山田孝雄
昭和十三年九月二十五日
昭和二十六年六月二十日再版


  序
 五十音圖といへば尋常小學校の一年生もよくこれを知つてゐる。しかしながら、この五十音圖といふものが如何にして生じたか、若くは如何なる歴史のあるものだかと問うたならば、これに答ヘうる人はあまり多くは無いであちう。現に私は近頃或る大學の國史の教授の發表した論文のなかに五十音圖は契沖がこしらへたもののやうに説いてゐるのを見て驚いたことであつた。かやうな事は私共から見れば、決してあるべからざる事柄である。しかしながらそれが事實であつて見れば、私共はわが國語の爲に泣いても〳〵泣き足らぬ悲みを感ずるものである。實に現代の人は一般人といはず學者といはず、國語を輕んずることが著しいが、そのうちにも國語の歴史を輕んずること最も甚しい。私はこの五十音圖のこと位は國民的常識としてすべてが知つてゐなければならぬことゝ思ふのであるが、實際は上述のやうな有様である。それ故に、この五十音圖が國語學の歴史の上に如何なる位置を占めてゐるものであるか、又國語の上にこの五十音圖が如何なるわざをしてゐるかなどいふことは專門の國語學者の中にさへも顧みない人が無いとは云はれない實情にある。こゝに、この圖の歴史を國民の常識として普及せしめたいといふ念願に基づいてこの小著を世に送る。今、この小著を世に送るについて、先覺の賜の少く無いことを明記して深い感謝の念を捧ぐる。
 昭和十二年十二月一日        山田孝雄

   凡例
一、本書はこの智識の普及を目的とするものなれば内容も文章もこれに準ずる所あり。
一、本書はなるべく音圖を多く示したるが、多くは自家架中の書又は冩眞等によれり。かくて大矢透氏の著書等より復寫せるも少からず、又芝葛盛は從來知るを得ざりし五韻次第の原本を示され、本書はじめてその眞相を知り得たり、これらいづれも深き感謝を捧ぐるものなり


五十音図の歴史 山田孝雄
序説


 今、五十音圖の事を説かうとするのであるが、或はかやうな事は極めて低級の事で學者の説くべき事で無いとか、或は自明の事では無いかといふやうに私のこの企を最初から笑はうとする人が有るかも知れない。しかし私はさやうな譏を招いても少しも顧みる事なくこの事を進めて行くであらう。試みに、上のやうに論ずる人が有るとすれば、私はその人に一體五十音圖の如何なる點が、低級なのであるか、又どうしてこれが自明の事であるかといふことを反問するであらう。まことにかやうな論を爲す人こそ低級な人々といはねばならぬ。又今、ここに假りにこの五十音圖が古來から在つたといふ人が有るとすれば、私はその人にこの五十音圖が、その古代のいつ頃から有つたといふことを證據立てることが出來るか、又その古代から今日まで、五十音圖といふものに變遷といふものが無かつたのかと問ふであらう。その時にその人ば如荷に答へるであらうか。かやうな人は五十音圖が如何なる變遷を経て今日のやうになつたものやら、又はじめから五十音圖といふ名目があつたものやら、恐らくは五里霧中であらう。思つてみれば、五十音圖といふ名目さへが、古くは無いのである。況んや今日われわれがかやうな正しい五十音圖を傳へてゐるやうになつたのは本居宣長の學問研究のおかげだなどといふことは日常五十音圖をこどもに教へてゐる先生がたのなかにも御存じない方があるかも知れないと思ふ。それ故にさやうな論は私は一切問題にしないで進まねはならぬ。
 さてこの五十音圖について今の國語學者の中には學術上否認するといふやうな傾向が無いとはいはれない様である。一體かやうな事は學者として輕々しく口外すべき事ではあるまいと思ふが、それも、どれ程の學術的根據のあつての事であらうか。今、さやうな沙中偶語に似た紛々たる意見はさておいて今の國語學は實にこの五十音圖を以て説明の根據としてゐることは明白である。ことに、用言の活用の上に於いてはこれに基づいての説明なり名目なりが行はれてゐることは著しい事實である。これは決してたゞ現在の國語學がさうだといふに止まらないものである。現在の國語學がかやうになつてゐるのはこれは歴史の結果であつて過去の永い間の歴史の結果ここに至らしめたものであることは疑ひが無い。それ故にこの五十音圖といふものは苟も國語學を學ばむものにとつては、基礎的知識として必要缺くべからざるものである。若しこの五十音圖を一方に於いて無視してゐながら、一方に於いて四段活用とか下二段活用とかいひ、又加行四段とか奈行變格とかいふ語を用ゐるものがあるならば、私共はその人の矛盾を寧ろ滑稽に感ずるであらう。初等教育に於いてこの五十音圖を縦横自在に暗記せしめることは不知不識の間にわが國語の聲音組織の合理的なることと國語法則の根抵的知識とを體認せしめることになるのである。それ故に、初等教育に於いては今更事新しくこの五十音圖の功能を説明するに及ばない。ただこれを反復して習熟せしめておけばそれでよいのである。わが國語の法格の認識は音聲の方面も語格の方面もこの五十音圖の知識を應用した事から出發したことは著しい事で、國語學史の一半はこの五十音圖の裏附が無くては理解出來ないものとなることは明白な事柄である。苟も之の五十音圖を軽視するが如きことでは國語學も初等教育もその行はるべき所以を知らないのである。
 さてその五十音圖は如何なるものをさすかといふにこれには歴史的の變遷がある。それの歴史を説くのが本書の目的であるから、それらの歴史は次に譲ることとして現在に於いての五十音圖は如何なるものであるかといふに、私は大槻文彦博士の廣日本文典の説明をかりて來ることにする。曰はく
 片假名ヲ左ニ五十音圖(ゴジフオンヅ)ニテ記ス。
    阿ノ段 伊ノ段 宇ノ段 衣ノ段 於ノ段
 阿行 ア   イ   ウ   エ   オ
 加行 カ   キ   ク   ケ   コ
 佐行 サ   シ   ス   セ   ソ
 多行 タ   チ   ツ   テ   ト
 奈行 ナ   ニ   ヌ   ネ子  ノ
 波行 ハ   ヒ   フ   ヘ   ホ
 末行 マ   ミ   ム   メ   モ
 也行 ヤ   イ   ユ   エ   ヨ
 良行 ラ   リ   ル   レ   ロ
 和行 ワ   ヰ   ウ   ヱ   ヲ
かくして、それについて説テ明して曰はく、
  五十音圖ハ音ノ種類ニ從ヒテ假名ヲ経緯(タテヨコ)ニ連ネタル圖ニテ即チ發聲ノ同ジキモノヲ同行トシ、韻ノ同ジキモノヲ同段トシタリ。而シテ其ノ音ノ數五十アレバ五十音圖トイフ。此ノ圖ハ語學上ニテ音ノ種類用法及ビ動詞ノ語尾(ゴビ)活用(クワツヨウ)等ヲ覺ユルニ甚ダ用アル!モノナレパ同行ト同段トノ音ヲ縦横自在ニ暗誦シ置クベシ。
この五十音圖即ち、今も行はるゝ所のものである。
 この五十音圖については古來學者の見解が種々ある。或は神代以來存して神授のものであるといひ或は僧徒の間に生じて、悉曇章より摘出したものであるといふ。その甚しいものは元祿頃の僧契沖の創作であるなどといふ。而してその五十音圖の形式についても、學者でない人は古來かくの如きものであると盲信するものもあるが、それは古來の圖を集めて見ると、行の順序もいろいろであり、段の順序もまたさまざまであつたことが知られるのみならず、その名目もいろいろあつたので、五十音圖といふ今日用ゐる名目は新しいものである。凡そこれらの事はみな國民として又常識として一般に知つてゐてよい筈である。本書は以上の事實を一般に知らせようとする所に目的が存するのである。
 次にこの五十音圖そのものの歴史的の研究をした人はこれまでに少くないといふことを讀者に告げておく必要がある。そのうちでも最近では文學博士大矢透氏の音圖及手習詞歌考といふ著を最もすぐれたものとする。この書の名の音圖といふのは五十音圖のことであつて、これの研究はこの著の第一章にあるものであるが、この附録の五十音圖證本は三十五種の圖をあげたものであつてかく多く集め得た點に於いて空前のものといふべきである。今、私のこの著も大矢氏の著に負ふ所が少く無いのである。けれどもその見解の上には必ずしも一致しない所があるし、又大矢氏のは音圖そのものをあげるのを主としてこれが歴史的變遷を説くことが主眼で無かつたやうであるから、私のこの著とは目的を一にしない。さてこの大矢氏のその著の先縦を爲したものは文學博士佐藤誠實で、氏は之を明治二十五年八月の大八洲雑誌に發表したのである。その前には榊原芳野が明治十一年の文藝類纂の字志上に五十音圖諸體として少しく述ぶる所あるを見る。更に遡れば、平田篤胤の古史本辭経に於いて之を論ずるを見る。今、私はこれらの諸先肇の述べておいたものに基づき、多少、自分の見聞したものをも加へて論述してみようといふのである。

音図の起源に関する諸説
音通説の基礎としての音図の存在
音図存在字記の遡源的研究
初期の正しい音図
音図成立の推定
中期錯乱の音図
音図に錯乱の生じた事情及びその影響
正しい音図の復古
音図の名目及び認識の変遷
結論
索引


〇序説
大槻文彦「廣日本文典」

〇音図の起源に関する諸説
橘守部「五十音小説」
川北丹霊「伊豆母廼美多麻」
平田篤胤「古史本辞経」
賀茂真渕「語意考」
村田春海「五十音辨誤」
明魏「倭片仮名反切義解」
吉田令世「声文私言」
新井白石「東音譜」
契沖「和字正濫抄」
浄厳「悉曇三密鈔」
文雄「和字大観鈔」

〇音通説の基礎としての音図の存在
藤原範兼「和歌童蒙抄」
藤原清輔「奥儀抄」
藤原教長「古今集注」
顕照「古今集注」「袖中抄」
明覚「反音作法」「悉曇要訣」

〇音図存在時期の遡源的研究
篤胤「古史本辞経」
佐藤誠実
大矢透
「五韻次第」
読経口伝明鏡集
孔雀経音義
篤胤

〇初期の正しい音図

〇音図成立の推定

〇中期錯乱の音図

〇音図に錯乱の生じた事情及びその影響

〇正しい音図の復古

〇音図の名目及び認識の変遷
本居宣長「漢字三音考」

〇結論

http://www.box.com/s/m0hvixtlyr543hzum7gi
http://books.google.com/books?id=nY5M33sWyEgC


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 01:17:58