假名文字使蜆縮凉鼓集上 抑モ此ノ書を編纂する事は、吾人、言ヒ違ふる詞・書き誤れる假名文字あるを正さんため也。其ノ詞、他にあらず、「しちすつ」の四の音なり。此ノ四字は清て讀ムときに素より各〻別なるがごとくに、濁りて呼ぶ時にも亦同じからず。然るに今の世の人、「しち」の二つを濁りては同じうよび、「すつ」の二つをも濁りては一つに唱ふ。是レ甚しき誤り也。啻ニ口に唱ふるのみならず、文字をも亦、相ヒ混じて用ふ。蓋シ口に分れざる事は心に別ちなければ也。心に分たざるが故に文字をも亦思ふまゝに書ぬる者成ルべし。豈ニ是レ語音の失錯・文章の瑕疵ならずや。某、不肖を忘れて世俗通用の詞に付て、彼ノ四音に預かれる文字を書キ集めて一編となす。其ノ違へる所は識者の改正に任せ訖(オハン)ぬ。凡ソ此ノ冊を見ん人、若シ兼ネて彼ノ四音の異なる事を知ラざらんに、是より始て其の別ち有る事をしれらば、音韻の道にをいて違はざるに庶(チカ)かるべし。 一 此書を輯(あつ)むる事、本より兒女の輩のためなれば、其ノ詞の頭(かしら)字(じ)を取て、以呂波の序(ついで)に隨がひて是を集む。又、「ゐ・お・ゑ」の假名(かな)をも三(さん)音(おん)通(つう)呼(こ)の義に任せて、「い・を・え」の内に併(あはせ)入れ其ノ中にて主爨(しゆさん)の抄等に從がひて、各假名文字を書キ分ケぬ。然れば「いろは」にもとづきて尋ぬべし。 一 凡そ類集の次第、初には乾坤(けんこん)〈あめつち〉の類、次に生植(しやうしよく)〈うへもの〉の類、次に氣(き)形(ぎやう)〈いきもの〉の類、次に器用(きよう)〈うつはもの〉の類、終に情状(じやうじやう)〈こころかたち〉態藝(たいげい)〈しわざ〉等の言語(ごんご)の類也。大方かくのごとくに書キ列(つら)ぬ。尋ぬるに易(やす)からんがためなり【猶ホ前後の混乱すくなからず。】。 一 凡ソ同じ字の詞は必ズしも悉クに記(しる)さず。縱(たとへ)ば「入來(じゅらい)」の下に「入内(じゅだい)」・「入院(えん)」・「入御(ぎょ)」・「入洛(らく)」・「入魂(こん)」・「入水(すい)」・「入破(は)」と註(ちう)する、是也。故に類を以て推て知ルべし。尤モ常に翫(モテアソ)ぶ事專要なるべし。 一、凡そ「鹿(ろく)」の字の讀(よみ)は「しか」といふ假名なれば、「麋(おほじか)」・「麞(くじか)」等は、皆「し文字」也。「路(ろ)」の字の訓(くん)は「ち」の假名なれば「旅(たび)路(ぢ)」・「夢(ゆめ)路(ぢ)」、皆「ち文字」也。摺(する)は「する」と書(かく)間、「藍摺(あゐずり)」・「行摺(ゆきずり)」等は、皆「す文字」也。「綱(かう)」は「つな」と書ク間、「紲(きづな)」・「纜(ともづな)」、皆「つ文字」也。又、「水」は「みつ」の假名なる間、「湖(みづうみ)」・「汞(みづかね)」等、同じく「つ文字」也。「筋(すぢ)」は「すち」の假名なる間、「線(いとすぢ)」・「脉(ちすぢ)」、同じく「ち文字」也。然らば「月」に「卯月」・「水無月」、「水」に「山水」・「河水」などゝて、一Zに書キ載(のせ)ずといふ共、是に準(なぞ)らへて知ルべし。 一、元來清(すみ)たる音なれ共、上の響(ひゞき)に隨がひて濁(にご)る事有リ。「心(しん)」の字を「用心(ようじん)」・「點心(てんじん)」、「中(ちう)」の字を「心中(しんぢう)」・「老中(らうぢう)」、「水(すい)」の字「寒水(かんずい)」、「通」の字「神通(じんづう)」といふ類也。又、「として」「かくする」などゝ云「てにをはの詞」に、「軽(かろ)くして」を「輕(かろ)んじ」、「重(おも)くする」を「重(おも)んず」といひ、「感(かん)じて」「變(へん)ずる」といふの類(るい)あり。皆、「し」・「す」の假名なり。又、「とんづはねつ」、「くんづころんづ」といふも「飛(とび)つ組(くみ)つ」と云フ詞なる間、「つ文字」也。是レ等は皆本の清ミたる假名のまゝに書クべし。是レ自然(しぜん)の連聲(れんじゃう)也。但シ世話(せわ)に、「う・むの下は必ズ濁る」といふ事、「荘子(さうじ)」・「荀子(じゅんじ)」の類也。され共、定法(ぢゃうはふ)にはあらず。「曾子(そうし)」・「閔子(びんし)」、是なり。 一、此の編(へん)、「し・ち・す・つ」四音の假名使(づかひ)を專(もっぱら)とする故に、倭(わ)訓(くん)の外に、漢字(かんじ)の音をも書キ載(のせ)ぬ。但シ猶ホ外に紛(まぎ)るゝ假名有リ。縱(たとへ)ば本清の「昌(しゃう)・證(しょう)・抄(せう)・妾(せふ)」の音の連聲に引カれて濁る時に、本濁(ほんだく)の「上(じゃう)・乗(じょう)・燒(ぜう)」の音に紛れ、又本清の「長(ちゃう)・重(ちょう)・貂(てう)・帖(てふ)」の音の連聲に引カれて濁る時に、本濁の「丈(ぢゃう)・醸(ぢょう)・條(でう)・聶(でふ)」の音に紛るゝ類也。若(もし)、右の四音を辨(わきま)へずは、只一音に成ルべし。仍て手(て)近(ぢか)く取リあつかふべき文字をばあらあら書キ記す。猶ホ委(くは)しく韻書(ゐんじょ)にて考がふべし。【詳ニ倭韻字會?ニ載セ畢ヌ】
一、人の名に「次(じ)」と「治(ぢ)」を一つにつき、「十(じふ)」と「重(ぢう)」を通(かよ)はし使ふ、尤モ誤(あやまり)なり。是レ四音の辨(べん)の明ならぬ故也。「次」は「じ」、「治」は「ぢ」、「十」は「じふ」、「重」は「ぢう」、音既(すで)に以て異(こと)なり、義も亦(また)同じからず。一人の名にをいて何ぞ二字を通用せんや。近比或ル人、「某(なに)治(ぢ)郎(ろう)」・「某重郎(なにじうろう)」と名に書たるを見たりしはおかしき事也。惣じて「郎」の字の上に付るは「太郎・次郎・九郎・十郎」と心得べし。 一、今時家Zの暖簾(のんれん)鑑板(かんばん)其ノ外、此ノ比板行(はんかう)せし草紙・物語等を見るに片言(かたこと)は中/\取ルにもたらず、能書悪筆共に此四音の假名違(ちがひ)甚ダ多し。縱ば「十(じふ)」を「ぢう」、「筋(すぢ)」を「すじ」、「數(かず)」を「かづ」、「水(みづ)」を「みず」と書たるがごとし。 一、此ノ四音の事、倭語(わご)の假名文字(かなもじ)ばかりにて沙汰するにあらず。漢(かん)字本ヨリ各Z別也。 一、此ノ四音、元來各別也。抑モ、音韻の義に依て是を論ずるに、「し・す」は齒音(しおん)にて、「さ・し・す・せ・そ」の一行(いっかう)《ひとくだり》也。「ち・つ」は舌音(ぜつおん)にて、「た・ち・つ・て・と」の一行也。濁りても亦同じからず。されば詞に「過(くは)・現(げん)・未(み)・下(げ)知(ち)」等のはたらき有リ。又、「體(たい)・用(よう)・正(しゃう)・俗(ぞく)」の品有リ。それによりて其一行の内にて音を變(へん)じて通用する事はあり。縱ば「致(いたす)」を「いたし・いたせ・いたさん」と云ヒ、「勝(かつ)」を「かち・かて・かたん」と云ヒ、「恥(はぢ)」を「はづる」、「出(いづ)る」を「いでて・いだす」、などと云ヒ替フるがごとし。又、働(はた)らくまじき物の名なれども、語勢(ごせい)によりて「雨(あめ)」を「あま夜」、「風(かぜ)」を「かざ車」、「木(き)」を「木(こ)の葉」、「數(かず)」を「かぞふる」などと言ヒ通はす也。され共、其一音より他の行(かう)に交(まじ)ヘて歯(し)舌(ぜつ)相通(さうつう)する事は有まじき也。【詳ニ扶桑切韻ニ載セ畢ヌ。】 此ノ「だ・ぢ・づ・で・ど」、「ざ・じ・ず・ぜ・ぞ」の二行同じからざるにて、兩音相通すまじき事を知ルベし。然るに今、「だ・で・ど」・「ざ・ぜ・ぞ」の六音をば能く言ヒ分て、「じ・ぢ」、「ず・づ」の四音をば則ち得ず成リ來りし事、最モ訝(いぶか)し。或ル人の假名文字を使へるを伺(うかゞ)ひ見るに、詞の上(かみ)にはいつも「ぢ」を書(かき)、中下には定りて「じ」を用ふ【「時分」を「ぢぶん」、「藤氏」を「ふじうじ」と書たる類也】、誤也。又、總て京人の物いふを聞クに、上(かみ)をはぬれば、「し・す」の二字をも「ぢ・づ」の音に呼(よび)ぬ。亦誤也。惣じて「子(し)」の字は、歯(し)音(おん)にて「し」の音也。「丁子」・「荀子」といふ時には、連聲にて濁る間、「じ」の音也。是を新濁(しんだく)といふ。即チ清(せい)歯(し)音(おん)の字を假に濁りて濁(だく)歯(し)の音に成す迄也。上を引クともはぬるとも「ぢ」とは言フべからず。又、其ノ大概(たいがい)を擧(あげ)て云フに、啓上(けいじゃう)・孔雀(くじゃく)・藤氏(とうじ)・行者(ぎゃうじゃ)【以上は「じ」の音】、卷軸(くはんぢく)・平(へい)地(ぢ)・先陣(せんぢん)・還著(げんぢゃく)【以上は「ぢ」の音】、香水(かうずい)・奇瑞(きずい)・好事(かうず)・通事(つうず)【以上は「ず」の音】、千頭(ちづ)・萬鶴(まんづる)・神通(じんづう)・弓杖(ゆんづえ)【以上は「づ」の音】、是等は世間の呼音(よびこゑ)、其ノ字に叶(かな)へり。若(もし)、進上(しんじゃう)・練雀(れんじゃく)・源氏(げんじ)・判者(はんじゃ)・八軸(ぢく)・空地(くうぢ)・歸陣(かいぢん)・執著(しふぢゃく)・神水(じんずい)・天瑞(てんずい)・杏子(あんず)・綾子(りんず)・七頭(づ)・命鶴(みゃうづる)・普通(ふづう)・竹杖(たけづえ)と言ヒ替フる時は、其ノ音悉(ことごとく)其ノ字に違へり。剩(あまっさへ)、還城樂(げんじゃうらく)の舞(まひ)・萬歳(ばんぜい)の小(を)忌(み)衣(ごろも)・萬歳樂(ばんざいらく)などと謠(うた)ふ時に、是を習はぬ人は多分は舌音(ぜつおん)に呼ビ成す也。聞キ悪(にく)き事也。田舍人の「越前」を「ゑつでん」といひ、「瀬(せ)」といふべきを「ちゑ」といへるにひとしかるべし。 一、此四音を言習ふベき呼法(こほふ)の事。歯音のさ・し・す・せ・そ、是は舌頭中(ぜつとうちう)《したさき》に居(ゐ)て上顎(うはあぎと)に付(つか)ず。舌音の「た・ち・つ・て・と」、是は舌頭を上顎に付てよぶ也。先ヅ、これを能ク心得て味はふべし。 一、凡ソ言語(ごんご)皆音韻(おんゐん)也。文字皆音韻也。假名文字使も亦音韻也。故に假名使を沙汰せん人は、必ズ音韻を論じて後に其言語文字を明らむべし。音韻の學は十行五位の音韻の圖(づ)を以て本とすべし。因て今爰(ここ)に其圖を附記(つけしる)す。惣じて此ノ圖は意味も深く、又、誤(あやまり)も多くして、習ひなくては見がたし。但ダ、工夫(くふう)さへ至りなば師授(しじゅ)口傳(くでん)にも依ルべからず。熟(じゆく)讀(どく)翫(ぐはん)味(み)する内に、自然に得る所あるべし。【詳ニ扶桑切韻?ニ論ジ畢ヌ。】 一、地名・人名・姓氏(しゃうじ)〈うぢ〉・年號等は、其ノ數限リなければ、悉ク記すに及ばず。且ツ又タ度々刪補(さんぽ)するの間、次第の混亂多かるべし。 蜆縮凉鼓集 五韻之圖 喉 ア 歌曰 アワヤ喉サタラナ舌ニカ牙サ歯音ハマノ二ツハ唇ノ軽重 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546007/15 大字為内音ト 右中音 左外音 旧図多誤而 音韻不和 反切不叶 故 某改正製斯図 以備於講習之階梯 又於 ワ行之中窃作中三字之文 以足闕音 亦欲別三音也 言〓〓〓三字 此図猶傚乎旧製未尽其全 若至論正韻則具于韻譜説并見扶桑切韻云 五韻 額韻 胸韻 腹韻 腰韻 足韻 |