有名なる小説竹取物語の申で赫夜姫《かぐやひめ》が竹取の翁との別れに際し「文を書き置きて罷らん、戀しからん折々、取り出でて見給へ」とて打ち泣きながら書いた言葉に「此の國に生れぬるとならば、歎かせ奉らぬ程まで侍るべきを、侍らで過ぎ別れぬること返す/゛\本意なくこそ覺え侍れ、脱ぎ置く衣を形見と見給へ、月の出でたらん夜は見遣せ給へ、見棄て奉りて罷る空よりも落ちぬべき心地す」とあり、また伊勢物語にも「相思はで離れぬる人をとどめかね吾が身は今ぞ消えはてぬめる」と指の血で書ひたことが出ている。いずれも物語ではあるが、これによっても平安朝の頃すでに遺書が行われていたことが知られる。
書置はめっかり安い所《とこ》へおき(安永)
むつかしい書置を讀《よむ》ころも川(天明)
書置に金といふ字が十ばかり (寶暦)
遺言に妻を思へば枇杷の花(永安)
はした借まで書置の馬鹿りちぎ(安永)
書置を見れば不孝も知って居る(安永)
まだ若いからと遺言きれいなり(寛政)
書置のいか様《さま》に母ひよくら乗り(天明)