武田麟太郎
石田がきゅうに帰ってきて、腹がへったと言う。お花は蚯蚓《みみず》の鳴いている狭い台所で支度に取りかかったのだが、ぽっと停電してしまった。今までやかましく響いていた三軒あちらの牛骨玩具製造所の動力も止まったとみえ、冷え冷えとあたりは静かになり、暗い中にガスの火だけがじいんと紫色に燃えさかるのであった。その明りを頼りに、彼女が鼠入らずの抽斗《ひきだし》から使いさしの蝋燭《ろうそく》を二本取りだした時に、表戸がガラリと開いたので、ちょっとびっくりした。