言語取調所方法書
夫れ本所設立の必要と道理とは已に趣意書に云へり。且仮規則をも之に附録したり。然れども凡そ事は唯其目的と趣意とのみにては足らず。随て之を賛成するも、其方法に於て大に異見ある者も多かるべし。故に今本所のまづ為さんとする事業の順序を記し、夫にて唯本所の目的をよしとみとむるのみならず、其為すところをも充分に賛成し且自ら其心力を用ゐんとする者をも得んとす。苟も国家を思ふ心ある者は能く考へ見られん事を偏に希ふなり。

  言語取調所
明治廿一年九月  創立者
    謹白
目録

 第壱 普通文体を一定する事
 第弐 高尚文体を一定する事
 第参 古今雅俗の言語を集め其用法と解釈とを取調る事
 第四 第壱第弐の文体と第三の言語とを活用せしめる法則を定むる事
 第五 右の四つを活動せしめ又拡張すべき人を得るを務むる事
 第六 右の五つを認可し全国中に於て之を実用に供へしむるを務むる事
 第七 右の六つの実用に顕はれたる書籍等を検定する事

第一 普通文体を一定する事

口にては己れの考へを人に語りきかする事を得れども、遠く隔りたる人か、又は後の世の人などには、筆にてかきあらはすの外なし。然るに我国は文章と言語の同一ならざる故に、不都合すくなからざるなり。西洋の国々にては皆言文一致なり。これも昔は一致ならざりしが近き世になりては一致する様につとめたるに因り今の姿に至れるなり。然るに世界中我が日本の国ほど言と文と異なる国はあらざるなり。又言語文章其規則の乱れたるも我が国の如きはあらざるなり。若し此姿にして捨ておかば、其弊数へ難きに至るべし。今此に其重なる四つ五つを挙て嘆かはしき事の限を示さんとす。
第一 近ごろ演説をする事世に行はるゝが、弁士の演壇にて述べたることを新聞又は雑誌などに刷りたて、其演説の聞書を見るに、弁士の述べたる事とは大方はちがへる者なり。夫が為に演説にて説きたるを聞きては夫ほど面白くもおかしくも無く、その条理の分りかねたる処さへ在りて、つまり人の感情を引き起こす程の事はあらざりしも、書きのせたる上にては初より終りまでの意味明かにして之を読みながら覚えず妙と呼ぶに至る事あり。然れば前に述べたるは何の益もなく、弁士の其口は無くて済む者の様になるべし。又之に引かへ演壇にては大に人を感ぜしめたりしも、書き記しては、さまでに覚えぬもあり。かくては弁士の真実の精神は其口述を聞かざる者には明かに知られざる様になるべし。此二つの違ひが起りては、人の真情を尽すを得ざるなり。今より後、国会の開かるゝ時などには殊に不都合なる事もいできぬべし。
第二 今の人は多少漢字を記憶し、何事につけ、言語と文章とは異なるものと思ひ居れば、さほどに不便を感ぜねど、今より後に生れいづる子の為め、又文章をかく事を知らぬ者の為に、能く〳〵思ひわたさねばならぬ事なり。口にて話し得ても、文章は別に習はねばならぬと云ふ今の姿にては、此文章の十分に行はるゝ時なかるべし。去れば書状なり、請取なり、総て日々の用事を口にて話す如く筆にて書き記す事を得る様になさねばならぬことなり。よく話と文章と同じくなりたらむには其便利いかにぞや。まして今より後は書きたる者ならでは法律上の証拠とならぬ時なるをや。
第三 今にても外国より渡り来る人は皆、我が国の言語を習はんとするなり。此上内地の雑居を許されなば、ことにさる人の多かるべし。然るに今の姿に乱れ居りては、之を教ふる事もならざれば、已むを得ず、かの国の言語を習ふことゝなるべし。習ひたりとて自由ならぬが為に何にかに不都合なる事も多く出で来べく、かつ、なげかはしき事のみ多からむは思ひやらるゝなり。
第四 千余年此方、外国の語は入りまじりて我が昔の言語は年々にかはり行き、その格も乱れにみだれたり。夫が為に、日々人々の話しあふ事の明かならず、応対の上にさへ聞きとり違ひの起る事あり。又長くかたりあひたる後に何を話し合ひしか覚えきらぬ事のあるなどは、話す人が面白き事を話すに智慧学問がなき故とはいへども言語に順序少きにより、論理を追ひ行けば面白くなり行くべき事も外の話に遮られ夫にうつる様の事あるが故なり。其外人の喜ぶべき事を云ふに、諂らふ様になるを恐れ、遂に其意をとほす事を得ず。又は人を責めんとして却て罵る様に思はれなどする事あるも、多くは皆言語の調ひ居らぬに因る者といふべし。
第五 言語明かならず、又足らぬところの多きより、彼の国の智恵学問を採り来らんとするにも、彼の外国中にて互に為す如く外の国に在るすぐれたる事を其国の言語に訳する事かなはず。又訳したりとて今の様にては能く分らぬところさへ在る程なれば、畢竟外国の学問智恵を得るには、外国語を学ばねばならぬなり。去れば、日本の四千万人が外国の事を知らんとするには、皆まづ彼れの語学をなさねばならぬ工合に至るべし。此事遂に行はるべきが恐らくは能はざるべし。仮に行はるゝとするも、其大に難かるべきは云ふまでも無き事なり。其遂に行はれざる事か、又或は大に難かるべき事を務むるよりは我が国普通の言語を明かにして、其足らぬところのなき様なさねばならぬなり。
さて右に述べたる如く実際の不便なる事を救はんには、普通文体を一定するより外に仕方ある事なしとす。
普通文体とは今明治の世に於て日本人の通常の談話を云ふ。扨之を基として其乱れたるを正して明かにし、其足らぬを補ひて全くするを名づけて一定するとは云ふなり。其格の誤れるを正すは明にするなり。又是まで我が国になき言語は新に作り、又外国語を其まゝとりて、我が用に供へ我が語格に因りて之を扱ふは即ち足らぬを補ふなり。
此事は我が言語取調所の志すところの尤も大なる部分なり。而して之を為すには本所の中にて若干の普通文体取調委員を置き、其委員のうち特に原案者五名を撰み、言文一致の体にて取極めたる普通文の原稿を作らんとするなり。次に之を各委員に評議せしめ、其決したる者を録して新聞を起しその文体を会員をはじめ内外の人に知らしむるを以て第一の事業とするなり。
其外に会員は日々の用事にも右委員の取極めたる文体に因りて談話するを務め、往復の書状などの如きも常に此体を用ゐる者とす。然る時は国中の千万人が本所の会員となれば此千万人は即ち一定したる普通文体を用ゐるに至るなり。之に因りて先づ我が国の言語の体を定むる事を得る者と謂ふべし。かくて会員中著述翻訳などを為す者も常に此文体に依る事を務むるに至らば其便利いかばかりぞや。其幸福またいかばかりぞや。

第二 高尚文体を一定する事

高尚文体とは我が 皇国の昔の言語にして、外国の語のまだ入り来らぬ前に国中の人の常に用ゐたる者なり。後世に至りていたく変り乱れたれど、久き間使はざりし故に、実用に供へて今の人の考へを悉くうつし出すことは難しとす。唯古き昔の優雅なる情をうかゞひ、又 皇国に伝はれる事の外国には無く、能く調ぶれば彼れにたちまさりたる事あるを知らんが為には、此古き言語を取調ぶるを必要なりとす。又今の普通語とても元と此高尚語の変りたる者なれば、夫をよく明にせんには、亦此高尚語に因らずはあるべからず。故に我が取調所の事業として其文体を一致し、日本文学の基をたてんとするなり。之を為すには高尚文体取調委員を置き、先づ不易体の文章歌を一定し、雑誌をおこし、古書或は先達の集中にある者を抜きいだし、又は現存の人のをも委員の評議を経て、よしとすべき者を録して、人に知らしむるを以て、第二の事業とするなり。此不易体と云ふは、上古より今日まで、また今日より幾先年の後に至るとも易らざる 皇国の正格の文を謂ふなり。此文体を宗とし、枝葉にわたりては、上古・中古より沿革せる者なども取調べねばならぬなり。

第三 古今雅俗の言語を集め其用法と解釈とを取調る事

一つの言語にして幾つかの意味あり。又其意味の時世によりて遷りかはるあり。去れば其言語のもとの起りと今の用ゐ方とを明にせずては其基なきが故に、如何に普通高尚の文体を取極めんとしても成りたつ事なかるべし。されば何れの国にても、ある丈の言語を古今雅俗の別なく集め尽して辞類を作る事の必要なる訳なり。故に外国にては何れも皆それの備はらざる国はあらざるなり。然るに我が国は未だ一つも調ひたる辞典といふ者ある事なし。是までの者は多くはまことの辞典にあらず。漢語・英語などすべて外国の語を日本語に訳したる者のみにて、是は日本語の辞典でなく、外国語の辞典でも無く、彼と我との言語を対べ記したる字類なるのみ。去れば今日本語の大小辞典を作らねばならぬ事は、亦取調所の必要なる務ならずや。
此に此辞典の大切なる事は陳ぶるに及ばねど、我が国にては外国とちがひ、ことに是れの無くてはならぬ理由あり。今夫を陳べんとす。凡そ言語は人の考を外にあらはしたる記号と云ふに過ぎず。如何なる言語、如何なる文字なりとも、それが如何なる意味を持ち居るかと云ふ事を、明に極めたる上は何の不都合も無かるべし。然るに我が国の語は如何なる者かと尋ぬれば、外国語の入り交りたる者多し(これは尊く美しき古言の事は云はず、専ら明治の世の普通語を云ふ)。夫故其意味も極まり居らず、或る言語の如き、其本国にて使ふ意味と我が国に入りて後行はるゝのと異なるなど、不都合少からず。又はじめより此国にそなはり居らぬ言語は其意味を極めおかぬ時は追々其意味かはりゆく者なり。故に総て此等を明に取極め、我が国に入りたるからは、其もとは如何なるにもせよ、此国にては此言語の意味は此様なり、と一つに定めたる辞典を作るべき事なり。まして今の様に学問の進み開くるに於ては、各専問(ママ)の言語を取きめ、其意味を指し示さねばならぬ事なり。之を思へば其事は広く大なりといへども随て其必要も広く大なりとす。力のあらんかぎりつとむべき事にこそ。

第四 第一第二の文体と第三の言語とを活用せしめる法則を定むる事

前に述べたる第三の言語を活用せしめ第一第二の文体を定むるに其法則なくてはならべど、我が国にては是まで其きまりを明に立てたる事少し。去れば普通高尚の文体ともに其文法書,修辞書などを作らずては、之を習ふ事も教ふる事もかたかるべく、是なくてはつまり徒に労すること多からんのみ。故に我が取調所の第四の事業として委員に分担せしめ、此大小の文法書修辞書を編輯せしめんとするなり。凡そ国ごとに言語も異なり、又其格もちがふ者なり。ことに我が国は外の国々とは一体の方式、全く異なり居るが故に、あながち西洋の手本に因る事を得ず。支那印度の風をうつし取る事もできず、言語は彼より取り入るゝとも、夫を活用せしむる語格はいつまでも我が国の法によらずは、ある可からず。是れ第四の業は外国の人のなす事を得ざる。我が国固有の事たる訳からなり。

第五 右の四つを活動せしめ又拡張すべき人を得るを務むる事

第一第二の如く文体も已に定まり、第三の言語、第四の法則にて、活用せしむれば、夫にて翻訳文も著述も、又普通の往復文も高尚の記事も、取調所の事業に因り、皆とゝのはんとするなり。さてかく調はんとすれど、実際に之を用ゐる者少なくては是までの如く乱れたるまゝに過ぎずはあるべからず。去れば一方に本所にて取り極むる者を、会員となる者は日々実用にあてはむる様になす事、已に言へるが如くし、次に人にも知らせて其様になさしめんとする人を得ねばならぬ事なり。此人がなければ、つまり本所の与へんとする実益を社会の全体に及ぼす事能はざるべし。故に語学校をたて、取調委員の取極むる言語を教へ、卒業したる書生を以て教員となし、国中に此言語を広むるを務むるは亦本所の務なりとす。且学校を建て、語学を教ふるに当り、亦彼の文体を定め実際にあてはむるよき仕方を見出す事を得るも少なからざるべしと思はるゝなり。
夫れ本所の勢力が社会に行はれ、此語学校が盛なるに至らば、大中小学の教員は皆此語を用ゐ、随て生徒も皆之に習ひ、国中の人の普通言語は文言ともに一致し、高尚文をも其如何なる者かを知らざる者なきに至るべし。豈愉快なる事ならずや。其時に至らば、外国人の我が国に来る者は、何事をなさんとするにも先づ我が国の言語を習ふべく、加之、外国にありても自ら我が言語を習ふ者多きに至るべし。かへす〳〵も愉快なる事ならずや。

第六 右の五つを認可し全国中に於て之を実用に供へしむるを務むる事

前に述べたる言語文体をよしとして、社会の実用にそなへ、或は文学の基となさんとするには、本所にて取極めたる者に大に勢力を与へねばならぬなり。偖一方にてそれを広むるを務め、又一方には広まらねばならぬ様に仕かける工夫をなすは、亦本所の必要なる事業なりとす。故に言語議事会といふ者を開き、第一より第四までに記したる者に勢力を与へんとするなり。夫をなすには我が日本の社会を組みたて居る者の中の重だちたる者、即ち和学者・専問学者・漢学者などを悉く集め、其中より凡そ百名の議員を撰み、取調委員の取極めたる者を議決し、其よしとみとめたる者は之を以て我が国の言語の手本となさしめ、之にたがふ者は正しき者に非ずとするなり。仮令へば辞典のなりたる時には此辞典に示せる用法・解釈より外には正しき者なしとし、又之に載せられざる言語は使ふべき者にあらざる事となすが如し。然れども人の智慧の進み、学問の開くるに随ひ、新しき言語もできねばならぬは自然の道理なる故に、外国より入り来れるか、又は新に増加せる言語を、年々此議事会にて報告し、辞典の増補をなすべし。夫で此議事会がたち、本所が其仕事を悉く実際に用ゐることのできる様になりゆくなり。其時こそはじめて、日本語の体裁も定まれり、と謂ふべけれ。

第七 右の六つの実用に顕はれたる書籍等を検定する事

文体は定まれり。言語は集まれり。法則はたてり。之を広むる学校も起れり。之を行はしむる議事会も開けたり。去れど尚ほ、此六つの為すところを補はんが為には、其実用に顕はれたる書籍等を検定し、本所の定めたる本と相あはしむるを務ずはある可からず。故に語学検定所のを(ママ)設け、本所の会員をはじめ、翻訳・著述などを為す者あれば、総て其書体を検定するを務めんとす。然る時は言語取調の方法はほゞ尽きんとするなり。事幾年の後に成るか、計る能はずといへども、之に志ざしたる上は、皆之に向ふを務めざるべからず。時は夫にても先づ今の日本の言語にかゝはりたる不都合を免るゝに足らんと思はるゝなり。かく検定所の設けらるゝ時は、外国にある学問智慧は、皆日本の言語に訳しとり、支那・印度・ヨーロッパ・アメリカと、国は多くあれども、其国の語を習ふには及ばず、たやすきわが日本の普通文をのみ学びたるにて、此国々のすぐれたる事を知るを得るに至らん。豈面白き事ならずや。坐ながら世界中の様子を知るも、学問知識を習ふも、此言語取調所の務むるところの成らん日を待つより外なきなり。嗚呼たのもしき事かな。

以上に述べたるを、言語取調所の方法とす。其事を行ふは自(オ)ら事にあたる人の力によりて其功に差あるべし。然れども我が国中にある志と力のある者が悉く一致し、各々其長ずるところに応じて分担せば、成らずと云ふ事無かるべし。抑々現今の日本社会の一大部分を改良するは、亦誰の任ぞや。悉くも上 皇室は申すまでも無く、次に政府、次に人民にしても、苟も心力を日本の国土に用ゐんとする者は、皆本所の会員となり、其力に応じて務むべし。希はくは此三つの者が相共に此国家の業を助くる事あらん事を、此にまづ同志相会して、言語取調所の創立に従事する所以なり。


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 09:57:02