板紙の話(日置昌一『話の大事典』


漢學者中村敬宇がスマイル著自助論を譯述して西國立志篇と題し、その印刷製本を佐久間貞一の管理する秀英舎に一任して洋書と同じくクロースの装釘《そうてい》を希望し、且つ舶來の板紙は甚しく高價にして而もその製品は一見して馬糞を打固めたるが如く製法困難ならざるを思い、これが製造を試みんことを貞一に慫慂せるを以て之を諾し、舶來板紙を分解して、その麥藁製なるを確め、直ちに麥桿をあつめて短く截斷《さいだん》し、曹達《ソーダ》を加えて煮熱し臼にて搗き、和紙の製法にならいて漉上げ乾燥したるに殆んど舶來品と同様のものを製することが出來た。よって明治九年十月に東京牛込岩戸町に小工場を設けて其の製造を開始した。これを我が國における板紙製造の起源とする。


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:02:33