松井簡治
源氏物語
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『国語と国文学』

!-- 一222一一
、困國語と國+人墨丁
二⊥ρ 艇
源氏物語號
源氏に於ける古代の註釋及び研究

松井簡治
 今回本雜誌に源氏物語の特別號が發刋きれるので何か書くやうにと依頼された。何れ新しい面自い種々の研究が禺る事と思ふから自分は寧ろ題號のやうな面自くない最も古い事を書く≧とにした。
 すべて何事でも一つの研究をするのには前人が其れに就いてどんな研究をし完かといふ事を知る
必要がある。前人の既にやつた事と重複な事をして無釜な勞力を費すのは愚の至ゐである。前の事.
業を受繼いで其の上に新研究をしてこそ學問も進歩するのである。一體古い書物で古人が各方面か
ら註釋もし研究もしたものでは萬葉、源氏其他伊勢物語や古今集であらう。源氏に關したものだけ
でも約百數十部もある。其のゐもなる者について一逋うどんなものかを知つてあくのも必要であら
うと思つて、煩瑣に渉る嫌はあるが書名丈でも舉げてあく事に、した。
 源氏の研究は鎌倉時代から起つたもので伊行の奧入が其の魁である。其れに次いで水原。紫明等
も出たが、簡單な語句の註釋位で、未だ幼稚の域を脱しない。室町時代の始に四辻善成の河海抄が出


  223一一一
て大に面目を一薪し、」條兼良公の花鳥餘情が之に次で一層精細になつい。此の二書が源氏註釋の
の祀ともいふべきもので、後の註家は其の惠を蒙ら粗ものはなひσ,粂良公よう宗祗に傳へ師弟相承
けて(後に圖示した逋)西三條家の實隆・公條・實澄の三代、宗長・宗碩・省柏・蒹載皆其の流を傳へ
ぬものはない。源氏の註釋は悉く其人々の手に成つたものであるから、公條の細流や省柏の弄花は
進歩の跡はあるが大體其範圍を脱しない。中院逋勝は細川幽齊の學を傳へて眠江入楚を著しカ。從來の註釋の集大成ともいふべきもので、後に出來た湖月抄などの及ぶ所ではない。契沖の源註拾遺
が出來て古來の読を一新し、此書以前を古註といつて一時期を劃したが、語句の解は湖月抄の誤を
多少訂正して新読もあるが契沖の著としては十分なものとはいへないゆ眞淵の新釋は田安家の命で
編纂したもので、始の二三卷は原稿を更へて苦心せられたやうであるが、崟部未だ精練したもので
はないo多くは湖月抄の儘で薪説は少い。宣長の玉小櫛は註釋こそ少いが物語の本旨を論じ力點は
室前の卓見である。語句の註でも脱文か誤字かと指摘された箇所は古本を參照すると多くは的中す
るのを見ても讀書眼の非凡であつた事が知られる。安藤年山の紫家七論の源氏の著作年代に就いて
の読は玉小櫛と共に永く傳ふべきものであるρ萩原廣道の詐釋は諸家の説を綜合して親切な著であ
るが、花宴迄で未完なのは惜しむべきである。斯樣に多數の者でも源氏の著作時代の環境即ち當時
の政治風俗に就いて未だ十分に述べた蔦のはない。叉源氏以前の著作との關係は細井貞雄の玉椿に
  源氏に於ける古代の註釋及び研究               一二八五


21.4,
  國語乏國丈學源氏物語凱           .三八六
宇津保との類似關係を邇べてある外にあまり見えない。修辭上文法上からの研究も同樣である。.疋
等は徇將來に待つべきものである。藤岡博士の國丈學杢史、五十嵐博士の薪國丈學吏の源氏に關す
る詐論はきすがに明治以後の作として大に見るべきものであるが、獪今後一暦の研究者が續々出で
られん事を希ふのである。左に其の註釋書の著者及び其年代等を掲げて參考に供する。
   一、全部に渉つて註釋したものo
 源氏奧入及追加 三卷(群書類從三一五)奥入は藤原伊行等の詭、追加は藤原定家。
 水原抄 五十四卷 源光行及親行等 光行は後鳥豺帝の時の北面デ、、千載集の歌人。
 紫明抄一〇卷源孝行二読親行)孝行は光行の子で河内守式部丞であつた。此の書は永仁二年(一九五四)鎌倉將軍久明親王の命で作つたもの。
 紫明拾遺抄 一卷
 原中最秘抄 二卷(類從三=ハ) 親行の孫行阿の著で藤原長親の抄録したもの。(完本は前田家藏)長親は後村上後龜山兩朝に仕へ丈章博士右大臣從一位となリ、弘和九年(二〇五二)に薙髪して明魏と稱し耕雲と號したo
 河海抄 二十卷 四辻善成(國丈註釋全書)善成は順徳院の御子善統親王の孫で尊雅王の子。左大臣從一位となり、應永九年(二〇六二)に七+七で薨じたo物語博士惟頁とあるのは戯名で源氏の中の惟光萇清の二人の名を取つ℃附けたものo
 源氏物語千鳥抄 一卷 (續類從五一六) 此書は四辻誰晟の講義を筆記七たもので河海にない漆もあるが大體は不必


一一一225
花鳥餘情
源氏物語和秘抄
種玉編次抄
源氏一滴集
弄花抄
明細.・一
星.流葉
抄抄抄
 源:宗薄
源氏
4:物磧
於語
け抄抄紫
.る
    変なものである〇
二十卷薗文註釋全書)一條兼冥が應仁の胤を奈頁に避けて層るψに編纂したも撃、七+一歳の時
    の跋がある。兼良は輕飼ω子で關白太政大臣となり應仁+三年(}二四剛)ぺ+歳で薨じた。
一卷  」條兼良(續類從五天)初學者のため簡單に摘註したもの。
一卷 宗祗
二卷  正徹 永享十二年作
七卷  牡丹花省柏 文明八年作
   西三條實隆よりの聞書で花鳥河海の繍…正をしたもの〇
十五卷 同人 朋應四年作
二十卷 西三條公條 大永八年作 (國丈註釋全書)
五十五卷・西三條實澄
   細流に小補婁)たものO
二十卷宗長
山ハ卷   日刀村齋心不碩
五卷  猪苗代兼載  二喝
古代の註釋及び研究       ・            一二九七


 國語ピ國丈學 源氏物語號                 一二九八
孟津抄 五十四卷 九條種逋 天正三年作
萬水一露 六十二冊(二十八卷)能登永閑 天正三年作、寛文三年刊
覺性院抄 二十五冊 覺性
          多く西三條實隆の読によるo
紹巴抄 九册(二十卷)里村紹巴 是れに水原紫明抄と名づけた異本もある。
休聞抄(一名源氏物語隣書) 十五册 昌林 天丈十九年作
林逸抄五十四卷林宗二
源氏物語註 五十卷 細川幽齋
眠江入楚五十五卷中院逋勝慶長三年作(國丈註釋全書)
三源一覽十卷藤原逋俊
源義弁引抄 廿卷  一華堂切臨 萬治刊
          四三條實澄の講義を筆記したものo
源氏物語講釋五十五卷中院逋茂
首書源氏物語 五十四卷 子眞 延寶元年刊
          諸抄を抄錐して頭設にしたものO


一一227一一一
湖月抄
源氏一簣抄
源註拾遺
源氏物語新釋
玉小櫛
同補遺
源註餘滴
源氏物語註
源氏物語評釋諦讎
 源氏に於ける
源氏物玉の御須磨流
 志ハ十巻  北n村季叭呪  延㎞轡恐二年刊
七十三卷 堀河悠見
八卷  契沖 元祿九年作
    湖月抄によつて諸註の誤を正し又自詭を加へたもの〇
五十四卷 賀茂眞淵 寶暦八年作 (藁淵全集)
九卷  本居宣長 (宣長全集)
    源氏鈴の音色、.七卷は本書と同様なものであるQ
二冊 鈴木朗 丈政三年刊
廿卷  (國書刊行會)
  十六卷  激加亠小田守訓
五十三卷 齋藤彦麿
 十三卷 萩原廣遘 (國丈註釋全書)
    語釋二卷餘釋二卷は夕顔迄、詳釋丈は花宴まであるO
古代の註釋及び研究
一二丸九


一一228亠

國語と國丈學  源氏物語號
兼良以後契沖以前の註釋系統を圖示すれば左の如くである。
一條兼良…-ll宗祗
(花鳥餘情)
(源語秘訣)
(源氏和秘抄)
● 齟
(不審抄,出)
(雨夜談抄)
(種玉編次抄)
一三〇〇
…西三條實隆-!ー公  條ーー實  澄レー「
       (細流抄)  (㎎星抄ノ  一
                 叩
ー宗長
 (薄紫)
癒逋
 (孟津抄)
f紹巴
 (紹巴抄)


一一・229一一・
箕源細
形氏川
 物
如語幽
摩彗欝
雨夜談抄一轡喀蝙
    オ拐磁
伏屋塵韈
紫語素註遡賦
少女卷抄註
湖月抄別註糴
雨夜物語疫み詞
      リニし
源語會讀抄翻.蜜
「ー松永貞徳ー
      庵…・…北村季叭ユ
ニ、源氏の或一二卷だけ註繹し控もの。.
    .伽
一轟ニー一^一一^.一A
卷燈冊卷卷卷卷
{
ーー帝院逋勝」
  (眠江入楚)
 .淋…ー、.
「北村季吟
 
}(湖月抄)
 
「一華堂切臨
 (源語辨引抄)
…(源氏綱目)
「毒中院通茂
 (源氏物語講義)
宀不祗冖 (續類從五一九)
後水尾帝御作 (同五二〇)
村上影面
鈴・木朗 文政七年刊
橘守晶郡  (橘守部臺集)
加藤宇萬伎 安永六年刊
石擂眞國    ・
.三、源氏物語の語彙をいろは引にして説明した辭書
 源氏に於ける古代の註釋及び研究

噌三〇U
'


一一230一一
國語と國丈學 源氏物語號
仙源抄臣瞭揚
類字源語鈔卜銘
源氏目案
源氏節用集
源 語 詁
一卷 長慶帝御作 (群書類從三,一八〉、、
三卷 竺常(墸補一卷紹永) (續類從五一七)
四一六
卷:卷卷

五井純頑}
 四、源氏物語の梗概及び摘要
源氏の杢部叉は各卷の梗概を述たもの、叉大要を摘録したものには、
源ゐ六十源源紫源木
氏き帖帖美睚氏
 な   略   芙
肝源源源露綱愚小
要氏氏氏勉目抄鑑蓉
二漕卷  元久元年の作で正四位下左近衞權少將とある。
三卷 藤原長親(慶安四年刊)
四卷 是は宗長の作だといふ。一篇中簡要な部分を抄録したもの。
九卷  一華堂切臨(刊本).
十二卷(刊本)
十卷 野々口立圃(刊本)
六卷
十卷 同人{寛文十年刊)
一卷
一三〇二


一一231一
 源氏大概抄 一卷(刊本)
 源氏遘しるべ  一卷 素兄堂(寶永三年刊)
 源氏物甑㎜提要  六卷  源籔…政
  五、普逋語に譯し拠もの
是れには原文の字句を一々たどつて譯したものと大意だけ摘んで譯したものとがある。前者では、
 紫文蜑の囀七十二冊多賀牛七
宿木の卷迄四十九帖丈出來たが著者が病氣に罹つて五帖だけ完成せずに終つた。七十二冊の内桐壼
帚木室嬋の三卷は享保八年に刊行したが、跡は未完のま丶傳つて居る。一字一句も苟もせず丁寧に
譯し、難いものは頭註を施してある。譯解としては最も親切な書である。多少字句を取捨して譯し
たものでは、
 薪 編 紫 史 十卷 増田于信 明治卅七年刊
叉近年出來たものでは佐々博士外二氏の新譯源氏物語二冊(明治四十四年刊)もあるが嚢だ未完で
ある。
  六、源氏中の秘事秘傳及び難語摘解
源氏の中の或る事物の説明を秘事秘傳として師弟簿承したのは、今よう見れば、滑稽なやうに威ぜ
  源氏に於ける古代の註釋及び研究  .           =ご〇三


一一一232
  國語と國文學-源氏物語號.、■  .  、,,、
られるが、其れも研究の幼稚な時代の歴史的遺物と七て捨て難いものである。
 源氏三箇大事 一卷
 源氏十五箇條奧義 一卷(刊本)
叉難解の事項を詭明したものには、
弘安源氏論義
源語秘訣鈔
不審抄出
清石問答
源氏爪印
楊名介考
冊冊巻卷卷
源具顯判(類聳三七)ド
一條兼良(延寳八年刊) (類從三一四)
{ホ祗  河海花鳥所載以外の不審の條につき一條条頁との問答。
濡水濱臣と石川雅切孟との問答o
黒澤翕満
高田與清
一.三〇四
  七、源氏に表れ控有職故實
源氏の中の故實に關しては各註釋書にも多少説明があ5、特に萩原廣遘の餘釋(花宴迄)にもある
が、單行本と↓ては、
源氏男女装束抄一巻月村齊宗碩の著に壷井義知壜補し其に渡邊康映が後璽卷喜、政八年に附加したもの。
源氏官職故貧秘抄八冊壷井義知の署で少女卷迄ある。嬰藤籌に學、居るが黌鑾で少女の卷檗刊である。


一一233=一一一一一
 源語問答  →卷 松岡行義
  八~源氏に表はれた人物
源氏の中に表はれて居る人物の略傳は前に述べた系圖には大體出て居るが、いろは引で簡單に索禺
し得るものでは、
 掌中源氏物語 一卷 尾崎雅嘉(寛政九年刊)
 源氏物語名寄圖考 一折 源氏物語名寄圖に清水濱臣が解釋詭明を施したもの。
 源氏紐鏡 一卷 源匡李(安政五年刊)是れは源氏に衷はたて居る人物には必ず對照する人物がある事を論じたもの、例へば源氏と頭中將、夕露と柏木、塞蝉と浮舟葵上と紫上のやうな例。
 源氏人々の心くらべ 一卷 (類聳=四)源氏に表はれた人物の詳論。
 、九、準據説(即ち何人かをモデμとして書いたといふ説)
仙源抄には光源氏は宇多帝の四子敦慶親王(玉光宮)に擬しπものだといひ、或は藤原伊周といひ・
在原業李叉は源光といひ、左邏の事より西宮高明だといひ、河海抄以來各註釋書に準據説のないの
はない。時代も種々に擬して論じてあるが、左の書の外別に單行書はない。
源氏紐鏡一卷堀内昌卿當時靂史にあて重實の類似を説きたるもの。
  十、年表系圖
年表は眠江入楚などには毎卷の年立があるが、單行したものでは・
  源氏に於ける古代の註釋及び研究               一三〇五


  234一一一
  國語と國交學 源氏物語號             .   一三〇六
 源氏物語年立-二卷 一條条良レ
 湖月抄附録年立 一卷
 首書源氏物語附録年立 一卷
 玉小櫛(卷の三) 一卷
 源氏年紀考付年紀圖読  一卷 本居宣長
 すみれ草(下卷) 北村久備
人物の系圖では、
 湖月抄附録系圖  一卷                    '         .
 首害源氏物説附録系圖 一卷
 すみれ草(上中卷) 二卷
 掌中源氏物語系圏 一帖 山田常典(弘化元年刊)
 補訂源氏物語系圖 一鋪 森嘉某(文政三年刊)
年表系圖共にすみれ草が最もよい。掌中源氏系圖も座右に具へゐくのに簡便でよい〇
  十圃、源氏物語の卷數
源氏の卷數は名ばかりで詞のない雲隱の巻を合せて五十四帖としてある。是に就いて種々の読があ


一一X35一一一
る。五†四帖の外に獪二卷があるといふ読(拾芥抄)っ雲隱の卷は洛と詞のあつ安のが逸したのであ
らうといふ説(紫明抄)。雲隱卷は詞も卷名もなかつたのを後人が附加しものだら5といふ説(國文
學全史)。甚しいのは天台の六十卷に擬して六卷を僞作して添附したのもある。しかし源氏の著作か
ら餘ウの年數隔たら顧更科日記には五十餘卷とある。餘卷では不慥であるが定家卿の明月記には
(籍祿元年「一八八五」二月十六日の條)に自二去年十一月一以=家中小女等嚇令ゾ書コ源氏物語五十四帖一
昨日表紙訖、今書二外題一とあるから定家時代には五十四帖であつたに違ひな炉。安居倪聖覺(嘉頑
元年「一八九五」に歿した人。)の源氏供養の表自(湖月抄附録)には雲隱の文字がないが、群書類
從三一三に載せてある漢文の願文(聖覺の文を後人が私意を加へて漢譯し控ものか)には如何コ一旦
之袈階一とある。雲隱の名はあつて詞のないといふ事は前にいつた紫明抄(一九四八)の外、正應四
年(一九五一)の賦コ源氏物語一詩(類從一三四)にも卷名だけがあげてある。拾芥抄には明石の次
に浦傳、束屋の次に狹席の卷があつて二卷多い。拾芥抄は中園公賢(一九五一ー二〇二〇)の著(洞
院實熈の著ではない)であるから淀海抄などよめは古い。此事に就いてはまだ研究の餘地がある。
自分も説はあるが今回は參考書を基げる丈の目的だから省く。獪前にのべた天台の六十巻に擬して
六卷を僞作したのは室町時代のものである。(清少塾昌口の作とか赤染右衞門の作とか傳へる。)參考の爲めに左
に掲げる。
 櫻人存賄一卷別に註一卷
  源氏に於ける古代の註釋及び研究              一三〇七


一236
 國語と國丈學
集    守
八、.  橋
嵯.峨野-トばレ諸
法師レ檳い
源氏物語號
        ぬ         
卷卷卷卷
一三〇八
同前二
同前
同前
同前
獪山路の露(伊行の作といひ又實隆の作ともいふのもある)Q(續類從五一〇)雲懸巻も後八の
僞作したもの一卷あつて合せて六卷となるo獪雲隱には淺井了意の註(延寳三刊)が三卷ある、
  十二、源氏の索引
索引には語彙の索引と事項の索引とが二種ある。前者にはう
 源氏物語類語
電源氏物語不携塵
 語語類詞
.源氏物語麻袋
 源語類聚抄
事項の索引では、
 源氏事類
六冊 岸本弓絃
二冊 本多忠憲
三冊 著者未詳
五十卷,榎並隆嗹
五卷 高田與清
いろは引で卷名も湖月抄本の丁數も擧げてある。
是れも前書と同樣卷名も丁數も擧げて簡單ではあるが要を得て居るo

五卷  皿薯冖者不詳  事物をいろ孤引に《、例へば「いしの部の絲敢の處に絲竹即ち有-樂・に糊した本丈


一一237一一
           を拔抄してあるo
・源 氏 彙 事 六卷 畑中成雄
  十三・源氏物語㊨影響
源氏が後世の文學に影響した事は多大なものであるが、其の事に就いて逋べた書は至て少い。たΨ
源氏に關係のある後世の和歌を蒐集し霞ものには、
 源氏支流 二册 著者不詳
  十四、源氏の歌
源氏の中にある歌を抄出して編輯したものには、
 源氏歌鑑か蠡噸甑 一卷
源氏に引用せられた歌を卷を追うて抄録したものには、
 源氏引歌 」卷(承應三年刊)
  十五、作歌作文等の資料
源氏物語中から佳句叉は一節を抄出して和歌俳句叉は作文の資料としたもの。
 源語斷錦 十卷 川上靜庵
 紫文製錦 八卷 橋本稻彦(文化十四年刊)
  源氏に於け"る古代の註釋及び研究                        一三〇九


一238一騨
  國語と國丈學 源氏物語號                 ;=O
 源氏物語一部連歌可用詞.一卷
  蘭六、式部の傳記及び源氏編纂時代
式部の傳記は各註釋書に見え、獪石山寺で須磨明石の二卷を書いたといふ事に就いて疑を抱いたの
は萬水一.露を始め契冲の源註拾遺にもあるが是等に就いて最も明快に論述したものは、
 紫家七論で卷安藤爲章
獪儒學の見よう式部を論じたもの。
源氏外傳五卷熊澤蕃山もと五四卷あつたのを中院通蔡鏤したもの。
 日本記御局考 一冊藤井高徇 (是は式部を日本紀の局といつた亭に就いての考證である。)
  嗣七、定家の源氏各卷の歌
藤原定家が源氏の各卷に、一首づ丶詠んだといふ歌がある。其の註釋書は、

水  原跿瀦敵二冊黏倫文安六年(一コ〇九)作.            

 源氏物語歌註    細川幽齋
源氏の異本については河内本青表紙本耕雲本等があるが今回は餘り長くなるから述べない事にし
海o


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 00:20:57