山本北山

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さくぶんりつ
   作文率   四巻  山本信有
 作文上の法則を詳述したるもの。編章句讀、字格用法等を論じ、更に譯文複文の法則作例等を示して、習文の資に供へたるものなり。蓋し宗とするところ韓退之柳子厚等にありて、大に自家の文章上に於ける見識を主張せるなり。
 ◎山本信有は字を天禧、通稱を嘉六といひ、北山、奚疑翁、學半堂逸士、孝経楼主人、竹堤隠逸等の数號あり。家世々徳川幕府に仕ふ、北山少にして學を好み、山崎桃渓に就て素讀を受け漸く獨學して漢宋の書に渉り、後、井上金峨に從うて折衷説に服し精研怠る事なく、學大に進み、壮にして其の名遠近に轟く。北山経は孝経を本とし、詩は清新、文は韓柳を宗とし、書を著して其の見識を發表す。益々諸學に渉り、講究博通せざるものなし。四方遊學のもの、其の門に入るもの數百人。寛政年中柴野粟山幕府に入りて程朱の學を主張せるに方り、山本北山、龜田鵬齋、塚田大峰、豊島豊洲、市川鶴鳴と共に五鬼と稱せられきといふ。著書また多し。即ち作文志彀作詩志彀、孝経集説、古文尚書考、易象義解、春秋孔忘、論語説、率庸正義、経義撤説、經説、程朱異同古今究源、三頑古器考、王鄭異同耕苑、日本外史、日本事類集成、北辰考、文藻行潦詩藻行潦、神主考、學術淵源考、養老考、鋒吊考、衣冠考、學派考、義士雪冤、書畫談、彼我経濟區別、官職通解補等あり。文化九年壬申〔二四七二〕五月十八日、六十一にて歿す。諡號を述古先生といふ。


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 09:59:21