岡島昭浩「近世唐音の 清濁」(『訓点語と訓点資料』八八 平四・三)
http://hdl.handle.net/11094/51023


 [一]

 日本語に清濁があり、中国語にも清濁がある。「清濁」の概念は中国から日本に入ったと考えられるが、日本漢字音の清濁は韻書から想定される中国の漢字音の清濁とは全く一致する訳ではない。韻鏡など、等韻学にいう清音次清音は呉音で清音、濁音は呉音で濁音、というのが一般的な対応であるが、例外が存する。漢音に関しては、韻鏡にいう清音次清音濁音が清音で、次濁音が濁音で現れるというのが一般的なのだが、これも例外が存する。この齟齬については、岡本勲氏 (注1)や高松政雄氏(注2)によって研究されている。
 近世唐音についても齟齬が有ることは同様であるが、近世唐音といっても清濁の有り方は一様ではない。『三音正譌』にも記され(注3)、有坂秀世氏も指摘するように(注4)、大きく分けて、濁音を持つ杭州音(浙江音・俗音)と、濁音が清音となる官音(南京音)になる(注5)。いわば、濁声母を持たぬ官話が漢音の様な存在で、濁声母を持つ杭州音が呉音の様な存在である(注6)と言えよう(以下、「清濁の区別がある・ない」という場合は、中国原音に於て、「濁声母が清声母に合流してしまっていない・いる」ということを意味する)。ただ、漢音に於ては次濁音の非鼻音化により、泥母明母がダ行バ行で表われることが有るが、近世唐音の官音にはそれが無い。つまり、近世唐音の官音で、濁音として書き表されることになるのは、非鼻音で定着した日母と、日本語が対応する鼻音を持たぬ為に呉音に於てもガ行で写されていた疑母だけ、というのが原則である。一方、杭州音は、奉母匣母がアヤワ行で表われるのを除く全濁声母が濁音で表記され、他に呉音とは違って日母がザ行で写されるのが原則である。つまり濁点の付されていない資料でも、匣母奉母がアヤワ行音で表わされていれば杭州音系の資料とみなすことが出来るわけである。
 有坂氏も、杭州音の資料と、官音の資料を分けて示しておられるが、今、有坂氏の示したものに加えて、近世唐音資料を分類してみると次の様になろう。
  《清濁の区別ある資料(俗語~浙江音系)》
心越所傳の唐音・四書唐音辨の浙江音・唐音和解・唐話纂要・唐詩選唐音・南山俗語考・忠義水滸傳解・游焉社常談・佛遺教經・兩國譯通・磨光韻鏡、三音正譌の杭州音・正字類音集覽・魏氏樂譜・華學圏套・靜嘉堂文庫本日本館譯語に付された唐音・八僊卓燕式記・唐人問書・唐話為文箋・崎港聞見録・俗語解
  《清濁の区別のない資料(官話系)》
唐譯便覽・唐音雅俗語類・唐語便用・唐音學庸・唐音三體詩譯讀・新鐫詩牌譜・四書唐音辨の南京音・多くの黄檗資料・磨光韻鏡、三音正譌の官音・關帝眞經・唐音世語・麁幼略記の南京音
 問題となるのは、清濁の区別のない資料では、日母・疑母以外で濁点の有るものであろうし、清濁の区別ある資料では、清声母なのに濁点の有るものと、濁声母なのに濁点のないものであるが、後者は濁点の非積極性、並に中国語の濁音の聞えの弱さ(注7)から問題としがたい。但し、資料によっては、かなり積極的に濁点を打っていると見られるものも有るようである。こういった資料で濁声母に濁点の打たれていない文字に関しては機会を改めて考察したい。

 [二]

 清濁の区別のない資料の中で、疑母日母以外で濁点の付された文字を拾うと、以下の如くで有る。廣韻系の韻書に見える声母毎にまとめたが、複数の音を持つ文字の場合は、濁声母の方を優先して一方に記し、括弧内に別の声母を記した。尚、歯音の二等三等の区別は、「牀母/牀3母」のように記した。

『禪林課誦』(注8)
  《清声母》 【幇母】 遍ベン

重版『禪林課誦』(注9)
 【禅母】 上ジヤン 【定母】 代ダイ
  《清声母》
 【幇母】 遍ベン  【非母】 返バン
 【見母】 均ギン  【心母】 先ゼン
 【精母】 尊ヅヲン 【影母】 恩ゲン

『黄檗清規』(注10)
 【定母】 道ダ-ウ頭デ-ウ 【澄母】 丈ヂヤン
  《清声母》
 【曉母】 壑ゴツ

貝葉書店版『金剛般若波羅蜜経』(注11)
 【定母】 道ダウ   【澄母】 塵ヂン
 【従母】 淨靜盡ヂン 【禅母】 受壽ジウ甚ジム上ジヤン
 【牀3母】乘ヂン

古版『金剛般若波羅蜜経』(長崎崇福寺蔵)疑母日母以外の濁点なし

黄檗版『観音経』(注12)
 【並母】 婆ボ 【邪母】 尋ヂン・ジン 【従母】 淨ヂン

貝葉書店版『観音経』(奥村三雄氏蔵)疑母日母以外の濁点なし

『三千佛名經』(注13)
 【禅母】 上ジヤン

『慈悲水懺法』(注14)
 【奉母】 復ブ佛ブ。 【群母】 掲(渓母見母)ゲ
 【禅母】 上ジヤン
  《清声母》
 【幇母】 邊ベン 【見母】 劫ゲ 【影母】 恩ゲン

『仏説梵網経』(注15)
 【禅母】 尚ジヤン

『關帝眞經』(注16)
 【禅母】 成ヂン

朝岡春睡『四書唐音辨』(注17)の南京音
 【並母】 弁バアン盆ベエン(下) 【定母】 待ダイ(上)
 【従母】 罪ヅイ聚ヅユイ(上)訊ジン絮(徹母泥母)ジユイ(下)
 【邪母】 循(上)殉ジユン巡ジユン:ヅイン庠ジヤン頌ヅヲン
      屬(照母)ジヨツ(下)
 【牀3母】順ジユン食ジツ:ズウ(上)晨(禅母)ジン(下)
 【禅母】 殖ヂツ善ゼン孰ジヨツ(上)熟ジヨツ醇ジユン(下)
  《清声母》
 【見母】 稽(溪母)ギイ(下) 【滂母】 沛(幇母)ボイ(下)

岡島冠山付音か『新鐫詩牌譜』(注18)
 【定母】 獨ドツ

岡島冠山『唐音三體詩』(注19)
 【禅母】 上ジヤン是ズウ樹ジユイ 【従母】 自ズウ
 【牀3母】神ジン 【定母】 弾ダン 【群母】 及ギツ

岡島冠山『唐音學庸』(注20)
 【邪母】 循ジユン(学) 【牀3母】神ジン順ジユン(庸)
 【禅母】 盛慎ジン(庸)
  《清声母》 【幇母】 保バ-ウ(学)

岡島冠山『唐音雅俗語類』(注21)
 【禅母】 孰熟ジヨツ是ズウ 【牀3母】實食ジツ
  《清声母》
 【幇母】 悲ボイ 【心母】 絮(徹母泥母)ジユイ

『唐音世語』(注22)
 【並母】 瓶ビン盤バン  【禅母】 上ジヤン是ズ
 【従母】 在ザイ曽ヂエン 【非母】 不ブ坂バン
 【明母】 墨ベ抹バ蜜ビ木ボ・モ描ビヤ-ウ
 【微母】 舞ブ
 【泥母】 納ダ
  《清声母》
 【見母】 堅ゲン各ゴ 【心母】 孫ゾン(ソ゜ン)
 【喩母】 喩ジイ
  《次清声母》 【透母】 他ダ

 全体的にザ行やヂヅといった表記のものが多いようである。これには本来、日母でないもの歯音等が、方音によっては日母に変化しているものが有るようであるが、このことの反映もあるのではないかと思われる。『漢語方音字匯』によると、例えば厦門では、精母の「子蹟迹」従母の「字」邪母の「祥」莊母の「找爪」照母の「遮」が日母と同じ[dz]などの発音になっていて、潮州では、邪母の「寺」、従母の「字」、莊母の「爪」が日母と同じ[z]などの発音になっている。
 ザ行が多そうなのは、日本語側の責任であるかもしれない。濁音の前の鼻音性が、ザバダガ行の順に失われてゆき、ザ行は比較的早い時期に鼻音性を失っていたことと関係するのかもしれない。あるいは、それとは別に、摩擦音の聞え方の問題や、単に歯音や舌上音が多い(サ行などでよまれる字が多い)だけということもあるかもしれず、なお考えねばならないところである。
 さて、見渓群母が、疑母と同じ音になるということもあるようで、『漢語方音字匯』の厦門では、見母の「夾箇〓」が[g]音に成っている。
 厦門は羅常培『厦門音系』によれば、清濁の区別を失った方言と言ってよく、中古の濁音は、無声無気音や無声有気音となって現れるのが普通である。一方、次濁音は鼻音のまま留るものと、非鼻音化して有声音(非鼻音)に成るものとが有る。このことによって厦門音は、中古漢語と同様、無声無気・無声有気・有声非鼻音・有声鼻音、の対立を持っている訳であるが、その所属は中古漢語とは全く異なるのである。岡本勲氏は、厦門では見母の九四%が濁音gで現れる、としているが、羅常培『厦門音系』の表記法では、有声音[g]の表記はggであって、gは無声無気音の[k]を現している。厦門で有声音[g]に成っている字の殆どは疑母の字である。その中で、見母の「夾箇」、溪母の「迄〓」がggになり、見母の「夾激」がngになっている。
 これらの事と、日母・疑母以外にも濁点の付されることとは関連が有りそうであるが、舌音など、疑母・日母とは無縁であるような字にも濁点が付けられていることが有る。
 これには清濁の区別を有する他方言の混入の可能性もあろう。濁点の付されるのは、やや濁声母が多いようである。
 なお、中国原音では清濁の区別があっても、上述の濁音の聞えの弱さ(注7)によって、日本人の耳には清濁の区別がないように聞え、そのように書取られた資料もあるかもしれない。しかし、「一つでも濁声母に濁点が打ってあれば、それは清濁の区別を有する方音を反映したものであり、他の濁点の打たれていない濁音字は日本人の耳には濁音とは聞えなかったのだ」と断じてはならない。それは、全濁声母で日母・疑母に転じてしまったものがあることによっても思い至るであろう。
 次に、いわゆる連濁・新濁で濁音化した可能性も考えられる。が、『四書唐音辨』のような単字の音表記は別として、どの資料も字音の連濁の条件となる前接字の鼻音韻尾とは無関係に濁音表記があるようである。ただ、ポリワーノフも指摘しているように(注23)、普通話など現代中国北方語の無声無気音は有声音に聞えることも有る。これは無声無気音が、音韻的に対立する有声無気音を持たないことによって起ることであろうが、朝鮮語のような母音間の無声子音が有声化する現象に類似した現象が、起きていた可能性は有る。いずれにせよ、前接字の鼻音韻尾による連濁の可能性は弱いと思われる。
 なお、唐音資料内部において二つ以上の資料で濁点付きで表記されているものを見ると次の如くである。
  「上」重版『禪林課誦』貝葉版『金剛経』『三千佛名經』
     『慈悲水懺法』『唐音三體詩』『唐音世語』
  「是」『唐音三體詩』『唐音雅俗語類』『唐音世語』
  「孰熟絮食」『唐音雅俗語類』『四書唐音辨』
  「循順」『唐音学庸』『四書唐音辨』
  「神」『唐音学庸』『唐音三體詩』
  「恩」重版『禅林課誦』『慈悲水懺法』
  「淨」黄檗版『観音経』貝葉版『金剛経』
  「道」貝葉版『金剛経』『黄檗清規』
「絮」などは、「如」等に類推して日母と同じ読みをしていたということは充分にあり得ることであるが、「上」が複数の資料に於て濁点付きで出現し、『三千仏名経』などは、日母・疑母以外の濁点付き文字はこれだけだというのに、この文字は出現の度に、殆ど必ず濁点が打たれている。現在の方音資料では見出せないものであるが、近世唐音の原音においては、日母のような発音であった可能性が高いのではないかと思わせるものである。
 なお、『唐音世語』には、明母泥母の濁音表記が有るが、明母や泥母の鼻音声母は〓語などでは非鼻音化しており、先に挙げた厦門語などでも非鼻音化が一部の字に起っていて、それらの音を反映しているのではないかと考えられる。この『唐音世語』は『唐話辞書類集』に所収されていることもあってか、訳官系唐音を記した書であると思われがちであるが、他の『唐話辞書類集』所収の書等とは随分異なった音を示している。黄檗系唐音に近い要素も有るが、このような明母泥母の表われ方は、黄檗系の唐音にも見られないものである。

 [三]

 清濁の区別のある資料から、疑母日母、全濁声母を除いて、濁点の付された文字を拾うと次の如くである。

『唐詩選唐音』(注24)
  《清声母》
 【非母】 不ボ 【幇母】 碧ビ本鞭邊ベン鬢兵ビン博ボ布ブウ
 【端母】 低デイ 【知母】 晝ジ駐ヂイヽ
 【見母】 掛グワア激ギ寄ギイ箕ギイヽ驕ギヤウ軍ギイン・ギン
      規ズウ(ママ)
 【審2母】雙ジヤン 【審母】 聲ジン濕ジ
 【心母】 思ズウ襄ジヤン新ズイン
 【精母】 霽ヅイ増奏ヅエン
  《次清声母》
 【滂母】 偏ベン 【溪母】 窺グイ欺ギイ
 【透母】 聽デン 【清母】 竄ヅアン
  《他》 【明母】 陌ベツ 【影母】 恩ゲン

岡島冠山『唐話纂要』(注25)
  《清声母》 【曉母】 忽ボ
  《次清声母》【清母】 竊ヅヱ簇ヅヲ

逍遥軒序『唐音和解』(注26)
  《清声母》【知母】 置ヂ 【心母】 戌ジツ
  《他》  【匣母】 鶴ゴ

『魏氏楽譜』(注27)
  《清声母》【端母】 朶ドウ 【心母】 線ヅエン

『八僊卓燕式記』(注28)
  《清声母》 【精母】 醤ヅヤン 【照母】 汁ヂツ煮ヅウ
  《他》   【明母】 拇ボ

『唐人問書』(注29)
  《清声母》 【端母】 蹄デ 【知母】 猪ヂイ

『游焉社常談』(注30)
  《清声母》
 【幇母】 本ベン筆ビ臂跛ビイ般ボアン博ボ鼈ベ
 【端母】 賭ドウ鍛ダン 【見母】 嬌轎ギヤウ
 【精母】 簇ヅヲ糟ヅアウ 【心母】 粟ゾ算ゾアン線ヅエン
 【審母】 手ジウ 【喩母】 蜒デイン
  《次清声母》
 【滂母】 披ビイ嫖ビヤウ
 【透母】 唾ドヲ胎ダイ帖デ剃梯デイ吐ドウ
 【徹母】 黐(来母)ズウ
 【渓母】 框筐グワン齲ギユイ 【清母】 囃ザ
  《他》 【泥母】撚ジヨエン 【匣母】 環グワン

『佛遺教經』(注31)
  《清声母》
 【見母】 愧グイ〓グハイ 【照母】 終ヂヨン
 【精母】 縱ヅヲン進ヂン 【心母】 喪ザン
 【審母】 恕ジ手獣ジウ
  《次清声母》
 【滂母】 譬ビ 【透母】 土ド 【渓母】 鎧ガイ
 【穿母】 觸ヂヨ始(審母)ヅヲ

『忠義水滸傳解』(注32)
  《清声母》
 【幇母】 半バン兵ビン 【非母】 不ボ甫ブウ
 【見母】 跟ゲン・ギン脚ギヤ救ギウ基倶ギイ軍ギン轎嬌ギヤウ
 【精母】 挫ヅヲヽ哉ヅアイ縦ヅヲン箭ゼン卒ヅヲ
 【照3母】汁ジ詔ジヤウ嘱ヂヨ震ジン 【照2母】斬ヅアン
 【審母】 舎ゼエ深ジン
 【心母】 訊ヂン想ジヤン絮ジイ粟ゾ
  《次清声母》
 【滂母】 溌バ 【透母】 呑ドユウ廳デリン
 【渓母】 欺ギイ【清母】 痊ヅエン
  《他》 【影母】 俺ガアン

『四書唐音弁』浙江音にのみ濁点のあるもの(南京音:浙江音)
  《清声母》
 【幇母】 謗パン:バン 【見母】 禁キン:ギン愧クイ:グイ
 【精母】 栽サ゜イ:ヅアイ滋ツウ:ヅウ憎ツエン:ヅエン
 【照2母】斬サ゜ン:ザン 【照3母】 指チイ:ヅウ
 【心母】 荀シユン:ヅイン
  《次清声母》
 【徹母】 逞チン:ヂン 【清母】 竊ツエツ:ヅエツ

 紙幅の関係で具体的には例示しないが、『唐詩選唐音』などで見る限り、前接字には鼻音韻尾を持つものが多い訳ではなく、連濁の可能性は弱い。
 清声母なのに濁点の有るものは、類推に拠る誤読(いわゆる百姓読み)の可能性がまず考えられる。その他に、切韻系韻書では清声母でも、当時の原音では濁音であった可能性もある。例えば、「愧」は『四書唐音辨』で南京クイ浙江グイ、『仏遺教経』でも、グイとなっているが、『漢語方音字匯』でも愧は蘇州で有声音である。他に、『漢語方音字匯』で清声母が有声音で表われるのは、
爆(幇母) 蘇州・温州
蔽(幇母) 蘇州・双峯
    魁(溪母) 蘇州(白話)
桶(透母) 蘇州・温州
掏(透母) 双峯
堤(端母) 蘇州・温州・双峯
站(知母) 蘇州・温州
徹(徹母) 温州
〓(見母) 蘇州・双峯   〔手高〕
〓(見母) 双峯      〔辷狂〕
〓(審2母)双峯      〔手全〕
等が有るが、唐音資料の濁点と一致するものは無い。なお、鄭錦全・王士元両氏(注33)は、透母の「踏」(蘇州・温州)をも挙げるが、「踏」には透母の他に、定母の音がある。
 岡本勲氏もカールグレンの『中国音韻学研究』を引用して示しているように、温州語において、端母がdに聞えることが有るという。温州語は清濁の区別を有する方言であるが、西洋人の耳に有声音に聞えることがあるとすれば、日本人の耳に濁音に聞えることもありそうである。
 唐音資料内部において二つ以上の資料で清声母が濁点付きで表記されているものを見ると次の如くである。
  「竊」『唐話纂要』『四書唐音辨』
  「斬訊」『四書唐音弁』『忠義水滸伝解』
  「不」『唐音世語』『唐詩選唐音』『忠義水滸伝解』
  「絮」『四書唐音辨』『忠義水滸伝』『唐音雅俗語類』
  「兵欺軍」『忠義水滸伝解』『唐詩選唐音』
  「汁」『忠義水滸伝解』『八仙卓燕式記』
  「縦」『忠義水滸伝解』『仏遺教経』
  「轎嬌粟」『游焉社常談』『忠義水滸伝解』
  「手」『游焉社常談』『仏遺教経』
  「線」『游焉社常談』『魏氏楽譜』
  「簇」『游焉社常談』『唐話纂要』
  「博」『游焉社常談』『唐詩選唐音』
これらは、中国原音を反映しているとも考えられるが、書承の可能性もある。例えば、『四書唐音辨』で日母・疑母で南京音に濁点の無いものがある。
 【日母】 柔シウ:ジウ攘讓シヤン:ジヤン濡孺シユイ:ジユイ
      戎シヨン:ジヨン冉セン:ゼン
 【疑母】 危クイ:グイ
これは、他資料とは違って、「濁点の非積極性」ということでは解決できない。浙江音は南京音と違う音形の場合のみ記されるが、浙江音と清濁のみの違いが書かれるというのは、積極的に南京音では濁音でないことを示していることになるからである。南京音に於て疑母・日母が[k][s]等の無声音で表われるとは考え難いように思われる。
ただこれは、著者朝岡春睡が自分自身で唐音を知っていて付音したと考えた場合の話である。もし、既存の資料をもとに付音したとなれば、話は別である。
 『四書唐音辨』は、上巻 大学・中庸、下巻 論語・孟子それぞれ(巻毎)に、出現字を画数順に並べて、唐音を付す。南京音を付けるには、上巻は岡島冠山の『唐音学庸』のようなものがあればよい。下巻も、冠山著で未刊の『唐音論孟』(広告のみ、存否不明)を春睡が見得る立場に有れば、春睡は南京音を知らずとも、『四書唐音辨』に南京音を付けることが出来たわけである。さて、冠山の付けた『四書唐音辨』の南京音と『唐音学庸』の唐音はよく似ているが、同じではないものもある(例えば「可」四コウ唐コヲ)。ところが、『唐音学庸』では「柔」はすべてシウで濁点はなく、他の字も「危」クイ「戎」シヨン「譲」シヤン、とここに見える字で学庸にある字については、濁点が打たれた例がない。つまり、『唐音学庸』を並べかえて、『四書唐音辨』上巻の南京音部分を作ったと考えると、日母・疑母が濁点無しで表れることが説明できるわけである。清濁を書き分けるべき『四書唐音辨』が、日母・疑母に濁点を打たなかったのは、濁点が非積極的であることも許されやすい資料である『唐音学庸』のような資料から受け継いだと考える方が理解しやすいわけである。
 ところが実は、『唐音学庸』の刊行は『四書唐音辨』よりも遅い。しかも、『四書唐音辨』が書かれた享保五年時点ではまだ冠山の著作で唐音を付したものは、俗音系の『唐話纂要』しか刊行されていない。しかし唐音で四書を読むことは、徂徠学派の間などで、行なわれていたことであろうから、『唐音学庸』のような資料が『四書唐音辨』より以前に存在していた可能性は充分にある。そして、冠山の弟子である朝岡春睡の見たものが、後年刊行されることになる『唐音学庸』と酷似した資料であったことは充分に有り得る。唐音資料に見える表記から、中国語や日本語の音韻の問題に行くには、この辺を確認せねばならず、難しさが残る。

[四]おわりに

 近世唐音に於ける濁声母等の状況と、現代中国に於ける方音の状況とを照し合わせ、中国の当時の方音の状況を考えねばならないのは勿論だが、資料自身の成立状況についても、なお考察せねばなるまいことも事実である。

(注1) 岡本勲「日本漢字音に於ける頭子音の清濁(上)・(下)―韻鏡清の字にして日本字音濁となるものに就て―」国語国文三七―一二・三八―一。後『日本漢字音の比較音韻史的研究』(桜楓社)第三章第二節。また同書第一章第二節の六も参照。
(注2) 高松政雄「「呉音」の清濁」国語国文四五―一一。後『日本漢字音の研究』第二章(四)。同「「正音」の清濁」国語国文四六―一一、後に同書第一章(三)。同「「漢音」の清濁」国語国文五六―一
(注3) 九州大学附属図書館蔵本に拠る。二巻二冊。刊記「寳暦二壬申黄鐘良辰 平安書肆 寺町通御池上ル町 柳田三郎兵衛壽梓」
(注4) 有坂秀世「江戸時代中頃に於けるハの頭音について」国語と国文学一五―一〇『国語音韻史の研究』所収
(注5) 森博達「近世唐音と『東音譜』」国語学第一六六集参照。
(注6) 高松政雄「近世的唐音の音体系―江南浙北音としての―」国語国文五四―七。同「近世唐音弁―南京音と浙江音―」岐阜大学国語国文学一七号
(注7) 有坂論文の注二二に「現代支那方言の濁音の性質については、趙元任氏「現代呉語的研究」二七―二八頁に詳しく記述してある通りである。之をごく大ざつぱに言へば、語頭に於ては、聲門状態は日本語の濁音の場合のやうな完全な有聲状態ではなく、所謂有聲hに等しい状態に在る。(中略)語頭のvzは殆どfsと區別しにくい位であるが、語中に於ては前者は明瞭な有聲音となり後者は無聲音のまゝ殘るからはつきりと聞き分けられる。(中略)而して語頭に於て殆ど無聲のやうに聞えるvzでも、よく注意して聽けば、やはり完全な無聲ではなく、咽喉のごろごろ鳴つてゐることが認められるのである。」とある。
(注8) 刊記「寛文二年壬寅林鐘吉旦 二條通鶴尾町田原仁左衛門刻」 九州大学文学部蔵。黄檗唐音の資料に関しては拙稿「近世唐音の重層性」語文研究六三号参照。資料全般に関して、有坂論文や石崎又造『近世日本に於ける支那俗語文学史』を参照。
(注9) 刊記「二条通鶴屋町田原氏仁左衛門重刻」 九州大学附属図書館石崎文庫蔵。「遍」以外の濁点字は、全て寛文二年版にはない本文の箇所である。
(注10) 寛文版。金子眞也「『黄檗清規』中の唐音について―声母を中心に―」龍谷紀要一二―一による
(注11) 奥村三雄氏蔵。本書は刊行は新しいようだが、記されている音は、唇内韻尾のム表記等、天和版観音経と同じ様相を示すものであることは、前掲拙稿に記しておいた。
(注12) 天和三年刊。奥村三雄氏影印・論文による。奥村三雄「天和三年黄檗版観音経―近世初期の表記・音韻史料として―」(『近代語研究』第三集)に影印・同「日本漢字音の体系」(訓点語と訓点資料六号)に黄檗版観音経と貝葉書店版観音経の字音表・同「近世音韻史料としての黄檗唐音」(岐阜大学学芸学部研究報告(人文科学)五号)に二種観音経と唐話纂要巻六の字音表が載る。
(注13) 無刊記。九州大学文学部蔵。
(注14) 延宝七年刊。九州大学文学部蔵。(上巻のみ調査)
(注15) 長崎崇福寺蔵。刊記「元禄三龍次庚午歳九月日 邑上第五橋邊書肆林五郎兵衛壽梓」
(注16) 九州大学附属図書館石崎文庫蔵。『關帝眞經』『譯語關帝眞經』の二帖。享保三年刊。刊記「享保歳次戊戌孟冬崎陽弟子兪直俊薫沐敬刋」。秋月観暎・藁科勝之「『関夫子経』とその唐音の性格」(弘前大学文経論叢二〇―三)は唐音一覧表を掲げるが、当論文及び宮田安『唐通事家系論攷』(長崎文献社) の影印、同『長崎崇福寺論攷』(長崎文献社)の一部影印によれば、長崎県立図書館蔵本では、兪直俊の名を含む刊記は『譯語關帝眞經』の方にしか見えないようであるが、九大本では『關帝眞經』の方にも同じ刊記が見える。なお、九大本は『關帝眞經』と『譯語關帝眞經』の題箋が逆になっている。
(注17) 京都大学附属図書館蔵。二巻一冊 享保五年自序。同六年岡島冠山序。刊記「享保七壬寅四月日 江戸通油町 板木屋甚四郎板元」。上巻は大学中庸の文字を、下巻は論語孟子に見え、大学中庸に見えない文字を画数順に並べ、唐音を付したものである。漢字の右側に南京音が記され、浙江音は南京音と違う音形の場合のみ左側に記される。但し、左側に音が記されるのは一字多音の場合も有る。なお、本稿では括弧内の「上下」は所属の巻を表わす。
(注18) 内閣文庫蔵本による。三巻三冊。享保五年岡島冠山・石井雲〓・細井廣澤序。同年重田秩山跋。享保十五年再印増補本。刊記「享保十五庚戌年正月吉日 日本橋南二町目 小川彦九郎」。二冊目巻末の「東都 書林 柳枝軒 小川彦九郎版 雕工 英玉齋 關口甚四郎刻」は、初版時の刊記の一部であろう。平声三百字、仄声三百字に唐音を付す。
(注19) 中野三敏氏蔵。内題『唐音三體詩譯讀』三巻三冊 刊記「享保十一丙午歳冬十一月 岡嶋冠山先生註音 書林 大坂安堂寺町五丁目 秋田屋市兵衛開版 彫師 嶝口太兵衛」
(注20) 中野三敏氏蔵。刊記「享保十二歳閏正月十二日 大坂南堀江三丁目 筒井屋善之助 同 浄覚町 村上屋清三郎 版行」。崎村弘文「岡島冠山の唐話学」(均社論叢一三)に字音表を載せる。
(注21) 享保十一年刊 『唐話辞書類集』第六集所収。巻三まで調査。
(注22) 『唐話辞書類集』第八集による。以下、『唐話辞書類集』等の公刊されたものによった資料は、ここでは刊記等は詳しく記さないこととする。
(注23) 村山七郎編訳『日本語研究』に「日本語における子音の諸カテゴリー」を所収するに際して、訳注として収録したポリワーノフ『言語学概論』の§27。
(注24) 崎水劉道音。安永六年刊。中野三敏氏蔵。矢野準「近世唐音のかな表記に関する一考察」(静岡女子大学国文研究第一一号)に『仏遺教経』『忠義水滸伝解』とともに字音表がある。
(注25) 享保三年再刊 『唐話辞書類集』第八集所収 林氏論文に拠る(巻六調査) 林武實「岡島冠山著『唐話纂要』の音系」『漢語史の諸問題』京都大学人文科学研究所
(注26) 享保元年刊。『唐話辞書類集』第八集所収。
(注27) 明和五年刊。九州大学附属図書館蔵本の刊記「明和五年戊子正月 書林 江戸日本橋一町目 須原屋茂兵衛 大坂心斎橋筋安堂寺町 大野木市兵衛 京都堀川通仏光寺下ル町 銭屋七郎兵衛」。中田喜勝「魏氏と「魏氏楽譜」―徳川時代の中国語」(長崎県立国際経済大学論集九―三・四)に現代中国語との対照表がある。
(注28) 宝暦十一年序刊。『唐話辞書類集』第八集所収。
(注29) 『唐話辞書類集』第四集所収。写本。
(注30) 石川金谷編。『唐話辞書類集』第一七集所収。明和七年刊。
(注31) 寛文二年原刻。九州大学文学部蔵。矢野氏論文による。
(注32) 陶山南涛。宝暦七年刊。『唐話辞書類集』第三集。矢野氏論文による。
(注33) Chin-Chuan Cheng and William S-Y. Wang "Phonological Change of Middle Chinese Initials"(鄭錦全・王士元「中古漢語聲母的演變」)清華学報新九―一・二


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Last-modified: 2022-08-07 (日) 23:43:57