年賀状の始(日置昌一『話の大事典』)


 はがきに謹賀新正とか恭賀新年などと書いて新年賀正の禮に代えて出すようになったのは明治十二年の頃からである。それが年を逐うて次第に盛んとなるに及び取扱上の混雑を防ぐため年賀郵便の特別扱の方法が開始されたのは、三十九年十二月からである。
 正月の四日になりて  石川啄木
 あの人の
 年に一度の葉書も來にけり
     ○
 年賀状旅の父へは子に書かせ 三次

明治事物起原 交通部


 (一六)年賀状特別扱ひの始め 年賀状が、年末歳首に一時に輻湊し、取り扱ひ上の混雑いはんかたなし。よりてこれを防ぐがために、十二月十五日より、集まるに随ひて一月一日の消印を捺し、これを元旦に配達す。すなはち年賀状特別扱ひなり。明治三十九年末より行ひたるを始めとす。

〔明治39年12月13日 東京朝日〕明治ニュース事典7


 既記のごとく、逓信省は今回年賀特別郵便規則を発布し、料金完納の普通通常郵便物なれば、新聞、雑誌等の類にても、年賀郵便として十二月十五日より二十九日までに全国各郵便局にて引き受け、一月一日の最初の日附印を押して予め配達局へ送り置き、一月一日の最先便にて到着の順序により配達するの方法を採り、一般公衆の便宜を計るとともに、郵便局の手都合を助け、一挙両得の便法を設けたることなれば、広くこの方法を利用せんことを熱望する由なり。この特別取扱いを受けんとするものは、十二月十五日より二十九日までに、十通以上の料金完納普通通常郵便物を一束として、年賀郵便物と記せる附札をなし、これを郵便局(郵便箱へ入れるべからず)に差し出すべし。


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 09:58:33