石垣謙二(1942)
「作用性用言反撥の法則」
『國語と國文學』昭和十七年五月


 一 形状性用言と作用性用言
 二 形状性名詞句と作用性名詞句
 三 形状性複文と作用性複文
 四 作用性用言反撥の法則

http://www62.atwiki.jp/kotozora/pages/45.html


一 形状性用言と作用性用言
 離屋翁鈴木朖大人は、その著「言語四種論」に於て、用言の類別法に關する全く新奇な試みを提出してゐる。即ち「形状《アリカタ》ノ詞作用《シワザ》ノ詞ノ事」と題して下の如く述べてゐるのがそれである。


用ノ詞、ハタラク詞、活語ナント、古來一ツニ言來レルヲバ、今|形状《アリカタ》作用《シワザ》ト、分チテ二|種《クサ》ノ詞トセルハ、終リニ附キテハタラクテニヲハノ、本語ニテキレ居《ス》ワリタルモジノ、第ニノ[イ]ノ韻ナルト、第三ノ[ウ]ノ韻ナルトノ差別也、第二ノ韻ナルハ、[シ][リ]ノ二ツ也、[シ]ハ、[キラ〳〵シ][スカ〳〵シ]ナンドノ[シ]ニテ其意シラル、即俗ニ[何々シイ]ト云[シイ]ノココロニテ、其有樣ヲ形容《カタドリ》イヘル詞ナリ、[ケシ]、【シズケシ、ハルケシ】、[タシ]、【ウレタシ、メデタシ】、[メカシ]、【フルメカシ、オボメカシ】、ナンドノ[シ]モ其類ニテ[高シ][卑シ][善シ][惡シ][悲シ][樂シ]ノタグヒノ[シ]、皆同意也、[リ]ハ[有リ]也、[ア]ハ[アリ〳〵]、[アザヤカ]、[アラハル][アキラカ]ノ[ア]ニテ、物ニツヾク寸ハ省《ハブ》カレ消ユル也、[居《ヲリ》]ハ、[ヰアリ]也、[聞ケリ][見タリ]ハ、[聞アリ]、[見テアリ]也、[往ケリ]、[還レリ]ハ[ユキアリ]、[カヘリアリ]也、カク[リ]モジヲ終リニツクル時ハ、本|作用《シワザ》ノ詞ナルモ、皆其|形状《アリカタ》ニナル也、サレバコノ[シ][リ]ノ二モジニテトマル詞ハ、スベテ皆物事ノ形状《アリカタ》ナリ、云々 (國語學大系に據る)

 右の類別法が用言を動詞・形容詞に二大分する普通一般の類別法と結果に於て異る點はラ行變格動詞の取扱ひ方であつて、「有り」「居り」「侍り」「いまそかり」等は動詞から切離され形容詞の中に包攝せられる事となるのである。
 形状・作用の分類は獨立詞たる用言のみならず、附屬辭たる助動詞にも及ぶものである事は上の引用文によつても明かであるが、國語に於ては助動詞をも含めて全活用語が必ず其の終止形イ韻なるかウ韻なるかの二者に限られ、決して終止形がイ・ウ以外の韻に終るものを有しないのであるから、この分類は國語の全活用語を鮮かに兩斷する事となる。而も其の結果として、意味上から、全く同一範疇に屬すべきものと考へられる「有り」と「無し」とが、一方は動詞に他方は形容詞にと、一見極めて奇異なる分屬を餘儀なくされる必要が無くなるのである。又離屋翁がその分類に當つて命名してゐる樣に、分類の結果が、一は事物の形状を表し、他は事物の作用を表す事となる點單に形態上のみの類別でなく、意義的なる觀察とも並行してゐるといはなければならない。かくて右の分類法は國語の本性に對して相應に適合したものといふべきであつて、動詞・形容詞に二大分する分類法と共に同等の意義を有すると考へられるのであるが、室町時代以後、國語の活用語を襲つた大變動の一つとして、ラ行燮格活用が消滅した結果、形態上の必然性が失はれた爲に、「言語四種論」の後、この分類法は言ふに足る發展を途げず、動詞・形容詞の分類法に比して著しく等閑に附されてゐる如き觀がないでもない。然しながら、少くもラ行變格活用消滅以前の國語に對しては充分の價値を有するものと考へられるので、私は以下、右の離屋翁の分類法を基礎としてこの分類法が國語の構域上に如何に投影してゐるかを研究してみたいと思ふのである。
 右の離屋翁の分類は次の如く約言する事が出來るであらう。


國語に於ける總ての活用語は、終止形がイの韻に終るものとウの韻に終るものとの、二種に分れる。而してこの二種に限る。前者を形状性用言、後者を作用性用言と命名する。

 さて、かく形態的に規定する時、形状性用言は必ず事物の形状を表し、作用性用言は必ず事物の作用を表して決して相犯さないといふ意義的な事實の、必然的に附隨する點が、前述の如く此の分類法の特性である。然しながら言語には常に變遷發展があり、意味の推移、語性の轉換がある事は冤れ難い處であつてその爲に、後天的な意義の變化によつて語性を轉じたと見られるものが少數ながら存するのである。師ち次に順次檢討する數語であつて、すべて元來作用性用言であつたのが形状性用言としても用ゐられるに至つたもののみで、此の逆のものは存在しない。

 一、見ゆ・聞こゆ・思ほゆ(おぼゆ)
之等の語は、事物の作用を表さずして、其の事物を「見」「聞き」「思ふ」處の主體的存在の判斷を表すものであつて、この點意味上形状性用言に入るべきものと考へられる。之等の語が元來、「見る」「聞く」「思ふ」に助動詞「ゆ」の添加したもので本元的には一語でない事、既に諸先輩の指摘された處であるが、之等の語が意味上事物の作用を表さず形状を表すのはかかる後天的現象の結果であると云ひ得るのである。

 二、侍ふ・候ふ・おはす之等の語は、もと夫々特有の作用を專ら表してゐたのであるが、語義の變化によつて意味上「あり」「侍り」と全く同一な用法を生じた事は人の知る所である。而してこの意味上の變化は平安時代以後に起つた後天的な現象である事は實證する事が出來る。

 三、といふ・になる
「といふ」とは名稱を表す場合に用ゐ、「になる」とは年齡を表す場合に限られるものである。現代語に於ても「私は何某といひます」「私は某歳になります」とは畢竟「私は何某です」「私は某歳です」と同じ意味を表してゐるのであつて「いふ」「なる」の作用としての意味を伴はぬ事明らかであるが、かかる用法の發生も實證し得る時代に屬するものである。

 四、ず・む
否定の助動詞「ず」は終止形がウの韻に終るものであるが、その活用形式は形容詞式と認むべきでありへ橋本先生昭和十三年度御講義「國文法體系論」)、而もその活用に於て明らかにナ行系とザ行系の異る二種の混合と見られ、之も亦後天的に何等かの變化を途げた活用形式と認められるのである。又、推量の助動詞「む」も終止形がウの韻で終ってゐるが、元來「む」には單なる推量や未來を表すものと決意を表すものとの二つがあり、前者は意味上形状性を有すると考へられる。何となれば文語形に於ては「行か掴」といふ形が、一體で二義を有し、推量と決意とを同時に表し得るのに、口語形では「行かう」は通常標準語に於ては、決意のみを表して推量を表さぬ。單なる推量を表す爲には「行くだらう」となり「だら」を「であら」に還元すれば「あり」の介入してゐる事が知られるのである。更に又之等が丁寧な語法に於ては「行きませう」と「行くでせう」との二種になるが、「いづれ詳しい事は本人が申上げませうが取りあへず私から大體をお話します」の如く、「ませう」が推量を表す事も絶無とは言ひ難いけれども、通常、「行きませう」は意志を、「行くでせう」は推量を表す。「ます」と「まゐらす」、「です」と「であります」の關係を考へる時に、此處でも推量を表す方には形状性の存在する事を知るのである。助動詞が時枝先生の所謂觀念語である點から云つても言語主體の決意建表す用法の方がより直接的表現と考へるべきであるから、單なる推量や未來を表す用法は後天的に「む」の用途が擴大された結果生じたものと見るのが妥當であり、隨つて終止形がウ韻なる「む」に形状性の用法が生じたのも亦語性の轉換の結果と云へるのである。推量の「らむ」「けむ」も同樣である。

 形状・作用の分類に於て例外と認むべきものは右の數語のみであるが、上述の如く之等が皆後天的に意義や語性の變化乃至擴張を途げた結果、新に生じた現象であつて決して之等の語に於ける本元的な性格でない事を知り得るので泌る。故に、形状・作用の分類は國語の活用語が未だ言語變遷といふ風化作用の浸蝕を蒙らなかつた時代に於ては實に一の例外をも許さぬ見事な分類であつた事を想像し得るのであり、この點から云って、右の分類が必ずや國語の本性に根ざす有力な必然性をもつものと考へる事が出來るのである。
 さて、右の數語即ち形態上からは終止形ウ韻の活用語でありながら意義上からは事物の形状を表すものを、準形状性用言として形状性用言中に編入する時は、形状性用言の範圍は次の如くになる。


 一、形容詞
   ク活用、シク活用
 二、動 詞
   ラ行變格活用、見ユ・聞コユ・思ホユ、侍フ・候フ・オハス、`トイフ・ニナル
 三、助動詞
   ベシ・タシ・ゴトシ・マジ・マホシ、タリ・リ・ケリ・メリ・ナリ・ベカリ・タカリ・マジカリ.マホシカリ・ザリ・ゴトクナリ、キ・マシ・ラシ・ジ、ズ・ム・ラム・ケム

從つて、右以外のすべての活用語が作用性用言である。かかる分類が國語の構造上如何なる結果を現すであらうか、之を以下研究したいと思ふ。

二 形状性名詞句と作用性名詞句
 助詞「の」は體言(又は之に準ずるもの)と用言とを結合して主格關係を構成すると云はれるが、此の場合獨立の單文を構成する事は寧ろ稀で多くは複文の一部分として名詞句を構咸するものである。然るにかく「の」に依つて構成せられる名詞句には極めて性質を異にした二種類が識別され一概に同一物として取扱ふ事が出來ないといふ事を、嘗て湯澤幸吉郎先生が指摘して居られる(國語學論考、「の」「が」を件う句の一形式)。即ち、
 (1) 友の遠方より訪れたるを喜ぶ。
 (2) 友の遠方より訪れたるをもてなす。
右の(1)働に於て傍線の部分は夫々「喜ぶ」「もてなす」に對して客語の資格に立ち「の」に依って構成せられた名詞句である。而も形の上では(1)働全く同一であつて何等の違を認められないのであるが、意味の上から考察する時は必ずしも同一とは云ひ得ない。何となれば(1)は「友の遠方より訪れたる(事)を喜ぶ」のであるに對して、(2)は「友の遠方より訪れたる(者)をもてなす」のであり、(1)に於ては「友の遠方より訪れたる」全體が一つの陳述として・即ち一文として下へ懸つてゆくのに對して、(2)に於ては「友の遠方より訪れたる」の中、意味上直接下へ懸つてゆくのは體言「友」だけである。(1)は畢竟「友をもてなす」のであつて「遠方より訪れたる」は「友」を述定してゐるといはんよりは裝定してゐるのである。即ち(1)の「の」は既に湯澤先生も雪つて居られる如く英獨佛語等の關係代名詞に類する働きをなしてをり、又所謂同格に類する形式を構咸してゐる事となる。(2)の「の」は主格助詞でなく寧ろ屬格の助詞と云ふべきであらう。

以下略


|   | 形容詞 | ラ変動詞 | ベし | まじ | まほし | たり | なり | けり | り | ざり | かり | き | 見ゆ | 候ふ | おはす | といふ | になる | ず | む | らむ | 其の他|
| 宣命| | 1| 1| | | | | | | | | | | | | | | | 1| | |
| 祝詞| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
| 竹取| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
| 伊勢| 2| | | | | 1| | 5| 1| | | | | | | | | | | | 1|
| 土佐| 1| | | | | 1| 2| | | | | | | | | | | | | | |
| 大和| 4| 2| | | | 4| 5| 8| 1| | | | | | | 1| | | | | |
| 源氏| 59| 36| 6| 2| 2| 109| 63| 7| 36| | 16| 4| 2| 1| 1| 2| | 10| 4| 1| 13|
| 今昔| 56| 61| 5| | | 107| 113| 129| 12| 3| | 9| | 5| 2| 1| | 13| | | 33|
| 宇治| 16| 18| 2| | | 37| 35| 31| 1| | | 5| | | | | | 5| | | 8|
| 著聞| 9| 3| | | | 23| 12| 35| 2| | | | | 2| | | | | 1| | 4|
| 愚管| 1| 1| 1| 1| | 1| 7| 16| | | | 5| | | 3| | 1| 3| 2| | |
| 保元| 1| | | | 1| 6| 2| 1| | | | | | | | | | | | | |
| 平治| 2| | | | | 5| | 2| | | | 1| | | | | | | 1| | |
| 計 | 115| 122| 15| 3| 3| 294| 239| 234| 53| 3| 16| 24| 2| 8| 6| 4| 1| 31| 9| 1| 59|

即ち「の」が關係代名詞的に用ゐられる名詞句に於て「の」の下に如何なる用言が置かれるかを檢討してみると前頁の表の如くになる。

!--
 さて右の如く名詞句に於ける「の」助詞には異つた二種を識別すべきであるが此の二種の差は意味上のみの問題であるか、或はその文法的形態上にも何等かの違を認め得るものであるか。今試みに似の名詞句、即ち「の」が關係代名詞的に用ゐられる名詞句に於て「の」の下に如何なる用言が置かれるかを檢討してみると前頁の表の如くになる。(各時代を通覽する爲に次の諸文獻を選んだ。續紀宣命・祝詞・竹取物語・伊勢物語・土佐日記・大和物語・源氏物語・今昔物語・宇治拾遺物語・古今著聞集・愚管抄・保元物語・平治物語。猶調査に用ゐた底本は「國語と國文學」二百十號の拙稿に於けるものと同一である。)
 右の表は、關係代名詞的の「の」によつて構成される名詞句の用言が、大部分前節で規定した所謂形状性用言なる事を示すものである。一二の例を擧げれば、

奪靈乃子菰遠流天尋京都仁召上天臣止成无(三四詔)
しろき鳥のはしとあしとあかき、しぎの大きさなる、水の上にあそびつゝ (伊勢物語)
文時・惟茂が舟の遲れたりし、奈良志津より室津へ來ぬ (土佐日記)
此の大徳の親族なりける人の女の内裏に奉らんとてかしづきけるを密かに語らひてけり (大和物語)
友だちの人をうしなへるが許 (伊勢物語)

又準形状性用言の例は、

紙の御几帳の側より仄見ゆるを取りて (源氏横笛)
所領の候を人におしとられて候 (著聞集五)
神ノ御スルガ人ヲ生蟄二食也 (今昔廿六)
女の辨といふを呼び出でて (源氏葵)
王子ノ四ニナラセ給ヲ踐祚シテ (愚管抄六)
兄弟などにはあらぬ人の、氣近く言ひ通ひて事に觸れつ二自ら聲氣はひをも聞き見馴れむは、いかでか唯には思はむ (源氏宿木)

 猶、室町時代に入ると、國語の活用語は大體終止形連體形の區別を失ひラ變活用が消滅するのであるが、此の場合關係代名詞的「の」助詞に從ふ用言は、天草本の平家物語・伊曾保物語に於ける調査に依れば、形容詞、「たり」「なり」の後身たる「た」「な」、及び準形状性用言のみである。
 以上により、嚮の(1)の「の」、即ち關係代名詞的の「の」によつて構成される名詞句は、形状性用言を要求すると一應結論されるのであるが、茲に問題となるのは、嚮の表に於て「其の他」として一括したものであつて、之は純粹の形状性用言にも準形状性用言にも屬せざる、隨つて純粹の作用性用言のものを一括したのである。而も之等はその數に於ても一概に例外として葬り去る事は許されない。「其の他」の部に一括したものは如何なる例であるか、煩を厭はず少しく列擧してみよう。
  嫡腹の限りなくと思すは、はかみ丶しうも得あらぬに (源氏賢木)
  物怪の現れ出で來るも無きに (同柏木)
  京の家の限りなくと磨くも、え斯うはあらぬやと覺ゆ (同總角)
  山人ノ行キ通ズル、五人有ケリ (今昔五)
  大ル童ノ本ヨリ仕ル有リ (同十二)
  女ノ清水二彊二參ル有ケリ (同十六)
  僧 共ノ相知ル、有テ (同十七)
  圓ナル物ノ光ル有ケリ (同二十七)
  武者ノ通ル有ケリ (同二十九)
  節會の袍とてほのろ丶とある物の人にかすなどが有けるを (著聞集三)
  妻のいと物ねたみする有けり (同十六)
  嬋の露をのまんとするあり (同二十)
  たよりなかりける女の清水にあながちにまいる、ありけり (宇治拾遺十一)
  入たるもののかへりゆくなし (同十一)
  唐人の雫いみじくをくありけり (同十四)
之等の例を通覽する時は,自ら一の共遘な現象に氣附かざるを得ない。それは右の諸例が悉く、「の」に依つて構成される名詞句を主部とする複文であり、而もその複文の述部を形成してゐる用言が必ず「有り」又は「無し」を有する事である。即「の」の方から云へば「の」の直接連續して行く用言は作用性用言であるが更に「の」が間接的に連續して行く用言が必ず形状性用言、特に「有り」又は「無し」であるといふ事になる。
 嚮の表に於ける「其の他」の中から、右の如き例を除き去ると殘る所は極めて少數となり、而も異本に於て形状性用言となつてゐるものか或は明かに形態的及び意義的類推混淆によつて生じたと考へ得るもののみとなる。特に今昔物語の如き比較的不明確な表記法を用ゐてゐる文獻に在つては、例へば「入ル」「返ル」「下ル」「爲ル」等を「イレル」「カヘレル」「クダレル」「セル」等と訓むべきであるかも知れないので直ちに作用性用言と斷定し難い點もあるから、眞に確實な例外としては、
 (1) 人のむすめのかしつく、いかでこのおとこに物いはんとおもひけり (伊勢物語)
 働 受領どもの面白き家造り好むが、この宮の木立を心に附けて (源氏蓬生)
 ㈲ 夜光ル玉ノ目出タク明ク照スヲ持テ (今昔十)
 ㈲ 船ノ行クガ、島隱レ爲ルヲ (同二十四)
 ㈲ 女ノ形チ美ト聞クヲバ、宮仕人ヲモ人ノ娘ヲモ見殘ス无ク員ヲ盡シテ見ム (同二十七)
      暁ハシ
 ㈹す父めのおどりありくを、石をとりてもしやとてうてば (宇治拾遣三)
 Gり このとらの人くふを、やすく射ん (同十二)
の七例のみとなつて了ふ。而も㈲の「が」を接續助詞と見、⑥のを、「ありく(所)を」「くふ(所)を」と解すれば之等は例外でないと考へる事も全く不可能ではない。いづれにせよ、例外の無い法則が存在しない以上全用例一二七八の僅か○・五%に過ぎぬ之等七例の例外は許容さるべきものと信ずるのである。
 故に今、關係代名詞的「の」助詞によつて構成される名詞句を形状性名詞句と命名する事が出來ると思ふ。意味の方面から云つても形状性名詞句は前述の如く事物を其の屬性の形状的な相に於て裝定するものと云ふ事が出來る。然る時は當然之に對して、普通の主格助詞の「の」によつて構成せられる名詞句は之を作用性名詞句と呼ぶ事が出來るであらう。作用性名詞句は又前述の如く事物を其の屬性の作用的な相に於て述定するものだからである。
 形状性名詞句が形状性用言のみを要求することは上來考察し來つた處によつて明かであるが、一方作用性名詞句は如何であるかといふに、之はその用言に何等の制約を蒙らない。作用性用言も形状性用言も自由に用ゐられるのであつて之については特に證明の勞を探る必要も無いと思ふのであるが、この結果起るべき現象で注意を要する事は形状性名詞句と作用性名詞句とは意味上からは矛盾概念であるが形態上からは矛盾概念でない事であつて、即ち形状性用言は、同時に形状性名詞句をも作用性名詞句をも構成し得る點である。本節の初めに擧げた(1)(2)の二例
 (1) 友の遠方より訪れたるを喜ぶ。
 (2) 友の遠方より訪れたるをもてなす。
に於て傍線の部分は(1)は作用性名詞句、(2)は形状性名詞句であるが形態上からは全く同一であるのは之が爲である。かかる場合には兩者の識別は單に意味上、作用的な相に於て述定してゐるか形状的な相に於て裝定してゐるかの點に懸るのである。
 さて、名詞句に形状性のものと作用性のものと二種が存するのは、助詞「の」の特性によるものである。即ち體言へ連續する場合に「の」には、「大臣乃子等」の如き所有乃至所屬を表すものと共に「八束穂能伊加志穗」の如く同種の醴言を結合する同格的なものが存する所に原因を有するものである。かかる同格的な用法は他の助詞に存しない所であつて、隨つてかかる同格的な用法の一發展と考へられる形状性名詞句は「の」以外の助詞によつては構咸されないのが原則であるべきである。現に國語史に徴しても古くは「の」助詞以外のものはないのであるが、湯澤先生も云つて居られる樣に、後世、大體平安朝中頃以後と思はれるが、恐らくは「の」助詞への類推からであらう、他の助詞即ち主格助詞や係助詞等にも此の用法が傳染した。又助詞を全く伴はない形式へも擴大された。この結果、名詞句はすべて、「の」を伴ふと否とに論なく、必ず形状性名詞句か作用性名詞句かのいづれかに屬する事となつたのであり、而もこの場合に、形状性名詞句の用言は依然「の」の有無に關せず形状性用言であつて、「の」の場合と全く同樣である。
 故に、上來考察し來つた處を要約すると次の如くになるのである。

すべての名詞句は形状性名詞句と作用性名詞句の二種に分れる。而してこの二種に限る。作用性名詞句の用言は如何なる用言たるも自由であるが、形状性名詞句の用言は必ず形状性用言である。但し形状性名詞句にして而も作用性用言を有するものは、必ず複文の主部となり、其の複文の述語が必ず形状性用言である。

三 形状性複文と作用性複文
 前節に於て、形状性名詞句は必ず形状性用言のみを有する事を看たのであるが、其の際形状性名詞句でありながら作用性用言を有するものは一見例外の如くであるが、それらは必ず複文に於ける主部を成すものであり、而もその複文の述部に必ず形状性用言の存する事を知つたのである。この事實によつて吾々は名詞句の用言とその名詞句を主部とする複文の述部を構成してゐる用言との間に、何等かの相互關係が存するのではないかと想像する事が出來る。依つて此の節に於ては專ら名詞句を主部とする複文の述語たる用言を檢討してみようと思ふ。國藷に於て主語を表す形式は、「の」助詞を用ゐるもの、「が」助詞を用ゐるもの、及び助詞を用ゐないものの三つが有るから、今、名詞句が複文の主部を構成するにも亦、之等の形式に從つて三つの場合が生ずる筈である。然るに「の」助詞は用言を直接承ける事が出來ないので(此の點については二百十號「國語と國文學」の拙稿に詭いた)、從つて、名詞句を承ける機能がない。故に存在し得る形式は
  名詞句鳶用言(・は助詞を伴はぬ印)
の二つだけである。而して此の名詞句が、前節で看た樣に形状性のものと作用性のものとの二種に分れるから、合計四つの場合が存在するのである。最初に作用性名詞句が主部となる複文を、先づ助詞を伴はぬ形式に就いて檢討してみよう。かかる形式は歌謠にも求める事が出來、萬葉集にも既に少數ながら現はれてゐる。
 宍三四、衣手に水澁つくまで植ゑし田を引板吾が延へ守れる苦し (眞守有栗子) (卷八)
 二五天、吾妹子し吾を邊ると白細布の袖漬づまでに哭きし念ほゆ(哭四所念) (卷十一)
 晃三、いつまでに生かむ命ぞ凡は戀ひつつあらずは死なむ勝れり(死上有) (卷十二)
之等は皆作用性名詞句を主部とする複文であり波線は名詞句の用言、直線は複文の用言である。右の例に於て氣付く事は、複文の用言即ち直線を引いた部分が、いづれも形状性用言のみであるといふ點で、即ち、右の訓は殆んど確定的と思はれるが、「苦し」は形容詞であり、「勝れり」はラ行變格式活用を有する辭「り」を有し、「念ほゆ」は準形歌性用言である。かかる少數の例から直ちに結論を引出すのは勿論危險であるが恐らく右の事實は偶然ではあるまい。何となれば、右の例の如く普通の作用性名詞句を主部として有する複文は萬葉集中上の數例以外殆んど見出せないが、同じ集中には、
 三四四九、しろたへの衣の袖を眞久良我よ海人榜ぎ來見ゆ(許伎久見由)浪立つなゆめ (卷十四)
の如く、終止形の用言より成る特殊の作用性名詞句をもつ複文が三十二例發見され、而も之等の複文の述部を成す用言は必ず「見ゆ」である。「見ゆ」が準形状性用言である事は既述の通りである。更に萬葉集には、複文の主部を咸す作用性名詞句と考へられるものに、
 一究、あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隱らく惜しも(隱良久惜毛) (卷二)
の如き、所謂ク語法による特殊な形が相當頻繁に用ゐられてゐるが、かかる場合の複文の用言も、
 (1) 形容詞の終止形に、助詞「も」又は接辭「み」の副つたもの
 (2) 形容詞の連體形
 ㈹ 形容詞の連用形
の如く形容詞のみであり、僅かに
 一六〇九、宇陀の野の秋萩凌ぎ鳴く鹿も、妻に戀ふらく我には釜さじ(戀樂苦……不釜) (卷八)
 二9三、相見らく飽き足らねども(相見久厭雖不足)いなのめの明け行きにけり船出せむ孃 (卷十)
の二例のみが動詞であるが、之等も「じ」「ず」の兩助動詞共形状性用言である。
 かくの如く、萬葉集に在つては作用性名詞句を主部とする複文に於て、その複文の述部を構咸する用言が形状性用言のみで作用性用言を見ないのであるが、之が普遍的法則であるか否か次に再び各時代の諸文獻に就いて調査してみると、作用性名詞句を主部とする複文の述部たる用言は上の表の如くになるのである。上代には萬葉集の上述の諸例以外には「見ゆ」を複文の述語とする例を記及び紀の歌謠に見出すのみである。

表略

 上の表の如く、すべて形状性用言のみである事を實證し得るのである。少しく例を示せば、
  手叩けば山彦の答ふる、いと煩はし (源氏夕顔)
  筆の行く、限りありて (源氏繪合)
  コノ宴ヲオコサル丶、然ルベシ (愚管抄六)
  目はなにいる、たへがたし (宇治拾遺十一)
  一ノ牛ヲ殺シテ其ノ報ヲ受ケム、併如レ此シ (今昔
  二)
汝ヂ出家ノ人香油ヲ身二塗ル、糞ヲ塗ルニ似タリ (今昔二)
斯く迎ふるを翁は泣き歎く、能はぬ事なり (竹取)
 其女、カノ強キ、入ノ力百人ニ當リケリ(今昔廿三)
  われきのふ物語せんと思ひしに我を見ざりし、ほいをそむけり (著聞集二)
  壹演召二隨テ參テ大臣ノ御枕上ニシテ金剛般若經ヲ讀誦スル、數卷二不レ及ザル程ニ (今昔四)
  現二人ヲ馬二打成ケル、更ニ不二心得一ズ (今昔卅一)
  下人も數多く頼もしげなる氣色にて橋より今渡り來る、見ゆ (源氏宿木)
  此禪師ヲ取テ打出ントシケル、又聞ヘテ (愚管抄六)
  生きたらじと思ひ沈み給へる、理と覺ゆれば (源氏玉鬘)
 右によつて作用性名詞句を主部とする複文の用言が必ず形状性用言なる事を、助詞を伴はざる形式に就いて證明したのであるが、この事實は「が」助詞による複文の場合も全く同樣である。之を例示すれば、
  わがきぬはがんとしつる男のにはかにうせぬ惹があやしければ (宇治拾遺十四)
  水のなきが大事なれば (同七)
         もトヨシきノ
  さばかり語らひつるが流石に覺えて (竹取)
 以上考察し來つた所を要すれば、作用性名詞句を主部とする複文の述語は必ず形状性用言であるといひ得るのである。即ち
  作用性名詞句{む形状性用言。
となるのである。
 之に反して、主部が形状性名詞句の場合は
  ある人の子の童なる、ひそかにいふ (土佐)
  新院ノ御ヲモイ人ノ烏丸殿トテアリシ、イマダ生タリケレバ (愚管抄五)
  女のまだ世へずとおぼえたるが入の御もとにしのびて (伊勢)
  香の御・唐櫃に入れたりけるがいと懷かしく香りたるを (源氏蓬生)
の如く、助詞を件はぬ形式も「が」に依る形式も共に複文の述語として形状性用言をも作用性用言をも自由に用ゐる事が出來るのである。即ち、
  形状性名詞句{㌍すべての用言。
となるのである。
 前節で述べた樣に、作用性名詞句は「事」といふ體言の資格を持ち、形状性名詞句は「者」といふ醴言の資格を持つのであるから、之等を主部とする複文は夫々、
  友の遠方より訪れたる(事)が嬉しきなり。
  友の遠方より訪れたる(者)が戸口にて呼ぶ。
の如くになり、隨つて、作用性名詞句を主部とする複文の述語は事の屬性を形状的な相に於て判定し、形状性名詞句を主部とする複文の述語は、「者」の屬性を作用的な相に於て陳述してゐると云ふ事が出來る。故に、作用性名詞句を主部とする複文を形状性複文、形状性名詞句を主部とする複文を作用性複文と命名する事が出來るであらう。然る時は本節で述べた所は次の如く約言する事が出來るのである。
 作用性複文の述語は如何なる用言をも採り得るが、形状性複文の述語は必ず形状性用言に限る。
四 作用性用言反撥の法則
以上論じ來つた處を整理すると次の如くになる。
第一則
 國語に於ける總ての活用語は、終止形がイの韻に終るものとウの韻に終るものとの二種に分れる、而してこの二種に限る。前者を形状性用言後者を作用性用言と命名すれば、形状性用言は事物の形状を表し、作用性用言は事物の作用を表す。
第二則
 すべての名詞句は、事物の屬性を作用的な相に於て述定するものと、事物の屬性を形状的な相に於て裝定するものとの二種に分れる、而して此の二種に限る。前者を作用性名詞句、後者を形状性名詞句と命名すれば、作用性名詞句の用言は如何なる用言をも探り得るが、形状性名詞句の用言は必ず形状性用言に限る。但し形状性名詞句にして而も作用性用言を有するものは、必ず複文の主部となり其の複文の述語が必ず形状性用言である。
第三則
 名詞句を主部とする總ての複文は、主部の屬性を作用的な相に於て陳述するものと、主部の屬性を形状的な相に於て判定するものとの二種に分れる、而して此の二種に限る。前者を作用性複文、後者を形状性複文と命名すれば、作用性複文は形状性名詞句を主部とし且如何なる用言をも述語として採り得る。之に對して形状性複文は作用性名詞句を主部とし且形状性用言のみを述語とする。
今第二則を圖示するに、係助詞共他によるものを姑く措き、格關係の形式のみに限定すれば、
 (1) 作用性名詞句の構造
   吻}輪鞴詬
 (2)  一般形状性名詞句の構造
   吻}形状性用言
 ㈹特殊形状性名詞句の構造
   輌作用性用言守歌性里一目
次に第三則を圖示すれば、
 ㈲ 作用性複文の構造

形状性霾轟轜詬
形状性複文の構造
作用性名詞⊥が}形籍言
故に(1)を㈲に代入し、(2)を㈲に代入する事によつて次の如き圖式を得る事が出來る。
(甲)
(乙)
(丙)
脚纛難}コ形奮一高
胸}形状性用言{髴齷嬰冖
胸}作用性用言コ形篶昌一肖
右に於て                (乙)(丙)は作用性複文の構造を示すものである。即ち普通主格を示す
形式として認められてゐる「の」助詞による形式・「が」助詞による形式・助詞によらざる形式の三者の組合せによつて

の異つた複文形式が可能である事になる。而も之等の三十形式を通じて、用言の組合せ上一つの興味ある結果を發見する事が出來るであらう。即ち、形状性用言同志の組合せは存在するが作用性用言同志の組合せは途に發見し得ない事である。茲に至つて次の如き原則を導く事が可能である。
第四則
 名詞句を主部とする總ての複文に於て、名詞句の用言か複文の用言か少くも何れか一方は必ず形状性用言である。名詞句の用言も複文の用言も共に作用性用言なる事は原則として絶對に存在しない。
右の原則を私は假に「作用性用言反撥の法則」と命名しようと思ふのである。
 「の」助詞と「が」助詞との組合せの形式について、源氏物語の實例を擧げて右の事實を示せば、
 (イ) 「の」が作用性名詞句を構成し「が」の續く語のみ形状性用言なるもの
  この君のいたくまめだち過して常にもどき給ふが妬きを (紅葉賀)
 (ロ) 一の」が作用性名詞句を構域し「が」の續く語も承ける語も形状性用言なるもの
  年頃に習ひ侍りにける宮仕の今はとて絶え侍らむが心細きになむ (椎本)
 (ハ) 「の」が形状性名詞句を構成し「が」の承ける語のみ形状性用言なるもの
  よからぬ狐などいふなる物の諮れたるが亡き人の面伏なる事言ひ出つるも (若菓下)
 (二) 「の」が形状性名詞句を構咸し「が」の承ける語も續く語も形状性用言なるもの
  雲の薄く渡れるが鈍色なるを (薄雲)
 (ホ) 「の」が形状性名詞句を構成し「が」の續く語のみ形状性用言なるもの。
  こよなく衰へたる宮仕人などの巖の中尋ぬるが落ち留れるなどこそあれ (澪標)
右の如く五種類に限るのである。「が」の承ける語も續く語も共に作用性用言の例は原則として存在しないのである。即ち、例へば、
  子供の群がるが騷ぐ
と云ふが如き形式は、國語に於て一の複文を成立せしめる事が出來ない。「が」の承ける語も續く語も共に作用性用言だからである。之を成立せしめんとすれば、
  子供の群がるが騒がし
の如く「が」の續く語を形状性用言として、作用性名詞句を主部とする形状性複文とするか、又は
  子供の群がれるが騷ぐ
の如く「が」の承ける語を形状性用言として、形状性名詞句を主部とする作用性複文とするか、二者の中いづれかに依らなければならないのである。
 室町時代以後ラ變活用の消滅によつて、形状性用言・作用性用言の形態上の區別が失はれたけれども、右の原則は現代に至るまで相當の程度行はれてゐると考へられる。
  滝艦の進むのは立派だ、タンクの走るのは凄い
  戸軍艦の立派なのが溜制 尸タンクの劇凶のが翻


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Last-modified: 2024-01-16 (火) 23:23:24