字音仮字用格・喉音三行弁
上の三行分生(の)図、及開合(の)図等に准ぜば、此<こゝ>にも五会図あるべきを、其二つを缺て三会なるはいかにと云に、エオ二つによる拗音は字音に用なければ也。其故はエは軽中重、オは重中軽なるゆゑに、オは重中重のウに摂し、エは軽中軽のイに摂して、別に此二音に属する字音は無きゆゑ也。悉曇家にもエはイにオはウに属する事あり、自然に符合せり。又 連声の便によりて諸字のイの韻はエと聞え、ウの韻はオときこゆる事多し。京師はケエシ、栄花はエゝグヮと聞え、東はトオ、公はコオときこゆるたぐひ也。これをもエはイに親しく、オはウに親しきゆゑなり。

右三会図上の三行、分生(の)図、及 開合指掌(の)図と相照して考べし。さて第二会の上に[い]、第三会の上に[う]と標するは、ヤイユエヨに属する諸(の)拗音は、各上にキシチニヒミイリの音を帶て、是皆イに属する音。ワヰウヱヲに属する諸の拗音は、各上にクスツヌフムルウの音を帶て、是皆ウに属する音なればなり。さて第一会は直音なれば、此例に非ずといへども、上の分生(の)図と引合せて考るに便(り)あらしめん爲に、是(れ)もしばらく[あ]と標せり。

右三会の字音、都て九十六【圏中なる者を除く】、又各音の左右に細書する者も皆これ字音にして【入と書るは入声の音也。たとへば第一会アの音の下なるはアク アツ アフ等、エの音の下なるはエキ エツ等なり。第二第三会も是(れ)に准へて心得べし】、天下の漢呉音を括尽せり。
○第一会の諸音はアイウエオに属して皆直音也。さて其中に不雅なる者は通音に転じ呼(ぶ)例也。不は甫鳩<ほきう>(の)反、婦(は)房久反にて、共に漢音ヒウなるをフと呼(び)、問(は)亡運(の)反、呉音ムンなるをモンと呼(び)、嫩(は)奴困(の)反、呉音ノンなるをナンと呼(び)、腹(は)弗鞠(の)反 ヒクなるをフクと呼ふ、此類なほ多し。これらを反切にかなはずとて訛也と思ふは、返て古(へ)を知ざる者ぞ。凡て鄙俚なる音は嫌ひて故<ことさら>に転じて定めしもの也。但し開合を分つには凡て転じたる音にはよらず、反切を考て本音によるべし。右の不 婦等(の)字の如きも、フは合音なれども本音ヒウは開なるゆゑに韻鏡開転に収せり。第二第三会(の)拗音も是(れ)に准て心得べし。
○第二会の諸音はヤイユエヨに属してみな拗音也。凡て拗音はもと御国の音に非ずして多くは不雅なるが故に【異国にては雅とするも御国にては不雅也。故に古言に拗音あることなし】、直音に転じ呼ふ者多し。第二会の中の音にて其例を少々いはゞ、倶(の)字は挙朱反にてキュなるをクと呼ひ、縷は力主反 リュなるをルと呼ふ。韻鏡第十二転第三等の諸字みな此例也。又 第一転の風字は方戎<はうじゅう>(の)反ヒュウなるをフウと呼び、豊も芳馮<ハウヒュウ> 又 敷弓<フキュウ>反 ヒュウなるをホウと呼ぶ。又允尹は共に余準(の)反 イュンなるをヰンと呼ひ【之允(の)反 准.食尹(の)反 盾.思尹(の)反 筍、これらにて允尹の本音イュンなる事いよ/\明けし】、倫は力迍 又 力遵(の)反 リュンなるをリンと呼ひ、律は呂〓[血邑]<ちゅつ> 又 力出(の)反リュツなるをリツと呼ひ、聿は以出(の)反 イュツなるをイツと呼ふ。第十八転 第三四等 皆此例也【其中に舌音歯音のみ本音のまゝに呼ふ】。又 第二転の幞は房玉(の)反、漢音ビョクなるをボクと呼ひ、第一転の宿は思六 又 思逐(の)反なるにシュクの音なれば【シクの音とするは返て誤なり】、六は実はリュク、逐はチュク也。叔も式竹(の)反にてシュクなれば竹も実はチュク也。さて育は余六反 イュク、菊は居六反 キュク、福は方六反 ヒュク、目は莫六反 ビュク也。此類なほ多し。餘も右の字どもに准へていづれも其韻字と【反切の下字を韻字と云】帰納の音とを相照して、本 拗音なるを直音に転じたる事を悟るべし。又 漢音と呉音とにて拗直の転換する事多し。香字、漢キャウ呉カウ、行字、漢カウ呉ギャウの類也。又 常には拗音のまゝに呼ふ字を歌書にて直音に云る者多し。「精進」をサウジ、「脚病」をカクビャウ、「病者」をバウザ、「修行者」をスギャウザ、「受領」をズラウ、「宿世」をスクセ、「従者」をズサ、「大咒」をダイズ、「大乗」をダイゾウ、「祇承」をシゾウ、「誦する」をズすると云たぐひ也【○或問云く、上の三行分生(の)図によらば、ヤは即イァ.ユは即イゥ.ヨは即イォなれば、上に又イを加へてイャ イュ イョとは書ベからず。若しイを加へば、イァ イゥ イォとこそ書べきに、第二会図にイャ イュ イョとあるはいかゞ。答云、まことに然り。故にイャ イュ イョの音はいづれもイを省きて たゞヤユヨとのみも書也。但し此類音いづれもキャ シャ等と書てキァ シァ等とはかゝず、キュ シュ等と書てキゥ シゥ等とは書ず、キョ ショ等とかきて キォ シォ等とは かゝざる例によるに、喉音もイャ イュ イョとは書ざることあたはず。ワヰウヱヲの拗音も是に准へてさとるべし】。
○第三会図の諸音はワヰウヱヲに属して、是も皆 拗音也。然るに此図中の音はワ行【図に就ていふ、下放v之】の第二位クヮ クヮウ クヮイ クヮン クヮツ クヮク.ヰ行のスヰ ツヰ ルヰ【又 薬名の茴香をウヰキャウと呼び、猥をウヰすると云、是も同例の拗音也】わづかに是らのみ本音のまゝに呼て、餘は悉直音に転ぜり。然るを世に是を皆本よりの直音と心得て、実は拗音なる事をば知らず【『万葉』に水(の)字をシの仮字に用たる、これ拗を直に転じたる例證なり】。そも/\カの外にクヮの音あるからは、サの外にスヮ.タの外にツヮ.ナの外にヌヮ.ハの外にフヮ.マの外にムヮ.ラの外にルヮの音もあるべく、又シの外にスヰ.チの外にツヰ.リの外にルヰの音あるからは、キの外にクヰ.ニの外にヌヰ.ヒの外にフヰ.ミの外にムヰの音もあるべき事、図にて悟るべ
し。又次のヱ行ヲ行も右の格也。さればこそ常にはキの音に呼ふ字にクヰの仮字をつけ【此例下に委くいふ】、又 歌物語などに、「法華経」をホクヱキャウ、「変化」をヘングヱ、「源氏」をグヱンジ、「眷属」をクヱンゾク、「花足」をクヱソクなどとあるも.キの音ケの音をみだりに拗音に呼びなせるには非ず。これをみな合口音の字にて、本より此図中の拗音なるがたま/\本音のまゝに云るもの也【直音をたゞ何となく拗音に云ひなせるものと思ふは非也。又拗音を雅、直音を俗と心得るも非也。御国の古言の音はみな直なるが故に、古は直を雅とし拗を俗とす、故に拗を直に転ぜる例のみこそ多けれ、直を拗に転ぜる例はある事なし、凡て韻学者流に直音拗音を云もの、みな古を知らず濫りなることのみなり】。なほ此図中の拗音を直音に転じたる證を少々云ば、韻鏡第廿八転平声牙音に戈<クワ> 科<クワ> 訛<クワ>、喉音に和<クワ>あれば、其例にて其横の脣音の波は博禾反、頗は傍禾反にて、共にフヮ音也。舌音の[阜朶]<た>は丁戈(の)反、詑<た>は土禾(の)反にて、共にツヮ也。歯音の[イ坐]は子戈反、莎は蘇禾反にて、共にスヮ也。喉音の倭は烏禾(の)反にてウヮ也。半舌歯音の羸[羊→魚]<ラ>は落戈(の)反にてルヮ也。さて其上声去声も同じ格にて、跛は布火(の)反にてフヮ也。麼は亡果反にてブヮ ムヮ也。坐は徂果 又 疾臥(の)反にてスヮ也。播は補過反、破は普過反にて共にフヮ也。座は徂臥反にてスヮ也。又第卅転の諸字も此例也。さて第卅二転は光荒黄などの例にて、其横の傍は歩光反にてフヮウ、汪は烏光反にてウヮウ也。又第十四転の杯は布回反にてフヮイ、頽は杜回反にてツヮイ、崔は才回反.摧は在回反.罪は祚隗反にてみなスヮイなり。雷は力回反にてルヮイ也【故に胡雷<コルヮイ>(の)反 迴となれり】。隈は烏恢反にてウヮイ也。其餘字も准へ知べし、第十六転も此例也。又 第廿四転の盤は薄官反にてフヮン、端は多官又都丸反にてツヮン、暖は乃管反にて呉音ヌヮン、酸は素官反にてスワン、椀は烏管反にてウヮン、卵は慮管反にてルヮンなり。又 溌は普活反にてフヮツ、奪は徒活反にてヅヮツ、撮は倉括反にてスヮツ、埒[土→才]は郎活反にてルヮツなり。第卅六転の〓[走赤]は査獲反、〓[才戚心]は砂獲反にて共にスヮクなり【以上はワ行の音也】。次に第五転 睡 縋 吹 垂 腿 睡 羸等の例にて、陂は彼為反、彼は補靡反にてフヰ、[女為]は居為反、規は居隋反、偽は危睡反にて共にクヰなり。さて是為反 垂、旬為反は随、力為反は羸、息委反は髄、力委反は累なれば、為委は共にウヰ也。第七転 第十転も此例也。さてクヰウ スヰウ ツヰウ ヌヰウ フヰウ ムヰウ ルヰウ ウヰウの音は、本音のまゝに呼字一も無れば、考ふべき由なしといへども、若は第一転のヒュウ チュウ等の音本これに近きか、ウヰンクヰン等も考へがたし、是は第十八転のチュン キュン シュン イュン リュン等の音近きか、さてウヰク クヰク等は、是又第一転のヒュク チュク キュク シュク イュク リュク等近く、ウヰツ クヰツ等は、是又第十八転のチュツ キュツ シュツ イュツ リュツ等近き歟、猶考べし【以上ヰ行の音なり】。次に第卅転 花華化等の字の呉音をクヱと云る例ある如く、此転の呉音は凡てツヱ クヱ スヱ ウヱ ルヱなり。第十四 第十六転の呉音も同じ、さてウヱウ クヱウ等は考ヘがたしと云ども、第卅四 第卅六転の第三等 四等の呉音これなるべし。ウヱイ クヱイ等は第十四転の第三等 第四等の諸字これ也。ウヱン クヱン等は第二十二転の源字【音元】第廿四転の眷字をクヱンと云る例にて、此二転の第三 第四等の諸字これなり。又其入声即フヱツ ツヱツ クヱツ スヱツ ウヱツ ルヱツ ヌヱツなり【以上ヱ行の音なり】。次に第十二転の第一等の諸字フヲ ムヲ ツヲ クヲスヲ ウヲ ルヲの音也。さて第四十三転の泓はウヲウ、肱 薨 弘はクヲウ也。第十八転の第一等と第廿二転の第三等の呉音と、これウヲン クヲン等なり【但(し)、第廿二転牙音の呉音は、皆クヮンと転じ呼ふ。されども元は愚袁<ぐうおん>(の)反、願は魚怨<ゴウヲン>(の)反なるを以て、元 願なども本音はクヲンなることを知(る)べし】。ウヲツ<チ同> クヲツ<チ同>等は、第十八転第一等【入声】、第廿二転の第三等【入声】の呉音と是なり【これも第廿二転の牙音はクヮチと転じ呼へども、越の呉音ウヲチなるを以て、実はクヲチなることをさとるべきなり】。ウヲク クヲク等は第四十三転の第一等【入声】是なり【以上ヲ行の音なり】。右ヱ行ヲ行に属する諸の拗音は本音のまゝに呼もの無れば、是を證すべき由なきに似たれども、既にワ行ヰ行の諸音の例あれば、それに准じて此二行の諸音も必(ず)実は右の如くなるべき理(り)疑(ひ)なし。さて上件 諸の拗音多くは直音に転じ呼ふ故に、かの開合(の)図と韻鏡の開合と合(は)ざる者多きが如くなれども、右の如く本音に返(へ)してこれを考るときは、一つも合(は)ざる者無し。


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 09:56:13