山本飼山


アンドレイエフの描きたる恐怖
山本飼山
 不具なる十九世紀文明は人間社会に種々なる不安と苦悶とを齎らし、人間の胸奥に客易に拭ひ去る事の出米ぬ恐怖の影を投じた。我等十九世紀文明の影響を蒙つて居る人間は、その程度の如何を問はず、何れも皆暗い「恐怖」の塊を心の底に蔵して居るのであるが、これが時としてコンベンシヨナルな日常生活の条規を突き破つて、我等をしてアブノーマルな狂的な行為に出でしめる事がある。
 レオニード・アンドレイエフは此の『恐怖』の影に其の鋭き眼光を向けて、恰も外科医が解剖刀を揮つて死体を解剖するが如くに此の不可思議なる影を描写したのである。
 アンドレイエフは、その初年の作たる「虚偽」「沈黙」等より「人の一生」「七死刑囚」等に至るまで、その作者としての気分を少しも変へて居ない。彼は常に同種の題材を取扱ひ、此等の題材に就いて常に同種の感情を語つて居る。その短篇たると長篇たるとを問はず、彼れの作品より発する空気は常に同種の色彩を以て読者を包まうとして居る。一面より見れば彼れの作物は悉く単一なる題材を様々な形式に書き変へたるものに過ぎないとも云ふ事が出来る。而して此の題材——もし之を一言にして云ひ得るならば——是れ恐怖である。漠然たる不安より戦慄、絶望等に至る様々な種類を包容する恐怖である。或は寧ろ、有ゆる恐怖の中にて最も痛ましき特種の恐怖である。此の恐怖は自然に対する驚異の心とか、測らざる危険を恐る心とか云ふ如きものでない。此の恐怖が人の霊魂を訪づるゝ時、其人の周囲にある極めて平凡なる実在は忽ちに悲劇的な、避け難き、神秘的なものと変ずる。生と死との永久の神秘——是れアンドレイエフ作品の中心点である。此の神秘が彼れの作品中の人物を戦慄せしめ、彼等の平和を突如として奪ひ去り、彼等を生命のどん底より変化せしめ、遂に之を狂人となし、或は自殺に導き、攻は犯罪の道程に進ましむるのである。
 試みに初年の作たる『沈黙』及び『虚偽』に描かれたる神秘を見よ。
 茲に現はるゝ主人公は一見常人と何等異なる所なき一箇の人間である。人々は彼を愛しもすれば彼を憎みもする、彼を抱擁する事も出来れば彼を殺するも昂来る。然し彼が何を考へ、何を感じて居るかは何人も想像する事が出来ない。彼れの額《ひたひ》の薄き障壁の奥に何物が潜んで居るかは何人も永久に知る事が出来ない。
 而して此の不可解なる神秘は又『帰家』に於て更に著しく描かれてある。
 曾て飄然家出をした青年が思ひがけぬ時に突如として父の家に帰つて来た。そして彼は今迄何処で何をして居たかと云ふ事を何人にも語らうとしない。彼れの周囲にある祖母、父、妹、奴僕等、全家悉く、此の平凡なるが如くにして不可思議なる実在の前に在つて恐怖と戦慄とを感じて居る。
 アンドレイエフは更に進んで『病院』に於て二人の患者を描いて死の秘密を語つて居る。
 二人の患者は一日突然自己の頭上に死の迫つて来るのを感じた。二人は格別の動機もないのに死の切迫に対して烈しき恐怖を抱いた。彼等は何か黒い恐ろしい塊が寝台の後方に佇立して自分達を凝視して居るやうに思つた。そして此の恐怖は益々烈しくなつて、遂に其の一人は猛獣のやうな姿になつて狂ひ出し、他の一人——憐れな田舎僧侶——は故郷の暖い太陽の光を想ひ起して子供のやうに号泣した。
 斯かる神秘は傑作『心』に於て物凄き色彩を以て読者に迫つて来る。
 主人公メジエンツエフ博士は自己の心を信ずる事深き人であつた。彼は自己の心が活々した、堅固な、確実なものである事を信じた、此の心は巳に彼を愚かなる道徳的偏見の覇絆より解放した。彼は自己を「自由人」であり「超人」であり神の一種であると考へた。然るに彼が全智全能なる心の思索力に大なる誇を感じて居た其の瞬間に、突如として「おれは狂人だ」と云ふ考が彼れの心中に閃めいた。彼れの明快なる心は忽ちに掻き乱された。恐怖は堅く彼を捕へた。我は果して真に狂人であるのか、或は斯く思ふのは一種の幻覚であり、漠然たる恐怖の心であるのか。彼れの愛する「心」も此の問題に就いて最早や明確なる答を与へる事が出来なかつた。彼れの心は彼に叛いた。彼は学問を疑ひ智識を疑ひ自己の心を疑つた。而して此の「超人」は遂に常人の前にひざまついて「我は真に狂人なりや否や」に就いて明確なる返答を与へん事を懇願した。
 露西亜の多くの批評家は、ヴイクトル・ユゴーが『悪の花』の作者の上に加へた言葉を其儘にアンドレイエフに適用して、彼を、『新しき身震ひを作り出す』作者であると称した。
 新しき身震ひ——然り我等は時としてコンベンシヨナルな日常生活の間にあつて突然恐ろしき身震ひを感じて、物凄い気分に襲はれる事がある。小鳥の囀り、木の葉の囁き、子供の歌謡、女の微笑、斯かる極めて平凡な事実が、文明に疲れた我等の心に突然異様な響を伝へて、我等の肉を震はせ、我等の血を凍らせる事が屡々ある。何故に我等は斯かる異様な恐怖を感ずるのであらう。是れ或は人生永久の秘密が此処に宿つて居るのではなからうか。将た又極端な形式的生活に悩まされた人間の精神が、何かの機会に乗じて自由な径路を求めんとして狂的発作を現はすのではあるまいか。
 兎にも角にもアンドレイエフの作品は現代人の暗黒なる一面を物語つて、其の不可思議なる心的傾向に就いて我等に暗示する所が少なくないのである。
(「近代思想」大正2年1月号)


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 08:46:33