武田麟太郎
藤山さん、女の人から電話だよ、とガタピシする古い階段の中途から、下の果物屋の小僧が声をかけた時、ちようど彼は髭《ひげ》をあたり終ったところで、化粧水をヒリヒリする顎《あご》に塗りこんでいた、誰からかな、と考えながら、下りて行った。――ひょっとすると、バアテンダーの彼と同しく、西銀座の酒場「ロオトンヌ」で働いている女給ののり子からかもしれない、きょうは灯がついて店の開くまで、赤坂のホールでいっしょに踊ろうと約束してあったのだが、きゅうに都合が悪くなったのかもしれない。