『苦海浄土 わが水俣病』
九州方言会話
入江の向こう側が茂道部落、茂迫のはしっこに、洗濯川のような溝川が流れ、これが県境、「神ノ川」であり、河原の石に乗って米のとぎ汁を流せば、越境してしまう水のそちら側の家では、かっきりと鹿児島弁を使うのだった。
きいてくれても、東京弁の鼻声で、あ、そうか、そうか、ちゅうふうで、ききながしじゃったわけですよ。
よその訛の言葉だ。笑えばすずしげな顔になる。
ヒロコは中学を出て奈良、兵庫、愛知あたりの従業員七、八人から十二、三人ぐらいの織布工場を転々としたあげく、部落での生活の物珍しさや、かりそめの心の安定らしきものを水俣アクセントの関西弁で報告に来ていたが、音信不明になった。