能田太郎
「琉球語agayunと肥後方言アガル」
『方言』1-4
1931.12


 本誌第三號所載伊波普猷氏の「琉球語彙」は、何人も興映深く讀まれたところであらうが、其の中、agayunに就て、私は只に讀み過して置けぬ關心を覺えたのである。蓋し、肥後方言に於けるアガルはたしかに氏の考説を傍證し、且つ古語の殘留を稍z一般的に確證する資料の一つであらうと心づいたからであつた。

 北肥後玉名郡南ノ關町附近現行方言動詞アガルは、一方で標準語「あがる(上る、あげるの自動形)」と同じ語義と、用法を有してゐたが、他方では正しく伊波氏の引用された古語の「あがる」及び琉球現行方言agayunと同じ語義と、略同じ用語法とを有してゐた。帥ち「退散する」又は「退去する」などの語義を有してゐた。例へば、児童が學校が終つて歸宅することを、即ち東京で「學校がひける」といひ、東北地方(青森縣三戸郡地方)「學校からさがる」といふ場合「學校からアガル」といひ、「もうアガッたかい」「まーだアガラんかい」などゝいふ。又百姓が野良仕事を止め若くば終へて家路につくことを「ほかからアガル」(ほかは田圃又は野良の義である)といひ、「もうーアガラすとよかてな」(もう歸つて來ればよいのにな、といふ程の義)などいふ。是等のアガルが、古語に見えた用語例と全く同一であることは甚だ興味深いことであつた。學校からアガルとか、「野良≪ホカ≫からアガル」とかいふやうな語法が、肥後一般のことであるかどうかは私の未だ確めてないことであつたが、少くとも筑後の南半分三池郡、八女郡、山門郡では、凡そ北肥後の當地方と同じ用語例を有してゐた。私は此のアガルが、實は九州方言に於ける一般的事象ではないかと思つてゐるが孰れの方言書類もこれを載せてゐなかつた。其の中に出來るだけ調査して見ようと思つてゐる。

 更に書き添へて置きたいことは、當地方及び筑後南半分で、昼食のことをヒヤガリ又はヒルアガリといふことであつた。此のヤガり即ちアガりは又右のアガルの名詞化されて、更に一方で食事することを稱する敬語アガルと混用されて「食事」の義を有するに至つたのであつて、もとは昼食の爲に仕事を休んで家路につく事ではなかつたかと思ふ。又右と同じ語例に「お茶アガリ」の語があつたが、これも同様にしてもとは「お茶飮み」の義ではなく、「お茶」即ち小昼叉は間食のために仕事を休んで其の場所を退ることであつたかと思ふ。昼アガリ及びお茶アガリに對して、朝アガリの語は折々聞くが、晩アガリの語は用ひぬやうである。茲で考へ合せたいのは、蠶の上簇状態に至ることを當地方一般及び筑後地方にてもアガルといつてゐることであるが、それを簇に上がるからだとばかり斷定することはまだ早からうと思ふ。東北地方(青森縣三戸郡地方)でそれをヒギルといひ、乃至は「ヒギがたつ」(共にギは半濁音)といつてゐるのは、これも恐らくは「退く」義であつて、南のアガルと同義語であつたと思ふ。即ち、又南方の當地方で、物の乾燥すること或は川の水の無くなることをヒアガルと稱する語と無關係ではなかつたらうかと思ふ。ヒアガルのアガルは蠶のアガルのそれと同義語で、「上」るではなく、「退く」の義で臆測するならば、ヒギルの語根と、アガルとの合成語であつたと考へ得るのである。更に又糸を手繰るならば商賣の不況に陥つたの、失職したりして困つたりするとき「仕事んアガッたりなつたといふのも「上る」では解釋が難かしいと思ふ。即ち此の場合も「退く」義から稍z轉じて「無くなる」義であると解した方が適切であつた。されば、右の樣な揚合、大變困ると、「口ば棚さんアゲとかにャんばい」といふのは、アゲルを「上げる」と誤解した後の世の地口ではなかつたらうか。

 以上は只思ひついたまゝを書き溜めたのであるが、伊波氏の熱心なる勞作に對して一證となり得たならば幸甚であつた。

伊波普猷「琉球語彙」


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:07:59