海音寺潮五郎
西郷隆盛

角川文庫


鹿児島市から鹿児島湾に沿って北に十五、六キロの地点に重富という町がある。


昭和52年4月学習研究社刊行の単行本 『西郷隆盛』を文庫化 したも のです。


お部屋様
江戸戮鰍
ふたりの良師
誠忠組結成
安政震災前後
王昭君
条約問題と世子問題
大獄はじまる
投水始末記
傷心
島の西郷
二つの公武合体論
西郷召還
西郷と久光
雷雲
兵庫の月
寺田屋事変
島の指導者
宮門の変
勝との対面
天狗党さわぎ
西郷と吉川監物
監物申開き
長州諸隊の異議と西郷の撤兵論
三途の川を渡る
高杉の挙兵と西郷
解兵
西郷の結婚
太宰府の五卿
長州藩の立直り
さまざまな胎動
泥沼へ
薩・長連合成らず
将軍進発
長州藩の銃・艦買入れ
のぼせる幕府
将軍辞職事件
条約勅許降下
幕・長の交渉
薩・長連合成る
太宰府事件
幕・長手切れ
薩藩の出兵拒絶
パークスの鹿児島訪問
西郷とパークス
長州征伐の不成績
宮島会談
島津久光の心事
大久保と岩倉
西郷とアーネスト・サトー
孝明天皇崩御
西郷の遊説
四侯会議の行きづまり
討幕計画
パリーにおける薩摩と幕府の外交戦
薩・長の討幕会談
公議政体
薩・土盟約
西郷とサトー
英水兵殺害事件
西郷の胸中
出兵の密約
大政奉還建白書
討幕の密勅降下
薩・長出兵
岩倉卿の復帰
王政復古の大号令渙発
新政府発足
慶喜のまきかえし
江戸の情勢
江戸薩藩邸焼打
戦機熟す
鳥羽・伏見の戦い
維新政府(太政官代)スタート
相つぐ外交上の難問題
官軍東征
慶喜、江戸城にかえる
レオン・ロッシュと揺れる慶喜の心
勝安房登場
官軍、箱根を越ゆ
勝と山岡と西郷と
西郷と勝の会談
西郷と勝とパークスと
朝命伝達
江戸開城
徳川海陸軍脱走
徳川氏の処遇問題
薩摩勢力にたいする諸軍諸藩の批判・嫉妬
彰義隊と諸隊
大村の作戦計画
彰義隊戦争
その一 敬天愛人
その二 庄内攻め
その三 西郷の帰国
その四 北海道出兵
その五 西郷の上京と廃藩置県
その六 岩倉、大久保、木戸らの外遊
その七 征韓論の論争
その八 西南戦争について

対談解説 海音寺潮五郎 尾崎秀樹

文庫1
p.6 「 二人のことばつかいは少しちがう。一蔵という青年の方が鄭重だ。それは年がちがうからである。大男の方が二つ三つ上に見える。長幼の序がきびしく、一つ年がちがえばことばつかいから礼儀作法まですべて鄭重にしなければならない国がらなのである。」
文庫2
薩摩なまりの荒々しい調子だ」
文庫3
「やわらかな京ことばのアクセントであるが、それだけにじわじわと真綿で首をしめつける感じがある」
文庫4
「小松の薩摩弁のおどしで解消した」
「漢文調子のことばつかいは、容堂のくせである」
「益満は城下士であった。なかなかのあばれ者で、早くから浪人運動に従事していた。全然なまりのない、きれいな江戸ことばを使ったというから、少年の頃から江戸に出ていたのかも知れない」
文庫5
「「何者であッか! みだりに通行するとは! 通さんぞ!」 と、どなった。薩摩ことばであった。」
「益満は江戸定府の士ではないが、薩摩なまりの全然ない、明晰な江戸弁をつかったと伝承されている」
「「やかましか人」ということばは、薩摩方言では、場合場合で、喧騒な人、口うるさい人、えらい人という意味で使います。西郷はここでは、「口うるさいえらい人々」という気味でつかっているのです」

朝日文庫

全十四巻


1島津斉彬
2井伊大老登場
3大弾圧
4寺田屋の惨劇
5血風の季節
6公使館焼打ち
7大政奉還の初声
8薩英戦争
9奉勅始末記
10高杉挙兵
11薩長連合成る
12岩倉の策謀
13鳥羽・伏見の戦い
14江戸城受け渡し


身ぎれいにしていなければいけないよ。

1島津斉彬


上野の銅像
明治維新と尊王論
薩摩藩の歴史とその藩風
稚児から二才へ
島津斉彬
調所笑左衛門
お由羅騒動
斉彬の襲封と西郷の建白
ベリーの来航と斉彬と西郷の江戸行き
西郷と藤田東湖 
ペリーと吉田松陰 
誠忠組の憤激と斉彬の訓戒
橋本左内と相知る 


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Last-modified: 2024-02-19 (月) 11:35:22