http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/ka/ka086.html
力トリナビコ 揖取魚彦 國學潜、下総揖取郡の人、伊能氏、又稻生氏を稱するは伊能と音訓通するが
故なり、初の名は景豊、また景良、後魚彦と改む、通禧な蔑
右衛門ミ一調ふ父bμ里尽榮、母渇μ十醐子氏、魚彦山ハぬ威の時父恩凧榮
残し母に育はれ幼きより護書筆札々好みまれ丹青の法か
建部綾岱に學ぴ条預俳譜な好み頗る之た善くす號な青藍
、ていふ、年長するに及びて盆々丹青の妙所にい六り法な
古に索め套形か目前の寓生にとりて自ら一家の風か蹴ぜ
り就中。梅ミ鯉魚な為すに深く意な用ひ庭前に藪株φ橡
な栽ゑまれ李生許多の鯉魚な小池に放ちて共形勢な熟説
す故に入大に賞して頻りに其憲な索む會々賀蒲眞淵江戸
にあ輔りて昌んに層士μ墨・な唱へ品背く有士心の士な誘ふ・魚・彦'且ハの
門に入サ日夜古學た修め特に萬葉集な貴ぴ頻りに古言の
奥旨な究む其の李生の歌に少しも後世の言な雑へす好み
て上古の調た詠す而して新出餐々其間に登す中古以來假
学用格甚だ混飢して初學の入は云ふに及ぼす名高き學着
も之た知らす憶断を以てし誤まれろことな慨し日本紀,
萬葉集、和名抄等の書より古き假字な抄出して古言梯々
著はし後進の士に稗盆か與へ六り假名用格の古に復ゼし
は實に魚彦と契沖の力"して其の功没す可からす明和二
年家た子景序に譲りて自ら江戸に出で其の居な茅生庵ミ
號す六年十月眞淵残す後魚彦に從ひて學ぶもの盆々多く
既に二百入に餓れ噸特に酒井侯、奥平侯、戸田侯等禮々
厚くして延見し奥亭侯は俸米若干た賜ふまれ上野の法親
王寵遇甚だ渥し、天明二年三月二十三日病みて段す年六
十、著す所萬葉千歌、古言梯、櫓の葉、筆のさきご亡、
雨夜の燈火、百入一首略傳、冠欝のかけ緒、績冠僻考等
あり後門入千賀眞恒同友亡相議して魚彦の逡稿な輯め橋
場の宗輝寺境内に埋みて碑か建て之な茅生塚と聡す其碑
今は慶れれ噸と云ふ大正十三年二月十一日正五位為贈ら
ろ(一二十山ハ歌集、諸家人物敦遡、跡雷マ来}要略、鑑定便覧)

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/kokusyokaidai/k5/kokusyo_ko045.html

岩波日本古典文学大辞典 林義雄

PDD図書館(獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。<br> http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm


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Last-modified: 2021-10-24 (日) 13:17:07