平安朝時代における橘逸勢、僧空海と並んで三蹟として有名な藤原行成卿の流れをくむ青蓮院家には世々能筆家を出したがその中でも伏見天皇の皇子で天台座主となった尊圓法親王の書風は殊に素晴らしく、ついで其の門流から名筆家が数多く現われたので「青蓮院のお家に傳はる書流」という意味からお家流またはお家様、尊圓流といい始め徳川時代まではお家流でなければならぬほど盛んに行われていたものである。 ずっと差上げて拾った文をみせ(安永) 筆とればまた吾が心やる瀬なくさわぎそめたり文書かでやむ