川端康成

「加代がね、帰る二三日前だったかな。わたしが散歩に出る時、下駄をはこうとして、水虫かなと言うとね、加代が、おずれでございますね、と言ったもんだから、いいことを言うと、わたしはえらく感心したんだよ。その前の散歩の時の鼻緒ずれだがね、鼻緒ずれのずれに敬語のおをつけて、おずれと言った。気がきいて聞えて、感心したんだよ。ところが、今気がついてみると、緒ずれと言ったんだね。敬語のおじゃなくて、鼻緒のをなんだね。なにも感心することはありゃしない。加代のアクセントが変なんだ。アクセントにだまされたんだ。今ふっとそれに気がついた。」と信吾は話して、
「敬語の方のおずれを言ってみてくれないか。」
「おずれ。」
「鼻緒ずれの方は?」
「をずれ。」
「そう。やっぱりわたしの考えているのが正しい。加代のアクセントがまちがっている。」
 父は地方出だから、東京風のアクセントには自信がない。修一は東京育ちだ。
「おずれでございます、と敬語のおをつけて言ったと思ったから、やさしく、きれいに聞えてね。玄関へわたしを送り出して、そこに坐ってね。鼻緒のをだと、今気がついてみると、なあんだと言うわけだが、さてその女中の名が思い出せない。顔も服装もよく覚えていない。加代は半年も家にいただろう。」


 夏子の重く鈍く「はあ」と言う癖が、信吾はいやだった。夏子の田舎の訛りかもしれない。


トップ   編集 凍結 差分 履歴 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2023-07-09 (日) 11:29:19