伴信友


○安米都知誦文考
ある遠き国人の源順朝臣ノ家集に、あめつちの歌といふがあるは、もとあめつちほしそら云々と、音のかぎりをつくしとゝのへたる、古文のありしことしるく、其はめでたきことばなりと、きこゆる由をくはしく考出たる説あり。そこにはいかにか見つると、いひおこせたるに、おのれ既にかの集をよみ見たる時は、一すぢたてたるかたのあかしにせむとおもへる時にて、なべての歌どもに心いれざりければ、そのあめつちの歌、いかなることならむとまではたづねも見ずて、歌ぬしのなべての歌に似ず。いかなればさばかりつたなげなるにかとのみおもひてうち過ぐしにき。しかるに後に仮字本末といふ書記せる因に、うつぼ物語に、手本の書ざまをいへるところに、詩にならべて、あめつちといへることの見えたるは、もしくはそのかみさる誦文のありしにやときこゆるかたもあるにあはせて、かの集のあめつちの歌の事の、心にうかびつれど、傍の事なれば後にこそとさしおきたりつるが、いつしかうち忘れてありけり。其考説いとみまほし。いかでとく見せてよと答やりつるが、年月経にたれどおともせぬに、老らくのまちどほにおぼえて、かの集とり出し見て、かれこれ考合するに、いはまほしきことのいでくるまに〳〵、かくは書記し試みつ。後にかの人の考をみて、もし同じからむには、此考は捨つべし。かれよくば随ふべし。又かたみにえらびあはせたらむには、とゝのひたる考ともなるべくや。とまれかくまれ。例のこゝろやりのすさびにこそ。
 天保十二年正月廿七日
源順朝臣家集云、〔割註〕此集三十六人集、(また歌仙家集ともいふ)なるも、たゞ在る刊行寫本も、ともに互に異なる詞あり。又誤字、脱字のあるを、今校へ合せて、誤としるきはよきをとり、いづれともさだめがたきは、右旁に書そヘ、又左旁にはまゝ真字を書そへて、読やすからしむ。
  あめつちの歌四十八首
もと藤原の有忠の朝臣藤六なむよめるかへしなり。かれはかみのかぎりに、そのもじをすゑたり。これはしもにもすゑ、ときをもわかちてよめる。
  春
あらさじとうちかへすらんをやま田の苗代水にぬれてつくるあ
めもはるに雪まもあをくなりにけり今日こそ野辺に若なつみてめ
つくは山さける桜の匂ひをはいりてをらねどよそながらみつ
千ぐさにもほころぶ花の匂ひかないづら青柳ぬひし糸すぢ
ほの%ヽと明石の浜を兒わたせは譽の波わけいづる船のほ
しづくさへ梅の花がさしるきかな雨にぬれじときてやかくれし
そら寒み結びし氷うちとけていまやゆくらむ春のたのみぞ
らにもかれきくもかれにし秋の野のもえにけるかなさほの山づら
  夏
山も野も夏革しげく成にけりなどかまだしきやどのかるかや
待人も見えぬは夏も白雪や猶ふりしけるこしのしらやま
かた戀に身をやきつゝも夏虫のあはれわびしき物をおもふか
はつかにも思ひかけてはゆふだすき賀茂の河波立よらじやは
身をつめは物思ふらし郭公なきのみまどふ五月雨のやみ
ねをふかみまだあらはれぬあやめ單人を戀ちにえこそはなれね
たれによりいのるせゞにもあらなくにあさくいひなすおほぬさにはた
庭みればやほたでおひて荒にけりからくしてだに君がとはぬに
  秋
呉竹のよさむに今はなりぬとやかりそめぶしに衣かたしく
最上河いな舟のみはかよはずておりのぼりなほさわぐあしかも
昨日こそゆきて見ぬほどいつのまにうつろひぬらんのべの秋萩
りうだうも名のみなりけり秋の野の千草の花のかにはおとれり
結びおきししら露を見る物ならばよるひかるてふ玉もなにせむ
ろもかぢも船もかよはぬ銀河たなはたわたるほどやいくひろ
木のはのみふりしく秋は道をなみわたりぞわぶる山川のそこ
今朝みればうつろひにけり女郎花われにまかせて秋ははやゆけ
  冬
日をさむみ氷もとけぬ池水やうへはつれなくふかきわがこひ
とへといひし人はありやと雪分てたづねきつるぞ三輸の山本
いづみともいざやしら波たちぬれてしたなる草にかけるくものい
ぬるごとに衣をかへす冬の夜に夢にだにやは君が見えこぬ
うちわたしまつあじろ木のいとひをのたえてよらぬはなぞやこゝろう
へびゆみのはれるにもあらでちる花は雪かと山にいる人にとへ
すみがまのもえこそまされ冬さむみひとりおもひのよるはいもねず
ゑごひする君がはしたかしもがれの野になはなちそはやくてにすゑ
  思
夕さればいとゞわびしき大井川かゞり火なれやきえかへりもゆ
わすれずもおもほゆるかな朝な〳〵ねしくろかみのねくたれのたわ
さゝがにのいをだにやすくねぬころは夢にも君にあひみぬがうき
るり草の葉におく露の玉をさへものおもふ時はなみだとぞ見る
思ひをもこひをもせゞにみそぎすとひとべたなでゝはらへてはおゝ
吹風につけても人を思ふにはあまつそらにも有やとぞ思ふ
せをふちにさみだれ川の成ゆくはみをさへうみに思ひこそなせ
芳野河そこのいは波いはでのみくるしや人を立居ごふるよ
  戀
えもいはで戀のみだるゝ心かないつとやいはにおふるまつがえ
残りなくおつる涙は露けきをいづら結びし草むらの野の
えもせがぬ涙の川のはて〳〵やしひて戀しき山はつくばえ
をぐら山おぼつかなくもあひみぬかなくしかはかり戀しき物を
なきたむる涙は袖にみつしほのひるまにだにもあひみてしがな
れうしにもあらぬ我こそ逢ことのともしのまつのもえこがれぬれ
ゐてもこぴふしてもこふるかひもなく影あさましくみえぬ山の井
照月ももるゝ板間のあはぬよはぬれこそわたれかへすころも手

今まづ件の端詞の意を按ふるに、そのかみ四十七音を物事の言にとゝのへて、あめつち云々と唱ふる文のありて、其発端の言をとりて、あめつちと稱ふがありけるを、もとその文によりて、藤原有忠朝臣と、藤六と二人して、歌によまれたりけるに、順朝臣其返しに此歌をよみ給へるよしなり。〔割註〕この集の末に、雙六番の歌、これも有忠がよみはじめたるによみつぐとて、異体の歌十四首あり。このあめつちの歌よみ給へるに似たる趣なり。その歌のことは下に云ふべし。さて有忠朝臣の名は、諸本仮字にて書るに、本願寺本に有忠と書るに依りて考るに、尊卑分脈閑院家の流に、恒佐天慶元年五月薨六十。その四男に、有忠、左馬頭従四位上、歌人とみえたり。また藤六は同書に、権中納言藤原長良卿には孫、弘経朝臣の三男に輔相、无官号藤六歌人とみえ、作者部類六位部に、藤輔相号藤六とみえたり。拾遺集物名部に、このぬしの歌卅七首載られたり。悉俳諧のざれたる同じ口つきなり。其中に三十六人集の首に、人丸集とてある中に、柿本人丸、あからさまに京近き所に、あるやむごとなき所にたてまつりけるとなん。と詞書して、六十餘国の名を、物名に俳諧めきたるさまに、これも同じ口つきによめる中の、大和の歌を載せられたり。しかれば件の諸国の歌、みな輔相がなるを、詞書に柿本人丸云々と書るは、戯におのが名をかくして、わざとしか書るざれわざにて、公任卿の金玉集に、柿本末成、また清輔朝臣の袋草紙に、柿本躬貫など、匿名をしるされたるも、おのづから似たる心ばえなり。さるを三十六人集には、まことの人丸がなりとこゝろえて収たるものなり。さて其ほかに此ぬしの歌の、撰集に見えたるは、新拾遺集戀部に、人に対面せんといひおくり侍し、かへりごとはなくて、小石をおくりければ、あふことのなぎさにひろふ石なれや見ればなみだのまづかゝるらむ。といふがひとつ見えたり。俳諧部には入れられざれど、これも心ばえはざれてきこえたり。又宇治拾遺物語に、今はむかし藤六といふ歌よみありけり。げすの家に入て、人もなかりけるをりを見つけて入にけり。鍋にある煮物をすくひ喰ひけるほどに、家あるじの女云々。あなうたてや。藤六にこそいましけれ。さらば歌よみ給へといひけれは、むかしより阿弥陀ほとけの誓にてにゆるものをばすくふとぞしる。とこそよみたりけれ。又袋草紙に、昔は獄前栽菊云々。藤六輔相(中納言長良孫也)過獄前。于時囚獄一人走出抱之入獄門内云。朝歌合アル之由承之。爲題此菊可令詠一首云々。輔相即詠云、人や植しおのれやおひし菊の花しもとにうつる色のいたさよ。囚獄感歎シテ免之云々。などみえたり。今推考るに、此人放縦に身をはふらかして、めでたき家門の人ながら、官も賜はらず。藤氏のたゞの六位なるよしにて、みづから藤六と名のりて、異ざまなる行(フルマヒ)して、ざれ歌などよみて、世をつくしたりしなるべし。仁和寺の書籍目録の人々傳の部に、藤六一巻と見えたるも、此人のなるべし。いはゆるあめつちの歌よめる心ばえおしはかりつべし。」かくてもとの歌には、あめつちの文を一もじづゝ、次第のまゝに、歌毎の起句の上にすゑてよみたりけるを、順ぬしそれに競ひて、さらに其もじを起句の上と、結句の下とにすゑて、四季と思戀の六題に分ちてよみ給へるなり。〔割註〕然しひてよまれたるが故に、歌ざまとゝのはずかたはなり。三十六人集の古本に載たる此ぬしの集に、雙六番の歌、これは有忠がよみはじめたるによみつぐとて、雙六盤の界の形に、歌詞を書つらねて、竪横より廻らして、よみとゝのふると、次に田畦形のごとき趣に書なして、めぐらしよむべくものせるがあり。これらもみなしひてよまれたるが故に、ぬしの尋常の歌口には似ず。ともに其こゝろしらひしてよむべきなり。さて其二歌めづらしければ、ちなみに下に書そふべし。」さて件の歌の次第のまゝに、起句の上のもじを、〔割註〕結句の下のもじも。」書つらね見るに、かくのごとし。
あめつちほしそらやまかはみねたにくもきりむろこけひといぬうへすゑゆわさるおふせよえのえをなれゐて

!--大矢の引用ここから-->然るに戀部えの位にえもいはで云々。おふる松がえと有て、次にのこりなく云々。その次に又えもせかぬ云々。山はつくばえとありて、四十七音の外にえもじの歌一首あまれり。相模集なる此あめつちをよめる歌にも、然る次第に見えたるがうへに、〔割註〕其歌どもは、下に書載てあげつらふべし。」此順集の歌の題の下に、四十八首ともあれば、全文にえもじ二つあるに合へり。さるはいかなることにか。さらに心得がたし。しひてたすけていはゞ、もしくはあめつちほしそらといふごとく、二首づゝとゝのへて、四音を一句として唱へむには、四十七音にては、一音足らざれば、其句をとゝのへむとして、え音を一つ助へて唱へなれたるにもやあらむ。<!--大矢の引用ここまで-->かへす〴〵心得がたきことなり。さて又端書に、あめつちの歌と書るは、あめつちと称ふ文を首と尾とにすゑてよめる歌といふ事なり。〔割註〕あめつちくもきり云々といふ歌のよしにはあらず。いろは歌とはことなり、いろは歌は昔の今様といへる歌風なり。委しき事は既に仮字本末に論へり。」かくて又相模集に云、〔割註〕花山一条の御世のころの人。」
 あるところに庚申の夜、あめつちをかみしもにてよむとてよませし十六首。
  春
あさみどり春めづらしくひとしほに花のいろますくれなゐのあめ
つきもせぬ子の日の千世を君がためまつひきつれむ春の山みち
はかよりはのどけき宿の庭さくら風のこゝろもそらこよくらし
そのかたとゆくへしらるゝ春ならば関すゑてまし春日野のはら
  夏
やどちかき卯の花かげは波なれやおもひやらるゝ雪のしらはま
かたらはゞをしみなはてそ時鳥きゝながらだにあかぬこゑをば
みしまえの玉江のまこも夏がりにしげくゆきかふをちこちのふね
たぎつせによどむときなくみそぎせむみぎは陳しきけふのなごしに
  秋歌闕
  冬
むしのねも秋すぎぬれば單むらにこりゐる露の霜むすぶころ
のはもる時雨ばかりのふるさとは軒のいたまもあらしと思ふを
えこそねゝ冬の夜ふかくねざめしてさえまさるかな袖のこはりの
えださむみつもれる雪のきえせねば冬と見るかな花のときはを

今按るに、あめつちの文を、歌の首尾にすゑてよまむには、二十三首に一言餘れり。相模は其中三十二言を得てよめるが、今本に秋歌四首欠て十二首あるなり。此はかは他人のよみたりしなるべし。〔割註〕順集なる、あめつちの歌の詞書に、有忠朝臣と藤六と二人してよまれたる由みえたり。」かくて其十二首の首尾の音を書つらね、上に挙たる順集なる全文にあてゝ、其は字を囲みて、別ちみるにかくのごとし。
あめつちはしそらやまかはみねたに欠四首むろこけ。〔割註〕こけの歌、本に、このはもる云々あらしと思ふをとあれど、をもじはえださむみの歌の尾にあるがうへに、結句の意もとほりてきこえず。さるはあらしこそふけの写誤なるべし。かく正すときは全文の詞に合へり。」ひといぬうへすゑゆわさるおふせよえのえをなれゐて。
かゝれは順集と文の次第の異なると、又連語の異なるところもありとは見ゆれど、もと同文なること知るべし。洞物語〔国禅巻〕に仲忠の書て孫王に奉れる御手本の書ざまをいへるところに、春の詩夏の詩あめつちとみえたるも、此あめつちの文の事なるべし。〔割註〕但しこの物語本ども、あめつちの下に、その字一つ衍れり。或校本になきぞよき、本書をよくよみわきまへて知べし。」此物語は天徳の頃作たるものなりとみゆれば、順ぬしのみさかりにおはしゝ頃なり。〔割註〕一華堂切臨が源義弁引抄に、此物語を源順ぬしの作なりといへり。拠ある説なるにか。」天禄元年に、源爲憲朝臣の著されたる口遊に、四十七音の誦歌を載られて。〔割註〕其詞は、たゐにいでなつむわれをぞきみめすと云々と、長歌のさまによみたるものなり。この歌は別に下に注すべし。」今按、世俗誦阿女都千保之曾羅也萬訛説也。此誦爲勝。と見えたるもこれなり。〔割註〕この口遊しるされたる天禄元年は、順ぬし六十歳の時に当れり。いはゆるたゐにの誦歌も、そのかみ此あめつちの文とゝもに、世に行はれたりしことしるべし。」又加茂保憲女集に、〔割註〕相模と同じ頃の人なり。」よばひ星のいとまなくわたる雲路のあした夕なれずならねば、うきこともならはず、いまはすまじといふ空もなく、まれに逢ふ暁の、涙をおとしたる露をあつめて、うつぶしぶみをかきはじめけるよりなむ、あめつちほしそらといひけるもとにはしける、といへるもまたこれなり。〔割註〕但し此集の文かきざま、拙なげにてとはりてきこえがたきところ多し。こゝにはあめつちの文の事をいへるをとれり。」かたみに証とすべし。そも〳〵此あめつちの文は、千字文などいふものゝさまにならひて、作れるものにして、あめつちよりくもきりといへる迄は、事もなきを、むろこけひといぬうへすゑと聯らねたる、いとせむかたなげなり。その次なるゆわさるより以下は、なに事ともきこえがたし。しひてもてつけてよまば、よみもしつべけれど、あまりにかたはにつたなきを、上に引出たるがごとく、はやく口遊にも、それに載られたる誦歌に比ベては、劣ざまに論はれたりき。然るにそのかみさばかり世々に、唱へなれたりけむことこそあやしけれ。


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 01:19:05