山崎豊子

「魚崎の自宅を改造した洋裁教室から、無理してでも、ちゃんとした洋裁学校を建てたいと云いはったのは、どなただす。銀行で借金して造ってはる建物やおまへんか、細《こま》こう、きつうに値切らんとあきまへん、まあ、僕に任しておくなはれ」
 二十八歳の銀四郎が、崩れないきれいな大阪弁を喋り出すと、式子は何時も奇異な感じを受けた。さすがに自分のことをわいというほど古風な大阪弁にはなりきれぬらしく、当世風に僕といったが、その違和感がまた銀四郎の妙な個性になって生きていた。見方によってはその個性的な大阪弁で、巧みに複雑な交渉ごとを捌いているようでもあった。

 「やっぱり、なかなか一筋繩ではいきまへん、はじめのうちは、ぬけぬけと空とぼけた返事をしてましたけど、見積書を突きつけ、タイルとブロックの数を一々、数えたてたら、さすがにへこたれて来て、九万円、はき出しよりましたわ」
 例の舌の上からすべり出るような滑らかな大阪弁で話すから、こんな金銭ずくの話も、銀四郎の囗から出ると、いやらしいえげつなさが無くなる。

 「男の人、いはれへんより、いはる方がええやないのん。気強うて──」
 まだるい大阪弁で云った。富枝のまだるい大阪弁は、授業に差支えるからと、式子がいくら注意しても直らない。この頃では、もう式子の力が根負けしてしまっているが、今日のように倫子とかつ美の神経がとげとげしい時は、富枝の大阪弁が思わぬ緩和剤になる。

羅紗問屋の深い奥内で、式子は、言葉遣いから食事の仕方まで、船場のしきたりと囚習を守ることを強いられた。

家内では許されなかったが、一歩、家から外へ出ると、大阪弁を使わず、きれいな標準語に変えることに腐心した。
 洋装に洋風の部屋、そして標準語を使う生活の分量が増えるに従って、

 「どうして。先生は、そない船場を嫌いはりますのん。私みたいに天神橋あたりの普通の商売人の娘に生まれた者には、船場は憧れの土地ですわ。それに、先生は、戦災で家が焼けると、さっさと郊外住いで、言葉まで、きれいな船場弁を使いはらず、関東風の標準語を使いはって、ほんまにけったいやわ」

 銀四郎がきれいな大阪弁で喋り続けると、安田兼子は、急に言葉を少なくして、用心深く身権え、

 地元の市会議員は、名刺と顔を見比べながら.
「ところで、この頃、あなたぐらいの若さで、ちゃんとした大阪弁を喋る人が皿くなりましたなあ」
と、妙な嘆声を洩らした。

 銀四郎は、何時もと同じような滑らかな関西訛で司会した。生徒たちは、その見収らない関西訛と、ダークスーツに蝶ネクタイという気取った対照的なスタイルが好奇なのか、伸び上るようにして見る者もあった。

 柔かい大阪弁であったが、部屋の中が冷えていくような凄みのある声たった。

 「いややわ、先生、人の寝顔を見はって──」
 不意に、富枝が体を起し、甘い大阪弁で式子を睨んだ。(中略)
「そやから、しゃれたお洋服を着ても、ちっとも着ばえがせえへんし、損やわ」
富枝は鼻にかかった間怠い大阪弁で云った。
「損なのは、富士額より、そのきつい大阪弁よ、もう少し、何とかならないものかしら──、せめて、学貶の教壇の上で話す時と、東京で新聞や雑誌関係の人と喋る時ぐらい、普通の標準語にならない?」
 式子が、やや厳しい口調で云うと、富枝は、一瞬、困ったような顔をしたか.
 「それだけは、なんぽ、先生に云われたかで、直れしまへんわ、私は、大阪弁で云えへんかったら、舌に鉛が着いたみたいに舌が重うなって、動けしませんねん.それに、私は、なんで、先生がそない大阪弁をいやがりはるのか解れしまへん。この間から、私はずっと、東京でも、大阪弁で通してますけど、誰もけったいな顔をしたり、笑いはれしまへん.それよか、かえって、女らしい言葉やと褒めてくれはりますわ」
 富枝は、反証を突きつけるように云ったが、それがまた、式子にとって不愉快な反証であった。大阪弁が女らしいとか、艶めかしいとかいわれる度に、大阪を鑑賞して楽しんでいる東京人の妙な優越感がちらついて、嫌味だった。


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Last-modified: 2023-07-10 (月) 13:30:09