彌富破摩雄
1932
「肥後方言俚謠「おてもやん」評釋」
『方言と国文学』2
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 肥後方言俚謠といへば、「おてもやん」といふのを以て白眉とする。近時種々の讀物にも、此の俗謠をよく引いてあるのを見出す時、人知れず吹き出すことがある。併し其の眞解に至つては、知る人が幾人あらうか。當の熊本人と雖も、恐らくは其の意を盡すこと稀であらう。以下解釋を叙するにあたつて、先づ本歌をあげて見よう。

  おてもやあん、あんた このごろ,
  よめいり したではないかいな、
   よめいりしたこつあ、したばつてん、むこうどんが,
   ぐじやつぺ だけん、まあだ さかづきや、せんだつ
   た、むらやく、とびやく、きもいりどん、あんふとた
   ちの、をらすけん、いんまどぎやんきや、きやなろたい、
   かわばたまつさん、きやまわれ、ぼうぶらどんが、し
   りひつぴやじ、はなざあかり、はなざかり、

 以上の通りであるが、到底他の國の人では理解が出來よう筈がない。故に一應此れを標準語に譯すると

 (一)オテモサン アナタ、此ノ頃、嫁入リシタデハナイカイナ、

 (二)ヨメ入リシタコトハ、シタケレド
  聟ドンガ アバタダカラ
  マダ盃ハ シナカツタ、
  村役、鳶役、肝入ドン、
  アノ人タチノ、居ラレルカラ、今ニドノヤウニカ、ナルダラウ、

 (三)川端町ノ方へ 廻ツチマハウ
  カボチヤドモガ、尻引キムイテ
  花盛リ 花盛リ
といふのである。大略の筋は解らうが、末段の所が判然しまい。併し此の末段が最も緊要な所で、最も躍動してゐる所。此の所が此の謠の生命といつてもよい所である。解剖して説明しよう。
 先づ此の俚謠は三段に分れる。

 第一段は
 「オテモサン……デハナイカイナ」

迄で、此れは「おても」といふ薄馬鹿女の通り行くのを、熊本市の朝市揚附近の、物好きな|閑人≪ひまじん≫が|悪戯≪からか≫つた詞である。末段に「川端町」の方へ廻つて行かう、といふからには、明十橋、明八橋-朝市場附近ーのことが考へられる。「おても」といふ名前が、如何にも婚期を失つた三十八九歳頃の、薄馬鹿女を十分に現はしてゐる。熊本地附の田舍女の名には、よく「おねも」、「おたも」などいふのが、今でもある。

「やあん」は、「やん」で、「さん」。「したではないかいな」は、地詞ではなく、上方詞の謠から轉來した詞である。

 第二段は

  ヨメ入リシタコトハ……ナルダラウ

迄で、此れは「おても」が、其のからかひに引つかゝつて、ぺら<と答へた詞である。「したばつてん」は、「したけれど」、例の「ばつてん」である。
 「ばつてん」は肥前、肥後地方の特有の方言、此の語原に就いては諸説あるが、筆者は嘗て「郷友雜誌・肥後」に、肥後方言私攷抄を連載したが、委しいことは其れに讓るとして、其の解のみをあげると、「ばつてん」は「ばといひても」の轉化であるとする、而して元は「とはいひても」であつたのであらう。
  行くばつてんー行くとはいひても
  そりばつてんーそれ(り)とはいひても
  したばつてんーしたりとはいひても。
「むこうどん」は「聟殿」。「ぐじやつぺだけん」「だけん」は「だから」。「ぐじやつぺ」は「ぐじやつ坊」。「ぐじや」は「ぐざ」。「ぐざ」は「くさ」。「くさ」は「かさ」の總稱で、「瘡」の和訓。即ち瘡痕、痘痕の意。「あばた」顏の人を、「ぐじやつぺ」とこいふ。古言の方言化した詞。
「さかづきやせんだつた」は、「盃はしなかつた」で、三々九度の盃をしなかつた。「あんふと」は「あのひと」、「ひと」を「ふと」といふ。H音をまだF音に言つてゐるから面白い。
「どぎやんきやきやなろたい」の「どぎやんきや」は「どのやうにか」、「きやなろたい」の「きや」は「かい」で、接頭語。勢語や、宇治拾遺などに、「思ふどちかいつらねて」か、「かいかかゞぐまりてゐたるを」などある「かい」の方言化したもの。「なろたい」は「ならうわい」といふに同じい。
「たい」、「ばい」は、咏嘆的接尾語で、上に「きや」といふ強意的接頭語があるので、「なるやうになるだらう」なさの意がある。
 第三段は、上述の如き答を言ひすてゝ」、くるりと廻つて行く「おても」が獨言である。察するに「おても」は熊本の町づれの部落、春日村か、本山村か、何れ近在のものであるらしい。川端町を少し説明せねばならぬ。
 川端町は白川端に添うた町、此れを出ると直ぐに白川で、此れが町境になり、川を渡らない手前の近郊の部落を春日村といふ。南瓜の産地として名がある。見渡す限りの畑は皆南瓜で、此の村から出るのを「春日ボウプラ」といつてゐる。南瓜を「ボウブラ」といふことは、言海にも蠻語として見えてゐる。即ち右の川端町を出ると郊外で、そこは春日の南瓜畑が廣く展開してゐる。
 「きやまはれ」を意譯すると、「エゝ廻つちまへ」である。次の四句が畫龍に點じた晴である。
 川端町を出きつた此の薄馬鹿の年増女は、路傍に用を足しつゝ、見渡す限りの南瓜畑の花盛りを嘆賞して、アゝ南瓜の花ざかり、花ざかり と獨言したのである。此の四句は、一々異なつた圓周の一部分づゝの弧が、夫れ/丶にカーブをかきながら、繋がつてゐる觀がある。即ち一々の弧の中心は各々別になつてゐる。其の中心を逸しては、此の所の妙味は解されぬ。露骨を避けて、倒置し、省略し、更に終りに、美しい句の繰り返へしを以て、窅然餘韻を含めた其の手法、實に非凡の手腕である。此の句の中心を抑へるこSが出來ると、「おても」の擧動、姿態が眼前に躍如として現はれる。
 以上の如く此れは熊本の方言を巧に綴り合はせ、一女性を躍らせて、其の特色を十分に發揚した名俚謠たるを失はない。


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 09:59:58