはなし|『言語研究』40|1|
1961.9|THE RELATIONSHIP OF JAPANESE TO THE OTHER LANGUAGES OF EAST ASIA(日本語と東アジア諸言語との関係)|Japanese Language Studies in the Showa Period:A Guide to Japanese Reference and Reserch Materials|2|
1962.6|「オ段の(長音)の開合」の混乱をめぐる一報告|『国語国文』31-6|3|1963.5に補訂。『中世語』
1962.10.31|築島裕著「国語学要説」|『言語研究』42|6|
1962.11|ティダの語源|『山田孝雄追憶 史学語学論集』法文館|2|福島邦道「展望語彙語史」『国語学』57
1962.12|「さざれ」「いさご」「おひ(い)し」―石に関することばのうちから|『香椎潟』8|4|酒井目録、阪田目録には1967.8、香椎潟37-12とあれど、37-12は昭和年号。
1963.5|「オ段の長音の開合」の混乱をめぐる一報告補訂|『国語国文』32-5|3|1962.6の。『中世語』
1963.5|月のごと いつくしき|『日本歴史』180|4|
1963.9.25|『日本語の歴史1 民族のことばの誕生』|平凡社||大藤時彦;山田俊雄と
1963.11.10|「日本語の歴史」の編集者のことば―金田一先生の書評にお答えする―|『芸能』5-11||『学能』ではない。金田一京助「注目すべき新説──「日本語の歴史」第一冊を読む──」『芸能』5-10
1963.12.17|『日本語の歴史2 文字とのめぐりあい』|平凡社||大藤時彦;山田俊雄と
1964.4.17|『日本語の歴史3 言語芸術の花ひらく』|平凡社||大藤時彦;山田俊雄と
1964.6|『万葉集』はよめるか|『美夫君志』7|森|のち1991.3『成城万葉』22に再録
1964.7.30|『日本語の歴史4 移りゆく古代語』|平凡社||大藤時彦;山田俊雄と
1964.11.30|『日本語の歴史5 近代語の流れ』|平凡社||大藤時彦;山田俊雄と
1965.2|ヨーロッパにおける言語研究―第80回例会報告概要|『都立大学方言学会会報』5||
1965.5.28|『日本語の歴史6 新しい国語への歩み』|平凡社||大藤時彦;山田俊雄と
1965.8.31|『日本語の歴史7 世界のなかの日本語』|平凡社||大藤時彦;山田俊雄と
1965.11.30|村山七郎著「漂流民の言語」―ロシヤへの漂流民の方言学的貢献|『言語研究』48||
1966.1|誦習の背景|『新訂増補国史大系月報』37(『古事記』)|4|
1966.2|長夜十眠──歳旦にちなみて──|『日本歴史』213|4|owa-owo
1966.3|Gedanken ueber die Modernisierung Japans|HITOTSUBASHI JOURNAL OF SOCIAL STUDIES Vol.3 No.1||
1966.6.6|『日本語の歴史別巻 言語史研究入門』|平凡社||河野六郎;柴田武;山田俊雄と
1966.9|Un Coup d'oeil sur La Complexite de L'ecriture Japonaise|HITOTSUBASHI JOURNAL OF ARTS AND SCIENCE Vol.7 No.1||
1967.5.10|日本語の母郷|『日本文学の歴史1神と神を祭る者』角川書店p136-149||
1967.6.30|コリアドの辞書に方言ありや|『国語学』69|5|1979.7に「跡追」あり
1967.10|郡名および郷名「綴喜」について|『日本歴史』233|5|
1967.11|ハワからハハへ|『(一橋大)言語文化』4|3|『日本の言語学7言語史』
1968.11|J.J.ホフマン著日本語文典複刻版解説|東洋文庫||イ1970.2
1969.4|Beobachtungen eines Philologen uber die Tennoherrschaft - Zum 100-jaehrigen Jubilaeum der Meiji - |HITOTSUBASHI JOURNAL OF SOCIAL STUDIES Vol.5 No.1||1974.8に抄訳。「Betrachtungen」ではない。
1969.3.30|口語の慣用の徴証につきその発掘と評価|『国語学』76|5|
1970.1.10|『正章千句』研究(1)(堤精二・中村俊定・前田金五郎・宮本三郎と)|『文学』38-1||
1970.2|J.C.ヘボン『和英語林集成 再版』解題|東洋文庫||
1970.3|かなはなぜ濁音専用の字体をもたなかったか―をめぐってかたる|『一橋大学研究年報(人文科学研究)』12|5|
1970.3|すずめしうしう|『成蹊国文』3|3|1970.11に英文、1975.9にそのrevised versionあり。太田晶二郎「勧学院の雀は なぜ蒙求を囀つたか」
1970.3.31|圏外の精神 フーゴ・シュハート|『言語研究』57|1|
1970.6.0|『日本のカテキズモ』をよむ|『ビブリア』45|森|
1970.9|『十七行本古活字版中華若木詩抄』解題|東洋文庫||
1970.10|菊池知勇先生|『慶応義塾幼稚舎同窓会報』102||
1970.10.1|「こくご」とはいかなることばなりや;原題には「―ささやかなる つゆばらいの こころを こめて―」あり|『国語と国文学』47-10|1|特集「国語史研究」の巻頭論文ゆえ「つゆばらい」なるべし。イ・ヨンスク「森有礼と馬場辰猪の日本語論──「国語」以前の日本語──」『思想』1990-9
1970.11|How Did the Sparrow Twitter in Ancient Japanese?|Memoirs of the Research Department of the Toyo Bunko 28||1970.3に日本文、1975.9にrevised versionあり
1970.11|中華若木詩抄の寛永版について―とくに言語資料としてのその個性の一面―|『方言研究年報』13|4|『中華若木詩抄(校本)』
1970.11|ソスュールへのいざない|『中央公論』999|1|「特集 かくされた次元―言語への問い」のうち
1971.2.27|言語の歴史|服部四郎編『言語の系統と歴史』岩波書店|5|
1971.3.1|かァごめ かごめ|『成蹊国文』4|4|
1971.3.30|漆桶万里が 作の 抄ものの うちから|『国語学』84|4|
1971.3|書誌雑筆|『東洋文庫書報』2||
1971.6|著者あとがき|『日本語学のために』|1|
1973.3.25|中華若木詩抄について|『東洋文庫書報』4||
1973.5|ペダントリーのために|『一橋論叢』69-5|6|
1973.5.15|日ポ辞書“にせよ(facsimile)版”印行始末記|『日葡辞書』勉誠社|森|1975.2.25再版追記あり(「森」には載せず)。
1973.10.5|契沖かなづかい雑記|『契沖全集』月報10(第5回配本)|6|
1973.10.15|文献以前の時代の日本語|『日本語系統論のみち』|2|
1973.10.15|著者あとがき|『日本語系統論のみち』|2|
1974.1|特集・日本語の起源をもとめて―日本語系統論につき、そのたどりきたりしあとをかえりみ、また、そのゆくすえをおもい、すこしく私見をのぶ|『言語』3-1|6|
1974.2|わたくしの文庫がよい|『日本古典文学会会報』15|森|
1974.8.1|天皇制の言語学的考察 ベルリン自由大学における講義ノートより|『中央公論』||1969.4「Beobachtungen……」を寺杣正夫(実は田中克彦、1994.8.1参照)が抄訳。目次に「政治は、ことばが社会に及ぼす魔力をも操作した」。1974.8.9『朝日ジャーナル』16-31文化ジャーナルで「言語学もまた有効な“武器”天皇制に光あてた亀井論文」と取上げらる。
1974.11.15|再刊の辞|亀井孝 案並閲、高羽五郎 校並刻『五本対照改編節用集』勉誠社||1974.9
1975.3.30|《座談会》「国語学」編集の足跡(金田一春彦・松村明・佐藤喜代治・編集部(司会)と)|『国語学』100||1974.10.19の座談
1975.4|万葉集の読み―万葉集五二五番の第二句「小石」の訓をめぐって ないことをたてにとってのあげつらい|『文学』43-4|4|
1975.9|How did the sparrow twitter in Ancient Japanese ?|HITOTSUBASHI JOURNAL OF ARTS AND SCIENCE Vol.16 No.1||1970.11のrevised version(1970.3に日本文)
1976.4|リレー連載・大言語学者たち(13)わかもの文法学徒たち|『言語』5-4|6|
1976.4.20|蜆縮凉鼓集|国語学会編『国語史資料集──図録と解説──』武蔵野書院||
1976.5|リレー連載・大言語学者たち(14)わかもの文法学徒たち|『言語』5-5|6|
1976.6|楊貴氏につき語学のたちばから|『日本歴史』217|3|
1977.4|An experimental study of syntactic comprehension in Japanese aphasia|Descriptive and Applied Linguistics 10||阪田目録にあれど亀井尚氏のもの
1978.11|Covering snd Covered Forms of Women's Language in Japanese|Hitotsubashi Journal of Arts and Sciences. Vol.19|6|
1978.1.9|たのしいかな語源|『岩波講座日本語』月報12(第12回配本)|6|
1978.3|文字をめぐる思弁から“竜麿かなづかい”のゆくえを追う|『成城文芸』85|5|釘貫亨「学説」
1978.4|Relational grammer and Passivization in Japanese|Descriptive and Applied Linguistics 11||阪田目録にあれど亀井尚氏のもの
1978.6.1|案山子まぎれて水碓磨と転ず|『日本歴史』361||
1978.12.1|いろはうた(言語空間)|『言語』7-12||
1979.1.31|どちりなきりしたん解説(小島幸枝と)|『どちりなきりしたん(カサナテンセ本)』勉誠社文庫56||『どちりいな きりしたん(バチカン本)』勉誠社文庫55(同日刊)と共通の解説
1979.2.1|〈対談〉日本語系統論の問題点(橋本萬太郎と)|『言語生活』326||1978.12.6の対談
1979.7|コリアドの辞書に方言ありや跡追|『勉誠社だより』4|5|1967.6の「跡追」
1979.10.15|はしがき|『河野六郎著作集第1巻』平凡社||
1979.12.30|クリフォード琉球語彙|『クリフォード琉球語彙』(勉誠社文庫71)|6|
1980.1|《―キ(―)>―イ(―)》の いすとうりあ(ものがたり)|『国語国文』49-1|3|伊坂淳一「つごもりのはなし存疑」『国語国文』56-3
1980.1.1|いまさら赤子の腕をひねる?(言語空間)|『言語』9-1||千野栄一
1980.4.20|東洋語学のランドマーク(Landmark)|『三省堂ぶっくれっと』26(May)||『河野六郎著作集』のこと
1980.6.1|創刊100号記念エッセイ「言語と私」|『言語』9-6||
1980.8.20|佐竹昭広著「万葉集抜書」|『国文学(学燈社)』25-10||
1980.9.30|音韻史|『国語学大辞典』東京堂出版||『国語学辞典』とは別
1980.9.30|原始日本語|『国語学大辞典』東京堂出版||『国語学辞典』とは別
1980.9.30|国語|『国語学大辞典』東京堂出版||
1980.9.30|青年文法学徒|『国語学大辞典』東京堂出版||
1980.9.30|橋本進吉|『国語学大辞典』東京堂出版||『国語学辞典』とほぼ同じ
1981.1|世界の中の日本語|成城大学公開講座4『世界の中の日本』|6|
1981.2|斯道文庫の二十年|『三田評論』811||
1981.2.20|日本語系統論のなぞ|『三省堂ぶっくれっと』31(Mar)|森|『季刊邪馬台国』10(1981.11.5)に再録
1981.4|序文|『北海道のことば』||
1981.6.20|愛言愛語のたましいのために|『国語史への道 上』|6|
1981.6.20|共訳者のことばII|エウジェニオ・コセリウ著、田中克彦・かめいたかし訳『うつりゆくこそことばなれ サンクロニー・ディアクロニー・ヒストリア』クロノス||
1981.7|雑筆・『海神丸』再読|『野上彌生子全集月報』14(第7巻)|森|
1981.9.1|いまを流行の「日本語系統論」を笑う|『言語』10-9|森|
1981.11.1|〈解説〉音韻交替に関する研究|『日本の言語学7言語史』大修館書店||
1981.11.1|〈解説〉日本語の母音調和に関する研究|『日本の言語学7言語史』大修館書店||
1981.11.5|学問公害・世間を惑わす日本語系統論 大野晋氏の議論の粗雑さをつく|『季刊邪馬台国』10||「ざっくばらんに語っていただきました。……本文文責田村」とあるが「いまを流行の……」と殆ど同じ。1981.2「……なぞ」の再録も。
1981.12|たまごということば|『歴史公論』||
1982|A Saussurian Mystery|Logos Semantikos, Studia linguistica in honorem Eugenio Coseriu. Vol.I|6|
1982.10.20|孤獨のこころ|『三省堂ぶっくれっと』41(Nov)|森|特集「日本語表現」のうち。1981.9.15→1982.7
1982.11|エウジェニオ・コセリウの学説-言語学史の流れをそって;原題「流れにそって」|『成城文芸』102|6|
1982.11|縁起|柳田征司解説『間直瀬道三/類証弁異全九集』勉誠社||序文
1982.2.1|下宮忠雄氏に質す|『言語』11-2||下宮忠雄「かめいたかし氏への暫定的なお答え」『言語』11-3(1982.3)あり
1982.2.18|日本語起源論争を裁定する|『週刊文春』2月18日号||
1982.3|HABENT SUA FATA EXEMPLA|『ヨーロッパ文化研究』2|6|
1982.4|読者へのおねがいをこめて下宮氏に|『言語』11-4||
1983.1|戯論・ソースュールのなぞ|『言語』12-1|6|
1983.10.20|音便|『日本古典文学大辞典』1||
1983.10.20|開合|『日本古典文学大辞典』1||
1983.10.20|やぶにらみ“iの折れ”(上)|『三省堂ぶっくれっと』47(Nov)|6|
1983.11.24|『日本イエズス会版キリシタン要理』|岩波書店||H.チースリク;小島幸枝と
1983.12.15|“楽屋裏”のはなし;〈短信〉の欄に寄す|『成城文芸』105|森|1983.9、硯縮凉鼓集の著者。林義雄「毛利貞斎は「硯縮凉鼓集」の著者か」『小松英雄退官論集』
1983.9|「文禄元年天草版吉利支丹教義の研究」をめぐって 橋本進吉博士生誕百年記念講演のため|『文学』51-9|6|
1983.12.20|やぶにらみ“iの折れ”(下)|『三省堂ぶっくれっと』48(1984Jan)|6|
1984.1.20|桂庵和尚家法倭点|『日本古典文学大辞典』2||
1984.1.20|硯縮凉鼓集|『日本古典文学大辞典』2||
1984.1.20|語源|『日本古典文学大辞典』2|6|
1984.1.20|国語|『日本古典文学大辞典』2|6|
1984.3|吉田小五郎先生を偲ぶ|『キリシタン文化研究会会報』23-2||
1984.3|梅咲きぬ どれがむめやら うめじややら|『国語と国文学』61-3|6|『歴史読本臨時増刊』
1984.3.24|梅咲きぬ どれがむめやら うめじゃやら(講演要旨)|『東洋文庫書報』15||
1984.12.20|「捷解新語」の注音法|『日本語のすがたとこころ(一)』|3|小倉進平還暦記念論文集に寄せたもの(1942.5稿)
1984.12.20|あとがきに擬す|『日本語のすがたとこころ(一)』|3|
1985.1.10|序──世に本書をすすむるの辞──|山口佳紀『古代日本語文法の成立の研究』有精堂||1984孟秋、楓梧守春堂のあるじ
1985.2.20|「あんじ(行師)」覚え書;読んで愉しい辞書の誕生|『三省堂ぶっくれっと』55(Mar)|森|『時代別国語辞典室町篇』パンフの文を再録。
1985.3|翻訳論からみたきりしたんの翻訳|『キリシタン文化研究会会報』24-4|6|
1985.3.25|岩崎文庫貴重書書誌解題稿(1)|『東洋文庫書報』16||序のようなもの。その後に石塚晴通の解題が続く。
1985.4.20|新撰仮名文字遣|『日本古典文学大辞典』3||
1985.4.20|清濁|『日本古典文学大辞典』3||
1985.10.10|そえがき|『日本語のすがたとこころ(二)』|4|
1986.6.20|“怕い をばさん”──野上弥生子一周忌にさいして──|『三省堂ぶっくれっと』63(Jul)|森|
1986.8.10|なほなほがき|『言語文化くさぐさ』|5|
1986.11|『落葉集散録』|『天理図書館善本叢書』月報76|森|
1987.7|太田晶二郎をおくる;太田晶二郎に対する弔辞;弔詞|『太田晶二郎年譜著作目録等』|森|『太田晶二郎著作集』5(1993.1)
1987.7.5|はしがき|山田俊雄『詞林間話』角川書店||1987.6.2楓梧守春堂のあるじ
1987.7.20|あな おぼつかな もどかしの 語源さぐりよ(1)|『成城文芸』120||
1988.3|ゾータン(雑談)・《かなのためのかな》としての“かな”|『成城国文学』4||1987.7.4成城大学国文学会
1988.6|追憶の菊池知勇先生|『仔馬』40-1||
1988.11|お月さまいくつ;散録|『日本歴史』486|森|
1988.11.5|『万葉集』第一番のうた;石井久雄氏の書評にむくいんがため|『言語研究』94|森|石井久雄「書評 亀井孝論文集345」『言語研究』92(1987.12.25)
1988.12.25|思いだすまにまに|『言語研究』別冊|森|
1989.7.10|“音象徴”散語|『日本語教育』68||1989.2.15受
1989.7.1|瓢箪から駒が出たようなはなし──言語学大辞典第二巻刊行にあたりて──|『三省堂ぶっくれっと』81||
1989.9.10|日本語II)日本語の歴史1)序説|『言語学大辞典2世界言語編(中)』p1588-1634||
1989.11.1|回想の有坂秀世|『三省堂ぶっくれっと』83|森|
1989.12|まぼろしの大黒梅陰|『日本歴史』499|森|
1990.1.1|いささか漢字の“字がら”につき|『三省堂ぶっくれっと』84|森|「回想の有坂秀世」の誤植のことなど
1990.10|少年太田晶二郎著作集の手紙から|『吉川弘文館の新刊』35|森|
1990.6|『国立国会図書館蔵・古活字版図録』を愉しむ|『汲古』17|森|
1990.7.1|敗戦とことば;青き炎──敗戦とことば──|『三省堂ぶっくれっと』87|森|シナのこと
1991.1.11|しあわせあしき“シナ”のために|『文学』季刊2-1||
1991.3|『万葉集』はよめるか|『成城万葉』22|森|もと1964.6『美夫君志』7
1991.5.1|バルホルンぶりの諸相片々|『三省堂ぶっくれっと』92|森|
1991.6|野上弥生子七回忌にあたって|『野上彌生子全集月報』?(第30巻)|森|
1991.8|『太田晶二郎著作集』のために;そでがき|『太田晶二郎著作集』1|森|
1991.8.1|“言語”と“方言”──愛言愛知のたましいからの断章脞説|『一橋論叢』106-2(610)||フフバートル「言語と方言──『言語学大辞典』の刊行によせて──」『思想』796(1990.10.5)、栗林均「「言語と方言」を読む──「専門家」の誤読と権威主義──」『思想』798(1990.12.5)、フフバートル「モンゴル語、方言分類の問題──特に『言語学大辞典』の「内蒙古語」という項目をめぐって──」『一橋論叢』108-2(622)(1992.8.1)
1991.12|つれづれのこころ;原題には「老憊散録」あり|『むらさき』28|森|
1992.1.1|言語学の一冊;言語についての本の話|『三省堂ぶっくれっと』96|森|
1992.2|瑣言を陳ねて序辞に擬す|青木伶子『現代語助詞「は」の構文的研究』笠間書院||
1992.9.1|日本語をさかのぼる|『三省堂ぶっくれっと』100|森|
1992.11.10|まえづけぶみ|『言語 諸言語 倭族語』|6|
1993.3|バサラの語源のために おどりわすれぬ みずねげば いっそうそぶく ばさらぶし|『成城国文学』9||
1993.3|晩年の光太夫の横顔|『日本歴史』538|森|
1993.9|弟裕(ユタカ)の喪に服す||森|
1993.11.20|はしがき|森田武『日葡辞書提要』(清文堂)||
1993|『日葡辞書提要』の刊行を喜ぶ|森田武『日葡辞書提要』(清文堂1993.11.20刊)のパンフレット||
1994.3.1|もし一皮むくならば;原題には(口演速記)あり|『大谷女子大国文』24|森|1992.10.22に大谷女子大学国文学会講演会において
1994.4|はしがき|酒井憲二編著『甲陽軍鑑大成1』汲古書院||
1994.5|文献に初見という「ブタ」にたいして(研究余録)|『日本歴史』552|森|
1994.7|消える吾妻渓谷と方言;旧刊の紹介にことよせて|『大学村便り』20|森|
1994.8.1|国家語の系譜(聞き手-田中克彦)|『現代思想』22-9||
1994.11|荘子抄|『東京人』9-11||
1995.4|西順蔵という男|『西順蔵 人と学問』内山書店||
1995.7.10|ことばの森に題す|『ことばの森』|森|