岩波講座


第一部序説
  一 國語研究一般と國語學史との關係
  二 國語學史編述の態度とその方法
  三 註釋語學より見た明治以前國語研究の一特異性
第二部 研究史
 第一章第一期元禄期以前
  イ研究の概觀
  ロ 古典の研究
  ハ 歌學並に連歌の作法
  二 漢字漢語の學習並に悉曇學
 第二章第二期 元禄期より明和安永期ヘ
  イ 上代文獻學とルあ語畢的研究
  ロ 上代文獻の用字法の研究
  ハ 假名遣の研究ー語義の標識としての假名遣観:
  二 語義の研究ー本義正義の探求
  ホ 語法意識の發達
 第三章第三期 明和安永期より江戸末期へ
 イ 上代文獻及び中古の和歌物語の研究とその語學的研究
 ロ 用字法研究の展開
 ハ 假名遣の研究と假名遣觀の訂正
 二 語羲と文意の脈絡とに就いての研究
 ホ 語法研究の二大學派
  一 本居宣長のてにをは研究
  二 富士谷成章の文の分析及び語の接續に就いての研究
 へ 鈴木朖の兩學派統一―活語の断續の研究
 ト 木居春庭の活用研究―段の發見
 チ 東條義門の活用研究の大成―言の成立
 リ 中古語法の研究と上代文獻學との交渉
第四章 第四期 江戸末期
 イ 語學研究獨立の傾向
 ロ 音義言靈學派
 ハ 語法研究の繼承
 二 和蘭語研究と國語に對する新考察
第五章 第五期 明治維新以後
 イ 明治維新と國語研究の新見地
 口 國語國字改良の諸問題
 ハ 改良問題の調査機關と國語研究
 二 文典編纂の勃興
 ホ 口語文典の編纂と方言調査
 へ 言語學の輪入と國語研究上の諸問題

単行本


序文 橋本進吉*1
はしがき
第一部 序説
 一 「國語」の名義
 二 國語學の對象
 三 國語學と國語學史との關係
 四 國語學史編述の態度
 五 明治以前の國語研究の特質と言語過程觀
 六 國語學史の時代區劃と各期の概觀
第二部 研究史
 第一期 元祿期以前
  イ 古代日本民族の國語に對する信仰
  ロ 古典の研究(解釋を目標とする語學)
   一 言語に於ける顯現の法則
   二 語の構成法
   三 語の職能的類別
  ハ 歌學並に連歌の作法(表現を目標とする語學)
   一 語の意味用例を明かにすること
   二 假名遣を規定すること
   三 てにをはの用法を明かにすること
  二 漢字漢語の學習並に悉曇學
 第二期 元祿期より明和安永期ヘ
  イ 上代文獻の用字法の研究
  ロ 假名遣の研究
     語義の標識としての假名遣觀
  メ 語義の研究 本義正義の探求
  二 語法意識の發逹
 第三期 明和安永期より江戸末期へ
  イ 用字法研究の展開
  ロ 假名遣の研究と新假名遣觀の成立
  ハ 語義と文意の賑絡とに就いての研究
  二 語法研究の二大學派
   一 本居宣長のてにをは研究
   二 富士谷成章の文の分解及び語の接續に就いての研究
  ホ 鈴木朖の兩學派統一 用言の斷續の研究
  へ 本居春庭の活用研究の繼承と展開
     用言に於ける段の發見
  ト 僧義門の活用研究の大成
     用言に於ける活用形の成立
  チ 中古語法の研究と上代文獻學との交渉
 第四期 江戸末期
  イ 語の分類の研究
  ロ 音義言靈學派
  ハ 語法研究の繼承
  ニ 和蘭語研究と國語に對する新考察
 第五期 明治初年より現代に至る
  イ 國語國字改良の諸問題
  ロ 改良問題の調査機關と國語研究
  ハ 文典編纂の勃興
  ニ 口語文典の編纂と方言調査
  ホ 辭書の編纂
  へ 言語學の輸入と國語研究上の諸問題

著者著述目録
附録 現代國語學主要書目


*1  今囘京城帝國大學の時枝君が國語學史を刊行せられるに當って、特に書を寄せてその巻頭に序する事をもとめられた。同君が國語研究の歴史に於て深い造詣と獨特の識見を宿せられ、最近、國語學の體系の樹立を目ざして創意に富める多くの論文を發表せられてゐる少壯有爲の国語學者である事は周知の事實であり、殊に今囘の著は、嘗て岩波講座に載せられた國語學史に改訂を加へられたもので、講座に發表せられた當時から、既に特色ある好著として識者の問に認められだものであるから、その價値については今更喋々する必要を認めない。想ふに君が一言を私にもとめられたのは、私が上田萬年先生の下に東大國語研究室に在職した關係から、君の大學在學中から多少研學上の相談にも與つた縁故を想起せられての事であらうと推察する。\n 君は最初から遠大な計畫を立て、まづ我が日本人の國語に關する意識や思念の發達を究め、次に西洋人の言語に對する思想や考察を詳かにし、然る後、自己の国語觀を樹てる方針の下に研究に着手せられたのであって、その第一歩は大學在學中にはじめられ、卒業に際して日本人の言語意識の發達に關する論文を提出せられたが、その後も倦まず撓まず研鑽を積み、今や獨自の國語觀を立てる所まで進まれたのは、私としても喜びに堪へない次第である。\n 君の東京在住中ぱ相會ふ機會が多かったが、君は大學卒業後幾年ならずして外遊せられ、歸朝後は京城に職を幸せられたので、その後は時々上京せられる場合の外は相語る機會もなくなった。この国語學史は、君にとっては、いはば第一期の研究の成果であって、その基礎は私と交渉の多かった時分に築かれたものであらう。それが爲、その公刊に當って私を思ひ起されたものと思ふが、もし私が君の學問に少しでも寄與した所があったとしても、それは唯初歩の手引に過ぎないものであって、私としては特に記憶に存するものもないが、しかし、いつかの冬、伊豆伊東の温泉の浴場で、契沖の假名遣に關して語り合った事などは、なつかしい思ひ出として、今も記憶に殘ってゐる。今、君の努力の結果が獨立した一書として始めて世に出るについては、私も人事ならぬうれしさを威じる。\n 私は、學問の日本的性格が要望せられてゐる現時に於て、君の今囘の著が學界に貢献する所少くない事を信ずると共に、君の今後の精進に多大の期待をかけ、第二の著の公にせられる日の一日も早からんことを翹望するものである。\n   昭和十五年八月             橋本進吉

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Last-modified: 2022-08-08 (月) 08:46:23