斎藤緑雨

おぼろ宗
二葉宗
篁村宗
美妙宗
紅葉宗
思軒宗

  諸書を參酌したのでも何でもなし當今大家と呼ばるゝ方々の御規則ともいふべきものを初學者のためにざつと擧示したるまでなり井戸の西瓜のやがて冷かすのだなどゝ思召す可らず

一おぼろ宗 小説の癖直しはこの宗が元祖なり小説の癖つけも亦この宗が元祖なり即ち古い癖は直したれど更に新しい癖をつけたとの事なりこの門に入る者は極實の極美のと自分は言はねど餘處で言はうかと種々なる議論を腦裡にゑがきつゝ書くに限るなり故に存外舞臺の小くなることあり度々流義を改め此うでもない彼あでもない寧お休が宜からうと門を鎖て「今日賣切れ申候」と貼て置くもよし小説の主眼は百八煩惱を寫すじや迄とそツけなく始めてそツけなく終るが得意なりされど其の間に流石はーと二口績けて言せるだけの妙は備へるなり小説繁昌の節は緘默しチト寂れた頃を見計つて小説は美術なり數コット笠トン重マ委リオツト富ライ於ムレツ露スカレイを凌駕するの傑作を出だせや出だせと一遍通り觸廻つて扨又自分は門を鎖ること此の宗の眞言秘密なり委くは大久保邊に行きて内にか外にかお宿にかと呼ぶべし多分返辭あらん大江の千里といふ曲者早くよりこの宗を膾によみ載て新古今に在り曰くテレもせず困りもはてぬ春の舍のおぼろづくりにしく者ぞなき試みに安宅松の壽司に命じおぼろを食せうと云へば味ひは大概知れるなり待間がつらくば朧の罪や松の影と鼻唄をうたふべし是れ煙草輪に吹く變體なり

一二葉宗 又の名を四迷宗と云ふ迷宗は迷執なり或ひは曰く妄執なりと、妄執の雲晴れやらぬ朧夜の戀に迷ひし我心と長唄鷺娘にあり蓋しこの宗の寳物コ浮雲」をよみ込み且おぼろ宗と縁引の由をほのめかせるものならんこの宗も咋今門を錻ぢ居れり、これではあれではと迷ひまよふて幾度となく膏藥を煉るなり名は其體を現すとか四迷とあるも前世の約束なり四辻に立つて泣た唐の伯父さんもこれには及ばぬと匙を投げしよし、亭がオロシヤゆゑ緻密々々と滅法緻密がるをよしとす「煙管を持た煙草を丸めた雁首へ入れた火をつけた吸つた煙を吹いた」と斯く言ふべし吸附煙草の形容に五六分位費ること雜作もなし其間に煙草は大概燃切る者なり緻密が主にて本奪に向ひ下に居らうと聲を懸るときあれど敢て問はぬなり唯緻密の算段に全力を盡すべし算段は二葉より芳しと評到されること請合なり折々飜譯するもよし但し緻密を忘れさへせねば成るべく首も尾もないものを擇ぶべし

一篁村宗 この宗は一切輕きを貴ぶ吹けば飛ぶよなものなりとも共の邊には一向頓着せぬがよし圭眼はと問は穿洒落と答へて獨り呑込むべし趣向は深きを忌む、深ければ自然重くろしきを以てなり一名を竹の舍宗と云ふ竹繁れば藪となる、藪は醫者の仇名なり醫者はお太鼓を兼ぬるが多し故に輕口なり、この宗の輕いのはそれと似たでもあり似ぬでもあり治國牛天下風なく波なくいつもおめでたいに限るなり京傳かイ丶ヤ三馬だ三馬かイ丶ヤ其碩だ其磧かイ丶ヤ篁村だと斯く極込みながら何處やら臭い所無きにしもなれどそれは保存し置て偶ま生煮えの宗敵に嗅せて遣るなり「仕合の風吹井の浦、其評到も高師の濱」等其一例と見るべし輕微の間おのつから妙あるものと宗徒は勿論和尚も承知し居るなりこの宗は肉食妻帶を禁ずお膳の上には柚味噛と根岸だけに山椒のつくだ煮チョイと箸の先へ引掛て甜りながら獨酌でやつて居る氣味合なり今にお肴が出るよと云ふのを何かと見れば湯豆腐と知べし他宗から喧しいのが來れば兎角々立つてならないよ縁無き衆生は度し難しと横を向く然らずばいゝサ〳〵と願で返事する等呉々も自得といふこと此宗肝心のひめ言なりこの頃この宗の爲に三味を彈き「篁村宗將に弘布せられんとす」と觸れたる信切者あるを見受けたり

一美妙宗 この宗には秘藏のお經あり言文一致と名く飽迄お經に醉て衣紋をつくろふ外見上戸なり一頃はお難有を唱ふる者頗る多く小説の捷徑こゝを渡れと大繁昌を極めたれど當節はチト寂れて「漸寒や石の佛を刻む音」なり何でも一夜漬じや甘酒流じやと口上を添へてこれが美妙宗の本體じやといふものはあまり開帳せぬが得手なり想ふに雜兵の服を藩て敵將に近づかんとしたる何某の軍略に傚へるものならん或者この宗を銀流しと申したり不埒なることをと段々考へ見るに早く剥るとにはあらずして早く出來るとの謂なりし扨々名譽の事共かなこの宗の初級はマァ斯うやるべし「向ふから來たのは男です、下駄を穿て居ます、が、跡が減て居ます、そして刈込前の散髮です、フケの雪が襟の麓に積つて居さうです、是が女なら何うでせう? 髷を結て居るに相違ありません。」又時々千古未發の新諡を挿むことあり、北ハ雛形は下の如し「酒を猪口に注げば、猪口の形です、酒を桝に注げば、桝の形です、實に酒は方圓の器に隨ひます、水も亦其通りです、が水は醉ません、けれども酒も水も流動體です。」總じてこの宗は執心に經文を誦するなり他宗の耳へ入らうとも入るまいとも斷えず休まず言文一致經をくりひろげること、頭に尊稱辭「ゴ」を加へ「デ、ゴザイマス」で結べば御苦勞で御座いますと申したき程と知るべし

一紅葉宗 硯友大師の繩張内に在て一段逞しきを紅葉宗と云ふ紅葉はもみちなりもみちの錦神のまに〳〵この宗棘佛混淆と見ゆ雅俗折衷と云ふも蓋し所以あるなり樂天氣取るらく焚紅葉、焚くは護摩なり鳴るは瀧なり護摩を修するや凡人の得知らぬ秘法あり製すれば菓子となり淌れば次となる什物三つ曰く……曰く──曰く*1隨分目まぐるしく用ふ其の用法は文盲手引草なる一書を以てこの宗自ら世に公けにしたれば略す西鶴と稱する尊像を安置し省筆々々とやたら無精勝に世を途なり少々は俗物に解せざるも雅客には矢張通ぜざる程を上加減とす是れ雅俗折衷の本旨にして容易に内兜を見透されぬ法なりうまいと言つた男に解つたかと聞けば何うかネとばかり跡を言ぬこと不思議なれど是れ印ち無精なれば行渡らず渡らば錦なかや絶なんとの教なりとそ要するにこの宗は頻りにぶりたがりて折衷ぶりたる揚句薩摩汁を拵へそこねた覺悟大切なり「いつれ煮たものi南瓜と唐茄子」など其の身上と知るべし兎角この宗はインキの高下に拘らず節儉を旨とし言ひたきこと牛分で見合せて然かも腹の減らぬ宗旨なり二月の花よりもくれなゐと云へば節儉或ひは吝嗇なるやも知る可らずこの宗子飼の納所ひとりあり悪太郎と呼ぶ中々まめなる奴なり

一思軒宗 この宗を八宗の一つに數ふるは無理なり無理なれどもお宗旨なり其無理といふは隣家の釜を借て飯を炊くが如く飜譯づくめなればなり其無理なれどもといふは隣釜の飯炊なりとも小説道にをりー蹈込まるればなりお經は簡潔一方さら〳〵としたるを上本と定む、請ふ之れを看よと拂子の先に銘打て取り掛るなり「渠はシカく往たり渠はシカく歸れり」と片假名の肩を怒らせて召仕ひの小女に八つ當りするやうの風ある亦妙なりたとへば霜流已に甚だしといふ日、前の前の前の朝買たる納豆の殘りにて湯漬を食ふの格と知るべし李たく云へば禪味たつぷり或る他の味ぽつちりといふことなり葷酒山門に入るを許さずこの宗は餘り廣まらぬが本意ならん故に委くは詭かず隨喜の涙は各々の勝手たるべき事


*1  

トップ   編集 凍結 差分 履歴 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:06:08