江口渙
「よか。よか。尾行られたらまたまきさえすればよかたい」 酔った浜野は持前の九州訛をさえも出して、一層のんきな事を言うのだ。
中学を中途でよして東京へ出て、夕刊を売ったり新聞配達をしたりした結果、やっとの思いで速記を習って新聞社へ人つたのち、見出されて社会部の下っぱ記者になったとおもうと、
机の上に雑然と積み上げられてあるのは、雑誌や小説本やないしは彼女に現在の生活を与えた速記術の書物ででもあるのだろう。彼女はかなりに熟達した速記者であった。