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權田直助 國學者
【號】名越舍
【生歿】文化六年正月、武藏國入間郡毛呂木郷に生れ.明治二十年六月八日相模國大山にて病歿。享年七十九
【墓所】相模國大山町赤松山麓
【閲歴】家は代々醫を業とした。直助は十七歳の時(文政八年)父を失ひ業を繼いだが、十九歳の時(同十年)志を起して江戸に出で、幕府の侍醫野間廣春院について學び.傍ら安積艮齋に漢學を受けた。天保元年(二十二歳)郷里へ歸つて醫者になつた。同八年(二十九歳)三月、感ずる所あつて平田篤胤の門に入つて國學を修め、別に眼科・外科・産科等の研究をしてゐた。この間、「神遺方經驗抄」「古醫道経驗略」等醫學に關する著がある。この頃から尊王愛國の志に燃えてゐたが、文久二年(五十四歳)に母が歿したので、斷然志を立て.醫道は門人に委ねて.尊皇討幕のために東奔西走した。
王政復古に及び.明治二年正月、白川神祇伯家の學館を預つて國學を教授し、同年二月刑法官監察使知事に、同年七月大學中博士に任ぜられたが、四年四月故あつて位官返上を命ぜられると同時に職務を免ぜられ、前田侯の邸に一時幽せられた。六年七月縣社阿夫利神社祠官を仰せつけられ、相模國大山町に移住した。爾後神官として漸次昇進し、十七年十月神道本局顧問を命ぜられ、大教正に補せられ、二十年四月には一等學正に補せられた。
明治以後、殊に神官になつてからは神道及び國語學に關する著述が多く.相模の大山に於ては私塾「名越舍」を開いて、國語・國文の講義をした。
【著述】
〔國語及び國文に關するもの〕
てにをは品定め 一卷(明治四年夏幽囚せられてゐる時の著で「脚結抄」(別項)に基づいて手爾波を分類して一二の例證を舉げたもの)
○詞の經緯圖 一鋪(明治四年成。同七年刊。同八年訂正。同十二年再訂増補)
○詞の眞澄鏡 一鋪(明治四年夏成。同七年刊。同八年訂正)
○詞の經緯圖 詞の眞澄鏡 解 一卷(明治四年夏成。同七年刊。同八年訂正)
○國文學註 二卷(明治十一年成。同十五年刊)
○詞の王緒頭註 七卷(明治六年成)
○詞の八衢頭註 二卷(明治十七年成)
○詞の通路頭註 三卷(明治十八年成)
○童蒙語學問答 卷一(同上)
○語學自在(別項)二卷(同上、刊)
○國文句讀考 一卷(明治二十年十月刊)
○形状言八衢考 三卷
○文典辨疑
○體用辭圖解
○漢文和讀例
○體言分類
○用言分類
○助辭分類
○日本文典辨謬
○形状言五種活用圖頭註
○辭格例證
○皇國文規
〔神道及び雜〕
古傳概略
○教書草稿
○魂心氣辨
○靈魂歸着考證
○祭典習禮小言
○葬儀式
○醫道百首
○醫道百種解
○疫門講義
○古醫道經驗略
○くすしの一言
○藥能略
O古醫道脈論
○古醫治則
○古醫道治則講義
○神遺方經驗抄
○刪訂神遺方
○大同類聚方再考
○燈下概言
○温泉日記
○東行日記
○名越廼舍歌文集。
【參考】慶長以来國學者史傳?<a href="http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913763/144">*</a> 逸見仲三郎 〔龜田〕

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kensaku/hagayaiti/haga0772.html
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/ko/ko072.html

http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00269468

権田直助翁詳伝
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781368

PDD図書館(獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。

http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm

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Last-modified: 2020-12-10 (木) 01:51:32