吉沢義則
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一 国語の再認識
二 歌体の変化
三 物語文学の発生
四 平仮名の発達
五 国語学の衰退
 一 仮名遣
 二 活用語
 三 てにをは


 萬葉時代が去つて古今時代の出現を見るまでの間に、吾人は國風暗黒時代を有つてゐる。國風暗黒時代とは詩文の隆盛が和歌を社會の裏面に追ひこめてしまつた時代を指していふのであつて、その最高潮に達したのは淳和天皇の御代であつた。
 推古天皇の御代遣唐使の事が始まつてからは、支那文化の輸入は目ざましいものであつた。この時詩文も傳へられて、我が租先に文藝の價値を教へ和歌の位置を高からしめたのであつた。和歌は、一方に詩文の刺戟があり、一方に歴史編纂事業の影響を受けた古藝術への憧憬があり、頓に興隆して遂に萬葉時代を出現するに至つた。かうして萬葉集の如き大歌集が編纂せられ、租先の文藝は永に傳へられたのであつたが、その花やかな和歌の世界は間もなく詩文に奪はれてしまつて、折角光明に輝きつゝあつた和歌の進路は阻止せらるゝに至つた。即ち國風暗黒時代の登場である。
 國風暗黒時代といつても和歌が全く亡びたといふわけではない。紀貫之が古今和歌集の序文中に


萬の世の中色につき人の心花になりにけるより、あだなる歌はかなき詞のみ出でくれば、色好みの家に埋れ木の人知れぬこととなりて、まめなる所には花薄ほに出だすべき事にもあらずなりにたり、その初を思へば、かゝるべくなんあらぬ、古の代々の帝春の花の朝秋の月の夜ごとに候ふ人々を召して、事につけつゝ歌を奉らしめ給ふ。

とある通り、和歌が戀の世界に隱れた時代を暗黒時代といふのである。けれども和歌が戀の世界に隱れるに至つた事情に就ては、貫之の觀察が誤つてゐるやうである。部ち色好みの家にかくれたから、あだなる歌はかなき詞のみ出でくるに至つたもの、而して色好みの家にかくれなければならなくなつたのは詩文の壓迫によるものと解釋しなければ、事實が容さないであらう。
 當時の女子教育は漢學には殆ど無縁といつてよい有樣であつた。男子教育に就ては九條殿遺誡の中に


 凡成長頗知物情之時、朝讀書傳、次學手跡、其後許諸遊戲、

とあつて、漢學學習が第一に數へられてゐるが,女子教育になると


村上の御時宣耀殿の女御ときこえけるは、小一條左大臣の御女におはしましければ、誰かは知りきこえざらん、まだ姫君におはしける時、父大臣の教へ聞えさせ給ひけるは、一には御手をならひ給へ、次には琴の御ことをいかで人に彈きまさんとおぼせ、さて古今の歌十卷を皆うかべさせ給はんを、御學問にはせさせ給へとなん聞えさせ給ひける(枕冊子)

とあつて漢學の事は全く見えてをらず、全部趣味教育であつた。尤もこれは上流社會の事であつて、中流社會になると染織等その他實生活に必要ないろ〳〵が授けられたことは、源氏物語の雨夜の品定を見ても明かな事實であるが、漢學にはいよ〳〵遠いものであつた事も察せられる。のみならず次のやうな迷信までも手傳つて、女子と漢學とは離れて行かざるを得なかつたものゝやうである。紫式部日記に


書どもわざとおきかさねし人【宣孝】も侍らずなりにし後、手觸るゝ人もことになし、それらをつれ〴〵せめてあまりぬる時、一つ二つ引出でゝ見はべるを、女房あつまりて、お前はかくおはすれば御幸は少きなり、なでふ女がまんなぶみはよむ、昔は経よむだに人は制しきとしりこちいふを聞きはべるにも、物忌みける人の行末、命ながゝるめるよしども見えぬためしなりと云はまほしく侍れど、

と見えてゐる。
 光明皇后有智子内親王勤子内親王の如き漢學に通じた方々もあらせられた。紫式部清少納言のやうな才媛もあつた。が、何れも例外として考ふべき例であつて、一般として女子は漢學すべきものではなく、よしや多少の知識を持ちえたとしても、女子の口にも筆にもすべきもので無かつた事は、源氏物語などのそここゝにも窺はれる事である。
 かうしたわけで漢字漢文に縁のなかつた女子の世界には、詩文の流行は沒交渉であつた。而して當時の習慣として、戀愛の世界にはその純不純にかゝはらず、和歌は無くてはならぬ必要品であつた。詩文に壓迫せられて生存困難を感じた和歌が、戀愛の世界を唯一の避難所としてこゝに生活を營まうとしたのは自然の數であらう。かくて和歌は色好みの家に埋木の身とはなつたのである。

 女子は漢學をしなかった。假令漢學の知識があったにしても、それを表面だゝせることの出来ない境遇にあった。されば世は如何に詩文萬能の時代であったとしても、女子はその流行に追随することは出來なかった。男子が詩文に腐心し漢字漢語に精進してみた間に、女子は和歌に命をうちこみ、假名國語に思ひをひそめてゐたのであった。和歌は當時の女子にとっては、趣味の上よりも寧ろ生活の上に缺くべからざる文學であったのである。
 国風暗黒時代は男子は詩文、女子は和歌と、男女子文學の分野がはっきり分れた時代であった。これが因となって次に擧げるやうな事實を將來しようとは、恐くは誰も思ひ及ばなかった事であらう。
  一、国語の再認識
  二、歌體の變化
  三、物語文學發生の準備
  四、平假名の發達
  五、国語學の衰退
今この五項を題目として私見を述べて見よう。

(つづく)


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:00:26