金城朝永
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126538
三省堂
1944
三省堂 國語叢書

『金城朝永全集』


 1.本書の内容は,大体,数年前当時東京帝大および国学院大学在学中の篤志の学生数名の需めに応じ,約半歳にわたり講述した稿本を基にしたものである。ただ,単行本の形式はとっているものの,国語叢書の一冊として刊行される関係上,体裁すべて他の著書との釣り合いを考慮せねばならず,したがって,その記述は,かなり圧縮要約するの余儀なきに至ったために,説明の行き届かぬところが多く,自らも不満を抱いているが,また読者に対しても申し訳ないと思う。これら不備な点は,他日,若し改版の機会に恵まれることでもあれば,十分増補訂正して,できうるならば,もっと整った那覇方言の文典に仕上げてみたいと望んでいる。
 1.琉球語の表記法は,琉球の古典「おもろさうし」や「組踊」や琉歌などにおける特殊な歴史的仮名遣いは,,別として,表音式のものには・従来,ローマ字によるChamberlain氏のいわゆるヘボン式と,伊波先生によるその修正案や,宮良当壮氏の独特な音標文字の外に,東条操氏の平仮名・片仮名混用の書式や,桑江良行氏の片仮名に加工した特殊な活字などが,用いられているが,本書においては,二三を除き,近年,方言採集家などの間で一般に採用されている日本音声学協会制定の音標文字を使うことにした。
 1.本書劈頭の序説の琉球語についての一文は,未発表の手稿「琉球語研究史」から抄録したもので,そのうち,日本語と琉球語との分岐した年代推定に関する論説と,琉球語の名称と異名などについての考察を省略したので,物足りない感じがしてならぬ。これは,他日,琉球語概論とでもいう本が出せるときに,その中でもっと詳しく述べてみたいと思っている。
 1.付説の那覇方言研究資料と文献は,拙稿「琉球語研究資料文献」(『方言』第4巻第10号琉球語特輯号所載,その増補『民芸』第2巻第11・12合併号沖縄言語問題特輯所載)から摘採して,多少加筆したものである。
 1.最初,註と索引を添える積りであったが,紙数の都合で,止むを得ず一切これを割愛せねばならなかった。その埋め合わせに,引用文献などについては,その都度,行文中これを括弧内に記入して註に代え,なお,索引不備の補ないにもと思い,目次を割合細かく書き抜いておいた。
 1.本書を草するにあたって,伊波普猷先生や服部四郎教授その他の国語学者の著書や論説に負う所が多かった。ただし,それらに見えている解釈と,見解を異にする点については,率直に私見を披瀝して,御批判を乞うことにした。ここで,改めて深く感謝の意を表わすと共に,もし行文中失礼にわたることでもあるとすれば,切に御許しをお願いしたい。


序文

 本書は琉球語の見本として,那覇方言を取り上げ,主としてその音韻,特に語法について,概説を試みたものである。
 琉球語は,大体,これを奄美・沖縄・宮古・八重山の四つの方言に大別してよかろうと思うが,そのうちの沖縄方言は,島の北部の国頭郡,俗に山原《やんばる》と呼ぶ地方と,中南部の中頭・島尻両郡とでは,音韻の点で,かなりの相違があるので,さらにこれを二つに分けてみることができる。
 那覇方言は,これまで各種の文献などに琉球語の名で紹介されている首里方言と共に,方言区分の上からは,実は琉球語のうちの沖縄方言の,そのまた中南部方言に属する一方言に過ぎないが,その使用範囲と通用価値についてみると,本文の序説にも述べてある通り,普通一般の人が,現今の東京語に対して,それを国語の標準語と考えている程度の大まかな見解を,適用させてもらえば,これは琉球語圏内における一種の標準語ともいうぺき地位を占めているともいえる。
 それで,かような意味でならば,これを以って,しばらく琉球語を代表させておいても,まずさしつかえはなかろう。多分この国語叢書の企画にあたり.琉球語の中から,特に那覇方言を選び出して,これに参加させた理由の一つも,あるいはこういう見地に立ってのことではあるまいかと推測している。

 琉球語については,その音韻に関しては,伊波普猷先生の外に服部四郎教授もまた,精緻な論考を発表されて,それぞれ国語学界に貢献なされている。また語彙の方では,既に明治中期に県人によって編まれた,最初の方言集として特筆すべき『沖縄語典』(仲本政世編)があり,大正末期には,未完成に終わってはいるけれども『採訪南島語彙』(宮良当壮編)の第一編が,それに次いで昭和初頭には,わが国において最大を誇るに足る『八重山語彙』が,やはり同じ著者によって紹介され,なおごく最近,『喜界島方言集』(岩倉市郎編)が,柳田国男先生監修の全国方言集の第一巻として刊行され,その劈頭を飾っている。しかし語法に対しては,わが国の人によって組織的に論述された単行本は,遺憾ながらこれまで一冊も出ていない。
 ただ,半世紀以前に,英人Chamberlain氏によって書かれた首里方言の文典(原名Essay in aid of a Grammar and Dictionary of the Luchuan Language)が,この方面における唯一の古典として専門家の間などでは珍重されているが,もう今ではその入手はほとんど困難になった。
 本書において,特に語法について,多くの頁を割いた主なる理由は,できうるならば,従来の琉球語研究の,この欠陥の一部なりとも埋め合わせてみたいと思ったからであった。

 いうまでもなく,方言書として,理想を望むならば,本書なども,音韻や語法と共に・当然それに語彙を添えるべきで,これがまた,方言書としては,確かに本格的な行き方でもある。もっとも,これまでの大抵の方言書の型に倣うとすれば,那覇方言もむしろ語彙を先に発表すべきであろう。また多くの既刊書についてみると,大方,語彙を主体として,音韻や語法などに至っては,申し訳に添え物程度に取り扱っているのが,かえって普通であったといっても,決して過言ではあるまい。
 それでも,本土諸方言に関する限りでは,あるいは十分とまではいくまいが,とにかく,一部の人の需要に対しては,大体の用は足りているかも知れぬ。しかし琉球諸方言の場合は,これとはよほど事情の異なるものがある。

 琉球語と国語との関係については,これを言葉の歴史の上から観ると,最初,共同の祖語とでも称すべきものがあって,それから文献以前の遠い昔に分かれたものであろうといわれているが,その以後において,お互いに幾多の変遷を経て来ていることだけは確かである。
 それで;両者の親近の度合についても,姉妹語同士の疎遠な間柄にあたるものであるととなえる学者もいる。しかし,これに関しては序説にも述べてある通りの理由から,もっと親密に,国語の方言と見做してもよいと思う。ただし,方言であるとはいってもこれは九州・四国・本州の各地方に行われている本土諸方言を一纒めにした,いわゆる「内地方言」と相対立せしむべき大方言といわねばならぬ。
 したがって,「琉球方言」と「内地方言」を比較した場合,両者の差異の開きが,本土諸方言同士の間におけるそれよりも,もっと大なるものがあったとしたところが,これは何等珍しい現象ではない。
 それで,現在,琉球諸方言の単語を発音通りのままの形で書き集めたものを,いきなり示しただけで,これを見る人に本土諸方言との間における音韻の対応関係についての説明をあたえないとしたならば,これを了解せしめることは,なかなかむずかしい。
 もちろん,方言研究の順序は,最初に単語の採集から着手せねばならず,次に語法などに進むのが当然な道行きではあるが,その発表の順序までが,必ずしもこれに従う必要などは,さらになく,これとは全く逆な方法で,音韻と語法を先にしてもよいし,むしろこれらを手抜きにして,いきなり方言集だけをつきつけるのは,琉球諸方言に関する限り,かえって親切な態度ではないとさえ思っている。
 これが,また本格的な方言書としては,不完全であるとは知りつつも,あえて本書のごとく,那覇方言の音韻と語法に関するものをその語彙と切り離して,単独に出した理由の一つでもあった。

 琉球語の行われている南の島々の交通は,平時においても船便の利が少なくて,その行き通いは,また決して楽なものでもなかったが,ましてや現在の戦時下においては,もはや,中央からわざわざこのとびとびの離れ島への採訪に出かけることは,ほとんど不可能に近い位に,困難の度を加えている。
 それで,国語を二分した,その片方にも当たる程の重要な地位を占める琉球諸方言の研究は,今では,これらの島々の出身者に負わされた,国語学界に対する一種の義務ではあるまいかと考えられてならない。
 南の島々の出身者にして,この小冊子を手に入れた知識人の中には,きっとこの程度のものなら自分でも書けるという人が,必ずやあるに違いなかろうと思う。今頃になって,ようやく,この程度の小さな本をたった一冊しか書き上げていない位の自分などが,これまでの琉球語研究の不備な点を,責めたてる資格などは毛頭あろうはずはないが,まだ取り残された島々の方言集や文典が早目に同好の士の手によって,次々に採集編纂されるのを勧めることは許されてもよかろう。
 これを土台にした琉球諸方言の大辞書と総合文典の外に,なおまた,山田孝雄博士の『奈良朝文法史』や『平安朝文法史』にも対比せしめてよいような琉球語の歴史文典などが,出揃った時にして初めて,安心して琉球語と国語とを比べ合わせてみることも出来るし,またわれひと共になるほどと頷かせるに足る研究の成果も持ち得るのではあるまいかと思っている。
 かように,まだ未開拓の分野が,広々と横たわっている,この琉球諸方言の沃地に,来たり耕す者の一人でも多く,その努力により実り多い収穫を,相共に頒ち合う日の近からんことを心待ちしているのは,ただに一部の方言研究家や民俗学徒のみには止まらず,国語学者もまた等しく,これを望んでいる。

序説 琉球語について

緒  言

 那覇方言はいわゆる琉球語の一方言である。それで話の順序として,あらかじめ琉球語に関する一通りの知識を持って頂いてからの方が,いきなり那覇方言の説明に入るよりも,これを理解する上から便宜であるのみならず,なお,それによって那覇方言の琉球語全体において占める地位や,ひいてはまた,日本語との関係なども自ら判明してくるということにもなるので,あるいはいささか回りくどいきらいはあるが,ここでは特に琉球語を初めて学ぶ人のためにも,一応,琉球語なるものが,どういう性質の言葉であるかについて,そのごくあらましを述べてみたい。

1

 琉球語は,これを文字に書いて,その一語一語の構造を眼でみながら,ゆっくり解説して貰うとさほどでもないが,初めてこれに接する本土の人が,耳で聞いただけでは,ほとんど全く了解できないので,よほど大きな違いのある言葉であるかのような印象を受けるのが普通である。
 ただ単に,それだけが原因ではなくて,もっと他にも理由のあることは,後にも述ぺてあろが,一部世人の間にはややもすれぽ琉球語と支那語とを結びつけて考えたがる風潮が,いまだに遺っている。少し気をつけてみると,これにも琉球語は日本語と支那語とが混淆して出来上がった言葉ではなかろうかという多少念の入った見方と,ただ漠然と支那語の一種かも知れないという,至って手軽な考え方との二つに分かれている。もちろん,そのいずれも取り上げて論ずるに値しない俗説に過ぎないけれども,琉球語に関してかような誤解が生じたことには,またそれ相応な理由がないわけではなかった。その主なる原因の一つは,歴史の上で琉球が特殊な国情を有していたことによる。
 琉球は数百年の久しい間,小さいながらも,独立の一王国の形を備えていて,王位継承に際しては,その都度,支那皇帝の冊封を受けるのを例とし(琉球最後の国王尚泰が,冊封使を迎えたのは,本土において廃藩置県の実施された翌年の明治5年であった),あたかもその属国であるかのごとき観を呈していた。その間,慶長14年に島津氏の琉球入りがあり,事実上は全く薩摩の支配下に屈してはいたものの,島津氏は支那との密貿易を営む機関として,政略上琉球王国の体面だけは保存したので,かくのごとく政治的に日支両属の関係に置かれていたことが,琉球の文化の上にも著しく反映して,特に建築・美術・工芸方面においては,支那の影響を蒙るところが多かった。
 しかし,言葉の点では,一般の人の想像に反して,事情は全く異なり,支那語の伝来したものは,特殊な事物関係の単語,つまり名詞だけに止まり,言語の所属系統をきめる場合に最も重要な語法の点では,その片影すら探し出すことは出来ない。なお,琉球語に借用されている支那語の単語も,よく調ぺ上げたところで,至ってわずかなもので,長崎方言におけるそれに比べても,その数ははるかに少ない位である。
 それで先に述べた琉球語に関する日支両語混淆説と支那方言説とでもいうべきものが,前者は日支両属の政治的関係から推測された謬見であり,後者は琉球国王が支那皇帝の冊封を受け,その属国めいていたのを重く見て想像した素人考えに過ぎず,琉球語そのものについて,言語学的に音韻・語彙・語法などを,支那語と比較研究した上で唱えられた説でないことは明らかである。

2

 琉球語が,日本語と同じ系統に属する言語であることについて疑いを抱く学者は,少なくとも,現在の国語学界にはいない。方言研究家の間などでは〜もはやこれが常識になっているといっても,一向差し支えあるまい。
 ただ,この両語間の近親の度合に関しては,姉妹語同士として相対立せしめるべきものであるという説と,一方ではまた,琉球語を日本語内の一方言と見做してもよかろうという意見とに分かれていて,その点だけでは,一致していないようであるが,最近の傾向は,大体において後者の方が優勢になっているといってもよかろう。ただし,この場合でも,例えば,本土における鹿児島方言と青森方言とのごとき並立関係としてではなく,琉球語はこれらの南北の地域に行われている諸方言を一纒めにした,いわゆる内地方言と対立する大方言として取り扱うべきである,という条件をつけた上で採用されている。
 琉球語の所属系統を,科学的に言語学上から論じて,日琉両語の同祖説を提唱した最初の人はチェンバレン氏(Basil Hall Chamberlain)であるが,同氏はその『琉球文典及び語彙』(Essay in aid of a Grammar and Dictionary of the Luchuan Language;1895刊行)の中に,琉球語の日本語との系統的関係を 次のように示し,
            祖語(Parent Language)
          /       \
  古代琉球語(Archaic Luchuan)   古代日本語(Archaic Japanese)
     l                      l
  現代琉球語(Modern Luchuan)   現代日本語(Modem Japanese)
その次に短い対話の文例を出して,解説を施してから,

	 両語の文法を具さに比較すると,枝葉な点には見逃すことの出来ない程明瞭な差異があるけれども,あたかもスペイン語とイタリア語との間に存するような完全な一致,つまり語詞論(accidence)と措辞法(syntax)の二つながら根本的に一致していることがわかる。単語の場合も亦同様である。もし両語の共通祖語なるものがあったとしたならば,日本語はそのある部分を,琉球語はその他の部分を忠実に保存している。むしろ,二三の特殊な点では,琉球語は現代日本語よりも,古代日本語に対してさえ,一層忠実な類似を示している。特に,動詞の活用の場合が顕著である。それで全体から推して,両語をスペイン語とイタリア語との相似関係よりも,スペイン語とフランス語とのそれに比較しても,大過はなかろう。(同書4頁)

と推論して両者を姉妹関係(the sisterly rerationship)にあるといい,これがまた琉球語と日本語との近親関係についての姉妹語説の初めでもあった。この日琉姉妹語説が,一部の言語学者の問に継承されていることは,前にも触れておいたが,琉球語研究の権威伊波普猷先生も,その『琉球の方言』(国語学講座VII,国語方言学,昭和8年刊行)の中で,

	 兎に角推古天皇の24年以来,南島人はしばしば日本本土を訪れたので,朝廷でも訳語を置いて,相互の意見を通じたといったやうなことが,日本書紀にほの見えてゐて,南島語がかなりの変化を遂げてゐたことがわかるから,この頃は分岐してからかなりの年月が立ってゐて,既に方言の域を脱してゐたやうな気がする。(同書15頁)

といい,なお琉球語圏内の宮古島の民謡の一編を万国音標文字で転写して,那覇方言の対訳を掲げ,

	 琉球語の音韻法則を心得ず,Chamberlainの文法書を読んだことのない人には,まるで外国語のやうに響くであらう。(中略)これで見ると,Chamberlainがいったやうに,これは国語の方言と呼ばれるには,余りに変化し過ぎてゐるやうにも思へる。(同書16頁)

と述べられた後に,次のごとく結んである。

	 もしこの程度の開きのあるものを国語の方言と呼ぶならば,フランス語やイスパニヤ語やポルトガル語などのやうな独立語も,その国籍の如何に拘らず,どれか一つの方言と称せられて,現在千五百もあると言はれる世界の独立言語の数は,ずっと減少するに違ひない。(同書16頁)

 これによると,姉妹語の支持者のようにも考えられないことはないが,しかし,本引用文の掲出してある書名は『琉球の方言』になっているし,あるいはこれは琉球地方に行われている諸方言,琉球語の中の方言の意味にとれぬことがないとしても,他に翌年発行の『南島方言史攷』の題名も,南島語とせずに,南島方言の名称を採用されているところから推すと,前に述べたような条件つきでなら,方言説に賛成されていると見てよかろう。

3

 琉球語に対して,方言説を発表した最初の学者は東条操氏であった。同氏の「大日本方言地図」の説明書として書かれた『国語の方言区劃』(昭和2年刊行)の中に,前出のChamberlain氏の系統図や姉妹語について意見を述べた後で,

	 同一祖語から分れたものであり,かつ同一国家内に行はれて居る言葉なる限り,著者の如きは之を国語の一方言と見たい。(同書18頁)

といい,分類の標準として両語の音韻・語法・単語の三方面を比較して,日本語(国語)を次のごとく,内地方言と琉球方言との二つに大別してある。
    内地方言
日本語{
    琉球方言
 この説は国語学界で多くの支持者を有し,定説とはいえないまでも,まず通説として行われている。
 次に,服部四郎氏の労作「琉球語と国語との音韻法則」(『方言』第を巻第7号所載)の中には,この方言説に対する批評も含まれているので,これを紹介しながら,多少の私見をもつけ加えてみたい。服部氏はまず,

	 相接した地方の人々がお互に聞いて意味がわかる程度に相違していない言語を一群として見る時こそ,その各々が方言と呼ばるべきだと主張する人もある。併し之は重んずるに足りない標準である。(同論文1頁)

といい,かような標準は色々な困難に遭遇せねばならないことが予想されるので,採用するに足りないと断わった後で,

	 私は,別に科学的根拠があるのではないが,「琉球語」を日本語の一方言と見る説に賛成している。日本国内に行われている同系(「国語」と)の言語で,且之位の相違があるに過ぎないならば,方言と看做して差支えないと思う。(同論文1-2頁)

と前置きしてから,同系語の相違の度合を問題に取り上げ,琉球語を朝鮮語の場合と比較して,たとえ今後の研究によって,朝鮮語が日本語と同系なることが完全に証明される時代が来ても,それは余りに日本語と相違し過ぎているので,これを日本語内の「朝鮮方言」とは呼びたくないといい,

	 それは要するに程度の問題である。けれどもその程度については今の所(・点原文通り)何等科学的標準はなく,ただ直観的に,琉球方言と称して差支えないと考えられるに過ぎない。併し之を方言と看做すのは不当であると云う科学的根拠はないのである。(同論文2頁)

と論じている。ただ原文にも見えている通り,「直観的」に琉球語を「方言」として取り扱ってもよかろう,という結論になってしまっているので,何かしら物足りない気がしないわけではない。この原因の主なるものは,論者の間でも「姉妹語」と「方言」の定義とでもいうべきものが,学術用語としては曖昧な点が多く,その差別が明確を欠いていることによるのではなかろうか。

4

 普通,従来の常識的な見解によるとすれば,「姉妹語」というのは,大体遠い大昔の時代に同一の「祖語」から分かれて,多くの場合,互いに国別も異なり,素人が聞いただけでは,もはや,話が通じにくくなっている位に,著しく変化してしまっている言語同士の間柄を,指しているかのようである。
 次に「方言」については,世間一般の人は都会地の言葉に対する田舎言葉と考えているが,少し学問のある人の間では,その国の標準語以外の言葉であると解釈されている。ここでは東条氏の『方言と方言学』に掲げてある「学問上で言う方言の正しい意味」の定義に従うと, 「一国語が使用地域の相違によって発音上,語彙上,語法上に於いて相違ある若干の言語団に分裂した時に」その若干の言語団を指し,それらの言語団を特に「一国語」の中におけるものと限定してある。しかし,この点に関しては,前に引用した服部氏の論文にもあった通り,単に「相接した地方」で相違のある「言語団」とした方が,むしろ無難であろう。というのは,独立国家の言語にしたところが,その国の言語を方言と呼んでも一向差し支えない場合があるからである。
 これについては,亀井孝氏の「琉球方言の史的地位」(『方言研究』第2輯「第1回講演論文集」所載,昭和16年1月発行)の中に,方言論の上からは,国家という政治区画を重く見ることの不当であることを,

	 例へば,印欧比較言語学では,印欧語といふ本原的統一を仮定してみることによって,印度・波斯・希臘・拉丁・ゲルマン・スラヴその他の諸語すべてをそれぞれに一方言とみなし来ってゐる。(同論文集50頁)

という例証を挙げてあるのによっても明らかである。ただ,同氏も断わってある通り,

	 習慣に従へば,ある同系の言語を,独立の言語として取扱ふか,方言とみなすかは,おおむね政治的区劃によっている。事実,方言的差異は,政治区劃の帰結として生じ,ために,現在の政治的区劃と一致するか,過去の政治的版図を反映するかする場合が多いであろう。従って,学問上の方言境劃線の決定も往々政治的版図や行政区劃と妥協して却って不便を感じないのであるが,畢竟,差異するのは言語そのもので,人為的環境にせよ,自然の環境にせよ,それらはいずれも外から方言分裂に働きかける条件にすぎない。(同論文集50-51頁)

ので,言語そのものの本質に即して考察するならば,東条氏が「方言」の定義の劈頭に掲げてある「一国語」が,政治的区画による独立国家の言語を指している限りにおいて,その範囲が狭きに過ぎる感があって,この点だけは異議をさしはさむ余地がある。
 なお,注意すべきことは,亀井氏が「方言」同士の関係にあるものとみなし来たっているというインド語・ペルシア語・ギリシア語・ラテン語などに対しては,従来,これらのものを「姉妹語」とも呼び慣わされていることである。

5

 大体,「姉妹語」という名称は,ある仮定した「本原的統一」つまりある祖語から,二つ以上の言語の分岐している状態を,人倫関係において,親から子(兄弟姉妹)の生まれ出ることに譬えて名づけられたものであるし,一方「方言」という用語は,これらのものが地域的に分散して,方処を異にしながらも,しかもなお,共通の相似点を有している言語同士を指していて,帰するところ,いずれも同一の祖語を根元にして分かれたものであることには,変わりはない。かように解釈するならば,「姉妹語」と「方言」とは,言語そのものの本質的な相違を示すものではなく,単に同じ言語に対し,「姉妹語」と呼ぶ場合には,直接祖語との縦横の関係を通時的に表わし,「方言」と称する際には,祖語から派生した言語を,共時的に横のみの関係のつながりを重くみただけの違いしかないことになる。
 それで,琉球語の取り扱いについても,語学史に余計に関心を持ち,言語の系統を重んずる人は,琉球語を日本語の姉妹語と見る傾向があり,また琉球と本土との地域的相違によって生じた両語間の差異を,現状に即して観察する人は,琉球語を日本語の方言と呼んでいるとしたところが,それぞれそれ相応の論拠はあるので,ただちに一方が正しく,他は誤りであるとの裁断を下すわけにはいかないのである。東条氏は,

	 内地の諸方言と琉球方言との系統関係については同一祖語から分れて一方は本土において日本語となり一方は琉球において琉球語となったとする見解と,日本語というものが形成された後に琉球方言が分出したとする見解と両説あり,この見解の相違は琉球語は国語の姉妹語か方言かの論争にも関係をもつものである。(『方言と方言学』258頁)

と述べているが,琉球語が日本語と対等な関係において,同一祖語から派生したものであるか,あるいはいったん日本語なるものが形成された後に,これから分岐したものであるかは問題であるとしても,そのいずれの場合にしたところが,前のように「姉妹語」と「方言」とを解釈したならば,琉球語の日本語との姉妹語説と方言説の論争は解消してしまうのではなかろうか。東条氏のいう琉球語の系統論は,一つはChamberlain氏の(前掲の系統図参照),他は安藤正次博士の説を指していると思うが,Chamberlain氏の説に見えているParent Language(祖語)も,安藤博士のいう「すでに日本語という混成語がこの国土で形成された時代」の言語なるものも,その二つながら結局は仮説的な域を脱しないもので,具体的に明らかではない。また,文献や現在の国内の諸方言の資料を基にして,これを復元してみることは,ほとんど不可能に近い。
 それでChamberlain氏の「祖語」,安藤博士の「混成語」の二つを仮りに「原始日本語」と名づけて,これと琉球語の関係を示すと次の通りである。
  〔仮説〕原始日本語──────古代日本語──(現代)日本語
                 〔仮説〕Ch氏
   (Ch氏の祖語安藤氏の混成語)\(古代琉球語)──(現代)琉球語
 この系統図において,琉球語と日本語との関係に関する限り,琉球語を従来の意味における日本語の「方言」と称してよいのはいうまでもないことであるが,また別の見地に立つとすれば,日本語と琉球語とを原始目本語に対して,「姉妹語」同士の間柄にあるものと考えてはいけないという理由は見出せないのである。この場合,仮説的の祖語の名称に「日本」という文字があるかないかが,姉妹語説と方言説との,いずれかに決める分岐点になるなどと主張するなどは,およそ,無意味な詮議立てに属するものであろう。
 要するに,今まで述べたところによると,琉球語を日本語の姉妹語と見做そうが,あるいはまた方言と呼ぽうが,これは,琉球語の本質にまで関する程めことではなく,単に,これをみる眼の重点の置き所が違うだけに過ぎないので,各人の自由に任せるより外はあるまい。
 ただ用語上,従来の普通一般の常識に従うと,同一国家内に行われていて,しかも同系の言語であることの明らかになっている琉球語に対して,「姉妹語」と呼ぶのは,いかにもよそよそしい感じを抱かせるばかりでなく,これを朝鮮語やアイヌ語などと同列であるかのごとく考えさせて,学ぶに難く近づきにくい言語である,という印象を与えがちであるとすれば,それよりももっと親しみがあり,相違の開きが少ない一この相違の程度については今のところなんら科学的標準のないことは,既に服部氏の説いてあった通りではあるが一という心持ちのする「方言」という用語を使った方が穏当であろう。なお,これまでに解説した見地からではないけれども,国語学界における現状もまた,いわゆる方言説に加担する学者が多くなってきつつあることは最初に述べておいたが,単にこの大勢に順応する意味からではなく,琉球語に関する限りでは,しいて姉妹語説に拘泥する必要も認められないので,琉球語を日本語の方言として取り扱う説に従ってもよかろう。
 以上,第1項以下第5項までに述べたことを,要約して,これを表示してみると,次の通りである。
    ┃琉支同系説━支那方言説┃
琉球語観┃日支混淆語説━━━━━━俗論
    ┃日琉同系説━姉妹語説━━学説
           方言説━━┛

6

 従来,琉球語と呼ばれていたものは,沖縄本島の言葉,文献に関する限りでは,もっと狭く,旧王都首里の言葉を指していたが,言語学上から見ると,その分布地域は島津氏の琉球入り以前,琉球王国の治下にあった奄美大島諸島を含み,南は宮古島と八重山諸島に及んでいる。現在,奄美諸島は,行政区画上は鹿児島県に入っているので,ややもすれば,この事実を見落として,鹿児島方言の勢力範囲にでもあるかのごとく考えるかも知れないが,これは言葉の本質が,必ずしも行政区画と一致しない,よい例の一つである。
 もちろん,これらの島々に一色の言葉だけしか行われているわけではない。島と島とによっては,その方言の差の開きが,ほとんど話が通じない位に大きい。それで,これを幾つかに分けてみることができる。ただ,その区分は,学者によって多少の違いがあり,また分類の基準を何に置くかによって,これらとは全く別に新たな分類法を適用し得ぬこともない。
 琉球語の区分で,最もよく知られているのは,東条氏の説で,それによると,琉球語を次のごとく,
      薩南方言(1)
 琉球方言 沖縄方言(2)
      先島方言(3)
に三区分してある。(1)は奄美大島・徳之島・沖之永良部島を含めたもので,特に,喜界島の名は出してはないが,これは奄美大島の離島として取り扱ったからであろう。種子・屋久の二島の方言は内地系統のものであると断わってある。(2)は沖縄本島とその離島を包括し,なお,行政区画では鹿児島県に属する与論島もこの中に入る。(3)は宮古島と八重山諸島とを一纒めにしてある。
 この分類は,主として母音・子音の性質や,動詞・形容詞の活用形の相違によったものであるらしい。仮りに,これを三区分説と名づけておく。
 次に,伊波普猷先生は,前記の『琉球語概観』その他の著書に「琉球語内の方言的差異は甚だ大きい」と断わってから,これを「大別して,沖縄・宮古・八重山・大島・徳之島・喜界・沖之永良部の七方言」とし,なお「これ等の中に更に多くの方言に分かれる」と述べておられる。
 島名の順序が,地理上の位置を,北から南へと並べたものでないことは,最初に沖縄島を置いているのでも明らかで,後述の通り,これには何か深いわけがひそんでいるらしいが,この順位に並記した理由や,なお,何を基準にして七方言に区分したかについては,明記していないので,東条氏の三区分に対して,しいて七区分した根拠もまたつまびらかでない。仮りに,これを七区分説と呼んでおく。『八重山語彙』の著者宮良当壮氏は,東条氏の三区分説や伊波先生の七区分説とは異なり,次のごとく五つの方言に大別している。

         奄美大島(方言)(1)

                 沖縄北部(方言)(2)

南島語 沖縄南部(方言)(3)
(または南島方言) 宮古(方言)(4)

                 八重山(方言)(5)

 沖縄本島を,南北に両分したのは,両地方の間に,音韻上顕著な差異が認められること,特に北部でP音が保存されているのに対して,中南部では,これがf音またはh音に変わっている点などが,主なる理由であるらしい。本題の那覇方言は(3)系統の一方言である。仮りに,これを五区分説と称しておく。.
 東条氏の三区分説・伊波先生の七区分説・宮良氏の五区分説を見ると,そのいずれの場合にも,日琉両語の祖語なるものがあって,それから日本語と同時に分岐した琉球語なるものがあり,さらに,この原始琉球語とでも名つくべきものを母胎にして,現在の琉球地方の諸方言は派生した乳という印象を受ける。仮りに左様であったとしても,琉球語が各方言に分裂した時代は,日本語と琉球語との分岐した年代も,正確に判明していないので,推定することは難しい。
 要するに,琉球語における諸方言の分類配列が,いわゆる原始琉球語から分出した順位を示すものでないことは,いずれの区分説の場合も同様である。
 もちろん,方言区分の標準が,分裂の発生順によらねばならぬという理由は少しもない。それで,東条氏の三区分説や宮良氏の五区分説の配列の順位は,単に地理的に北から南へ並記したという以外の深いわけはなかろうと思うが,これを細かく詮議すると1人種学上のいわゆる天孫種族の南進説が,無意識の間にではあろうが,織りこまれている点は見のがせない。これと比較した場合,伊波先生の説は,沖縄本島を劈頭に挙げていることによって,歴史上における政治・文化の中心の所在に,重点を置いているかのように見受けられる。事実,文献の伝えるところでは,まず沖縄本島に国が栄え,この島を中心にして,北は奄美大島・喜界島・徳之島・沖之永良部に,南は宮古・八重山諸島に,各方面で種々の影響を与えているが,言語の上に,これがどの程度に反映しているかを識別し得るのは,将来これらの各島々の方言が,もっと精密に調査研究された後のことに属し,今のところ,明確にその影響の度合を判定する域には達してし、ない。むしろ,現今知られている範囲では,沖縄本島の政治・文化の中心地であった王都首里の言葉や,城下の開港場であった那覇の言葉は,進化または近代化ということに,なんら価値判断も伴わしめずに用いたならば,他の琉球諸方言よりも著しく進化して近代化しているのに比べて,これ以外の諸方言は,変遷の跡は少ない。特に音韻の点で,もしh,fの古音P音説が,正しいならば,その感が深い。
 それで,音韻,特にP音を基準にして,その変遷の順位に配列すると,従来の分類とは全く別な表を,次のように作り上げることができる。
      沖縄北部方言
琉球語
 (1)の地方はP音が優位で,
が優位で,
が遣っている。
 次に,音韻論者の間で注目をひき,論議の多いk音がh音に発音されている
現象を取り上げて分類すると,次のごとく,前表に近似している。
琉r畷蕪k>、
球娩慧山塊

噸瀞一
(2)一[欝譱}f(>h)
{論
        f音に移りつつあるものがあり,(2)の地方はf音

h音に変わるものがあり,(3)の島々ではhが優位で,わずがにf音

(3)一

(1)と(2)は,k音がh音に発音される地方であるが,(1)の地方では力行子音のうちka, ke, koが,それぞれha, hi, huに,(2)の島々ではka, kuがha, huに発音される傾向がある点で異なっている。(3)の地方では,この現象はほとんど見受けられない。
 この外にも,なお,母韻の種類・口蓋化の有無・アクセントの型や,用言の活用形などによる分類も,試みることができるが,これらは省略することにした。
7
 琉球語の行われている地域や範囲などに関連して,その人口を書き添えておく。琉球語圏内の総人口は大略80万で,日本内地人口の百分の一一より少しばかり多い。これを大別すると,沖縄県が約60万,鹿児島県に属する奄美諸島が,その三分の一の約20万で,これを先に掲げた三区分の方言圏に細分すると,奄美大島が,その属島の半分よりもやや多く約11万,喜界島は約2万,徳之島が約4万6千,沖之永良部が約2万5千,与論が8千6百,沖縄本島はその離島を併せて,県内総人口の六分の五を占め,残余の10万のうち,宮古島が約6万5千,八重山島はわずかに3万4千で,那覇市全人口の約半分しかない。
 沖縄本島は,山原《やんはる》方言の行われている国頭郡が,本島人口の五分の一の約10万6千,中南部方言の中頭郡が約14万6千,島尻郡が約15方4千,合わせて30万で,総人口の約半分に当たり,那覇市は約6万5千で,宮古島全人口と等しく,旧王都の首里市は昭和5年頃までは,2万を越えていたが,その後,2万台を下り約1万9千で,大体喜界島に匹敵している。

結語
 琉球語の中で,首里方言は,その地が数百年間王府の置かれていた所として,政治的に優位にあったし,また文化も進んでいた関係上,永く琉球諸島の標準語の位置を占め,その通用範囲はほとんど全島に及んでいたが,維新後は那覇方言の勢力がこれに代わりつつある。しかし,首里方言と那覇方言とは,アクセントの対立的な相違は別として,それに二三の音韻を除くほか,語法も語欒も,ほとんど同じといってもよい位に似た言葉であるので,首里方言の通ずるところでは,また那覇方言も十分了解される。首里・那覇両方言の理解される地域と人口は,宮古・八重山の約10万と奄美大島と徳之島と喜界島の約17万余,その合計約27万を除く,沖縄本島のほとんど全部と,与論・沖之永良部までに及び,総人口80万の大半の50万に達し,現在でも名実共に,琉球語の標準語としての地位には,いささかも揺ぎはないと言ってもよかろう。
 それで,この意味でならば,首里方言または那覇方言のうちのどちらかをもって,琉球語を代表させても,一向差し支えはあるまいと思う。

第1章 那覇の歴史と言語の概観
1
 那覇方言というのは,普通一般には,那覇市を中心にしてその近郊一帯に.行われている言葉を指す。
 現在,那覇は数次の変革を経て,市内が24の町に区画されているが,土地の人が純粋の那覇言葉と呼んでいるのは,これを厳密にいうと,那覇市のうちでも,旧称東村と西村の少部分の言葉に限られ,他は同じ市内でも言葉遣いの点では,地元㊧者同士ならば,すぐそれと聞き分けられる程の細かい相違があり,特に町外れの泊と垣花の場合のごときは,その差異が割合に著しく,それぞれ泊言葉・垣花言葉と名づけて,明らかに那覇言葉に対立させて考えている。この事実は,もとこれらの地が那覇に属するところでなかったこと,その反面では那覇の拡張発展の歴史を物語っている。
2
 那覇市は沖縄本島の西南,東支那海に面する港町である。現在,県庁の所在地で,県下の政治・文化の一大中心地をなし,人口も県総人口約60万の一割以上を占め,宮古全島のそれに匹敵し,八重山諸島のやや二倍に近く,いわゆる琉球語圏に属する奄美諸島をも含めた地域における最大の都市で,また唯一の開港場として,その繁栄を誇っているが,もとは那覇江に臨む一寒村に過ぎなかった。
 那覇の語源については,いろいろの説がある。『那覇由来記』(康煕48年・皇紀2369年編)によると,'

	 抑々那覇の濫鵬を尋るに,今の呉姓我那覇の所居に当初石あり,形茸に似たり。茸を世俗にはナハと言う。故に此所を人呼んでナハと云做しけるが,人之所居爰に始りけるとて,則此ナハを取て里の名とし,後に那覇と字を改めけると云へり。

と見えているが,この茸(ナハ)那覇説は,もちろん,とるに足らぬ民間語源説に過ぎない。この外にナハは本土の那波などのように,多分はもとある特色ある平地に付与せられていた普通名詞であろう,という柳田国男先生のナハ平地説とでもいうぺきものがある(啓明会第15回講演集所載「南島研究の現状」50頁参照)が,最近,伊波普猷先生は,那覇の起源は漁場(なは)に由来するものであろうという新しい説を発表されている。(『沖縄考』第4章参照。同書101-154頁)
 はじめ那覇江口のわずか一角を占める一寒村に過ぎなかったと見做されるこの漁場(なは)が,次の時代には,唐・南蛮あたりから寄り合う船舶の輻輳する貿易港として,新しい姿で登場している。琉球の万葉集ともいうべき『おもろさうし』巻13の8に,
  しより おわる てだこが
  うきしまは げらへて
  たう なばん よりやう なはどまり
  ぐすく おわる てだこが
とあるのは,当時の情景を歌ったもので,これは「首里におはす王が,浮島を築港して,唐南蛮の船舶の寄り合う那覇港にした,王城におはす王が」という意に解されている。
 那覇が「浮島」と呼ばれていたことは,琉球の古語辞典『混効験集』(康熙49年・皇紀2370年編)にも「うきしま,那覇の事」と見えていて,これは東北一里余の高地にある王府首里から眺め下ろしたときの那覇が,四辺水にかこまれて,その状さながら浮島のごとき観を呈したことによるもので,五,六百年前の那覇の地形を推測せしめるに足る有力な資料でもある。
 「なはどまり」の「とまり」は港の意で,那覇が海外貿易港に指定される一時代前の要港が,今でもそのまま「泊」という地名として,那覇北辺の海岸に遺っている。
 「首里在る日子」が,琉球のどの王を指すかは,はっきりしないが,察度王朝(2009-2065)の頃は,前の英祖王統(1920-2008)に次いで王府が,いまだ浦添城に置かれ,運天港から上陸した源為朝が,日本に帰るときに解纜した所と伝える牧港が,繁昌していたらしい史実があり,また王都が首里に遷ったのは,第一尚氏の二世尚巴志(在位2082-2099)漆,三山を統一してから後のことであるらしいことなどから推して,この「おもろ」は同王統の初期頃の那覇を描写したものと想定してよかろう。なお第一尚氏の五世尚金福(在位2110-2113)は,浮島の那覇から王都に通ずる長虹隍を築造して冊封使の通路の不便を除き,次王尚泰久(在位2114-2120)は,那覇に長寿寺・潮音寺・天尊殿・沖の宮などの寺院・殿堂を建立したことが正史にも出ているので,追々「浮島」の内部も,文化都市としての形を,整えつつあったことは,想像するに難くない。
 ただ,この当時遷都後間もない高台の政治都市の首里王府と,海外貿易港として躍進の途上に向かいつつあった経済都市の那覇とのいずれが繁華であったかを比べてタることはできないが,次の第二尚氏の始祖尚円の子尚真(在位2137-2186)は,もっぱら国都の経営に意を用い,在位50年の間に「首里親国」の面目を一新し,尚円王統の基礎もここに固まったといわれているから,那覇が殷賑に向かいつつあったとしても,首里の隆盛には,遙かに及ばなかったと見るべきであろう。爾来,400余年,その間,島津氏の琉球入りがあり,王威が衰えたのは事実であるが,那覇は首里王府に隷属する日支貿易の港市として維新に至った。
3
 那覇が目覚ましい発展をとげたのは,首里王府の政治的覊絆を脱却した廃藩
                   みひら
置県後のことであった。それまで,首里の三平等に対して,那覇は四町と称え
                  まわし はえ にし
られていた。三平等といっても首里の,真和志と南風と西の三平等の中には,20の町が含まれていたが,那覇は文字通り西・東・泉崎・若狭町の四町で,その地域も首里の広大には遙かに及びもつかなかった。これは『琉球国旧記』の編纂された二百十数年前の情勢であるが,旧慣を保存することの多いといわれる祭礼や年中行事,例えば爬竜船競漕や綱引競技などに関する記録などによると,古くは泉崎も若狭町も那覇のうちには入っていなかった。
『琉球国由来記』の爬竜舟の由来を漢訳した旧記に,

	昔有久米村・那覇・若狭町・垣花・泉崎・上泊・下泊等爬竜舟数隻,今有那覇・久米村・泊三隻。

とあり,また『那覇由来記』の太陽を礼拝すべき月や祭場や役人と列席者の数を述べた条には,

	那覇・若狭町・泉崎の親雲上・筑登之・おえか人六十三人にて云々。

と見え,すべて那覇と若狭町・泉崎を対立して並記してある。
 それで,古く遡ると那覇は,東と西の二つの町だけに限られていたということになり,つまり,ここが那覇の草分けの地であったわけである。従来,地元の者が純粋の那覇言葉は,この区域に行われているものを指すといっているのも,決して根拠のないことでないことが,これによっても解る1
 ただ,町の名の東・西という称呼そのものは古くはないらしい。古琉球語とおぼしい方角の呼び名は,東はagari(上り・日の昇る方角),西はiri(入り・日の入る方角),南はfe:(<haje,南風),北が西の訓みと同じni∫i(金沢博士は,イニシの語頭母韻の脱落したものであろうといい,この語を琉球人の祖先の南進の傍証の一例として挙げている)で,東に対しては,古文献に安嘉礼・安加礼(島尻・真壁村),西は伊礼・伊礼門などの地名や屋号などに,今でも使われている。なお,八重山諸島の西表島は西の字を用いながらニシではなくて,イリと訓ませている例もある。
 これらの固有の地名の用字例や,琉球の村落の分割命名法などから推すと,もと漁場(なは)であった那覇村を東西に分けてagari, iriと呼んでいたのを,後世その当字のままに,これを町の名としてヒガシ,ニシと訓むように移り変わったものと見てよかろう。近頃まで若狭町などでも,agariとiriとに両分して呼び慣わしていたことなどもその鋳証として挙げておいてよかろう。
 若狭町は,その名称や古文献などから判断すると,古い頃からの外来者の部落で,また商工業者の根拠地でもあった。琉球の工芸品の漆器の本場であることは今も変わりがない。
 泉崎は,古来資産家などの住居者が多く,また薩摩系などの名門が集まり,
                           はしうち
山の手の感がある。泉崎橋によって久米町に繋がり,自らは橋内と称し,那覇と差別して,一種の自負心を抱いていた。この地はもと真和志間切に属し,架橋後,間もなく那覇に編入されたらしい。
4
 那覇四町に,泊村と久米村が加えられたのは,明治の初期のことであった。
 泊が,那覇どまりに先だち,貿易の要港として繁昌していたことは,既に英祖王(在位192(ト1959)の頃に,泊御殿という貿易関係の公館や公倉が,建てられていたことによってもわかる。ここは那覇湊に,その地位を譲ってから後は,本島及び属島の船舶を繋ぐ国港となった。
 この土地には,古くから首里からの移住者が多く,従って言葉も,全く同じとはいえないが,いずれかといえば,首里に近いものがある。
 久米は,明の洪武25年(皇紀2052年)に帰化した閾人三十六姓の住居として,英祖王の賜わった地であると伝えられている。もと唐営(後に唐栄)と称し,今流にいえば,つまり華僑の居留地に指定された特殊部落であった。爾来,その子孫は,琉支両国間の通交・通訳・文書などの外交事務に当たり,貿易を国是とする琉球歴代の王府のこれを優遇すること頗る厚く,また教化の全権も挙げてこの門閥に一任されたので,久米人の占める政治的・社会的の地位は,王城下の首里人士のそれにも優るものがあった。それで,久米の地は,那覇四
                 しまなか
町にとり囲まれていながら,それらを島中と呼んで蔑視する傾きがあり,自ら高く持して,近年まで那覇人と婚嫁を通ずることを潔しとしなかった。かよう
                        しまなか
な情勢が久しきに亘っていたので,久米人の言葉も,島中のそれと自ら多少異なるところがあったbこれを細かく観察してみると,アクセントの型は別として,音韻・語彙は,いろいろの点で交渉の深かった首里に近い。例えば,親族関係の称呼に殆んど首里と同じく,もし父の呼び名のtalri:が,土地の人の説の通り,支那語「大人」(ターレーン,北京音はta jen)の転訛であるとすれば,首里のそれなどは,むしろ久米に学んだものと見るべきであろう。これは一頃都会のいわゆる文化人などの家庭にはやったパパ・ママなどと思い合わせると,首里人士の間においてさえ久米人に対しては,これを優位にあるものと見て,その風に倣わんとする風潮のあったことの一端を,物語っているものであろう。
 なお,那覇人士も久米にその師を求める者が,少なくなかったので,有識者の発音は,久米人を通じて,標準語の地位にあった首里方言を多量に採り入れている。これが教養ある者と一般人との間に,音韻上大きな距たりをつくっていた理由の一つでもあった。特に佐行・多行子音の場合などが,その著しい例であることは,音韻の章に詳しく述べておいた。(本書46,52-57頁)
5
 那覇に区制が実施され,那覇区と称し,四町とその仲間入りをしていた泊,久米が,村を廃して字に改められた,明治29年のことで,さらに牧志・垣花が,これに合併されたのが,明治36年であった。明治30年代の首里と那覇の人口を比べてみると,おのおの3万5千で伯仲していたが,10年後の40年代には,那覇4万5千に対して,首里は2万5千,その後首里は衰微を辿る一方で,昭和10年の国勢調査によると2万を欠いて,1万9千に下がっているのに反し,那覇はいよいよその上昇の進度を加え,近年首里の三倍余の7万台になんなんとし,かつては首里に隷属していた那覇が,そo位置を全く顛倒して首里を併呑して,大沖縄市を建設せんとする勢いを示し,一両年来これが土地の大きな論題になっている。両方言の盛衰もまた,これに伴っているかの感があり,従来もっぱら首里語を使っていた琉球の芝居に,最近は那覇方言が盛んに採用されているのも,その現われの一つに数えてよかろう。
 明治36年の地区改正の際に合併された二つのうち,牧志は島尻郡真和志村の一字で,この真和志はもと首里の直隷地であった関係もあってか,ここから壺屋・城嶽一帯にかけて,近年まで古老の間には,琉球の古典劇「組踊」の用語に散見している首里系の古い語法,例えば,格助詞jaの名詞語尾に融合しない用法(名詞の第4項参照)などが残っていたちしい。
 垣花はもと島尻郡小禄村に属していた。小禄は郡内でもアクセントの型が,最も特徴がある。ここに巣くう目白の一種で,俗にSO:mina:という小鳥の囀り方までが,その感化を受け(?)異様な鳴き声をするといわれ,愛禽家仲間に嫌われている。垣花はそれ程ではないが,今でも那覇江に架けた橋二つを渡
                   わたんち
って行き来せねばならず,それ以前は対岸の渡地から渡舟で往復していたので,那覇本部とこの垣花との言葉の間に,多少の差異が認められるのは,その地理上の関係の然らしめるところであろう。
6
 那覇に市政の布かれたのは,大正10年のことであるが,その前に大正2年に町名改正があり,当時は西本町・西新町・通堂町・東町・旭町・上之蔵町・久米町・天妃町・若狭町・松山町・松下町・久茂地町・美栄橋町・上泉町・下泉町・高橋町・崇元寺町・牧志町・垣花町・山下町・住吉町・辻町の22町で,その後,昭和に入ってから,さらに前島町と壺屋町が新たに編入された。
 この町名の改編は,直接本題の言語の問題とは関係するところが薄いので,それらについて一々説明する程のことはないが,ただ一つ辻町だけは,取り上げてみる必要がある。
 辻町は遊廓のある所で,土地の人は辻といえば,すぐ遊廓を連想する位に有名になっているが,この辻という文字が,琉球以外の本土諸方言にもある高台または頂上などを意味する「ツジ」の当て字に過ぎないことは,辻町一帯の以前の地形から判断しても明らかである。この高台の荒蕪地に,遊廓が移されたのは,今から270余年前(寛文12年)のことであった。当時,那覇の町には,・各所に遊女が散在して,取締り上不便が多かったのを,琉球最初の経世家,羽地王子向象賢によって,仲島と渡地と共に,遊女の居所に指定されたものである。明治の後期には,仲島と渡地の遊女も,この辻の一郭に集合され,その数3千と称されている。それらの遊女の中には・たまには泊・垣花の貧家の子女も交ってはいるが,その大多数はほとんど郡部の出身である。
 琉球語が,その地方地方によって方言差の著しいこと,それを幾つかの区分に分かちうることなどについては,既に前章でも述べた通りで,かように出身鞄を異にする田舎女の寄り集まりから成っている遊廓内には,それぞれ持ち寄りの各地の方言が混血している上に,地元の那覇の女言葉の影響をも蒙って,一種独特の「傾城語」を形成している。土地の人はこれを「辻言葉」または「尾穎言葉」と呼び,この訛りはなかなかぬけ切れないので,遊女にして既に廃業した者でも,その話しぶりを聞けば,容易にその前身を知ることが出来る程である。これを識別せしめる主なる原因は,アクセントの型の相違にあるらしく,いわゆる尻下りの下降型がその特徴をなし,那覇固有の上昇型と対立している。この外には,江戸時代の吉原などにおける「ありんす言葉」のような特別な語法や語彙はあまり見つからない。ただ姉さん格を呼ぶ場合に,田舎言葉のaba:(語義不詳)またはaggwa:(姉小, agはアネの転訛, gwa=は東北方言の愛称または指小接尾語「コ」に似ている。これについては第2章音韻の第5項ハ参照)を用いている。これは外来者の寄留商人や特に船員などの耳にも,印象的な響きを与えるものとみえて,これらの人々の間では,那覇の遊女のことを,このaggwalを訛って「アンガー」といい,これがまた遊女の異名にまでなっている。
7
 現在,那覇市民の構成分子は,これを大別すると,大体那覇固有人の外に,郡部出身者と,首里からの移住者と,寄留商人とから成っているが,この那覇固有人も,明治以前に遡って,系統をよく調べてみると,その祖先は概ね本島各地方からの寄合者であるか,帰化人かさもなくば,それらの混血した者が少なくはなかった。これは港湾の一角の寒漁村から起こり,次いで港市として発展してきた那覇の成り立ちから推しても,容易に判断しうることであるが,この点は那覇の言語を考察する場合にも,常に念頭においておく必要がある。
 久米村人が支那系統の帰化人の子孫であることは,既に述ぺておいた通りで,かれらは渡来後三代位までは福建語を使い,慶長頃までは明服を着けていたが,これも寛文初期,今から約二百八十年前の明清革世後は,琉装にあらためたというから,その頃はもはや言葉も,全く琉球に同化しきっていたとみてよホろう。しかし,一方ではまた,現在幾つか残っている支那系の単語に類するものを,琉球語の中に絶えず移し植える役割を演じてきたことは,忘れてはなるまい。
 旧藩時代,特に慶長以後は,在番奉行に付随して薩摩商人の寄留するものが,その数を加え,辻町の遊女との間には,それらの落胤も少なくなかった6この薩摩役人や寄留商人の那覇の言葉に及ぼした影響も,軽く見過ごしてしまうわけにはいかない。事実,慶長の島津の琉球入りは,維新後,いわゆる標準語が琉球語に与えた大変革ほどではないが,那覇語変遷の一段階を画するもので,直接話し言葉の上にはさほどでもないが,上流・中流の有識者は,薩摩を通じて日本文化に接する機会を得たと見るべく,琉歌や組踊などの文学用語には,多量にいわゆる大和言葉が採り入れられていて,これが遊女のごとき階級の女の歌にまで織り込まれ,かような過程などを経て,やがてそのかけらが一般の人の口に上るようになったものらしい。
 辻の遊廓には,薩摩の客を迎える女よりも,地元の那覇人はもちろんのこと,首里の大名方や田舎の大尽連に接するものが多く,その落ちこぼれがまた四町の各所には散らかっている。これが那覇の一部に,首里系のアクセントや,田舎訛りなどが聞かれるゆえんでもある。特に明治以後,首里人の那覇に下って職を求める者が多く,郡部の者では国頭地方出身者の教育界や政界や実業界方面への進出は,目覚ましいものがあり,沖縄地方の小東京ともいうぺき那覇の言語は,その複雑の度をいよいよ増している。
 それに近年,当局の標準語励行と方言使用禁止に伴い,那覇の言葉も急激に変貌を遂げつつあるので,これを明治初年いな大正期に比ぺてさえも,著しく異なったものになっていることは明らかで,近き将来において,その採集の艱難は倍加されるものと,覚悟せねばなるまい。

第2章 音韻
1
 琉球語ではa,i, uの三つを用い,eとoの現われることは至って少ない。古くから「大和(日本のこと)は五音,沖縄は三音」と言っていたのをみると,首里・那覇の有識者の間でも,その事実をとうに自覚していたことがわかるが,これを学界に初めて紹介し,なおこの特殊な現象を援用して,古代日本語三母音説を主張したのは,Chamberlain氏であった。 BoPP等の原始三母音説にヒントを得たChamberlain氏は,日本語において,現代語no(の), yori(より)の母音oが,古くはnu, yuriのごとく母音uに発音されていたことや,naga-iki(長息), tachi-ari(立ちあり)の転形と見做すべきnageki(嘆き),tateri(立てり)における母音eを, a+iまたはi+aの転訛しているものと見て,かねがねAston斥の原始日本語三母音説に賛成していた矢先,現代琉球語の母音が,eとbの二っを欠いていることを発見して,これこそ日本語と共同の祖語の姿を,琉球語が忠実に保存しているものであると思いこんでしまい,実は幾多の変遷を経てきている現代琉球語における,この特殊の現象をもって,ただちに古代日本語の母音組織までも,やはり三母音しか持っていなかったという推断を下したのであった。

Aston氏の説に源を発し, Chamberlain氏によってその基礎を固められた,この原始日本語三母音説に対して,『国語音韻論』(昭和10年刊行)の著者,菊沢季生氏のごとき,これを支持しているが(同書118頁参照),その以前にも安藤正次博士は『古代国語の研究』(大正13年刊行,同書第4章第2項「古代に於ける国語母韻の発達」参照)に,北里闌氏は『日本古代語音組織考解説』(大正14年刊行,同書99-101頁参照)に,これを祖述した意見を発表している。しかし,仮りに,原始日本語の母音組織は,そうであったとしても,現代琉球語の例をもって,これを証明することは,無理であるといわねばなるまい。というのは,後に述べてある通り,現代琉球語も古く遡ると,現代日本語と同じく,五つの母韻a,i,u,e,oを用いていたと考えた方が,事実に近いからである。それでジ後に紹介してある子音の例は別として,母音に関する限りにおいては,むしろ現代日本語が,もし共同の祖語があったとすれば,この点ではそれを忠実に伝えていると,推定してもよかろう。

 それはそれとして,近代の琉球語が,a, i, uの三母音を用い, eとoの二つを使うことの至って少ないという事実そのものは,確かに現代日本語,特に標準語に比ぺて,著しく異なっている現象であるといわねばなるまい。これが方言学者によって,日本語を内地方言と琉球方言との二つに大別する基準の一つに挙げられているゆえんでもあって,古い時代のことは別として,現在に即して両語の母韻組織を比較して,それらの特徴に観点を置いて論じている限りにおいては,その区分説に賛成してよかろう。
2
那覇方言概説  33
 伊波普猷先生が二十数年前,その頃メソジスト派の宣教師として那覇郊外に滞在していた宣教師シュワルツ氏(the Rev, H. B. Schwartz)の依頼を受けて,新約聖書の一部を,琉球語の標準語ともいうべき首里方言に訳した"Ma。nnual for Christian Workers"(約16頁位のもの)中の母韻統計によると,
a.1UeO
2,009
2,039
2,065
13
0
となっている。(『琉球の方言』17-18頁)
a、
H
u、
e、
α
349
161
136
191
116
 那覇方言も母韻に関しては,ほとんど首里方言となんら変わりがないので,この母韻統計は,那覇方言に適用しても大差はない。
 つまり,現在の那覇方言でも,a, i, uの三母韻の使用が圧倒的に優勢で,長母韻a:,il, u:, e:, o:,がこれに次ぎ, eとo(上例には全くないが,擬声音toP・to9, do9-do9, ko9・ko9等のごとく,鼻音9の前にはoが使われることがある)の現われることは稀であると見てよい。
 それで,那覇方言では長母音は別として,短母韻の場合は,いわゆる五十音図中の工列とオ列の音節を欠いている。数例を挙げて説明してみると,
   標準語
(イ)jama(山)
(ロ)mit∫i(道)
(ハ)kuruma(車)
(ホ)kome(米)
(へ)tera(寺)
〔対応関係〕
a:=a
1= 1
u=u   a=a
   ,
0>u,e>i
e>i,a=a
那覇方言
jama
mit∫i
kuruma
kumi
tira

o
{

 (ト)nunO(布)      u=u,0>u  nunu
 (チ)∫igOtO(仕事)     i=i,0>U  ∫igutu
となっていて,これらの単語を比較した場合に,標準語と那覇方言の母韻は,a,i, uはそれぞれ各例におけるごとく,a=a, i=i, u=uになっているが,(ホ)以下の例によると,o>u, e>iの対応関係を示していることがわかる。つまり,標準語におけるa,i, uは,那覇方言でも,やはり標準語の原音そのままに発音されているが,標準語のoとeは,那覇方言では,それぞれuとiに代わっている。
 それで,この現象を,(ホ)の類例について観察してみると,那覇方言のkumiという音節は,標準語のkome(米)とkumi(組), jumiは標準語のjome(嫁)とjumi(弓)のごとく,各々二つの単語の意味を有することになり,なお,那覇方言でkumiと発音される「米」と「組」, jumiの「嫁」と「弓」は,アクセントも全く同じく平板型であるので,意義を異にする単語の判別は,結胤話の前後の関係によるより外はない。
 かように那覇方言においては,標準語の工列はイ列に,オ列はウ列に合併して発音されているので音節構成の数も,それだけ減っているわけで,従って,そのために標準語に比べて,多くの単語において,語義の混同は免れない。しかし,一方ではまた,この欠陥を埋め合わせるために,那覇方言においては,色々な手段を講じているので,一般の人が考えるかも知れない程には,その不便を感じていないといってよかろう。
 その一つの方法として,アクセントの型の相違によって同じ綴りの単語同士の語義の区別をしていることは,標準語も同様であるので,ことさら取り立てていう程の必要はあるまい。この外に同一音節語内の母韻を,あるいは長くまたは短くすることによって,単語を区別する方法を採用していて,これはまた那覇方言の最も特徴のある造語法の一つに数えてもよいと思われるものであるが,特に第4章の名詞に,その数例を挙げて紹介しておいたので,ここでは省略して,次に子音の口蓋化の現象について,それと母音との関係がどうなっているかを見ることにしたい。
3
 琉球語のうち,首里・那覇両方言を中心とする沖縄方言において,標準語の加行清濁音や良行の一部が,口蓋化(湿音化)する傾向のあることは,この地方における音韻上の大きな特徴であるだけに,初めて沖縄方言を聞く人に,これが著しく標準語と異なった言葉であるかのごとき印象を与えている。それらについては,また別に述べてあるので,ここでは母音e>i,o>uの変遷が,那覇方言に及ぼしている影響について,次の数語を挙げて比較しながら説明してみたい。
            第  1 表
(イ)   i<e 1 (・) i-i
『結合陶方言標準訓語義 結合i黼方司標準語語義
k十i ki: ke 毛 t∫+i t∫ik貝 kiku 菊

	waki	wake	訳,理由		tut∫i	toki	時

9十i gi:sa gei∫a 芸  者 3十i ' 3igkα gigkOl 銀  行

	ka:gi	kage	影		mu3i	mugi	麦

r十i rig reg 蓮 j+i

					aji	ari	蟻
	kuri	kore	是				

w十i wiljug (w)eu 酔  ふ j+i jijug (W)iru 居  る(坐 る)

	,   . ●wll亅ug	U(W)eru	植ゑる				

 第1表の(イ)と第2表の(ハ)は,標準語の母音eとoが,那覇方言で母音iとuに代わっている語において,子音が原音を保有している例を示し,(ロ)と (二)は標準語と那覇方言共に母音iとuの場合に,那覇方言においては,子音ki, gi, ri, wiとku, gu, ruが,それぞれt∫i,5i, ji, jiとt∫u,5u, juに転訛していること,つまり口蓋化している例を挙げておいた。

第2表
(…) U<・   1  (二) U-U  「
結合陶方言i標鞳1語劃 嶺合黼方言陳準副語義

							

k十u ku∫ihaku ko∫ihako 腰 }箱 1 t∫+u     it∫u:g  kurumat∫ug maku    l 来る巻く
9十u   ●gum1 gomi ご  み 5十u

	kagu	kago	籠		kUl5ug	kogu	漕  ぐ

r十u ruku roku 六 j+u

	∫iru:	∫iro	白		tujug	toru	取  る

一一一
 これらの語例によると,母音eとoはe>i,u>oの変遷iの過程をたどりなが
らも,子音には大した影響を,及ぼしていないのに反し,在来のi,uは,子
音を口蓋化する傾向のあることを,示している。
 伊波先生は,この一般的現象を,口蓋化の「法則」と名づけ,沖縄方言にお
いて,「いわゆる五十音図中,工列はイ列にオ列はウ列に合併して,しかも工
列から来た子音が,原価を保存するに反して,在来のイ列の子音は,口蓋化
(もくしは湿音化)」していることは「今は区別し難くなっている此の両母音
(iとu)ρ間に・かつて幾分開きのあった痕跡が見えている」といい,沖縄方
言のiとuは,純粋の音声学的見地からは,そのまま標準語のiとuに,音価
が等しくないもので,沖縄方言のiは標準語のiとeの,uは標準語のuと0の
中間母音であること,なお,それらの中間母音iとuが,琉球語の奄美方言や,
宮古・八重山方言などに,今でも用いられている実例などをも挙げ,さらに,
前出の『語音翻訳』に現われている,四百数十年前の首里方言の表記法などを
考証して,その前後は,まだ母音eと0が,iとUに遷る過渡期にあり,母音の
動揺時代であったことが,窺われると述べておられる。(『南島方言史攷』9-18頁,
42-46頁参照)
 この口蓋化の現象について述べた,伊波先生の論考「琉球の母音組織と口蓋
化の法則」は,従来の古琉球語三母音説や原始日本語三母音説に対して,重大
な修正を要求している点で,特に注目に値する研究であるのみならず,那覇方
言に限らず,琉球語を調べて見たいと思う人は,ぜひとも熟読玩味せねばなる
まい。
 ただ,口蓋化の「法則」といっても,この「法則」には,これのみによって
は,そう簡単には説明しきれない多くの例外を含んでいるので,それには数行
の条件を付さねばならず,付則をも必要とするし,「法則」たるぺく定立せし
めるためには,その補強工作として,なお今後の研究にまつべきものが少なく
ないのは,現在の琉球語全般に対する不完全な調査の状態では致し方あるまい。
 ここで,第1表と第2表に掲げた語例について,今少し解説を施しておきたい。
 各表において,語例は母音が第一音節にある場合と,語尾または語間に来るときのものを,大体二組ずつ挙げた。
 (イ)の劈頭のkilが,長母音になっていることと,末尾の'wi:jugの語頭
が,喉頭破裂音(glottal stop)を伴っていることなどについては,後に述べる積りである。

w+iの例における標準語「ゑふ」と「植ゑる」の歴史的仮名遣い「ゑ」は

古くweと発音されたものとして対照せしめてある。
 (ロ)のt∫+iの例は,語頭と語間の場合は例外があって,原音kiそのま
まのもの・例えば・木(ki)のki:や起きる(okiru)のukijug(>uki:9)な
どのごときものがある。次のgiが5iになる例から類推したというより,い
ったんge>giの過程を経て,下駄(geta)などは,5ita(<gita<geta)とな
っている。それで5+iの例にはgiの外にgiの転訛した語などが混入してい
ることを忘れてはならぬ。
riがjiに転訛することは,語間もしくは語尾の場合に限られているのみな
らず・これには例外が少なくない。無理(muri)のmuri,降りる(oriru)の
urijug(>urilg)などのごときものがそれである。
 (ロ)の最後の例における,標準語の「ゐる」の語頭「ゐ」は,古くwiと発
音されたものとして対照してあるので,現在の口語の発音通りではないことを
断わっておく。なお,那覇方言のjijug(>ji:9)は「すわる」ことで現代標準
語の「をる」や「ゐる」とは意味が違うが,語源は一つであるので対比させて
おいた。「居る」は那覇方言ではwugという。
 第2表の(ハ)には,ほとんど例外がないといってよいが,(テ)は同様に論
じ去るわけにはいかぬ。その劈頭ku>t∫uは,語頭の場合には,原音を保存し
てku-kuになるのが普通であるので,むしろku-t∫uの方が,例外といっ
てもよい。車(kuruma)のkuruma,国(kuni)のkuni,草(kusa)のkusa,
口(kut∫i)のkut∫i,組(kumi)のkumi,その他いくらでも類例を挙げるこ
とができる。ただし,語間の場合にはku>t∫uの傾向が認められる。しかし,
これにも例外は少なくない。芥(akuta)のakuta,桜(sakura)のsakura,そ
の他の名詞では,むしろku-kuが多いが,動詞の終止形におけるごとく,9
の前にくる時は,例えば,書く(kaku)のkat∫ug,行く(iku)のit∫ug,咲く
(saku)のsat∫ug,泣く(naku)のnat∫ug・蒔く(maku)のmat∫ug.などの
ごとく,この場合はku>t∫uが規則的であるかのように見える。(ただし・終
止形の語尾については,本書118頁参照)。斥お・語尾においては・すべてku=ku
で,ku>t∫uの例は皆無である。
 次の9U>5Uの例は,語頭と語尾においてはほとんど見受けられぬ。語間特
に9の前で口蓋化する傾向のあるのは,kuの場合と同様規則的といってよい。
やはり動詞の終止形にその例が多い。研ぐ(togu)のtu5ug,靴などを脱ぐ
(nugu)のnu5ug,皮などを剥ぐ(hagu)のha5ugなどのごときがそれである。
 (二)の最後の例のru>juは,語頭と語尾では皆無である。これも前の二つ
の例と同じく,動詞終止形におけるごとくgの前にくる場合は,規則的に口蓋
化する傾向がある。苅る(karu)のkajug(>kajig),蹴る(keru)のkijug
(>ki:9),鳴る(naru)のnajug(>najig),割る(waru)のwajug(>wajig)
その他類例が多い。
 第1表・第2表に挙げたk,9,r, w及びt∫,5, jと,母音iとuとの結合
の外に,伊波先生はS+iと∫+i,n+iと尹+i及びS+Uと∫+U, m+uと
mj+u, n+uとJ1+uの対応関係の類例を,子音移動表に追加しておられるが,これらは現今の那覇方言では,ほとんど識別されなくなっているので省略しておいた。それらについては前記の『琉球の方言』(20-21頁)と『南島方言史攷』(9一18頁)を見て頂きたい。
4
 那覇方言で,長母音を好んで用いる傾向のあることは,またその特徴でもある。これは,近畿方言や四国北部方言などにおいて,単音節語の母音を長音化するのと,よく似ていることなどから推して,後世に発生した現象ではなくて,古い頃の発音を忠実に伝えているかも知れない,ともいわれている。(服部氏の前出の論文13頁参照)
 もし,この説が正しいとするならば,那覇方言などが,現在でも長母音を愛
用していることは,祖語の姿の一面を忠実に伝えているともいえるのである
が,那覇方言の長母音al, i:, u:, e:, o:について,少し注意深く観察してみる
と,語源が単音節であることの明らかなるfa:(葉), ja:(屋), taz(田), fi《日,
火),mi三(<me,目), ti三(くte,手), hu:(<ho,帆), ju:(<jo,代)などの
場合は別として,その他は大方標準語の二重母音か,もしくは二音節が同化融
合したりして,生じたものが多いことがわかるので,幾多の変遷を経てきて,
しかも,今なおその過程にあると見なければならぬ,現在の那覇方言の長母音
の例を,ただちにそのまま「原日本語」の長母音説の傍証に,援用するわけに
はいかない。
 次に那覇方言の長母音のうち,特に二音節以上の合併して生じたと見做されるものについて述べてみたい。
  イ 那覇方言の長母音a:は,標準語のa+wa(<ha)から転訛したもの
が多い。例えば,a:(<awa,泡), kal(<kawa,皮), ka:ra(〈kawara,河原),
Sa:jug(SawarU,触はる), ma:jUg(mawarU,回る)などのごときもので,この
外にたまにはkwa:gi(桑,語源はkuwa-gi,すなわち桑木)のような特殊な類
例に属するものもある。
 その次に,またkat∫a:sug(直訳・掻き合はす, kaki-awasu,意訳・繰り返
し引掻き回す),mat∫alsug(直訳・巻き合はす, maki-awasu,意訳・うるさく
付きまとふ,また鷹などが中空高く円陣を描いて飛び回ることに用う)のよう
に,標準語のi+aから転来したものもあるが,これはi+a+waの合併して
生じたものと見た方がよいかも知れぬ。前出の動詞は連用形(kat∫i, mat∫i)
に標準語のawasu(合はす)に該当する動詞alsug(終止形)を接尾して造っ
た一種の複合動詞ともいうぺきもので,この類例に属する動詞が那覇方言には
多い,というよりも,このa:sugは那覇方言独特の接尾語とも称すべく,普通
の動詞にこれを接合して,同一の動作を幾度も繰り返してやることを表わす場
合に,よく用いられている。
 なお,a+waの例に属するものであるが,尾母音aの名詞,または動詞の未
然形の次にくる助詞waが,先行の母音aと融合して長母音a:になることは,
語法上の問題であるので,別に紹介しておいた。(名詞の第4項と助詞の第2項参照〉
 ロ 長母音ilは,標準語の(イ)i十e,(ロ)u十i,(ハ)u+e,(二)e+i,
(ホ)e+U,(へ)0+i,(ト)0+eなどから転訛したものがあり,理論的には
もっと外にも結合様式が,いろいろ考えられるが,実際には七通りしか見当ら
ぬ。それらの例を挙げると次の通りである。
 (イ)i+emiljug(>mi:g見える, mieru), ni:jug(>ni:g,煮える, nieru)
 (ロ)u十i∫i:mug(吸物, suimono),∫ilkwa(西瓜, suikwa), t∫iltat∫i
    (<tsi:tat∫iついたち,朔日, tsuitat∫i)
 (ハ)u+e'wi二(うへ,上, uhe>ue),'wiljug(〉'wil9植ゑる, u(w)eru)
 (二).e+i tut∫i:(時計, tokei), t∫ilku(稽古, keiko), kilsat∫i(警察・keisatsu)
 (ホ)e+u wi:jug(>wi:9ゑふ,酔ふ, wehu>G)eu>jou>jo:)
 (へ)o十iwi:(をひ,甥, wohi>woi>oi), ti:(とひ,樋, tohi>toi)
 <ト)o+ekwiz(こゑ,声, ko(w)e), kwiljug(>kwil9越える・ko(1)一
    eru),∫i:jug(〉∫i:9添へる, soheru<soeru)
 前例のうち,(ホ)の「酔ふ」は現在jOUまたはjOlと発音しているのでWllJup
と対比させるのは,不適当であるかも知れぬが,特に歴史的仮名遣いによる発
音と比べ合わせておいた。
 七種のうち,(イ)のi十eと(二)e+iが,長母音i:に転訛していることは,
説明するのにさほど艱難ではないが,他はなかなか容易ではない。標準語と那
覇方言との母音の対応関係a=a,i=i, u=u, e>i, o>uによると,(イ)以下
(ト)はそれぞれ(i+e)〉(i十i),(u十i)=(u十i),(u+e)〉(u+i),(e十i)〉(i+
i),(e十U)〉(i十U),(0十i):〉(u十i),(0十e)〉(U十i)となり,(イ)(二)は・
i十i,(ロ)(ハ)(へ)(ト)はu十i,(ホ)はi十uの三種が得られるわけで,i十
iが長母音i:に成るのはよいとして,u+iとi+uがi:に転訛している理由を
明らかにするためには,u>iの対応関係の有無を確かめなければならぬ。幸い
に,標準語の五十音図中の佐行と多行のsuとtsuとその濁音のdzuだけで
はあるが,これらが那覇方言でそれぞれ∫i,t∫i(<tsi),乞i(<dzi)に転訛し
ている事実,例えば,すな(砂)suna>∫ina,つき(月)tsuki>t∫it∫i(<tsit∫i),
みず(水)midzu>mi5i(<midzi)のごときものが発見されているので,これ
によってu>iの傾向のあることは窺える。この佐行と多行における特殊な例
を,ウ列の各子音に適用するのは,かなり無理な注文ではあるが,u+iやi+
uが長母音i:に変じている理由の一端は,これで説明しておいてもよかろう。
 ハ  長母音Ulは「うす」(臼)USU>Ul∫iや奥(おく)oku>Ulkuなどの
ごとく,短母音u,o(>u)と,追ふ(おふ, ohu>owo>ou>)o:>uljugに
おけるごとく,0+U(>0:>Ul)の外に,珍しい例としては,標準語のi+0
から転訛したと見做されるものが一つだけしか見当らない。潮(しほ,∫iho>
∫iwo>)∫io>su:(<∫u:)のごときものである。なお,塩はma:su(真塩,
ma∫io)といい,潮のsu:と異なり短母音となっているのは,他の二音節語(鍋
のna:bi,息のi:t∫i,婿のmu:kuなど)においても見受けられるように,第一
音節が長音化しているために,語尾が軽く発音せられるからであろう。海産動
物ウニの一種ma:su:kwe:(真塩食ひの意)の場合は,やはり長母音になっている。
 =: 長母音e:のほとんどすべては,標準語のa+iもしくはa+eの転訛
したもので,ただいまtada-ima>tarelma(<tadαma,すぐ),倍bai>belや,
まへ(前)mae(<mahe)>me:などのごときもので,その対応関係は,(e+
i)>i:と共に規則的といってもよい。それで一々例を挙げる必要はなかろう。
;重母音ai, aeをe:に発音するのは本土の諸方言にも,よく見受けられる代
表的な音韻転訛の現象の一つであって,この点では那覇方言も,その仲間に加
わっているに過ぎない。なお,a:の場合と同じく∫語法上の問題に属すること
であるが,語尾がiで終わる名詞,または動詞の連用形(やはりiを語尾とす
る)の次に助詞wa(>ja)が来るときには,これと融合してe:になる・ことが
ある。
 ホ 長母音o:がa+uの転訛して生じたものの多いのは,本土諸方言にお
ける場合と同様であるが,那覇方言では,ほとんど例外なく,標準語のa+u
はOlに変化し,その対応関係は,前出の(e+i)>i:,(a+i)>e:と共に規則的
である。この外にa+oから転来したo:,例えば竿(さを)sao(<sawo)>sol,
直す(なほす)naosu(<nahosu)>nolsugなどがあるが,これには例外もあ
って,規則的とはいえない。例えば,顔(かほ)kao(<kaho)はko:にはなっ
ていない。那覇方言の話し言葉では,顔のことを普通t∫ira(<tsira面,つら,
                               かびら
tsura)といい,「かほ」に該当する語は用いていないが,民俗舞踊曲「川平節」
の「傘に顔を隠して」の一節はkasa ni"kawu"kakut∫iと謡い,(kao>)kawu
と発音している。
 また標準語におけると同様,0+U>0:の対応関係も規則的といってよかろ
う。これは,o>uの転訛を知っているものには説明は容易である。つまり,
(o+u)〉(u+u)>u:の過程を経たものと見ればよかろう。追ふou(<ohu)>
Uljug(<Uljlg)は,その一例である。
 なお,このo:のうちには,またa:,e:の場合と同様,名詞の語尾がu,もし
くは9で終わるとき,次の助詞waと融合して生じたものもある。(名詞の第4
項と助詞の第2項参照)
5
 那覇方言の子音の種類は,大体標準語と同じく,p・t・k・s・∫・(ts)・t∫,
b・d・9・z・5・(dz), m・n・9, w・r・j, f・h等であるが,その中には喉
音破裂音を伴うm・n・W・jなどがあり,なお母音との結合は標準語よりも
自由で,例えばt+i,t+u, d+i, d+uのごときものや,この他に五十音図中
で,歴史的仮名遣いに文字だけを伝えている和行のヰ(ゐ),ヱ(ゑ)及び也行にお
けるように,それさえ失って阿行と同一文字を用いているイ(い),エ(え)のw

  1. i,w+e及びj+i, j+eなどの結合様式なども,そのままの形で遺っている
    点などが,その特徴として目立っている。子音そのものの音価については,純
    粋の音声学的見地から論ずると,母音の場合と同様,標準語と全く同一に見る
    わけにはいかない細かな相違のあるのは事実であるが,あまり専門的にわたる
    論議は省略して,次に五十音図の各音節などを参照しながら,これらの子音の
    主なるものについて述べてみたい。
     イ P音はf,hの古音であるといわれている。そして今でも琉球語の沖
    縄方言に属する国頭方言などにおいては,標準語のhはPに発音されている
    が・かような対応関係は那覇方言には,その例が少ない。例、えば,∫ipukarasag
    (塩辛い),∫iputajug(しほたれる), supujug(〉∫ipujig,吸ふ)などにおける
    がごとく,語間の場合にわずかにその俤を止めているに過ぎず,語頭において
    標準語のhの代わりにPになっている例はほとんど見つからない。
    5
     なお,那覇方言のP音には,専門家の耳には無気音が聞き分けられるという
    が,土地の一般の人は,それと有気音とを意識的に区別はしていない。それで
    同義語の意味の相違などを識別するのに用いている例を発見するのは艱難であ
               なきじん
    る。また,国頭方言中の今帰仁方言において標準語の「ヒ」は無気音p'iに,
    「へ」は有気音p`iになっているように,有気・無気の差別が,原音を異にし
    ていることもないので,現在の那覇方言に関する限り,P音の有気・無気は重
    要視する必要はなかろう。
     ここで,学者の称えるP>f>hの変遷史を適用してみると,那覇方言は,
    同じく沖縄方言に属する国頭方言が未だにp音の使用期にあるのに反して,既
    にその時期は全く経過してしまい,なお,後述の通り,f音の全盛もその後半期
    に達しているというべく追々その一部はh音に代わりつつある。それで,標準
    語の波行の大部分は,那覇方言では,例えば,ha(葉)のfa:, hi(火・日)の
    fi:, hune<船)のfuni, heta(下手)のfita, ho∫i(星)のfu∫iなどのごとく,
    大体f音を用いている。ただし,標準語における「ハ」(ha)は,那覇方言で
    は,語間と語尾ではf音を保存するが,語頭においては,h音に代わる場合が
    少なくない。
     また,ある語などでは,f音もh音も両方使い, f>hの過渡期に属してい
    る。例えば,前出の「木の葉」の「葉」(ha)などは, kil-nu-fa:のごとく,語
    尾にくる時には,今でも決してha:とは発音せず, f音を頑固に踏襲して,必
    ずfa:といっているが,ただ一語だけの場合,または語頭にくる時には, ha:も
    同じ程度に用い,f音とh音との間を動揺していて,その混用時代であること
    を示している。
     なお,標準語の「墓」(haka)は, u-faka(<o-haka,御墓)などのごとく,
    語間においてはf音を保有しているが,敬称接頭語のu(<o)を除いて,そ
    れ一語だけを発音するとき,つまり,語頭にくる時はfakaとはいわず, haka
    になってしまっているし,その他にも「歯」のha:,「花」や「鼻」のhana,「羽
    根」のhani(<hane),「箸」のha:∫i(<ha∫i),「橋」のha∫i,「針」のha:ji
    (<hari),「旗」のhataなどのごとく,もはや,これらの単語においては,全く
    f音の使用期を通り越して,h音全盛の時期に到達している。
     また,holki(箒)のho:t∫i, ho:t∫o:(庖丁)のho:t∫a:などのごとく,ア列
    以外,特にオ列の長母音の場合にも,f音はほとんど用いられず,標準語と同
    じくh音が採用されている。
     次に,標準語の波行のいわゆる拗音hja,(hju), hjoは,那覇方言では,例
    えば,hjaku(百)>ha:ku(<hja:ku), hjo:∫i(拍子)>hjol∫iのごとく,やは
    り,h音が用いられている。この場合には, hjoは別として, hjaはいわゆる直'
    音化する傾向が認められる。標準語の拗音が,那覇方言で直音化する例ば,,ま
    た佐行の場合にも見受けられる現象であるが,それについては後程述べる積り
    である。
      ロ t音と母音との結合様式は,標準語よりも自由で,ti, tuの形のある
    ことは,前にも述ぺた通りで,例えば,tera(寺)>tira, tO∫i(年)>tu∫iなど
    におけるがごとく,te>ti, to>tuの対応関係が,規則的に行われている。こ
    のついでに標準語の「チ」(t∫i)と「ツ」(tsu)と那覇方言との対応関係などに
    ついて述ぺた方が便宜であろう。
     標準語のt∫iは,例えば,mit∫i(道)>mit∫i, mot∫i(餅)>mut∫i, kut∫i(口)

    kut∫iなどにおけるがごとく,那覇方言でもやはりt∫iである。
     しかし,那覇方言のt∫iは多行の「チ」(t∫i)のみではない。この外に,例
    えばkaki(垣)>kat∫i, saki(先)>sat∫i, toki(時)>tut∫iなどにおけるがご
    とく,標準語の加行の「キ」が,口蓋化して生じたものも少なくない。しか
    し・これらの類例から推して標準語のkiは,すべて那覇方言ではt∫iになっ
    ていると考えてはいかない。ki>t∫iの対応関係は大体,規則的であるとはい
    うものの・ki(木)>ki:やokiru(起きる)>ukijug(>ukijig>uki:9)のごと
    き例外をも含んでいる。
     標準語の「ツ」(tsu)は,前出の母音u=・uの対応関係を適用すると, tsu=・
    tsuであるぺきはずのところ,母音がu>iとなって, tsu>tSi(>t∫i)の不規
    則形を生じている。このu>iの変遷の途上,中間母音山に発音された時期の
    あったことは,宮古方言や徳之島方言などに,この山が存在していることか
    らも推察できる。例えば,徳之島方言では糟(かす)をkastu,巣(す)をs曲,
    月(つき)をts血kiと発音している。
     なお,標準語のtSUの転訛したtsiの使用は,那覇においては,首里方言の
    影響を蒙っていると見敝される60代前後のしかも有識階級に限られていて,一
    般の婦女子は,その代わりにt∫iを用い,例えば,「月」tsukiの発音における
    ごとく,多行の「ツ」(tsu)からきたtsiも,加行の「キ」(ki)の転訛したt∫i
    も,なんら区別せずにt∫it∫iと発音するのが普通である。純理論的見地に立つ
    と,子音tsを保存して,多行の「ツ」 (tsu)をtsiと発音している首里方言
    が,日本語に対して忠実であるといえるかも知れないが,那覇の一般の人達
    が,標準語の「ツ」(tSU)をtsiとせず,一段訛ってt∫iと発音している事実
    は,認めなければならない。
     標準語の「ツ」(tsu)からきたtsiとt∫iの対立は,首里方言と那覇方言と
    の音韻上の差異の一例であって,tsiを用いる首里方言には,加行から転訛し
    たt∫aの外に多行のtsaもあり,「組踊」の表記法などには「つあ」(tsa)と書
    いてあるが,t∫iを使う那覇方言では,加行と多行の区別がなく,いずれもt∫a
    と発音している。つまり,那覇では一部の人士を除く以外,ts音はほとんど用
    いられず,t∫音が優勢である。
     これを要約すると,首里方言には,t∫a, t∫i, t∫i(<t∫u), t∫e:t∫o:の外に,
    tsa, tsi, tsi(<tsu), tse:, tso:があって,それらを使い分けているが,那覇方
    言では区別をせずにt∫a行とtsa行とが混同している,というよりもtsa行は
    t∫a行に合併されてしまっている。
     ここで,那覇方言のt∫a行の各音節と標準語との対応関係について見ると・
    大体次の通りである。
     那覇方言のt∫音は,it∫a(<ik馬烏賊), t∫it∫asa(<t∫ikasa,近さ), fit∫ajug
    (>fit∫ajig,光る, hikaru)と, t∫it∫i(<tsit∫i,月, tsuki), tut∫i(<toki・


                           那覇方言概説  47
時),jut∫i(雪, juki), it∫uD(行く,iku), nat∫uD(泣く,naku), ut∫ug(置
く,oku)などにおけるごとく,本来のt∫音以外にk音の転訛したもの,こ
れを加行の音節について見ると,ka>t∫a, ki>t∫i, ku>t∫uの傾向が認めら
れる。しかし,これは要するに,一部分の語に適用し得るに過ぎない「傾向」
であって,標準語の加行全体の音節が,すべてそれと同じ過程をとるといった
「規則」的な一般法則ではない。saka(坂, saka), ukijug(>ukijig>磁i:9,
起きる,okiru), niku(肉, niku), saki(<sake,酒), tuku,(<t。ko,床)な
どにおけるがごとく,原音kが形を一一向変えずにそのまま用いられる場合が,
むしろ多いことを忘れてはならない。
 なお,このk>も∫に関連することであるが,五十音図中のいわゆる直音以外
に,漢字音などに多いいわゆる拗音kja, kju, kjoの場合にも,直音に準じて,
那覇方言では,それぞれt∫a,t∫u, t∫u(<kjo,長母音の場合はt∫o:のごとく
原音oを保存する)に転訛する傾きがある。この場合は,ほとんど例外がない
といってもよいので,その対応関係kja>t∫a, kju>t∫u, kjo>t∫u, kjo;>t∫o:
は規則的である。例えば,t∫aku(客, kjaku), t∫ul5i(給仕, kju:5i), to:t∫o:
(東京,to:kjo:)などのごときものである。
 次に那覇方言のt∫音のうちには,例えば,it∫a(板, ita),∫it∫a(下,∫ita),
fit∫aji(額, hitai)や, t∫imi(<tsimi,爪), t∫iru(<tsiru,弦・鶴tsuru)
及び既出のt∫it∫i(<tsit∫i,月, tsuki)などにおけるがごとく, t音より転訛
したもの,これを多行の音節について見ると,ta>t∫a,(t∫iニt∫i), tsu>t∫i
(<tsi)の「傾向」のあることがわかる。しかし,これは一般的法則でなくて,
やはり,ある語に限って行われている点は,k>t∫の場合と同様である。
 ハ  k音に関しては,琉球語圏内の奄美諸島中の喜界島や,沖之永良部島
及び沖縄本島の北部国頭地方と,八重山諸島の方言などには,h音に発音され
るものがあるが,那覇方言には,かような現象は全然ない。
 標準語の加行と那覇方言とを比ぺた場合に,特に注意すべき点は,ka>t∫a,
ki>t∫i, ku>t∫uの対応関係のあることであるが,これについては,既に口蓋
化の法則の項や,前項のロでも触れておいた。それで,ここではk音のいわ
ゆる有声音9及び,k並びに9とwとの結合したkw音, gw音などについて
述べてみたい。
 五十音図の加行の清音と濁音との区別は,那覇方言においても,大体は標準
語と一致しているが,標準語の清音に対して,濁音の現われる場合が多い。例
えば,次のごときものがある。
  kani(蟹)のgani, karasu(烏)のgara∫i(普通はgarasal), niwa-ki(庭樹)のniwa・gi, kara(殻)のgara, jakama∫il(喧しい)をjagamasag, karusa(軽さ)のgarusa, kuki(茎)のgut∫i, kud3ira(鯨)のgu3ira,tokoroteg(心太)のtuguruti9
 これについては,なお佐行・多行・波行などにおけるsaisoku(さいそく,
催促)のse:dzuku(>sel3uku), tol∫ig(とうしん,燈心)のtu:3igやtake
(たけ,竹)のdaki, samatagu(妨ぐ)のsamdagijug(>samaragi:9), mo9-
tsuki(もんつき,紋付)のmugdziki(>mug5iki)及びho:ho:(はうはう,
方法)のhobOlなどにおけるがごとく,那覇人が標準語を話す際,標準語で
は普通清音を用いているものに対して,濁音を使う傾向のあることなども関連
して考察すべきものであろう。
 次に,標準語の那覇方言のk音と9音との対応関係について見ると,前例と
は反対に,植物の「グミ」(茱萸,gumi)を,那覇方言ではku:biといい,標
準語の濁音を清音で発音している例もある。また佐行・多行・波行において
も,標準語では普通濁音が使われているものに対して,例えば,saggai(さん
がい,三階)をsagke:といい, naka・5ima(姓・なかじま,中島)を那覇人は、
naka・∫imaと呼ぶ傾向があり, kai501(かいじゃう,海上)をke:sol(〈ke:∫ol)
と読み,karada(からだ,体)をkarata, mudzuka∫i:(むつかしい)をmut-
sikasag(>mut∫ikasag), kobig(こびん,小瓶)をkufig(ガラス獅のことを
tama-gufigといい,これを直訳すると,玉小瓶で,この場合にはk音は9音
となる),また外来語の転訛した∫abo9(シャボン,石鹸)はsafugといい,
清音を用いている事実も忘れてはならぬ。
 それで,かような現象を見ると,標準語と那覇方言との単語の清濁の対応関
係は,かなり複雑を極めていて,その中から一般法則を引き出すことは,なか
なか艱難である。
 前に挙げた語は,もちろん,「国語固有の単語」のみではなかったが,それ
にしても,k-9, t一・d, h-b,すなわち加行・多行・波行のいわゆる清濁関係
に関する限り,那覇方言の類例を,「原日本語」の姿を推定する傍証に採用す
ることは,避けた方がよいらしい。
 次に,kw音には,那覇方言ではkwa, kwi, kweと,そのいわゆる濁音
gwa, gwi, gwelが用いられている。
 那覇方言では,現今の東京人が「菓子」を「カシ」(ka∫i),「官庁」を「ヵン
チョウ」(kagt∫Ol)というように,字音「クワ」(kwa)は決して「カ」(ka)
とは発音しない。この場合には必ず,kwa:∫i, kwagt∫o:と読んでいる。この点
では九州地方と同様,字音に対して忠実である。
 ただ,那覇方言のkwaには,これらの漢字音を伝えているもの以外に,固
有日本語においては,二音節で発音されたものが二,三含まれている。例えば
kwa:sugはkuwasu(食はす)に当る語であるが,●この場合のkwa:はkuwa
の転訛したものである。「桑」のkwalgiもkuwa・gi(桑木)の義で,やはり,
前例と同様である。
 ところが,makkwaやmikkwa=は,それぞれmakura(枕), mekura(め
くら,盲人)に該当するもので,この場合にはkura>kwaの対応関係が認め
られる。それで,那覇方言で「親子」の「子」を意味する語kkwa(単に「子
供」のことはwarabiという。これは古語のwarabe,わらべ「童」がそのま
ま用いられている)も,語義は標準語の「子」・「児」(ko)と同じであるが,
一部の人の考えているように,このkoがそのまま転訛したものではなくて,
前例から推すと,・kuraの変形であるらしい。それに母音o>uの対応関係を
適用すると,原形はkoraであった。試みに, 『大言海』の「こら」(kora)の条
を引いてみると,
  こら(名)「子等・児等」〔ころトモ云フ,らモろモ添えたる辞,らノ条ヲ見ヨ〕男
  ヲモ女ヲモ互二親シミテ呼ブ語。又ころ。
                     コラ
とあり,なお,神武紀の「ミヅミヅシ,久米ノ固邏ガ」允恭紀の「我ガ愛ヅル
コラ        ウベ         コラ         ヤキツベ
古羅」,推古紀の「宜シカモ,蘇我ノ古羅ヲ」,万葉集の「焼津辺二,吾ガ行キ
            イチヂ     コラ    コラ    マヤムク
シカバ,駿河ナル,安部ノ市路二,逢ヒシ児等ハモ」,「児等ガ手ヲ,纒向山ハ」
の外に同集に「児呂」「許呂」「古侶」などの用いられている例などをも挙げて
ある。
 これらの用例によると,那覇方言のkkwa(<kura<kora)は,意義上から
古語「こら」の原義を伝えているのみならず,これを音韻の対応関係から考察
しても,古くは語の構造までが,等しかったことが推測される。
 なお,那覇方言の愛称または指小接尾語のgwalは, na∫iggwa(直訳・産し
児,貰い子や養子に対する実子),umiggwa(直訳・思い児,子の愛称または
美称で愛児,いとしこのこと)から推して,「子」の意味の(k)kwaの転じた
ものであることは明らかであるが,このgwaの原形がgura(<kura)であっ
たことは,またkwaggwa(地名や姓・古波蔵koha・gura), t∫iniggwa(地名・
知念蔵t∫ineg-gura), jaggwa(矢倉・櫓, ja・gura), funag-gwa(船倉, huna・
gura)の語が,これを示している。那覇方言の語例によると, k音は9音の次
に来るときは,いわゆる連濁で9音になるらしい。このguraの前の形のkura
に母音o>uの対応関係を適用すると,やはりkoraの形が得られる。そして,
この場合のkoraが,また前出の万葉集などに散見している「こら」(kora,
児等)と語源を等しうするものであることは,今更繰り返して説明する必要は
なかろう。,
 それで,那覇方言の愛称・指小接尾語のgwa:は;その用法においては,東
北方言などの「茶椀コ」などにおける「コ」と大体似ているが,この造語法の
一致と意義上の類似に気を取られて,ただちに語の構造(語形)までも同一で
あると,簡単にかたづけてしまうがごときは,早計といわねばなるまい。
 なお,那覇方言の愛称,指小接尾語のgwa:(<gura<kura<koro)は,東
北方言のkoと比較してみる前に,もっと手近な日常語の「犬ころ」の「ころ」
(koro)を引き合いに出した方が,むしろ,適当であったかも知れない。
 那覇方言のkwiは,標準語のkureの転訛したと見做すべきものが多い。
例えば,kwijug(>kwi:9,くれる,与へる, kureru), fukkwijug(>fukkwi:9,
脹れる,hukureru), kwakkwijug(>kwakkwi:9,隠れる, kakureru,この語
では標準語のkaがkwaに発音されている)の場合のごときものである。
 しかし,kwi=(こゑ,声, ko(w)e), kwiljug(>kwi:9,越える, ko(j)eru)
などのごとく,長母音のときは,ko(w)e, ko(j)eの変じたものもある。 ko(w)e
(こゑ,声)がkwi:に転じたのはいったんkuwi(母音の対応関係o>u, e>
i)の形を経て,さらに母音Uが無声化されてkwiの形が生じ,母音の長くな
ったのは,他の語におけるように,那覇方言で長母音を好む傾向があるのに由
来するものであろう。ko(j)eru(越える)のkwi:jugセこ転じたのは,説明が艱難
であるが,也行が和行に転訛している例(前出の『琉球館訳語』の「酔了,由的jouti」
と現今のwi:ti参照)もあるので,いったんj音がw音に変じ,以下はkoweの
場合と同様の経過をとったものと推定してみることが出来る。
『gwiはkwiの類例から推して, gureの転訛したものであるらしい。 juma。
9gwi(ゆうまぐれ,夕暮, julmagure)のごときは,その一例である。 abi:gwi:
(おらび声,abi:の語源未詳)のgwi:は,前例のkwil,(こゑ,声)の濁音
化したものである。

kweとgweには, ko(j)eの転訛したと見做すぺきものがある。 kwe:(こ

え,肥料,ko(j)e),その動詞形kweljug(>kweljig,肥える)のごときもの
で,jのwに転じたのは,前例のko(j)eru(越える)の場合と同様で,いっ
たんkoweの形を生じ,この際には母韻o>u, e>iの変遷を経る前に,先行
の母音0の影響で語尾の母音eは原形が保存せられ,その代わりに母音0は脱
落して,kweの形に落ちついたものらしい。
 標準語の「食ひ物」(kui・mono)に,意味の上では全く同一の那覇方言kwe:mug
の場合は,その説明は一層難かしい。この語は構造の上からは,そのまま標準
語のkui-monoに該当するものではなく, kurai-mono(くらひ物)の転訛し
た語であるらしい。
 那覇方言の長母音elが,標準語のaiの転じたものが多いこと, ai>αの対応
関係が,割合規則的に行われていることは,長母音の項に述べておいた通りで
ある。それでkwe:一mugの一つ先の形はkwai-mugであった。 kwaが標準語
のkuraの変じたものの少なくないことも,紹介したので, kwai-mugの語頭
のkwaが, kuraであったこともまた明らかである。従って,その今一つ前
の形がkurai-mono(mugがmonoの転訛したものであることは, o>u, no

gの対応関係で説明してよい)であったことは,確実と見てよかろう。これ
を逆に説明すると,このkwα一mugは, kurai-mono>kwai-mug>kwel-mug
の変遷を経たもので,那覇方言のkwe:には,標準語のkuraiの転訛したもの
が,含まれていることになる。
 二 那覇方言のsと∫のうち,sは純粋の音声学的見地からは,標準語の
それとは違い,sと∫との中間音であるらしい。特に母音uまたはelの前に来
る時は,外来者の耳にはそれがsであるか∫であるか聞き分けにくいようであ
る。これを逆にいうと,sと∫の中間音を使いつけていう一般の那覇人は, sと
∫の両音を,・その中間音だけで間に合わせているとも見られるし,従って,ま
た標準語のsと∫を,区別せずに用いている者が,多いと考えてよかろう。こ
れは那覇方言と首里方言との差異の一つでもあって,首里人は割合正確に,s
と∫を使い分けてはいるが,どちらかといえぽ,那覇人が標準語で∫であるも
のに対し,ほとんどすべてといってもよい位,sに近い音を使用しているのに
反し,首里人は標準語でsでよいものまでも,余計に∫で発音する傾向があ
る。

su>∫iの例を挙げてみると, suna(砂)〉∫ina, usu(臼)>u:∫i, susu(煤)〉

∫il∫i, sumi(墨・炭)〉∫imi, Sugu(すぐ)〉∫igU, SuzUri(硯)〉∫i5iri, Sune(脛)〉
∫ini, jaSumi(休み)>ja∫imi, waSUru(忘る)>wa∫ijUg(>wa∫il9)などのこと
きものである。
 しかし,suso(裾)のsusu, sumomo(李)のsumumu, kusunoki(楠)の
kusunut∫iなどでは,原形suをそのまま保存することもある。
 なお,首里方言のsu>si,那覇方言のsu>∫iは,多行のtsu>tsi, tsu>t∫i
と対応している。
 五十音図の佐行と,那覇方言との対応関係を示すと,大体sa=sa,∫i=∫i,
su>∫i, se>∫i, so>suとなっていて,濁音の場合はza=za,5i=5i, zu>5i,
ze>5i, zo>zu(>5u)である。ウ列における他の音節に見られる母音の対応関
係から推すと,SU・=SU, ZU=ZUであるべきであるが,佐行と多行においては,
前述の通り,母音がu>iに変ずる傾向が認められる。
 なお,首里方言では,su>si, se>siのごとく,∫の代わりにsを用いてい
て,在来の∫iの∫iと,su, seから転じたsiとは,明らかに区別している。
 佐行濁音の5i(ジ)とzu(ズ),多行濁音のd5i(ヂ)とdzu(ヅ)との区
別が,近畿地方では室町期頃まで,保存せられていたこと,なお今でも土佐や
九州の一部に遺っていることは,日本語の古韻を伝えるものとして,注目され
ているが,祖語の姿を色々な点で忠実に保存しているといわれる琉球語におい
て,その差異が識別されていないのは不審であると,Chamberlain氏もその著
述(前出書17-18頁)の中に述べている通り,那覇方言でも,やはり,「ジ」も
「ヂ」も5i,「ズ」も「ヅ」も共にzuと発音して,その間になんらの区別を
設けていない。しかも,那覇方言では「ズ」も「ヅ」も,普通3iに転訛して
いるので,それに「ジ」と「ヂ」を合わせた四つの異なる音を,たった・一つの
5iで表わしていることになる。
 首里方言では,su>si, tsu>tsiと対応して, zu>zi, dzu>dziのごとく,
「ズ」から来たのはzi,「ヅ」から転じたのはdziと発音しているものとして,
伊波先生はこれを書き分けていられるが,普通の耳では,これを識別すること
は容易ではない。むしろ,この場合はdziに近い音の一つだけしか用いていな
いのではなかろうか。
 那覇方言では,zoから転じたzuは3uに, zaは5aに発音される傾向が
多分にある。これは∫oの変じた∫uがsuに,∫aがsaとなり勝ちなのと比
べて注意すべき現象である。ZO>ZU>5Uの例には5uku(還俗の「俗」zokuが
原義であるらしいが,那覇では遊女に対して,世間一般の女,すなわち素人女
をいう)があり,Za>3aにはその類例が多く, Za∫iki(座敷)>5a∫it∫i, Zagneg
(残念)>3agnig,その他の字音の「ザ」zaは,大方この部類に属する。
 ∫0>∫U>SUの例には,字音の「ショ」∫0のほとんどすべてがこれに属し,
∫omotsu(書物)>sumut∫i, meg∫oku(免職)>migsuku,などのごとく,また,
∫a>saの類例には,∫a∫ig(写真)のsa∫ig, ki∫a(汽車)のkisaなど,枚挙
にいとまがない。
 5iには佐行の5i(ジ)=3i, ZU(ズ)>5iの5i以外に,加行濁音のgi, ge
(>gi)の転訛したものが含まれている。例えば,5iri(義理, giri),5i∫it∫i(儀
式,gi∫iki),5igko:(銀行, gigkol)や,5ita(下駄, geta),5i:nul(芸能,
geino㍉ei>i:), nig3ig(人間, niggeg)などのごときものである。
 ホ d音はt音の有声音として,それと一緒に述べるべきであったが,こ
れはr音とも関連するところが多いので,便宜上ここで取り扱うことにした。
那覇方言には,d音はt音におけると同様,母音i, uと結合したdi, du(<
do)がある。 duは標準語の「ド」(do)の転じたもので,ウ列の「ヅ」(dzu)
は首里方言ではdziに,那覇方言では3iに変じている。例えば「みつ」(水,
midzu)のmidzi(>mi5i)というがごときものである。それで多行濁音にお
ける標準語と那覇方言の対応関係は,大体da=da, dzi>5i, dzu>5i, de>di,
do>duとなって現われる。佐行濁音の3i(ジ)と多行濁音のdzi(ヂ)は琉
球方言では区別して発音していないことは,前に述ぺておいた通りである。
 ここで,特に注意すべきことは,那覇の一般人はd音を嫌っている,という
よりこの音を発音するのが困難であるらしく,標準語を話す場合に,da, de,
doに対して,すべてra, re(>ri), ro(>ru)を用いている。それで,これ
を極端にいうと,那覇方言には,d音はほとんど使用されていないと見ても・


                           那覇方言概説  55
差し支えない位である。これに反して,首里方言では,d音とr音とを使い分け
ているので,標準語のd音を,割合正確に写しているが,どちらかといえばd
音を好んで用い,標準語でr音であるものまで,d音にしてしまう傾向が多分
にある。これは,那覇方言と首里方言との音韻上の顕著な差異の一つに数うべ
きもので,それだけに,土地の人もまた,この事実は十分意識している。類例
を挙げてみると,次の通りである。
    標準語
(イ) daku(抱く)
(ロ) deggaku(田楽)
(ハ) hude(筆)
(二) doro(泥)
(ホ) abura(油)
(へ)kadzura(蔓)
(ト)  reigi(ネL儀)
(チ)rigki(悋気)
(リ)  ro:soku (蝋燭)
(ヌ) saburo:(三良β)
那覇方言
rat∫ug
riggaku
furi
ruru
ag「a
kagra
ril3i
rigt∫i
ro:
sagrUl
 前例中(ホ)以下において,首里方言においては,
音を使用している。これに反して,那覇方言において標輩語のrをそのまま用
いているのは,原音を忠実に保存しようと努めているからではなくて,「怪我
の功名」に属するものである。これは,(二)から上の例で,標準語のd音に対
して,すべてr音を誤用していることによっても明らかである。
 上例(口)の田楽は,首里・那覇では,普通「ヤツガシラ」に似た方名田芋
(ta:'mmu)を砂糖煮にしたものにいう。(へ)の蔓は普通芋蔓を指す。
 (リ)の蝋燭は単にrol, dαといい, ro:suku, do:sukuとはいわない。手燭
の場合は,那覇方言ではtisuku,首里方言ではti∫ukuという。
 次に那覇方言のr音について,五十音図と対照してみると,イ列の「リ」
首里方言
dat∫ug
diDgaku
fudi
duru
agda
kagda
di:5i
digt∫i
do:
sagdu:
標準語のr音に対して,d
(ri)を除いては,大体raニra, ru=ru, re>ri, ro>ruの規則的な対応関係が
認められる。
 標準語のイ列の「リ」(ri)は,那覇方言においては,これが語間または語尾
にあるときは,多少の例外がないわけではないが,大抵ji(>i)に転訛する。
工列の「レ」(re)から転じたriもまた,それにひかれて,やはり, ji(>i)に
転ずることがある。まず,ri>ji(>i)の例を挙げると,
  ari(蟻)>aji(>ai), mari(鞠)>malji(>ma:i), juri(百合)>juji(>
  jui), kusuri(薬)>kusuji(>kusui), mor三(森)>muji(>mui), tori(鳥)
  >tuji (>tui)
などのごとく,ほとんど大多数の語において,このri>ji(>i)の対応関係が
見られるが,しかし,
  dumburi(井, domburi),∫i5iri(硯, suzuri), solgal・∫iri(生豊擂り,
  ∫o:ga-suri), t∫iri(塵, t∫iri), t∫iri(霧, kiriと桐, kiri), agari(上り,
  agari,日の上る方向,東を指す), iri(入り, iri,日の入る方向,西のこ
  と),kulri(氷,または氷砂糖, ko:ri), d6:ri(道理, dolri)
などの一一部の語においては,原音riがそのまま保存されている。
 ただし,前例の中でも,agariは,方角の「東」を指す時に用い,単に坂の
登り降りや,物価などの高低変動などの「騰貴」を表わす場合には,agaji(>
agai)・といい,決してagariとはいわない。また,∫Olga-Suri(生薹擂り)の合
成語の中のsuri(擂り,擦り)は,この場合は原音riを保有して,∫iriとな
っているが,これと同一語源のja-suri(やすり, 『言海』によると弥磨あるいは
矢磨,鑢)のsuriの場合は, ja一∫iji(>ja∫i:)におけるがごとく, suri>∫iji
(〉∫il),すなわちri>ji(>i)の対応関係が見られる。それで,原音を保存し
ているのは,特殊の例外に入るべきものと,考えてもよいらしい。
 特に興味の深いのは, 「硯」(suzuri>∫i3iri)の例である。230余年前に
編纂された琉球語の唯一の辞書『混効験集』(一名,内裏言葉)巻一器財の部に
は「みす乂ひ,御硯」と見えている。また,440余年前の『語音翻訳』には
「硯全ス司」と出ていて・伊波先生は・これはs山dz{亡riと発音されたもの
であろうといい,なおその解説に,
  今はsidziri。琉球館訳語「硯,孫思立」。混効験集「みすyひ,御硯」,ひはりの
 誤りか。
と推断されている。いま,『混効験集』の用字例についてみると,語尾に「ひ」'
の現われている語は,「よこなひ,霄也やうなひ共」,「ゆつくひ,夕附日 和詞
にも有」,「きやぐるひ,よかる日といふ事也」,「町きをひ,七ツ時分之事,町
来折と書歟」の以上四つだけで,最初から三例は語源上「日」(ひ)の音を写
したものらしいが,最後の語の場合は,その解説の「町来折」が,もしmat・
∫ikiworiと読むべきものであるとしたならば,「町きをひ」はmat∫ikiwojiと
発音されていたと見て差し支えないので,この「ひ」がriより転訛したjiに
当てられていることがわかる。それで,「みす£ひ」の「ひ」も「り」の誤記
と考える必要はないわけで,当時「硯」に対してはsidziji(<st岨ztuji)と発
音していたと推定してよかろう。つまり,首里方言ではこの「硯」(suzuri)は
初めs山dz〔血riに,次の時代には一部の人士の間ではs的dz両i(>sidziji)とri
がjiに転訛したこともあったが,後世,再び原音のriに復帰したもので,こ
れが那覇方言などでは,さらに転じて∫i5iriの形に落ちついたものと見るべき
であろう。
 次にreがjiに転訛しているものは, reがいったんriに変じ(母音e>
i),このriを経て,前例同様,さらに転じてji(>i)になったものと見る
べきもので,∫idaji(〉∫idai>∫irai,すだれ,簾, sudare)は,その一例である。
 へ mとnの両音は,これを五十音図で対照してみると,大体ma=ma,
mi=mi, mU=mu, me>mi, mO>muとna=na, ni=ni, nU=nU, ne>ni,
no>nuとなるが,那覇方言のm, nには喉頭破音を伴うことがあり,その場
合には,標準語の色々な音に代わっていることが多く,それらの説明はなかなか
面倒で,そう簡単にはいかない。例えば,'m音には,芋(imo)の'mmu,孫
(mago)の'mmaga,重さ(omosa)の'mbusa,脅える(obi(j)eru)に該当す
る'mbe:jug(または'mbi:jug)などのごときものがあり,'n音には,鰻(una-
gi)の'nna5i,うんこ(糞の児童語, unko)に該当する'nlna,行って(itte

jukite)に該当する'n5i,稲(ine)の'nni,動く(ugoku,方言igoku)の
'n5ut∫ug,文語の出す(idasu)に該当する'n5asugなどがある。
 ,また,この外に語頭で一音節をなす場合,m音には,しゃがむの児童語mmo,
否(いな)に該当するmlbaやm:pa,山羊のmbe:(擬声語), n音には,皆
(mina)のnna,昔(muka∫i)のnka∫i,向って(mukatte)に該当するnkati,
胸(mune)のnniなどのごときものがある。
 なお,m音には,紙(kami)のkabi,煙(kemuri)のkibuji(>kibui),蜘
蛛(kumo)のkUlba;などにおけるごとく, b音に変じているものも見受けら
れる。
  卜 wとjの両音には,やはり喉頭破音があって,その有無によって,前
例のnni(胸)と'nni(稲)などのごとく,それらもまた,意味を区別する重
要な役割を演じている。数例を挙げてみると,壷a:(本土方言には該当する語が
見つからない。人見知りしないこと,または度胸のあること)と'wa:(豚,山
東省でも豚をwa=と称えているらしく,また福建音では仔をwa:といい,特
に小豚を指すときに用いている)(『南島方言史攷』98-99頁),wiljug(ゑふ,酔
ふ)ど'wiljug(植ゑる), wi:(をひ,甥)と'wil(うへ,上), jal(屋,家)と
'ja:(第二人称の単数の卑称,お前)などのごときものである。

w音にはwa, wiの外にweにも,'went∫u(鼠),'welki(おやけ,大宅,

富のこと,金持を'we:kigt∫uという。おやけびとの転訛であろう),'welmug(お
やもの,親物,貴人の御物の尊称),'weldai(おやだいり,親内裏,宮廷,王
府のこと。なお親は敬称接頭語として,よく用いられる)などのように喉頭破
音を伴うものが多い。
 五十音図について,和行と対照してみると,語頭においてはwa=wa, wi
(ヰ)=wi, we(ヱ)>wi, wo(ヲ)>wuの対応関係がある。(なお,那覇方言に
は,国語では文字のない,ウ列にあたるwuの音節がある)

waの場合には,語尾にあるときは, awa(あわ,泡)>a:におけるがごと

く,w音が母音aに同化されて消滅することがある。歴史的仮名遣いでは「ハ」
で,現在「ワ」に発音されている皮(かは,kawa),河原(かはら, kawara),
俵(たはら,tawara),合はす(awasu),回す(まはす, mawasu)も,これに
準じて,那覇方言ではそれぞれ,ka:, kalra, ta:ra, a:sug, ma:sugと発音され
ている。これらは,ha>wa>aの過程をとったものと解すべきであろう。し
かし,awateru(あわてる,周章てる)のawatijug(>awatijig>awati:g),
sawagu(さわぐ,騒ぐ)のsawa5ugなどの例もあるので,語間においては,
必ずw音が脱落するとは限らない。

wiの場合,歴史的仮名遣いが「ゐ」(ヰ)のものは,語頭においては,也行の

jiまたはiに発音されて, W音が聞かれなくなったのが多い。居る(ゐる,
wiru)のjijug(坐るの意のみに用う。「をる」はwug),猪・亥(ゐ, wi)の
ji:,田舎(ゐなか, winaka)のinaka,位牌(ゐはい, wihai)のi:fe:,遺言
(ゐごん,wigog)のigugなどのごときものがそれである。また語尾の場合に
は,藍(あゐ)の'je:に変じているのもある。・
 ただし,工列の「ゑ」(ヱ,we)はwiに転訛して, W音を保存している場
合が多い。酔ふ(ゑふ)のwi:jug(>wil9),嘔吐く(ゑつく)のwi二bat∫ug,
抉る(ゑぐる)のwi:gujugのごときものであるが,そゐ中には,鹸し(ゑぐ
し,『言海』喉を突くが如き味)のwi:go:sa>jilgo:saのごとく, w>jの過渡
期で,両方使っているものもあり,絵(ゑ)のji:のごとく,イ列の場合と同
様,w音がj音に全く転訛してしまっているものもある。
 オ列の「を」(ヲ,WO)はWUに転訛して,二三の例外を除いては,ほとん
どすぺてw音を保存していると見てよい。居る(をる)のwug,苧(を)の
wu:・桶(をけ)のwu:ki,荻(をぎ)のwul5i(甘蔗),夫(をっと)のwutu,
折る(をる)のwuljug(>wu:jig),可笑しさ(をかしさ)のwukasaなどの
ごときものであるが,その例外に,終る(をはる)のuwajug(>uwajig),収
む・治む(をさむ)のusamijug(>usamijig>usamilg)のごとく, w音の脱
落したものや,また女子(をなご,wonago)のwinaguのごとく,母音oが
規則的にu'に変らずに,iに転じているものや,なお,語尾にあるとき,棹・
竿(さを,sawo)のsOlにおけるがごとき,特殊な例もある。

j音と母音との結合様式には,五十音図の也行に文字のないイ列のjiと工列

のjαのあることは前に述べた通りである。またjiの中には, riの転訛した
ものがあることや,それから那覇方言の動詞終止形においてはju>ji>iの傾
向があることなどについても大体紹介しておいた。なお,「ユ」(ju)と「イ」
(i)は本土方言にも「行く」のjukuとiku,「夢」のjumeと古語のime
(那覇方言ではimi),「言ふ」のju:とiju:などのごとく,二つの形が混用さ
れている例がある。ただ,これが那覇方言におけるようにju>ji>iの過渡期
に生じたものであるかどうかは明らかでない。.
「夢」の場合は,標準語では現在jumeで,那覇方言ではimiになっている
が,休むの意味の「憩ふ」(いこふ,iko(h)u>iko:)は前例と反対に,那覇方
言ではjukujug(>jukujig)といい, j音が現われている。
 なお,標準語のkojomi(暦)は,那覇方言ではkujumiまたはkujimi lと
もいい,jo>ju>jiの変遷過程を示している。その他語頭においては,標準語
と大体ja=ja, juニju, jo>juの対応関係が見られる。
第3章アクセント
1
 琉球語のアクセントが調査されたのは,その音韻や語法の研究よりも,ずっ
とおくれて十数年前の昭和6年頃からのことであった。現在東京帝大の教授
で,当時大学院に席を置いていた服部四郎氏が,喜界島方言の岩倉市郎氏,国
頭方言の仲宗根政善氏,首里方言の比嘉春潮氏,那覇方言の伊波先生や筆者な
どについて,それらの諸方言のアクセントを観察したのが最初である。なお,
同氏は百二十数年前の文献,英人クリッフォードの「琉球語彙」(Basil Hall
Chamberla1nのAccount of a Voyage Discovery to the Wes㌻Coast of
Corea and the great Lo㏄hoo Island;London,1818.付載のVocabulary of
the Language spoken at the great Loo-choo Island in the Japan Sea, com-
piled by Herbert John Clifford, Esq., Lieutenant, Royal Navy・in Two
Parts)に記載されたアクセントに関する詳細な研究を発表している。(『方言』
第3巻第6号所載「国語諸方言のアクセント概観」6参照)
 この語彙が首里方言であることは,ボートの「櫂」(scull of a boat)のDoo
(<du:<ro,櫓)'の語頭をd音に表記してあること(那覇方言ならばru:。こ
れについては,音韻の第5項ホ参照)や,「火を取ってこい」(Bring fire
here)のFee to6teecoo(<fil tutiku:)のto6teecooの第二音節(tee)が・
いわゆる促音化していないこと(那覇方言では,必ずtuttiku:と発音される)
などから推しても,明らかであるので,これは,まち,首里方言のアクセント
の文献学的考証に属するものであった。
 服部氏に次いで,『全日本アクセントの諸相』の著者平山輝男氏は,その調
査の範囲をさらに広め,奄美大島の亀津村字井前と宇検村字生勝と,国頭地方
は服部氏における今帰仁村字与那嶺以外に名護町字安和と伊江島に,辺土名と
の三ヵ所を加え,八重山島とそれにやはり首里・那覇をも併せて,新たに資料
を採集した上,これらのアクセントを総括して九州本土のそれとを比べ,その
系統関係などを論じている。(『方言』第7巻第6号所:載「アクセントから観た琉
球方言の系統」参照)
 その間,大湾政和氏は,服部・平山両氏が東京在住者につき,現地を離れて
の調査であったのに反して,県師範校に職を奉ずるかたわら,出身地那覇及び
学校所在地首里のアクセントを観察して, これらを主として標準語(同氏の東
京語)1と比較した論考を発表している。(『南島論叢』所載の「アクセントに現れた
東京語と那覇語」及び『語調を基としたる琉球語の研究』中の「首里語考」参照)
 前記三氏の研究の結果,琉球語におけるアクセントの型と系統や,本土方言
のそれとの諸関係なども,初めて明らかになったといってよい。そしてまた,
これらの論説が,琉球語のアクセント研究に関する主要文献のほとんど全部で
ある。以下三氏の業績を参照しながら,那覇方言のアクセントについて述ぺる
ことにする。
2
 那覇方言では,標準語の一音節に相当する名詞の語尾の母音は,すぺて長く
発音される傾向があるので,単音節の名詞は全くないといってよかろう。これ
ら準二音節の名詞は純二音節の名詞と同様,単語アクセントの型(有坂秀世氏の
いわゆる潜在型。『言語研究』第7・8合併号「アクセントの型の本質について」参照)
尋ま,平板式のみしかないが,これに助詞nu(<no,の)がついた,文献アクセン
トの型(有坂氏のいわゆる顕在型)は,次のごとく明らかに二種に分かれている。
 (イ)ji:閃(柄が) kilnu(毛が) t∫i:nu(気が) t∫ilnu(血が) na:nu
    (名が)fa=nu(葉が)fi:nu(日が)humu(帆が) humu(穂が)
    mUmU(藻が)mimU(実が) jU:nU(代が) rUmU(櫓が) WUmμ
    (緒が)
 (ロ)ji:n丘(絵が) kim6(木が) tam丘(田が) tim丘(手が) na:n丘(菜
    が) ni:n丘(根が) ham丘(歯が) ham丘(刃が) fi:n丘(火が)
    mim丘(目が)jum丘(湯が)jum丘(夜が)
 (イ)は平板式で,(ロ)は上昇式であるが,那覇方言のアクセントは,二三の
例外を除いては,すべて平板式かあるいは上昇式で,首里方言の平板式と下降
式であるのと著しい対照を示している。
 なお,大湾氏が,『アクセント辞典』(神保格・常深千里共著)から,那覇方言
と同語源の単音節の名詞を抜き出して,比較したものは,次の通りになってい
る。
  東京語(標準語)     那覇方言
平板式⑰<醸裘:㌘:
起伏式(・8)一く蝶裘:マ:
 つまり,標準語の平板式は,那覇方言でも平板式に,起伏式はやはり,起伏
                          な           が
式に変わっていて,この一一般原則の例外は,標準語の上型「緒」と下型「我」の
2語あるのみで,他の33語は全部,式の対応をなしている。(前記の同氏の論文
参照)
町次に純二音節の名詞は,潜在型(単語アクセントの型)は,大体平板のみで
あるが,顕在型(助詞nuのついた,文節アクセントの型)には,三種の式が
現われている。
 (イ) aminu(飴が) kubinu(首が) haninu(羽根が) hananu(鼻が)
    mit∫inu(道が)jujinu(百合が)
 (ロ) amip丘(雨が) katan丘(肩が) hanan丘(花が) mimin丘(耳が)
    jaman丘(山が) jukun丘(欲が)
 (イ)は平板式で,この型をとるものには,aji(蟻), a5i(味), i∫i(石), imi
(意味),uta(歌), ug(運), ka5i(風), kabi(紙), gara(殻), ki5i(傷),
ku∫i(腰), ku5i(釘), kut∫i(口), kuni(国), kubi(首), sara(皿),∫ina
(砂),daki(>rak i,竹)などのごときものがある。
 (ロ)は上昇式で,この型に属するものには,他にana(穴), ita(板), uja
(親),kasa(傘), t∫iku(菊), t∫ina(綱), t∫inu(角), nuji(糊), mu5i(麦),
raku(楽), waki(訳)などがある。
 那覇方言の大多数の二音節語は,この二種のうちに入るが,極くまれに,頭
高式アクセントの語があって,これに助詞を添えると,次のような型をとって
いる。
 (ハ)丘minu(海が,膿が)9丘minu(塵が)n丘minu(蚤が)f伽inu(船が,骨が)j丘minu(弓が)
 これに属するものに,準二音節kalminu(甕が), ma:minu(豆が)などのご
とき例がある。この頭高式は,また(ロ)の型をとることもある,というよりむ
しろ(ロ)にだんだん統一されようとする傾きがあり,現在その過渡期と見るべ
く,両方の型が混用されている。
 大湾氏の調査によると,同語源から派生した346語の二音節語の標準語と,
那覇方言との式の対応比率は,準二音節ほどではないが,なおその関係の割合
密接であることを示している。
  東京語(標準語)        那覇方言
                _平板式 (98)
  平板式(125)<一起伏式(27)
               _一平板式(174)
  起伏式(221)<一
                起伏式 (47)
 標準語の上中型の二音節の名詞の中には,那覇方言において,次のように,・
第一音節が長音化して,その反対に尻高式のアクセントをとるものが,少数で
はあるが見受けられる。
 例えば,息(イキ)のi:t∫i,臼(ウス)のUl∫i,奥(オク)のu:k丘,桶(オ
ケ)のu:kiL帯(オビ)のUlbi,影(カゲ)のkalgi,牙(キバ)のt∫i:ba,
胡頽子'(グミ)のku:bi,昆布(コブ)のku:b丘,獅子(シシ)の∫i:∫i,足袋
(タビ)のta:bi,中(ナカ)のnalka,主(ヌシ)のnUl∫i,箸(ハシ)のha:一
∫i,針(バリ)のhalji,松(マツ)のma:t∫i,味噌(ミソ)のms丘,聟(ムコ)
のmu:k丘,元(モト)のmu:t丘,宿(ヤド)のja:r丘(<ja:dの,夜着(ヨギ)
のju:5i,夜(ヨル)のjUlr丘(以上『アクセトン辞典』より採録)などのごときも
のである。
 三音節語においては,平板式以外のいわゆる起伏式には,中中上型と中上上
型(尻高調・上昇型)の二型のうちでも,中中上型が最も多く,四音節語や五
音節語の場合は,複合語などでは,多少の例外のあるのは免れないが,大体ア
クセントの山がつぎつぎに後退して,語尾または最後より二音節目までが,"高
くなる傾向がある。特に動詞においては,この型が規則的に行われてい乙と見
てよい。これを図示すると,次の通りである。
"  三音節    四音節     五音節       監:
 (1)○○○  ○○○○  ○○○OQ
 (2)○○○   ○○○○   ○○○○0
0つまり,那覇方言のアクセントはいわゆる尻上がりになるのが,その特徴で
あると考えてよかろう。
3
 那覇方言の動詞と形容詞は,その活用が標準語と著しく異なり,従ってそれ
らの形を,そのまま標準語と比ぺ合せるのは無理といわねばならぬ。特に終止
形の語尾は,すべて9音になっていて,これが一音節を形造っているので,同
一・語源の標準語よりもそれだけ音節が,増しているわけである。例えば,取る
(トル,tom)のtujug(>tujig,トゥユン〉トゥイン)のごときものである。
 それで,ここでは,那覇方言の動詞と形容詞のみにおけるアクセントについ
て見ることにして,標準語との比較は,差し控えることにする。
 標準語の二音節語に,語源の上からは一致している那覇方言の三音節の動詞
には,次のごとく大体二種の型がある。
 (イ)kat∫ug(欠く) t∫it∫ug(聞く)tubug(飛ぶ) najug(鳴る)
    fujug(振る)mujug(盛る)
 (ロ)kat∫丘9(書く) t∫it∫丘9(着く)tat∫丘9(立つ>naj丘9(成る)
    fuj丘9(降る) muj丘9(漏る)
 (イ)は平板式,(ロ)は上昇式で,この上昇式は,神保式表記法を適用する
と,例えば,naj丘9のナユンなどのごとく,起伏式中の低高高,'つまり中上上
型に属するものである。那覇方言の動詞語尾jugのjuは,すべてji'に転訛
する傾向があり,このjiは母音iに先行されるときは,同化融合して長母音
i:に再転し,例えば,t∫ij丘g(切る)はt∫ijigまたはt∫ilb,そのいずれも用い
ているが,長母音に転じて準三音節となる際は,尾音の9だけにアクセントの
山は移り,チーンのごとく中中上型の別の型に変ずる。これは名詞の準三音節
語,例えぽ,ki:(木)に助詞nuがついた時のkim丘(キ」ヌ)と,アクセン
トの型は全く同一である。
 四音節や五音節の動詞にも,次の通り,やはり,二つの型が現われている。
 (イ)atajug(当る)kurasug(暮す). sarasug(晒す) furijug(狂れる)
    harijug(腫れる) warijug(割れる) kat∫imijug(掴む) narabijug
    (並べる) wa∫irijug(忘れる)
 (ロ)amaj丘9(余る)kakij丘9(懸ける) sakas丘9(裂く) tatij69(立て
    る) harij如(晴れる) wakaj丘9(解る) akarij丘9(離れる)
    nagarij丘9(流れる)wakarij丘9(別れる)
 (イ)は平板式,(ロ)は上昇式である。(ロ)に属する動詞語尾が,長母音に転
訛する場合は,やはり,三音節におけると同現象が見られる。例えぽ,kakij69一.
(カキ三=7)のkaki:b(カキー「i7), wakarij69(ワカリ三ン)のwakari:6(ワ
カリーン)のごときものである。
 形容詞にも,次のごとく,大体二種の型がある。
 (イ)akasag(赤し)amasag(甘し) kurasag(暗し) marusag(円し)
    atarasag(惜しい) jagamasag(喧しい) mut∫ikasag(難しい)
 (ロ)afasag(淡し) at∫isag(暑し) karasag(辛し) fukasag(深し)
    ∫ir丘sag(白し)utur丘sag(恐ろしい) mi5irasag(珍らしい)
 (イ)は平板的である。これに対して,(ロ)は名詞・動詞の場合と異なり,中高
式で,語尾から二音節目,つまづsagの前の音節に,アクセントの山が来る
のを例としている。平山氏の観察によると,四音節においては語頭が,五音節
の場合は第二音節が,sagよりも幾らか高目に聞えるという。それらに三段式
表記法を強いて適用するとしたならば,中上下下型と下中上下下型とに分かれ
るわけである。
4
 いわゆる同音異義の単語同士を区別するのに,アクセントが一役を受け持っ
ていることは,前項にもkat∫u6(欠く)とkat∫丘9(書く), harijug(>haril9,
腫れる)とharij丘9(>hari:め,晴れる)その他の類例を挙げて示しておいたの
で,それらについて事新しく述べる必要は,ないかも知れぬ。ただ,ここで特
に那覇方言に限って話してみると,既に音韻の章で紹介した通り,那覇方言は
音韻転訛の度合が著しく,従って,同音異義の語が,標準語に比べて遙かに多
くなっているので,それらを聞き分けるために,アクセントは標準語における
よりも,一層重要な役割を演じていると見てよかろう。
 例えば,標準語のkiku(聞く,キク)とtsuku(着く,ヲ'ク)は,那覇方言
ではいずれもt∫it∫ugに転訛しているが,「聞く」(kiku)は平板型t∫it∫ugで
あるのに反して,「着く」(tsuku)は上昇型t∫it∫丘9となって,互いにアクセ
ントによって明らかに区別している。(「着く」tsukuの語頭tsuはts血, tsi
を経てt∫iに転じたもので,tsiと発音せられた時代にはtsit∫丘9と発音せら
れ,もちろん,音韻上も「聞く」kikuの転訛したt∫it∫ugとは違っていたの
で,同音異義の例には不適当であるが,ここでは現在に即して比較しておいた
ことを,特に断わっておく)この外にも,
     標準語(東京語)     那覇方言
 (ukeru(浮ける・ウケル)\   /ukijug(>uki:9)
                  ukij丘9 (>ukiφ)
                  /'je:jug (〉'je:jig)
`蟷(起きる,オ鳶蜘\
ε(a(j)eru(綉汗槻)a(h)eru(韲へる,アエル)〉賦帥9(〉脚
ε(kiru (着 る,キ ル)tsuru(釣 る,ツ ル)〉輌〈1:ll::1螂
ε(∫iku(敷く,シク)suku(好く,スク)〉∫ゆ9>lllll:
ε(ni(j)eru(煮える,ニエル)neru  (練 る,ネ ル)〉吶く::ll;::1::;:
ε(u(w)eru(植ゑる,ウヱル)o(j)iru (老いる,オイル)〉圃ug〈:ご綴::ご::1:
などのごとく,語源を異にする単語の間には,それぞれアクセントの型の相違
によって,これらを区別しているのみならず,標準語とアクセントの対応が・
割合規則正しく行われている。
 前例におけるような,標準語と那覇方言とのアクセントの対応関係は,
   標準語         那覇方言

t∫iru(散る,チル)      のt∫ijug(>t∫ilg)

kiru(切る,早ル) 、     のt∫ij丘9(>t∫i:b)       /
ka(h)em/(代へる・三ヘル)
    \(帰へる,カヘル)
  /(足 る,タ ル)
taru
  \(垂 る,歹 ル)
  /(止む・ヤム)
」amu\(病む,〒ム)
のke:jug(>ke:jig)
のkelj丘9(>keljig)
のtajug(>tajig)
のtaj69(>tajig)
のJamug
のJamug
などにおいては,標準語の平板式は,那覇方言でもやはり平板式に,起伏式の
一高型は,上昇型に変じている点は,異なっているがその式の対応からいえ
ぽ,大体標準語と・一致している。'しかし,これによって,ただちに那覇方言の
アクセントの型を,関東系と結びつけて考えるのは早計である。
5
平山輝男氏の調査した範囲によると,琉球語のアクセントは,大体国頭系と
首里系との二つに大別せられ,那覇方言は国頭系に属し,首里系には八重山方
言が含まれている。
 琉球語のアクセントの型が,東京系(北奥・東海・中国等)と近畿系(近畿・四
国等)などのいずれに近いか,という問題に対しては,平山氏は琉球語の大部
の地方における上昇型(服部四郎氏の下上甲型,平山氏の鹿児島・長崎におけるB型)
を重要視して,これは琉球と近畿とを結ぶ有力なものの一つであろうといい,
ただ,対応関係において,近畿よりも東京や北奥に緊密に見えるのは,近畿の
名詞の型が統一を蒙らぬために,型の種類が多いのに対して,東京・北奥ぽ大
方統一せられて,元の型の種類が少なくなったからであるのと,一方,琉球語
においても,型め統一が,割合行われたことによるものであって,近畿系と琉
球系とを縁遠いものと考えてはならぬと述べている。
 次に,琉球アクセントと九州アクセントの交渉について,平山氏は,国頭系
(那覇方言を含む)は鹿児島・長崎・熊本南部と特に密接な関係があるし,首里
系は佐賀系と全く一致していると論定し,なお,かくのごとき事実の発見せら
れるのに対して,次のような仮説を立てている。
  首里系と佐賀系とは地理的には余りにも遠いが,大々的住民の移動が佐賀系方面よ
 り過去の或時代に行われたのではないか。そして九州本土に近い国頭地方には那覇系
 の先祖の住民達が相等の勢力を持っていた為,なうべく住民の少い先島(石垣島大川
 は首里アクセント)等に上陸したのではないか。そしてその移住者の勢力が高級文化
 の所有者だけに段々拡充して首里の都が成立し,首里文化が琉球を支配するに至った
 のではないか,音韻・語法・語彙等は割合接近したがアクセントだけは尚,古時の面
 影を保存しているのではないか。(前出論文91-92頁)
 この仮説の当否は別として,琉球語のアクセントの系統が,平山氏のいわゆ
る九州西南部方言に属するものであること,那覇方言のアクセントの型が,そ
の中の鹿児島・長崎・熊本南部のそれと緊密な関係のある事実だけは,同氏の
論説に掲げた詳細な比較対照表を一覧したならば,異議を差し挾む余地はある
まいと思う。
第4章 名詞
1
 ここでは,特に那覇方言の名詞を,標準語に比べた場合に,多少異なってい
ると見做される特徴の幾つかを拾い上げてみたい。
 その一つは,造語法に属する問題であるが,次のごとく,独特な方法によっ
て,ある語を基にして,それに関連した新しい語が造り出されている。
 例えば,標準語の松(matsu)は,那覇方言では, ma:t∫i(<maltsi)といっ
ているが,次の通り,これから数個の単語が派生している。
一{諜{飜  /

ma:t∫iを仮りに基本形と名づけておくと,その語尾の母音iを長母音Ulに

変じて松林を表わし,一種の複数形とでも見るべきものを造り,なお,第一音節
の長母音a:を短くする代わりに,語尾のiを長母音u:に替えて,人名を表わ
すに用いている。この人名mat∫Ulを普通形とすれば,mat∫i:は「松チャン」ま
たは「松坊」などのごとき愛称に当り,mat∫a:は下男などを指し,「松公」と
でもいうべきもので,これらはすべて,男性に限って使われているが,また国
頭地方のmatt∫e:という女性の人名も,この語の転訛したものである。
 人名の場合には,太郎(tζrO:)ゐ転訛したtaru:からtaraち次郎(3irO)の
3irulから5ira:,三郎(saburo=)のsagru=からsagrと:やsagre:,鶴(tsuru)
のt∫iru:(<tsirul)からt∫ira:,亀、(kame)のkami:からkamalなど,そ
の他枚挙にいとまないので省略するが,この場合に共通していることは,語尾
を長母音a:に発音する時は,卑下する言語感情を伴い,普通下男,下女などを
呼ぶのに用いられていることである。なお,この場合における語尾の長母音a:
が,動物名の語尾に,しばしば見受けられる長母音a:とも,関係の深いこと
については,後に述べることにする。(本章の第3項参照)
 この類例に属するものには,単に「酔った人」を指すwitt∫Uに対して,「酔
払ひ」をwitt∫a:,「酒淫」のwitt∫u:などのごときものもある。このwitt∫u
は動詞の連用形wi:(終止形wiljug>wi:9,酔ふ,ゑふ,(w)e(h)u)にtt∫u
(<fitu,人,ひと, hito)を接続して造った合成語である。.
 また,標準語の「かげ」(kage,陰・影)に該当するka:giから, ka:ga:とい
う語が生じているが,ka:giは日陰を, ka:ga:は影を指し,両者を使い分けて
いる。ka:giにばkalgi・曇gata(影姿, kage-sugata)のような用例もあって,
この場合のka二giは,国語の「おもかげ」(面影, omo・kage)のkage(>ka-
gi>kalgi)と,全く同義である。
 これと同様な用例に,美人を意味するt∫ura・ka:gi:という複合語がある。
t∫uraはkijora(清ら)の転訛で,またka:gi二は15a:giの語尾を長音化した
ものである。尾母音の長音化は,後述の動詞の連用形または形容詞の語幹を基
にして「行為者」または「性質所有者」などを表わす語を造るのに用いられる長
母音a:などと同一手法に属するもので,ここでは「清らかな影を有する者」
・「奇麗な姿の所有者」のことである。このka:gllはka:giから派生した語で
はあるが,ka:ga:のごとく単独には用いられることはない。美人t∫ura-ka:gi:
に対する不美人jana・kalgi:(いやな影, ijana-kage)のごとき複合語において
のみしか使用されていない。

kalga:はka:gal・wuduji(かげをどり,影踊り;活動写真), jama-ka:ga:(や

ま一かげ,山陰;人前に出るのが嫌いな人)などの熟語もある。
 また「子福者」を意味するkkwa-mut∫i(子持ち)の語尾を長音化してkkwa-
mut∫ilにすれば,「子供を連れた女」の義となり,語尾を長母音a=に換えたも
のは,「子持節」という琉球音楽の曲名を指す。
 この外に,国語のito(糸)の転訛したもので,やはり単に「糸」の意の
i:t∫u:と,その語尾を短くilt∫uといい,これは,特に「絹糸」を指すのに用
いているのも,また,この種の造語法の例に数えてよかろう。
 なお,数詞「二つ」(fUtatSU)の転訛したta二t∫i(<ta:tSi)の尾母音iを長母
音ul lこ替えて「双生児」の#a二t∫u:,「三つ」(mittsu)のmi二t∫i(くmiltsi)か
ら「三つ児」のmilt∫Ulという語を造り出したりしているが,単に語尾の母音
を長音化しただけのtalt∫i:, mi:t∫i:,……の場合には「二つづつ」,「三つづつ」
……の意味に用いられる。
 これの類例を見て,思い浮かぶのは,日本語において複合名詞を造るとき,
例えぽ,ama-gasa(雨傘)やkana・mono(金物)などにおけるがごとく,本来
のame(雨)やkane(金)の語尾の母音eをaに替えて,特別の機能をそれ
に与えていることである。これもやはり名詞の語尾変化の一種には違いない
が,この場合のamaやkanaは,既に名詞としての独立の職能を失い,次に
来る別の名詞を修飾する働き,つまり,形容詞的な役割しか果たしていない
し,また,amaが雨(ame)と, kanaが金(kane)と関連して,しかも,別
種のものを指す語として,用いられている例は見つからぬので,前に挙げた那
覇方言の造語法と,これとを同一に論ずるわけにはいかない。
 しかし,次のような例のある事を見逃がしてはならぬ。『有職故実辞典』にも
見えている通り,禁中奉仕の婦人を指す厂女官」に対しては,二通りの訓み方
があって,中古以来,特に「女房」には厂ニョクワン」(njokwag)といい,こ
れよりも身分の卑しい「刀自」「得選」以下,御湯殿や御台盤所等に奉仕して
雑役を勤むる官女は「ニョウクワン」(njOlkwag)といいならわして,明らかに
両者を区別していた。つまり,一つの語を母音(ここでは母音o)の長短によ
って,使い分ける手法が,古い頃には国語にもあったことが,この一例によっ
ても窺われる。
 また,国語の動詞の語尾が,母音の転換によって,種々に活用していること
などをも考え合わせると,名詞においても,那覇方言に行われているような至
極単純な,それだけに原始的であると見てもよい母音転換や,母音の長短によ
る造語法は,おそらくは文献以前のいわゆる原始日本語にもあったと想豫して
もよかろう。ただ,この特殊な機能を,国語にあっては,漢字を利用して,も
っと複雑な別種の手法がこれに代わったがために,いつの間にか失われてしま
い,文字の使用におくれ,中央の文化から取り残されていた南の島々のいわゆ
る姉妹語が,却ってこの方面では祖語の古い姿の一部を忠実に保存して,今に
伝えているのであるかも知れない。
2
 これから挙げるのも,前項と関連のある造語法の一種であるが,この場合
は,語尾の母韻を長音化することによって,いわゆるagent(動作者・行為者)
や「性質所有者」を指す新しい語を造り出している。
 最初に,名詞についてみると,次のような類例がある。
 (イ) 母音aで終る語
   kuruma車(人力車)
(ロ) 母音iで終る語
   saki酒
   funi船
(ハ) 母音uで終る語
   saku(<∫aku)癇癪
(二)gで終る語
   sag・gwag 3貫(6銭)
kuruma:人力車夫
saki:酒飲み(酒淫)
funa:船乗り(卑称)
saku:癇癪持ち
sag・gwana:安淫売婦
 なお,地名の場合,語尾の母音を長くすると,例えぽ,je:ma(八重山島)の
je:ma:, ma:ku(宮古島)のma:ku:, tumaji(泊・那覇の町名)のtumaji:, suji
(<∫uji,首里)のsuja:, it∫umag(>it∫imag,糸満町)のit∫u㎜na:(>it∫ima-
na:)などにおけるがごとく,その土地の人を指す。ただし,かように発音す
るときは,これを卑しめていう言語感情が,それらの語の中には含まれてい
る。それで丁寧なる言葉遣いにおいては,それぞれjelmagt∫u(<je:manu-t∫u,
八重山の人),ma:kugt∫u, tumajigt∫u, sujigt∫u, it∫umaDt∫uといわねばならぬ。
 前例に多少説明を加えると,母音iで終る語においては,単に語尾の母音i
をそのまま長音化するもの以外に,funa:やsuja:などのごとく,長母音a:に
変ずることが,しばしば見受けられる。
 これは前項で人名について述べたように(松のmat∫u:におけるmat∫a:太郎の
taru:に対するtara=の例など参照)長母音a:に換えて発音する場合には,卑下す
る感情を一層明瞭に表し得るからで,那覇の人が,首里(suji)の人を呼び捨て
にする悪口のsujal-habu-kwe:(首里のハブ〔毒蛇〕食い)などにおけるがごと
く,sujiをsuja:にしているのは,そのよい例である。
 次にfuniのfuna:も,上品な言葉では,標準語の「船乗り」(huna-nori)
の転訛したfuna-nujiという語を用いているが;この場合のfuna:は,もし複
合語形成の.ときの語尾変化形funaから派生したと考えるならば,(イ)の母音
aで終る語の類例に入れるべきものであろう。'、
 (二)のgで終る語の例に挙げたsag-gwanalは,以前琉球の錏銭3貫(1貫
は琉球では10銭でなく2銭)の玉代で買われた売笑婦の異名に用いられていた
らしいが,現在は密淫売婦を指す。その語尾を長母音u:に替えてsag・gwanu=
といえば,品物ならば,3貫で買えるもの,模合(無尽)ならば,毎月3貫積
立てのものを指していた。また,銭勘定の場合,2銭をikkwag(1貫),10銭を
gukwag(5貫)というのに対し,旧2銭銅貨や10銭白銅貨など,直接銭貨を指
すときは,ikkwanu:(またはikkwana:), guk舶nu:と呼んでいる。かように
(二)のgで終る語の中には,その語尾をa:,u:に変ずることによって,前項
において述べた類例のごとく,その語に関連した新しい別の語を(イ),(ロ),
(ハ)よりも,多岐にわたって派生しているものがある。
 次に,動詞を基にしセ,いわゆる「行為者」を意味する語を造り出すときに
は,普通,連用形の尾母音を長母音a:に変えている。那覇方言においても,
動詞の連用形は,やはり母音1で終っているので,その母音転換の様式は前例
(ロ)に属するsujiなどのsuja:に変じている特例と同じものと見てよかろう。
 ここでは「書く」(kaku,那覇方言kat∫ug)の一例をとって説明してみよ
う。「書く」の連用形『書き」(kaki)は,那覇方言ではkat∫iに転じていて,
例えぽ「書家」のことを,那覇方言では,5i:一kat∫i(く5i-kaki,字書き)とい
っているが,この外にまた5i:一kat∫a:という言葉がある。この二つの語を比ぺ
てみると,5i:一kat∫iが「書家」を指すのに反して,5i:・kat∫a:は,能書家でな
くても「字を書く人」という単純な意味に用いている点では異なっているが,
「飲酒家」におけるsaki・numi(<sake-nomi,酒飲み)とsaki・numa:などの
ごとく,動詞が習慣性の動作を表わすものとして使用されるときなどは,ほと
んどその区別を認めるのは困難で,いずれも同様な意味に用いられることがある。
 つまり,動詞の連用形を,そのまま名詞に転用した語は,割合限定されたも
のを指し,その語尾を変じて長母音a:で発音する場合には,これをも含めた,
もっと包括力を有するものであると見れば大過なかろう。
 例えば,ji:・kat∫i(<(w)e・kakiゑかき,画家)に対するjiz-kat∫a:は「画
家」をも,また,「画家」でなくても,単に「絵を描いている人」を指す場合
にも用いられている。
 形容詞から「性質所有者」を指す語を造るときには,いわゆる語幹の尾母音
を,外の母音に変えずに,そのまま長音化するのが普通である。
 尾母音がaの例についてみると,例えば,前項に挙げた「美人」のt∫ura・
ka:gi:のt∫uraは,形容詞t∫ura・sag(終止形)の語幹とも見倣すべきもので
あるが,その尾母音aを長音化したt∫ura:は,それだけでも「美人」の意を
表わし,また事物ならば「立派なもの」「綺麗なもの」を指すときにも用いら
れる。このt∫ura:は,その前に地名をつけて,「何々小町」という意味に,よ
く使われている。
 次に,尾母音iまたはuの形容詞語幹のものを挙げて,それに多少説明を加
えてみよう。
 〔i〕magi・sag(大きい)    magi二(大きい人,または物)
 〔u〕uturu-sag(驚うしい)   uturUl(こはがり,こはいもの)

magiの語源は不明であるが,これも前例のt∫ura:におけるように,その前

に地名をつけて,その土地の評判の巨体の人を指すのに,よく用いている。
magi・sagの反対語はguma-sagで,これにはgumalという派生語があって,
「小さい人」または「細かいもの」を指すときに使う。この語幹gumaは,標
準語koma-mono(小間物)やkomakai(細かい)のkomaと語源を等しく
するものである。
 このgumaとmagiは,指小及び指大の接頭語として,しばしば採用され
ているので,このついでに,その用例その他について,述べておきたい。
 指大接頭語には,那覇方言にも,標準語の「大きい」(おほきい,ohoki:>
o:kiDの「おほ」(oho>o:)に当るufuという語があるが,このufuとmagi:
の両語の間には細かい差異を設けて使い分けている。
 例えば,ufu・tt∫u(<oho-hito,おほひと)は.厂おとな」(大人)のことであ
るが,magi・tt∫uは単に「大きな人」を指す。なお, ufuにっいて,もっと説
明を加えると,この尾母音を長母音i:に替えて,ufil・tt∫uというと「偉い人」
または「尊いお方」を意味する。それで,ufuから派生した,このufi:とmagi
とを比べてみると,大体,英語のgreatとlargeとの異同によく似たところ
がある。また,ufuはmagiから派生したmagi:を修飾するために,その前
に冠してufu magi:(巨大な人,または物)というふうに用いられることもある。
 指小辞には,接頭のgumaの外に,接尾のgwa:があって,ときには,次の
ごとく,この両方を同一語の前後に,同時につけることもある。
  guma-ig(小犬)  lg-gwa:(犬ころ)  gumかig-gwal
  guma・i∫i(小石)  i∫i・gwal(石ころ)  guma・i∫i・gwal
 指小接尾語のgwa:が,那覇方言の「子」の意味のkkwaから転じたこと,
また,このkkwaが,古語「こら」(児等, kora)と,語源を等しくするもの
であることについては,」蕘に述べておいた。(第2章音韻の第5項ハ参照)
 次に尾母音uの例に挙げておいたuturu:は,例えば, ig-uturu:(犬をこわ
がる人)などのように,複合語を作ってよく使われる。iru-kuru:(色の黒い人,
または事物),iru・∫iru:(色の白い人,または事物)のkurul,∫iru:は形容詞
kuru-sa;9'(黒い),∫iru-sag(白い)などの語幹kuru,∫iruの尾母音の長音化し
たものと見られぬこともないが,名詞の「黒」(kuro),「白」(∫iro)の転訛し
たkuru=,∫iru:と全く同形であるし,また国語にも「色白」(iro-5iro)などの
用例もあったりするので,これと同じ造語法と考えても差し支えなかろう。
 名詞・動詞の連用形や形容詞の語幹以外に,助詞を基にして,新しい語が派
生している例も,たまには見受けられる。
 例えば,「室内着」のja:kara:のごときものである。この語のja:は「や」
(屋・家)のことで,kara:は助詞karaの尾母音を,長音化したものである。
詳しくはja:一kara・t∫ija=というべきものを,後のt∫ija:を省略した形と見てよ
い。t∫ija二は動詞t∫ijup(着る,終止形)の連用形t∫ljiの尾母音iを長母音
a:に変えて「着るもの」,ここでは人ではなく「着物」を指している。
「着物」の場合には,この外に,fi:5i:lkara:(<heizei-kara,平生から)の「不
断着」,fuka・kara:(<hoka-kara,外から)の「外出着」, u:we=・kara:(<(》iwai-
kara,お祝から)の「お祝着」などのような複合語もある。
 なお,これらの語は,必ずしも「着物」だけに限らず,履物,その他の装身
具,または食器類をいうこともある。
3
 ここでは,先に約束した,尾母音a:の動物名について,述べてみたい。
 前出の人名のtarul(太郎)に対するtara=, funa-nuji(船乗り)に対する
funa:, sujig-t∫u(首里人)に対するsuja:などにおけるがごとく,尾母音をa=に
換えると,軽蔑的な言語感情が伴うことについては,説明しておいた通りであ
るが,次のごとく動物に対して,琉歌などのごとき韻文や,古風の人の間に用
いられている標準語的名称の外に,その尾母音をa:に発音される語が,一般
化しているのも,これと同様な心持,つまり,これらの動物を卑下して,ぞん
ざいに言い表わそうとする心理が手伝って,造り出されたものであると見てよ
かろう。
称鴨  蝠鶏 蚓
名家蟻蛙蝙水烏蚯
 イロハニホヘト

E

本 形
afiru
aji, aji-kOl
atabit∫i
ka:buji
kumiru
gara∫i
mlm151
a:形
afira:
SUJ1-aJa:
atabitja:
ka:buja=
kumira:
garasa:
mlm15a:
 (ロ)の蟻のsuji・aja:は,首里近傍の草原などに多いので,その名があり,
うっかり坐っていたり,寝ころんだりしていると,着物を通して,ちくちくと
刺す憎らしい大蟻の・一種をいう。
 (ハ)の蛙のatabit∫iのbit∫iは「ひき蛙」のhikiと関係のある語である。
蟇蛙の一種にwakubit∫iというのがいるが,これはwakubit∫a:とはいって
いない。なお,雨蛙はama-gakuという。そのgakuの語義はつまびらかに
し得ないが,あるいは擬声音かも知れない。
 (二)の蝙蝠のka:bujiは,古語の「かはほり」(kahahori)の転訛したもの
であることは,音韻の対応関係を適用すれば簡単に説明できる。kaha>kawa>
ka:, ho>hu>bu, rl>jiの過程を経て, kahahori>ka:bujiとなったとみてよか
ろう。
 この外に,蜘蛛をku:ba:というのも,九州方言「コブ」(kobu)と同一語源
から造り出されたものであろう。
 ・また,猫もmalu nu hajig ne:(猫の走る様な)という慣用句では, maiuと
なっていて,古くはmaju:とも呼んでいたらしいが,現在はmaja:という。
そのいずれも擬声語であろう。
 それから,鷺(sagi)をsal3a:と呼んでいるのも,この例に加えてよかろう。
 なお,那覇方言以外の琉球語圏内の諸方言にも,やはりこれに似た現象があ
って,喜界島方言では,鼠(nedzumi)をnidumja:といっている。
 沖縄本島の糸満町では,その傾向が最も著しく,蟻のaja:の外に,百足
(mukade,那覇方言ではgka5i)をgka5a=,蚤(nomi,那覇方言ではnumi)
をnuma:と呼んでいる。
4
 助詞「は」(wa)または「を」(wo)が,先行の名詞または代名詞の語尾に
融合されることは,現に東京でも「僕は」(boku wa)をboka:というのを聞
くことがあるし,「広島県方言の研究」によると,同地方では「酒を飲む」(sake
wo nomu)をsakjo:nomuまたはsakju:nomuという例が見えているので,
Chamberlain氏が述べてあるように(前出書第3章Isolation参照),決して琉:球
語特有の現象として,挙げるわけにはいかないが,那覇方言において,体言と
助詞との融合が,規則的に行われていて,あたかも,一種の屈折(語尾変化)
のごとき観を呈しているのは,注目に値する。
 標準語「は」にあたる那覇方言の助詞は,現在はjaであるが,これはwaの
転訛したものであるらしい。(助詞の第2項参照)
 次の融合形は,大体このwaが,先行の名詞語尾に同化されて姿を変えたも
のと見るべきであろう。
 (イ) 尾母音a>a:  jama(山)  jama=(山は)
 (ロ)  〃 i>e:  umi(海)  ume:(海は)
 (ハ)  〃 U>0:  iju(魚)   ijo:(魚は)
 (二)語尾g>no= tig(天) tinOl(天は)
 大体,上例に示したように,すぺて規則的に一種の語尾変化が行われてい
る。ただ,語尾が長母音のときは,例えば,taru:ja(太郎は)のごとく,別
に助詞ja(<wa)をつける。
 この助詞waの融合は名詞のみならず,他の品詞の場合にも見受けられる現
象であるが,それらについては,別に述べることにする。(助詞の第2項参照)

Chamberlain氏は,この助詞waとの融合形を,特に"Isolated Form"(孤

立形)と名づけ,これに対して,標準語の「も」(mo)の転訛した那覇方言の
助詞9を付加したもの,例えば「昼も,夜も」(hiru mo, joru mo)にあたる
firug, jurugのごとき語形を,"Aggregated Form"(接合形)と命名して,両
者を対照している。この場合には,尾音9の語に限り,例えばtig(天)が
tinug(天も)となるように,語尾がnugに変じ,不規則な形をとるだけで,
短母音a,i, u,または長母音が語尾にあるものは,単にgを添えればよい。
 この外に,那覇方言の名詞には,Chamberlain氏が"Interrogative Form"
(疑問形)と名づけている形がある。これも一種の屈折のごとき観を呈してい
るが,実は,疑問の助詞jiの融合したもので(即詞第6項及び動詞第6項参照),
尾母音iの語においては,このjiは同化されて,長母音izに変じ,尾音gの
語は,例えば,t∫ig(<kinu,きぬ,衣,着物)が, t∫inui(<t∫inujl,着物か
?)となるように,語尾がnuiに変ずる。
 次に,上述の那覇方言の名詞の準語尾変化(Ωuasi-inflection)の一覧表を掲
げておく。
   1.平叙形
(イ) jama(山)
(ロ) umi(海)
(ハ) iju(魚)
(二) tig(天)
2.孤立形

jama:
umel

 1亅0:

tino:

3.接合形

jamag
umig
ijug
tinug

4.疑問形

jamai
umi:
ijui
tinui

〔(イ)語尾a,(ロ)語尾i,(ハ)語尾u,(二)語尾g〕
5
 那覇方言における複数:の接尾語は,標準語とは全く異なっている。普通に使
われているものは,ta:とt∫a:の二つである。次にそれらの用例を示してみ
る。
 (イ)amma:一ta:(母達)   (ロ) uja-nu・t∫a:(親達)

amma:は普通,旧平民の間で女親を呼ぶのに用い,旧士族はajalという。

「乳母」はt∫i=・agまたはt∫i・ammezともいっている。(イ)に用いられている
ta:は,琉球の文献にも頻出している複数の接尾語で,標準語の「たち」(tat∫i,
達)のtaと関係のある語かも知れない。
 (ロ)のt∫a:は,「した」(sita,下)や「いた」(ita,板)などが那覇方言に
おいて∫it∫a, it∫aなどに転訛している例(ta>t∫a)から推すと,前のta:の
変じたものであろうが,このt∫a:は助詞nu(<no,の)を介して接尾する点
はta:と異なっている。
 これを,早口にぞんざいに発音するときは,例えば,warabig・t∫a:(わらべ
たち,童達)などにおけるがごとく,助詞nu.は9に転ずる。
 どの語にはta:を,どれにはnu-t∫a:を接尾するかは,語感によるもので,前
例の場合,.amma:一nu・t∫a:, uja-ta:という結合様式は許されていない。 amma:
にはta:を, ujaにはnu-t∫a:というふうに,必ず両者を使い分けている。
 この外に,mura-mura(村々), kuni-guni(国々)などのごとく,畳語法に
より,複数形を造ることのあるのは,国語の場合と同様で,琉球の韻文などに
は,特に,盛んに採用されているが,現在の口語では,ζの形式はあまり用い
られない。
第5章 代名詞
指示代名詞
1
 一般の文法書に見えている指示(物所)代名詞に該当する那覇方言は,次の通りである。
、 称
 \\、
種別\、
事物
場 所
近称レ
kuri

uri
kuma
遠  称
'mma(<uma)
iari
}

ama

不 定 称
5uri, nu:
a
m
方角kugata
ugata
agata
lt畑m
 事物・場所・方角の指示代名詞のうち,事物に関するもの以外は,本土諸方
言のそれらと語形が著しく異なっているのは注目すべきことがらである。
 指示代名詞は言語体系,なかんずく,語法上では特に重要な役割を演ずるも
のであるから,これらのものが,本土の諸方言と相違していることは,日本語
と琉球語が同一祖語から分かれたとしても,その分岐した時代の古いことを示
す一つの例証と見てよかろう。つまり,この一連の体系は,分立以後,互いに
別々の道行きをとって形造られたものに違いあるまい。
 なお,事物の指示代名詞の中称が,那覇方言のみならず,琉球語圏内の諸方言
においても,本土方言の語頭の子音sが消失しているのも,また注目に値する。
2
 事物の指示代名詞の近称のkuri,遠称のariは,標準語と那覇方言との音韻
対応の規則を適用すれば,それらが標準語のkore, areの転訛したものである
ことは明らかである。
 不定称の5uriは,また5iruともいう。なお,首里方言や,その影響を受
けることの多かった60代の那覇の有識階級の人は,dzuriまたはdziruと発
音している。これは標準語の口語の「どれ」(dore)に比較してみるよりも,む
しろ文語の「いつれ」(idzure)の語頭母音iが消失して生じたものと考えた方
がよかろう。語頭母音の脱落は,後述の方角の指示代名詞の不定称t∫agataの
語頭t∫aが,標準語の「いか」(ika,如何)の転訛したのと同様の現象として
説明することができる。
 この3uriの代わりに,標準語の「なに」(nani,何),に当るnu:を用いるこ
ともある。このnu:は語源の上からは, nani(何)のnaと関係があるかも知れない。
3
 場所の指示代名詞は,日本語の時間・空間を表わす「ま」 (ma,間)が,琉
球諸方言にはおいて空間,ここでは場所を示すのに用いられている。
 那覇方言には,単に遠方という意味のka:maという語があるが,宮古島(平
良町・下地村)や八重山諸島(石垣島・竹富島・鳩間島・与那国島)では,これを遠
称に使用している。この語頭のkaは,文語の「かしζ」(ka∫iko)や「かな
た」(kanata)の語頭のkaと比較すべきものであろう。
 不定称ma:の古形が, dzumaであったことは,.『語音翻訳』(弥是那裏的人,
♀ラトスロ阻1希ミ,ura dz山ma fichu,貴方は何処の人か)や『混効験集』(ず
ま,何方の事。琉歌に,北京お主日やずまにそなれより,七つ星下の北京ちよ
しま,又巫女の誦文にずまと云も何方へと云心なり)にも見えているし,なお,
八重山方言(石垣島・小浜島)では,今でもdzima, dzumaが用いられている
ことによって明らかである。
 この語頭のdzuは,事物の指示代名詞の不定称のdzuri(>5uri)のdzuと
対比すべきもので,このdzuはまた文語の「いつこ」(idzuko),「いつく」
(idzuku),「いつち」(idzut∫i),「いつかた」(idzukata)などの第二音節のdzu
と,語源上同一のものに違いあるまい。
4

 方角の指示代名詞に共通のgataは, kata(かた,方)の語頭が,濁音化した
もので,日本語の文語の不定称「いつかた」(idzukata)におけるkataと同義
の語である。
 不定称t∫agataの語頭のt∫aは,音韻転訛の度合が余りに著しいために,原形
を辿ることが割合難しいように見えるが,【これは国語の「いかに」(ikani)など
・におけるikaと同根の語である。というのは,標準語のkaが那覇方言でt∫aに
転ずる例は「いか」(ika,烏賊)がit∫a,「光る」(Likaru)がfit∫ajug(>fit∫ajig)
などにおけるka>t∫aの対応関係によって証明し得られるし,また語頭母音i
の脱落する例は,標準語の「いかほど」(ikahodo)に当る語の沖縄本島南部の
糸満方言のlkatt∫aが,那覇方言では, t∫assa(<ikassa)に転訛していること
などから類推することができる。
 事物・場所の不定称の語頭が,現今の那覇方言以外の琉球語圏内の諸方言や,
古文献などには,dzu(>5u)になっていることは,前述の通りであるが,方角
の不定称には,今までの調査では,これらに対応するdzugataに類する語は発
見されていない。もし,今後の方言採集によってこの形が見出されたならば,
琉球語の指示代名詞は,佐久間鼎博士のいわゆる「コソアド」体系にならって,
「クゥアヅ」(ku・u・a・dzu)体系と名づけられるわけである。
5
 つぎに,佐久間博士の「コソアド」体系に挙げてある,前出の事物(もの)・
場所・方角以外の性状・指定・容子の三種に該当する那覇方言を,表に造つて
みることにしよう。翻画近

指 定
容 子
性 状
kunu
kun(u)gutu、
kag・
kun(u)gutαru


unu
un(u)gutu
ナ  シ
un(u)guto:ru


anu
an(u)gutu
ag
an(u)guto:ru
不定称
t∫anu
t∫an(u)gutu
t∫a=
t∫an(u)guto:ru
 指定の不定称は,前記の事物・場所の不定称のdzuri(>5uri), dzumaの形
から類推すると,dzunu(>5unu)が用いられているそうであるが,これには
方角の不定称t∫agataにおけるt∫aに, nu(<no)を接尾した語形を採用し
ている。
 容子の語尾gutu,性状の語尾guto:ru(<gutu-wuru)のgutuは,文語の
「ごとき」(gotoki,如き)「ごとし」(goto∫i,如し)などにおけるgotoと,
同義の語であるらしい。
 なお,容子・性状共に,第二音節のnuは,普通の会話の場合は,母音uを
省略して,例えば,kuggutu, kugguto:ruと発音することが多い。
 佐久間博士の挙げてある,容子のコー・(ソー・)アー・,ドーに対応するもの
に,kag,. ag, t∫a:の短い形が'ある。この場合に中称の語形が・欠けているのは
注意すべきことで,理論的にはugという形が,用いられてもよさそうである
が,これにはunugutu(>uggutu)以外は決して使われていない。また,この
容子の近称の母音が,uの代わりにaに変じているのも注目に値する。ただ,
不定称のt∫al(<it∫a<ika)の母音aが長音化しているのは,那覇方言で一般
に母音を長く発音する傾向のあることから推して,珍しい現象ではない。
 要するに,この系列は母音aを持つことがその特徴で,従って中称ugは,
遠称のagと,同形になって紛れてしまうので,これを避けるために,中称は
unugutu(>uggutu)のただ一つの形しか,用いられなくなったらじい。
6
 那覇方言には,前記の体系に属せしめてよいものとして,今一つ分量を表わ
す次の系列を挙げることができる。
奮劃近
分 量:
椡中
kufi(>kuppi)
称1遠
称1不
ufi(>upPi)lafi(>apPi)
  i
定  称
t∫afi(>t∫appi)

 これらは,大体,標準語の「これだけ」・「それだけ」・「あれだけ」・「どれだ
け」に該当する。
 この系列の各語の語尾fi(<fe)は,国語の「ひとへ」(一重)・「やへ」(八重)
などの語に用いられている接尾語の「へ」(he,'『言海』に重,経0義,カサ
ネ,カサナリ,タタミ,折)と関係のある語であろう。  ,
 このfiは」普通の会話では,促音化して,例えば, kufiのkupPiなどの如
く発音されることが多い。文例をあげて用法を示すと,「ただこれだけか」を,
tada(>tara,ただ,唯), kupPigwa:(gwalは指小接尾語), na:(感嘆詞)と
いう。これを,もっと,'くだけた東京語に訳すると,「たったこれっぽっちか」
という程の意である。
 中称のufiは,「それだけ」という意から,転じて,例えば, ufi na:(少しつ
つ,このna:については本章第11項参照)ufi jatig∫imug(少しでもよい)な
どにおけるがごとく,「僅少」の意に用いられているが,ufi nal na:というと
きには,「そんなに沢山」と訳すべきで,前の文例の場合と反対に,厂多量」を
意味する。

人称代名詞
7
 人称代名詞として,普通一般に用いられるいわゆる対称と敬称を次に表示し
て,これに関連して卑称などについても述べてみたい。
総論
対 単






第一人称
(自称)
wa:
wag
watta二
第二人称
(対称)
a
●-」7
'jatta:
(<:itta:)
ug3u
na:
UD5unal
natta:
(>nittal)
第 三 人 称(他 称)
近椡中椡遠称
kuri
kutta:
kugt∫u
(<kunutt∫u)
kugt∫u-ta:
uri
utta:
ugt∫u
(<unutt∫u)
ugt∫u.ta:
ari
atta:
agt∫u
(<anutt∫u)
agt∫u-taz
不定称
(疑問称)
ta:
3uri
tatta=
tagt∫u
tagt∫u。ta:
8
 第一人称単数のwa:は,国語の古語「わ」(wa)と同根の語である。
 伊波先生が,「おもろさうし」について,第一人称の統計をとられたのによる
と,この「わ」(wa>wa:)は8,「わん」(wag)は12のみしか出ていない。
 これに反して,「わ」よりも古い形である(山田孝雄博士の『奈良朝文法史』47一
癒頁参照ジと見做される「あ」(a)は118,「あん」(ag)は9で,「あ」が絶対
多数を占めているのを見ると,琉球においても古くは,第一人称は「あ」が優
            おく                        の
勢であったこと,「わ」がそれよりも後れて用いられるようになったことが推
測される。また,この「あ」は沖縄本島のみならず,宮古島や八重山諸島で
も,1使われていたことは,200年前に編纂された『宮古島旧記』に載っている
八重山乙女の歌に「漲水もあは見て,おやざけもあは見て」とあるのによって
もわかる。
 それで,琉球諸島の各方言において,現在,第一人称として「わ」(wa>wa:)
のみが行われているのを見て,日・琉両語の分岐した年代を,本土において完
全に「わ」の勢力の成立した時期,つまり,奈良朝時代以後であろうと推定す
るのは,早計といわねばならぬ。(山田博士の前出書49頁参照)

wagは,組踊や琉歌などには「わぬ」(wanu)と表記されている。これらの

いわゆる文語では,また同i義語として,よく「我身」(wami)が用いられる。ま
た,国頭地方では,今なお,古文献や韻文などに見えているwanuを使ってい
る所がある。
 口語のwagが,助詞wa(>ja)やgと融合した,いわゆる孤立形や接合
形は,規則的にはwano:, wa4ugとなるべきであるが(名詞の第4項参照),そ
れぞれwagne:, wagnigといい,例外に属して㌧・る。
 しかし,助詞gと結合するとき,文語においては,規則形wanugがあり,
またwagjaというふうに,助詞と融合しない形も用いられている。
 自称の複数形wattalは,単数のwa:に複数の接尾語ta:が結合する際に,
(かなり無理な解釈ではあるが),wa-ata:の過程を経て,第一音節が短音になる代
わりに,促音化したものであるとも見られる。
 しかし,他称のkuri(<kore,これ,是), uri, ari(<are,あれ)の複数形
がkutta:, atta:となる類例から推すと,あるいはwari(<ware,われ,吾)
にtalを接尾するときに, riの母音iは脱落して, r音は後にくるt音に同化
されて二重子音ttとなり,いわゆる促音化した形が生じたものかも知れない。
 要するに,waまたはwa:に,ただta=が結びついたものとすれば, watal
またはwalta:が普通に得られる形であるのに,これがwatta:といい,促音化
しているのは,注目に値する音韻現象である。
 なお,那覇方言で,r音が次にくるt音に同化されて,二重子音ttに変ずるの
は,gdi iju些垈kuru(・…・・と言ふ所)が, gdi'ju垈ukuru,またa聖里kuru
(有る所)がattukuruなどの例においても見られる。
`
9
 第二人称単数の'ja:の語義は不明である。これは,同輩にも用いられるが,
卑称として,目下の者を呼び捨てにする場合にも使う。
 敬称のug5uについては, Chamberlain氏はこれに対して,初め「御所」の
転訛ではなかろうかと考えたらしいが,音韻の対応関係から見て「しかし,此
語(御所)はu・j亘と読むべきでunjuではないので,他に満足な出所を探し
出さねばならぬ」(前出書46頁,表記法は同書採用のもの)といい,慎重な態度をと
っている。伊波普猷先生が「チェンバレン氏は第二人称の代名詞の敬語undju
はunutchu(其人)から来たといはれた」(『南島方言史攷』118頁)と書いてあ
るのは,思い違いであろうが,「それはduに思即ち愛を意味するumiを冠し
たものでumidu>undjuと変遷したものである。この場合, duがdjuに変じ
たのは,chiduri(オモロには千鳥はくちどり〉となってゐる)がchidjuyiに変じた
のと同じ音韻現象である」と述べていられるのは傾聴すべき説である。
 これに今少し説明を加えてみると,du:(<do:,胴, 『言海』にカラダ,身幹)
は身体の義で,umiはまたomi(お・み,共に敬称接頭語)の転訛したものと
も考えられるのでug5uは「おんみからだ」(og-mi・karada,御美体)と解釈し
てもよかろう。
10.

du:(>ru:,那覇方言でダ行が良行に転訛する傾向があることについては既

に述べておいた)は,また身体の義から転じて,次の慣用語におけるがごとく,
自身の意にも用いられている。
  du:・agat∫i 自分で足掻くこと,すなわち自力更生,独力で浮世の荒浪を
   掻き分けて突進すること。
  dUl-waza(>rUl・wa5a) 自らの業,自業自得,身から出た錆の意。
  dUl-muji自ら守ること,幼児が独りで,いじらしく遊ぶのにいう。
  du:・kuru, dul-nal・kuru 自分ころ。自分自身での意。
 最後の例におけるkuru(<koro)は,また人称代名詞と結びつき,例えば,
wag-kuru(私自身で,自分自身で),'jag-kuru(<'jal-kuru,お前自身で),
ug3u-kuru(貴方御自身で)などのように,「……自身で」という意味を表わす
ときに用いられる。
 この場合のkuruの用法は,英語のmy・self, your-self, him-selfなどにおけ
るselfとよく似たところがあるが,強いて外国語と比べなくても,もっと手
近なところに「ころ」(koro)という国語の古語がある。・
 『大言海』の「詠ろ」の項に,「ホハ,此ノi義ニテ,己ノ意ナルベキカ(此身)ろ
ハ添ヘタル辞(らノ条ヲ見ヨ)後世ハホうりト変ハル(中略)長崎ニテ,目立ツ
ヲ轟ろッとシトル,ナド云フハ此語ノ遺ナリ」と説明した後に「みつから,ひ
                コロ フ
とりノ意ヲ云フ,古語。自ラ臥すヲ自臥すト云ヒ,独立するヲ詳、うたつト云
ヒ,孤立ノ旗ヲ,ホろばたト云ヒ,鷹ニホろ捕ト云フ語モアリ。(各条参照)」
と見え,「轟ろ一ふす」(自臥)の条に,万葉集三の三十二の長歌「立タセレバ
玉藻ノ如ク,許呂臥者,川藻ノ如ク靡キ合ヒシ,宜シキ君ノ」と同巻四十二浜
辺の死人を見て詠める長歌「浪ノ音ノ,繁キ浜辺ヲ,敷妙ノ,枕ニナシテ,荒
床二,自伏ス君ガ,家知ラバ,往キテモ告ゲム云云」を挙げてある。
 その用例について見ると,古文献では,大方接頭語として,これに反して那
覇方言では接尾語として採用しているのは,異なっているが,音韻・語義の両
方を比べ合わせると,「ころ」とkuru(<koro,両語の母音の対応関係o>u参
照)が,同根の語であることは疑いあるまい。もし,・大槻翁が,那覇方言の用
例を知っておられたならば,長崎方言の代わりに,きっと,これを引用なされ
たに違いなかろう。
11.
 第二人称敬称のna:は,旧士族が,年長の平民に呼びかけるときに,用いて
いた。このna:は,文語の「な」(汝, na)や「なれ」(nare)のnaと同一語
源のものであろう。これとug5uの複数形ug5unalの語尾のna:とは,音韻
・語形共に全く同一であるが,これは数詞と一緒に,例えば,mi:t∫i-na:(三つ
づつ)ju:t∫i-na:(四つづつ)と用いたり,または前出の分量を表わす指示代名詞
に,例えば,ufi-na:(少しづっ)などにおけるがごとく,接合して「……つつ」
の意を示すna:と,関係の深い一種の接尾語と見做すべきものであろう。

na=の複数形めnatta:は,前述のwattazがwari(<ware,われ,吾)と複

数接尾語ta=とが結合したものと見る解釈を,これにも同じく適用したなら
ば,nari(<nare,なれ)+ta:の転訛形であると考えられないこともない。

q
12.
 第三人称の単数kuri, uri, ariは,国語におけると同じく,事物の指示代名
詞を転用したものである。また,それらの複数形kutta:, uttal, atta:は,それ
ぞれ複数接尾語ta:を付加したものの転訛である。
 敬称のkugt∫u以下は, kunu(<kono,この), unu, anu(<ano,あの)に,
それぞれtt∫u(<fit∫u<fitu, hito,ひと,人)を接合して造り出したもので
ある。
 他称(第三人称)の卑称には次の語が用いられる。
近称
一農
中称
遠称
吋蹣
魂二1
不定 称
tanu-hja:
tag-nu-mug

hja:は琉球の諸文献に,「ひや」または「比屋」とも書いてある語の転訛し

たもので,この「比屋」は古くは村の長を,下って地頭代などを指していた。
  また,「比屋」級の人物に対しては,「大親」(ufuja<ofo-oja)とも記録してあ
  る(久米島の堂の「比屋」は,堂の「大親」ともいった)ことなどから推察す
  ると,このhja:は, ufuja>uhjalの過程を経てきた語であることがわかる。
   つまり,このhja:は一種の称号(位階・職名)を人称代名詞に転用したも
  ので,もとは決して賤しからぬ職名や役目などを指していた。これが卑称に用
  いられているのは,英語の称号fellowが,同輩または,「やつ」(奴)という
  意に,転用されているのによく似ているが,もっと手近な国語の「君」(きみ)
  や「御前」(おまへ)などの用例と比べ合わせてみることもできよう。
   mugはmunu(<mono,もの,者)の転訛である。近称のkunu-hja:は,
  「此野郎」・「こいつめ」(<こやつめ,此奴め)などのごとく,第二人称の卑称
  に転用されることが多い。
   なお,「手前共」などの用例のごとく,目上の人にへり下って,自らを指す
  ときに,du:一na:一ta:という複合語を用いることがある。これは,第一人称の卑
  称に数えておいてもよかろう。
13.

 対称の不定称は,普通ta:を用いるが,また指示代名詞の5uri(くdzuri)
を転用することもある。ta:は,古語の「た」(ta)と,同一のものであろう
が,複数形のtatta:は,前述の通り, tari(<tare,たれ,誰)+ta:の転訛し
たものと,考えられないこともない。
 また,tagt∫uの代わりに,5u-nu-tt∫u(<3ug-nu-tt∫u)という複合語も使わ
れている。tagt∫uは,単にtal+tt∫uならば,規則的にはta:tt∫uと発音せ
らるべきで,第二音節にgが表われている理由は解釈できない。
 このtagt∫uのtagは,第三人称のkunu, unu, anuの語尾nuからi類推し
て造り出されたtanuの転訛したものであることが明らかであるから, tagt∫u
はtanu・tt∫uからの転形である。
 卑称のtag-nu-mUgのnUは助詞のnU(<nO)と考えられがちであるが,
tanu-munuの音調を整えるために,挿入された音節と見るべきものであろう。
つまり,この語の形は語法上に関するも問題ではなく,音韻現象に属するもの
である。
第6章 助詞
1
 那覇方言と標準語の助詞は,大体一致しているが,細かい点では,なおかな
りの差異がある。噸
 まず,その種類についてみると,標準語の助詞は,『広日本文典』によれば,
45語(同形を除くと32種。同別記では34語,同形を除くと24種),また山田孝雄博士の
『日本文法講義』には59語(口語法には54語)程挙げてあるが,伊波先生の「琉
球語概観」(『方言』第4巻第10号所載。『南島方言史攷』自序)などには,わずかに
ga(が)以下10種しか見えてない。
 琉球語の助詞に関して,その用例を掲げて解説したものには,Chamberlain
氏の文献(前出書第5章後置詞)以外にはないが,同氏は首里方言の助詞として,
27種を紹介し,これが発見された全部であると述ぺている。それには伊波先生
の挙げてあるものは,すべて含まれているし,また那覇方言の助詞は,首里方
言のそれと全く同一一でもあるので,同氏の採集漏れの数種をこれに加えたの
が,那覇方言において使用されている助詞の総数とみてよかろう。それらの中
には,標準語と同形でありながら,しかもその用法は異なっているものや,全
く別の語などが見受けられる。
 次に,これらのものについて,標準語の用例などと比較しながら,その異同
などを述べることにしよう。
2
 国語における重要な係助詞の一つである「は」(ha>wa)が,那覇方言では
体言の語尾に融合されて,一種の屈折(語尾変化)のごとき観を呈しているこ
とや,また先行の体言の語尾が長母音であるときは,waの代わりにjaが用
いられていることなどについては,既に述べておいたが(名詞の第4項参照),次
に文例を示して,それに多少の説明を加えてみよう。
  taru=ja tabako:fut∫u∫i ga, sake:numag
  〔taro:wa tabako wa huku ga, sake wa nomanu〕
 これを意訳すると,「太郎は煙草は喫むが,酒は:飲まない」というべきであ
るが,この場合の那覇方言の助詞jaは,国語における「は」の音便化した
「や」,例えば,
 (イ)jomi wa∫inai  (読み は しない)
 (ロ)jomi ja∫inai   (読み や しない)
 (ハ) jume:sag(那覇方言)
の(イ)(ロ)におけるwa>jaを見たならば,決して珍しい語ではない。(ロ)
のjOmi jaは,日常の談話で,もっと早口にいうとjOmja:と聞えることもあ
る。それで,(ハ)における那覇方言のjume:は,先行の体言の語尾に助詞の融
合される傾向を,一段と推し進めた音韻現象に過ぎないと見てよかろう。これ
は,近代的という語に,なんらの価値判断を伴わしめずに用いたならば,那覇
方言が,より近代的な言語であるといわれるゆえんでもある。(前出亀井氏の論
文59頁参照)
 最初の文例の中のfut∫uは,終止形fut∫ug(吹く)の尾音9の省略された
那覇方言特有のいわゆる下略形(Chamberlain氏の・Apocopated Form)で,
またその次の∫iも国語には見当らぬ一種の形式語である。この∫iについて
は,別に詳しく述ぺておいた。(本章の第7項参照)
 那覇方言のwaは,また次のごとく,国語の接続助詞「ば」(ba)の職能を
持っている。この場合にも,普通は,先行の語尾に融合されて姿を消すことが
多いが,丁寧な言葉遣いにおいては,なおはっきりと発音されている。
 (イ) hana nu saka皿(>sakal),…(動詞 未然形に接続)
    〔hana no saka ba,      花咲かば,     〕
 (ロ) ami nu furi wa(>furel),……(動詞 已然形に接続)
    〔ame no hure ba,      雨降れば,     〕
 国語の接続助詞「ば」(ba)の語源は,係助詞「は」(wa)であるともいわれ
ているので,この意味では那覇方言は,その原形を忠実に保存しているともい
えるわけである。ただし,wa>baについては,最近異説が称えられている。
(『国語・国文』第12巻第5号所載奥里将建氏の「和行古代B音史論」参照)
 文例(ロ)の動詞已然形に接続するwaは,国語の「ぞ」に該当する後述の
係助詞du(>ru)と結合して, wadu(>waru)という複合助詞となって,よ
く用いられる。

waは,また文の末尾に付していわゆる終助詞として用いられることがある。

これが動詞命令形に接合するときは,やはりいわゆる孤立形をとり,姿を消す
ことが多い。
  kunu sake:tarumume:(<numi wa)
  〔kono sake wa taro:nome wa〕
  (この 酒 は 太郎飲め よ)
 このwaを命令形の動詞に添えた場合は,命令形そのままのときよりも,い
くらか丁寧で親愛の言語情緒を伴い,国語の終助詞や間投助詞の厂な」・「よ」
・「ね」の用例に似たところがある。
 国語の係助詞として,「は」に次いで最も多く用いられる「も」(mo)は,那
覇方言では9に転訛している。これが体言・用言に接合するときには,Cham-
berlain氏のいわゆる接合形をとり,準語尾変化のごとき観を呈していること
などについては,既に述べておいた。(名詞の第4項参照)また,その用法も大
体において,国語と同じである。
3

Chamberlain氏は,琉球語(首里方言)に客語を示す格助詞「を」(wo)の

欠けていること,例えば,saki numug(酒飲む)のごとき表現法などを,国語
の文語などと比べ,日本語においても,いわゆる対格関係を表わすために「を」
を用いるようになったのは,比較的近代に発達したものであるから,これはま
た琉球語の特徴の一つに数うべきものであると力説している。しかし,この
「を」の省略が,決して琉球語のみに限った,特殊な言語現象でないことは,
近年の方言研究の結果によっても,既に明らかなるところでその使用分布領域
の関東大半・本州中部全円・山陰地方・宮城県北部大半に相対して,その省略
地帯は,本土においても東北地方の大部分(その大半は混用地帯)・近畿全円・四
国全円・岡山県の旧岡山藩の大部分の広範囲にわたり,人口の点では,むしろ
遙かにその分布領域のそれを凌ぐものがあり,琉球語圏内の島々などもその中
に含まれる一地方に過ぎない。それで,これについて,特に文例を挙げてま
で,説明をする程の必要はなかろう。
 ただ,特に対格関係を示したい場合には,那覇方言においては係助詞のwa
(国語の「は」)を代用しているが,前出の文例sake:numagにおけるがごと
く,このwaもまた,やはり先行の名詞の語尾に融合されて,姿を変えてしま
うことが多い。
 かような用法の場合,「おもろさうし」などには,「朝露は蹴り上げて,夕露
は蹴り上げて」(巻13の88)などのごとく,「は」(wa)がそのままの形で用
いられている外に,例えば,「岳々よ祈て,森々よ祈て」(巻1の38),「世果報
森に,島ゆ揃へわちへ」(巻1の辱28)などのごとく,「よ」(jo)または「ゆ」
(ju)も使われているし,また弁ケ嶽の碑文などには「昔今の事窒悟り召しよ
わちヘ……」のごとく「を」(wo)を明記している例もある。
 なお,国頭地方の神を祀る詞や,八重山島の古謡や民謡には,那覇方言のwa
の代わりに「ば」(ba)が,客詞を示す格助詞「を」(wo)の代理として用いら
れている。
4
 文主を指示する格助詞として,那覇方言にはga(が)の外に「の」(no)の
転訛したnuがあるが,一般の用例についてみると, gaは使用範囲が限定さ
れていて,代名詞や人の姓または名の次にしか用いられず,その他の場合はす
べてnuを使うのが,那覇方言の特徴といってもよい。例えば,
 (イ) taru:ga nat∫ug   (太郎が泣く)
 (ロ)  tuji nu nat∫ug       (、鳥カミ月鳥く)
におけるがごとく1(イ)ではnuは,(ロ)ではgaは決して用いない。必ず二
つを使い分けている。

gaは,国語におけると同様,所有とか所属とかを示す場合には,例えば,

ari ga uja(あれの親)という風に用いられるが, taru:uja(太郎の親), ka:mi二
kubi(亀の首)などにおけるがごとく,先行の名詞の語尾が長母音であるとき
には,省略されることが多い。また,国語における慣用法で,「水が飲みたい」
などのごとく,「が」(ga)が客語を示す「を」の代用をしているときには,こ
れを那覇方言に訳せば,mi5i(nu)numi-busagといい, gaの代わりのnuは
省略してもよい。
 那覇方言では,格助詞gaやnuと,係助詞のg(くmb,も)と結合した,
複合助詞gagやnugが,よく用いられている。
 例えば,
 (イ)taru:gag wakarag(直訳・taro:9a mo waka「anu)
 (ロ) ig nug kwa:9  (直訳・inu no mo kuwanu)
のごとく,(イ)は「太郎でも判らぬ」(ロ)は「犬でさへも食はぬ」の意で,
gag, nugは大体国語の「でも」,または「でさへも」に似ている。ga+moの転
訛したgagがあるので,その反対のmo+gaも用いられてよさそうであるが,
那覇方言にはその複合形は使われていない。
 次にgaは,動詞の連用形に接合して,国語の「に」の意味に用いられるこ
とがある。
  3i:naraまi坐it∫ug   (字を習ひ匹行く)
 また,那覇方言のgaは,国語の「が」と同様,例えば,前出の文例,
  taru:ja tabako:fut∫u∫i ga, sake:numag
におけるがごとく,接続助詞として用いられる。なお,疑問の助詞にも次に示
してある通り,これと同じ形のgaがある。

taru:ja ma:kaji it∫u ga   (太郎は何処へ行くのか)

 このgaは,国語の疑問を表わす助詞「か」(ka)と同根のものに違いある
まいが,ただ,那覇方言では,gaの前の動詞は,常にいわゆる下略形を用い
るのが,国語の場合と異なっている。文例におけるit∫uは終止形it∫ug(行く)
の尾音9の省略されたもの,すなわち下略形である。
5
 那覇方言の係結びは,前出のga, nuを受けて,用言の終止形で結ぶものの外
に,国語の文語におけるがごとく,連体形をとらしめるdu(>ru)】という特殊
の助詞がある。これは国語の「ぞ」(zo)と比較すべきものであるが,1この二
つが語源までも等しいものであるかどうかはつまびらかでない。
 このduは,既述の通り(音韻の第5項ホ参照),那覇の一般人の間では,
ruに転訛している。また,これを受けて,終止形で結ぶこともあるが,それ
でもなお古風な言葉遣いでは,規則的な用法がしばしば聞かれる。次に文例を
挙げて,それに多少説明を加えてみよう。
 (イ) kunu kasa:wa:mug亜…jaru, arl ga muno:arag
    〔kono kasa wa wata∫i no mono zo dearu,'areno mono waaranu〕
    (この傘は私のもので〔あって〕,あれのものではない)
 (ロ) ig-gwa:nu迦nat∫uru, akag-gwa no:nakag
    〔inu。koro no zo naku, aka。go no wa nakanu〕
    (犬ころが啼いてゐるので〔あって〕,赤ん坊が泣いてゐるのではない)
 (イ)のduの次のjaruは,国語の「である」または「です」に該当する指
定の助動詞jag(終止形)の連体形で,(ロ)のnat∫uruはnat∫ug(啼く・終
止形)の連体形である。
 (イ)と(ロ)の最初の句は次のごとく,感動の助詞do:(>ro:)または, de:(>
re:)と共に用いるときには,終止形で結んでいる。
 (ハ) kunu kasa:wa:mug血jag do:
    〔kono kasa wa wata∫i no mono zo de aru zo〕
    (この傘は私のものだぞ)
 (二) ig-gwal n亡旦ヨnat∫ug del
    〔inu-koro no zo naku ze〕
    (犬ころが泣いているのだぜ)
 係結びの第三の「こそ」型に該当するものとして,「おもろさうし」などには,
「す」(SU),「しゅ」(∫U),「しょ」(∫0)などを受けて,用言の已然形で結ぶ例
が散見しているが,これらの助詞は現今の那覇方言では,国語の「げにこそ」
とでも訳すぺきdag5uまたはdag3ukaなどの副詞句の中の5uに,わずかに
その面影を止めているに過ぎない。(伊波先生の『琉球戯曲辞典』108-111頁と144
頁,及び『万葉集講座』第3巻言語研究篇所載「万葉語と琉球語」の「す」の項参照)
1
Q
6
 那覇方言における疑問を示す助詞には,国語の「か」(ka)の転形と見做さ
れる前記のgaの外に,今一つjiという語がある。これは,例えば,「そこに
居るのは誰かえ」などにおけるがごとく,口語だけに用いられる終助詞「え」
(e<je)に似たところが多い。この二つが,文語の「や」(ja)から分岐したも
のであろうということについては,後に述べる積りであるが,ここで,jiと
「え」を比べてみると,その用法は,次の文例に示してある通り,多少異なっ
ている。
 (イ) are:ta:(ja)ga, taru:(du jaru)」
    〔are wa tare(de aru)ka, taro:(zo de aru)ka埀〕
    (あれは誰か,太郎かえ)
 この場合に,jiの先行の体言または用言語尾が,母音iであるならば,例え
ぽ,kuri:(<kuri ji,これか), kat∫i:(<kat∫i ji,書いたか)などにおけるが
ごとく,長母音i:に変じj音は脱落して,原形を認めることは難しくなってい
るが,その代わりにアクセントは尾高型をとる。
 (ロ) it∫umi, ikani
    〔iku ka, ika nu ka 行くか,行かぬか〕
 この場合の説明は,先行の語の尾母音がiのときよりも,もっと複雑である。
it∫umiの語尾miは,次のように,那覇方言の終止形の語尾g音と関連して
論じられている。

Chamberlain氏の解釈によると,琉球語の諸方言に多い用言の終止形の9音

は,かつてはm音であったといい,伊波先生もこの説に賛成なされている。
(『南島方言史攷』55頁参照)もし,この説に従うとナれば,「書く」の終止形ka-
t∫ugの古い姿はkat∫umで,このkat∫umに疑問の助詞jiの接合したkat∫一
umjiの最後の音節からj音が脱落して,文例の(ロ)における断定の疑問形
kat∫umiは生じたものであるということになる。
 この断定の疑問形動詞kat∫umiに対し, kakaniは,否定の疑問形である
が,これは,未然形kakaに,否定の助動詞9(くnu)の接合したkakag(<
kakanu)に,さらに,疑問の助詞ji.が結合したkakanjiの最後の音節から,
j音の脱落して得られた形であると,説明してよかろう。
 ここに引用した那覇方言の否定の助動詞gは,国語の打消しの助動詞「ず」
の終止形「ぬ」(nu)の転訛した「ん」(g)に該当するものである。
 なお,現今の那覇方言で,国語の「知らぬか」に当る∫irani(<∫irag ji<
∫ira〔未然形〕+g〔否定の助動詞〕+ji)を「おもろさうし」には「しらにや」
(∫iranja)という表現が,用いられている。(同書6の巻の53)
 この∫iranjaを分析してみると,∫ira+nu+ja(知らぬや)の転訛したもの
であることは明らかで,この例から推すと,那覇方言の疑問を示す助詞jiは,
ja>je>jiの変遷を経て来たものと見て差し支えなかろう。そして「おもろさう
し」の「しらにや」の「や」(ja)は,また国語の文語「有りや,無しや」など
における疑問を表わす助詞「や」(ja)と,語形・職能など全く等しい。
 それで,現今の那覇方言のjiと,これと似たところの多い口語の「え」(eくje)
は,この「や」(ja)を共同の親とする姉妹関係の語に違いないともいえるわけ
である。
7
 語形のみからは,前項のjiと同一の助詞が,次のような場合に用いられて
いる。
   へ
  5iru:ja tabakug fut∫u ji, sakig numug
  〔5iro:wa tabako mo huku∫i, sake mo nomu〕
 これは「次郎は煙草も喫むし,酒も:飲む」という意で,この場合のjiは,大
体国語の口語だけに用いられる接続助詞の「し」.(∫i)に似たところがある。
 次に,語形はこの「し」(∫i)に全く似ていながら,職能の全然異なる助詞
が,那覇方言にあることは,本章の第2項にも文例を挙げておいたが,ここで
改めて再説してみたい。
 (イ) uta utaju∫ig, mO;ju∫ig wug
    〔Uta utaU nO-mO, maU nO-mO wOrU〕
    (歌を謡ふのも,舞ふのも居る)
 (・)nu:g kamu∫e:ne:rani
    〔nani-mo kamu no-wa nai-ara-nu-ja〕
    (何も食ふ12はないか)
 (ハ) tabakol fut∫u∫i ga, sakel numag〕
    〔tabako-wa huku ga, sake-wa nomanu〕
    (煙草は喫む〔けれども〕が,酒は飲まない)
 (イ)の∫igは,∫iに国語の係助詞「も」(mo)の転訛したgの結合したい
わゆる接合形で,この場合のutaju(>utaji,終止形utajug>utajigの下略形)
∫iの∫iは謡う人を表わす。つまり,この∫iは動作をするムを指している。
 (ロ)の∫e:は,∫iに係助詞「は」(wa>ja)の接合したいわゆる孤立形で,
この場合のkamu(終止形kamugの下略形)∫iの∫iは食べる鈎,つまり,
事物を示すのに用いられている例として挙げておいた。
 (ハ)の∫iは,反語を表わす接続助詞gaの前にあるときの例で,この場合
には,(イ)(ロ)とは全く異なり,国語の口語のみに用いられる接続助詞「けれ
ども」の意に使われている。
 (イ)(ロ)は,直訳文に示してある通り,国語の格助詞「の」の特別の用法,
すなわち体言の代わりに用いられるのによく似ている。
 この∫iは、那覇方言においては,最も頻繁に,そして特に事物を指すとき
の簡潔な表現法として愛用されている助詞であるから,その用法を習得するこ
とは,那覇方言を理解する重要な鍵の一つを握ったようなものであると称して
も,決して過言ではない。
8
国語の口語のみに用いられる「で」(文語の格助詞「に」と接続助詞「て」の連な
った「にて」のつづまって出来たもの)に対しては,次の通り
数種の語があって,これらを使い分けている。
 (イ)動作の行われる場所を示す場合
    nalfa wuti funi nujug(那覇重船に乗る)
 (ロ) 動作の行われる時を示す場合
    kunu∫iguto:ta-t∫it∫i里垂najug
    (この仕事は二月で完成する)
    atu kara it∫u sa  (後で行くよ)
全く形の異なった
(ハ) 動作の行われる方便や材料を示す場合
   fudi堕kat∫ug    (筆重書く)
   kabi嬰:ni t∫ukujug  (紙雪作る)
(二) 動作の行われる原因や由縁を示す場合
   u:一ka5ifut∫i jati ikarag。tag
   (大風〔吹き〕で行かれなかった〕
 (イ)のwutiは,「をる」(居る, woru)の終止形wugの下略形wuに,国
語の接続助詞「て」(te)の転訛したtiを接合したもので,直訳すると「をり
て」(wori te)の意で,つまり,口語の「で」の原形といわれる文語の「にて」
に該当する。
 (ロ)(ハ)のsa:ji(>sa:i), sami,∫∫iは混用されていて,どちらを使っても
差し支えがないようである。∫∫iは,国語の佐行変格の「せ」(se)の連用形「し」
(∫i)に,接続助詞「て」(te)の接合した「して」(∫ite)の転訛したものであ
るらしい。sa:ji, sa:niの語頭のsaも,やはり,この勲詞と関係のあることだ
けは推定できるが(本書の124頁に挿入の那覇方言動詞活用一覧表参照),全体の語
義はつまびらかでない。
 (二)のjatiは,指定の助動詞jag(終止形)の下略形jaにti(<te,て)
の接合したものである。jagが国語の「である」または「だ」に該当するもの
であることについては,前にも述べておいた。(なお,助動詞の第3項参照)
 (ロ)の文例におけるkaraは,国語の格助詞の「から」(kara)と,語形はも
ちろん職能も,大体において等しい。ただ,標準語で「で」(de)を用うべき
場合にも,例えば,kuruma迦it∫ug(車竺行く), funi kara it∫ug(船重行
く)などのごとく用いている。那覇方言のkaraの普通の用法,すなわち動作
作用の基点を示す場合は,次のごとく,国語におけるのと,なんらの相違もな
い。
  kuruma kara urijug    (車塗ら降りる)
  kuma kara ama madi   (此処からあちらまで)
  sake:kumi kara、 t∫ukujug (酒は米挫造る)
 国語の文語と口語め両方で用いられる,この格助詞「から」が口語で,原因
となる条件を示す場合,すなわち接続助詞に転用されるものに対しては,那覇
方言では,全く語形の違うkutuを使っている。このkutuは,先行の用言を
下略形にする力を持つ。
 (イ) 3i:kat∫u kutヨ, kabi mutt∫i kuz wa
    (字を書く から,紙を持ってこいよ)
 (ロ) ma:da felsa kutu, nigtolke:
    (まだ早い彑ら,寝ておけよ)
 (ロ)の文例のfe:saは,形容詞の終止形felsagの下略形である。このkutu
の原義は,「ζと」(koto,事)であるらしい。
                 9.
 国語の格助詞「に」(ni)や「へ」(he>e)に対しては,多くの場合,これ
らと全く別の語が用いられている。
 (イ)suji nakaji ataru hana∫i (首里にあった話)
 (ロ)nalfa塑1 it∫ug    (那覇△行く)
    funi些エnujug    (船二乗る)
 (二)・ha:ma茎aji a∫ibi:理it∫ug(浜△遊び些行く)
 文例(ロ)のgkaji(>gkai)は, nakaji(>nakai)やkaji(>kai)の代わり
に使うことがあるが,nakajiはgkajiやkajiの代わりに用いることは許され
ていない。

gkajiの語源については, Chamberlain氏は,これをnu+ka+ji(<no ka

je)に分析して,「の所へ」の意に解釈し,またkajiは,語頭の脱落したもの
であろうと述べている(前出書56頁)が,伊波先生は,その原形は,ことによる
とnakariで,「の許に」の義を有する国語の「がり」(gari)に似通っている
といい,kajiは,また「かり⊥(kari)が原形であるかも知れないと推定して
いられる。(『琉球戯曲辞典』160頁参照)
 これらには,孤立形と接合形のnakaje:, nakajigとgkaje:, gkajigとkajel,
kajigとがある。
 国語の「に」(ni)は,時にはそのままの形で用いられることが無いわけではない。
 (イ)ruku-5i ni ukijug  (六時に起きる)
 (ロ)kuri g t∫iltel    (これに就いては)
 (ハ) tarUl」里mi∫itag   (太郎1には見せた)
 (二)uja nig mi∫irag-tag  (親にも見せなかった)
 (ロ)のkuri g亀をkurigと書くと接合形(kore mo>kuri mu>kurig)とま
ぎらわしくなるので,特にgを離し書きにしておいた。ne:とnigが, niの
孤立形と接合形であることは,説明するまでもあるまい。
                10.
 国語の格助詞「と」(to)は, tuに転訛してやはり用いられているが,国語
の「と」の用法の一つで,事物の名目や引用の語句を示す場合には,次のごと
く語源未詳のgdiという語を使っている。この語は常に動詞ijug(〉'jugい
ふ,云ふ)に先行する。
 (イ) mat∫ida gdi'juru tt∫u  (松田といふ人)
 (ロ) ……gdi it∫i,……    (……といって,……)
 このgdiは,孤立形や接合形(gde:, gdig)を作ることが許されている。そ
の孤立形gdelと同形でありながら,これと混同されてにならぬものがある。
この別種のgde:は,国語の副助詞の「など」(nado)と意味や用法が似てい
る。
 (イ) ari gde:ga:wakarag ga ja:
    (あれ,などには判っていないかな)
 (ロ)niwa gde:g ho:t∫i kul wa(庭などでも掃いてこいよ)
 (イ)はari鐙些wakarag ja:というと「あれ匹紲判らないね」の意
になる。(ロ)のDdel9は接合形である。
11.
 他にも,語義不明の助詞が,二三見受けられる。
 (イ) t∫alg t∫Olg numaSag-tab
    (お茶でさへ飲ませてくれなかった)
 (ロ)ari gag t∫o=g wakarag(あれにさ二判らぬ)
 (二)t∫it∫ig t∫o:g sag-tag (聞きさへしなかった)
 訳文に示してある通り,このt∫019の用法は,大体国語の「さへ」によく似
ている。
 次のnaldilは,英語のvia Siberia(シベリア経由)などにおける前置詞via
の用例のごとく,「……を経由して」の意に用いられる。
  kagu∫im興na:dil to:t∫o:gkaji it∫ug
  (鹿児島経由で東京へ行く)
 那覇を立つときに,大阪航路と鹿児島航路の二つのうち,malna:dil it∫u ga
(どちらを通って行くか)という問いに対して,上記の文例のように答える。
今では,標準語の普及に伴い,このna:di:の代わりに,国語の「から」と同一
のkaraを使ったりするが, karaは動作の基点や事物の起点などを表わす場合
に用いられるもので,kagu∫ima karaといっては,鹿児島を起点にして,そこ
から出発する意になる。このna:di:に該当する簡潔な助詞は標準語には見当
らないようである。かような便利な方言は,できうるならば,昇格(?)して,
標準語の表現を豊富にする資料の一端にあてたいものである。
 次のgana:, gat∫i:, gat∫i:na:は複合助詞で,この三つは関係のある語である
らしい。
 (イ)t∫il numi皿nig・tag(お乳を飲みながら寝た)
 (ロ) suji kaji it∫i gat∫i:, tumaji gkajig uri-tag
    (首里に行く序に,泊にも降りた)
 (ハ) molji gat∫ima:utajitag(舞ひつつ謡ってゐた)
 この三つは,いずれを用いても一向差し支えない。先行の助詞は連用形である
が,尾母韻iをaに発音する傾向がある。多分,次のgaの母音aの影響で,
それに同化されるせいであるかも知れない。
 次のgutuは,語源は「涙のごとも落つる滝かな」(『言海』)などの「ごと」
(goto)と同じものであるらしいが,次のような文例では,大体国語の「に」ま
たは「ことに」の意に用いられている。
 (イ) munug kamag gutヨtatt∫ag(飯も食はず匹立った)
 (ロ) di:(>ri:), ama gkaj三it∫uru gutu sa na
    (どれ,あっちに行くことにしような)
 (ロ)の「ことに」は,また「と」と訳してもよかろう。このgutuには,次
の通り,孤立形'gutOl,接合形gutugがある。
(ハ)mi5el nUmag lgUt・:∫imaSarag
    (水は飲まずにはすまされぬ)
 (二) ikag gutug najumi (行かずにすむものか)
12.
 終助詞と感動助詞は,大方前出の文例にも掲げておいたが,そこで説明の足
りなかった点もあるし,なお,これまでに書き漏らしたのも二三あるので,そ
れらについて補足しておく。
 疑問を表わす終助詞としては,普通,gaとjiの二つが用いられると書いてお
いたが,この外に国語の「や」(ja)と同形のja:も加えておくべきであったかも
知れぬ。ただ,このja:は単独には間投助詞の職能しか持ち得ず, gaの次に接
合するときに限って本来の機能を発揮し,またgaも用言の終止形の次にある
場合は,このjalの力を借りずには,疑問を表わす力を全く失ってしまう。それ
で,このga+jalは二語に分析して論ずべきものではなくて, gaja:(<kaja,
かや)という一つの複合助詞と見做して,gaが用言の下略形の次に用いられ
るのに対し,これはその終止形に接合するものとして取り扱うべきであろう。
例えば,前出の第10項(イ)の文例についてみると,
  ari gde:ga:wakarag ga ja:
において,ja:をとると完全な文をなさず,また, gaを抜くと,その意味は全
く異なったものとなり,gaとjaの二つの完備したものが,「あれなどには判
ってゐないかな」というのに反して,「あれなどには判らないね」の意に変っ
てしまう。つまり,単独に用いられた場合のja:は,間投助詞に過ぎないわけ
である。文章論上,前者が疑問文であるのに,後者は平叙文で,ja:は念を押
す程度の役割を持つのみで,なくても意味は十分通ずる。
 次に,禁止の意を表わす終助詞には,国語と同形のnaがあるが,これは用
言の下略形の次に用いられる。また,普通,この次にuke:(<uki wa)また
はuki jOlを続けることが多い。例えば,
丶丶
御…帥嘔{二ll抑
  (あれの所には行かないでおけよ)

it∫uはit∫ug(終止形)の下略形であるが, naの前では原音のkを用い,

iku naと発音することもある。 kat∫u na, kaku na(書くな), jat∫u na, jaku
na(焼くな), mat∫u na, maku na(巻くな)なども,やはり両方混用している。
 語形は全く同一であるが,次のnaは間投助詞で,これは用言の未然形の次
に用い,勧誘の意を表わす。
  ari ga me:gkaji ika・na  (あれの所に行かうよ)
 次にnaの尾母音の長音化したna:は体言または用言の終止形について,念
を押したり,または疑問を表わすのに用いている。・
 (イ)ari ga mel gkajig it∫ug一里  (あれの所にも行く≦2)
 (ロ) nu:ko:ju ga,∫imi na=, kabi na:
    (何買ふか。墨かね,紙か塾)
(ハ) ta:ga it∫U ga, Wal ga nal, ari ga na:
   (誰が行くか。私抽,あれか塾)
このna:と同形のものが,副詞にもあることは,次章に述べておきたい。
第7章 感動詞・接続詞・副詞
1
 感動詞の主なるものを次に挙げてみる。
 (イ)驚愕・恐怖・喜怒・哀楽を表わすもの。
  坐i,t∫a:su ga ja:  (ああ、,どうしやうかな)
 驚愕を表わす場合には,このakiの外に普通もっと長いaki-sami-jo:とい
う複合語が,よく用いられる。assami-jolまたはaki・t∫ame:は,これの転形で
あるらしい。
 児童用語に,amma:・jo:またはamma-jo:という語があるが,このamma:は,
母の意で,びっくりするときに,母を呼ぶ語が,'感動詞に転用されたものであ
る。また,うるさくつきまとうものを払い除けるときなどの嘆声として,aki
系統のassami-jo:一ji・na:という語を,使うのを聞くことが多い。
  aji, kunu-hja:ja   (あれ,この野郎め)
 このaji系統のaji-jelまたはaji・je=一na:は,哀愁を表わすとき,例えぽ,「ま
あ,可愛さうに」という意によく使う。
  ari, kuruma nu t∫u:g dol  (そら,車が来るぞ)
 このariは,代名詞の転用である。ここでは自ら驚くと共に,他人に注意を
うながすのに用いられている。
 また,子供たちが悪戯などをしているときに,その子供のうちの誰かが,そ
れとなく告げ口をする場合などに,ari-lol-jiまたはari・jo:一ji kari・jol・jiという
一種の畳語を発して,近くにいる保護者たちの注意を喚起することがあるが,
これらは,大人は用いない。
 親たちが,子供の悪戯を禁止するときには,jo:一jo=という語を連発するが,
これもやはり児童用語で,大人同士は使わない。
 代名詞の転用と見做すべきものに,ariの外にuriがあって,これはuneと
いう語と共に,誘起注意などに用いられる。
  些1,'ja:nume:  (さあ,お前飲めよ)
  une, kuma gkaji a∫e:  (そら,ここにあるぜ)
 文例のuriを代名詞として用いたいならば,'いわゆる孤立形のurel(<uri
wa,それは)とせねぽならぬ。
 次のda;(>ra:)も,国頭方言などには,代名詞の不定称に,同形のものが
あるので,やはり,代名詞の転用に違いあるまい。
 このda:は音韻の章でも述べた通り,那覇方言では普通ra:に転訛してい
る。   ・
   
  da:, mal gkaji a ga  (どれ,どこにあるか)
 文例中のaは,ag(存在詞「ある」の終止形)の下略形である。
 次のdi:(>ri:)は,勧誘などに使われている。
  di:, munu gde:kama na  (さあ,飯でも食ぺようよ)
 このdi:系統の語に, dikka:(>rikka:)というのがあって,これはdi:と,
大体,用法が似ている。
  dikka:ama kaji ika ja:  (さあ,あちらに行かうよ)
 次のna:は,副詞からの転用の例である。これが,終助詞としても用いられ
ていることは,前章に述べておいた。
  nal,∫imug del jal  (i里,いいさねえ)
  na:, t∫a:su ga ja:  (もう,どうしやうか:ねえ)
 このna:に,前記のdilの結合したdi:一na:という複合形があるが,これは
di:と,ほとんど同じ意味に使われている。
 終助詞としてよく用いられるja:も,また感動詞に転用されることがある。
  控,ag jara l壑   (なあ,さうだらうねえ)

この文例では同時に感動詞と助詞の両方に用いられているjalを挙げてお

いた。
 (ロ) 応答を表わすもの
 次の'jeは,(イ)に述べたari, uri, uneなどのごとく,注意を喚起するの'
.に用いられる点では似ているが,これはもっぱら呼びかけの場合のみに使う。
  -,'jalja ma:kaji ga  (おい,君はどこへ行くの)
 目上の者に対しては,この'je:に男はsajiを,女はtajiをつけるのが,礼
儀になっている。'je:一saji,'jel-tajiに対して'je:一hja:は目下の者や喧嘩相手な
どを,呼び捨てkするのに使う。hja=の語義は,人称代名詞の第12項に詳述し
ておいたが,これは「こらっ」または「やい」とでも訳したらよかろう。
 応答の「はい」は,那覇方言では,相手によって,数種の語を使い分けてい
る。
 
}

対称・卑称


!(イ)答(返馴(・)応一(承釧(…)否
a●H
hL皿
fu:
ho:
n

u:

('iu:)
0:
arag
ji:一ji-ji:
n:gn・n:
WUI・WU。WUl
Wα一WO。WOl
 (イ)(ロ)は肯定の「はい」に当る。対称・卑称の(イ)は,単に呼びかけられ
た場合の返事で,(ロ)は承諾したときに使う。
 (ハ)は「いいえ」に当るものを示しておいた。
 敬称の(ロ)の'iu:は最上の敬語で,旧藩時代に,藩主やその家族の方に対し
て用いていたものであるが,後には,平民がその采邑主の地頭家の人にも,使
われるようになっていた。
 最後のho:系統の語は,旧士族が年長の平民に対して用いていたもので,
この場合の母韻oは鼻音化する傾向がある。
 (ハ)の最初のaragは,存在動詞ag(終止形)の未然形araに否定の助動
詞gの結合した形で,直訳すると「あらぬ」(aranu),言い換えると「さうでな
い」の意であって,つまり動詞から転来したものである。その敬語はajabirag
(>ajibirag,「ございます」の意のajabil9>ajibi:9の否定形)という。この
aragには次のごとき用法もある。
  arag, ama gkaji iki gdi ji(何だと,あっちへ行けって)
 この文例のaragは,怒りを表わす感動詞の中に入れてもよかろう。
2
 接続詞に関しては,前項の感動詞と共に,これらを副詞の一部分であると説
く学者もあって,事実,那覇方言でも,本来の接続詞として取り扱うべきもの
は,ほとんと現当らない。
 それで,ことでは,普通の文法書に見えている接続詞に対して那覇方言で
は,どんな形の語が,用いられているかについて,述べることにする。
 (イ) いわゆる並列的接続詞としては,国語と同形のものは,「又」(mata)
だけしか用いていない。「それから」はuri kara,「そして」はag∫iまたはag
∫ikaraという。
 (ロ)選択的接続詞には,「または」(mata wa)の転訛した,いわゆる孤立
形のmata:の外は,別の表現をとる。
 (ハ) 順説的接続詞の「それで」や「だから」は(ag)sa kutuまたは(ag)
ja kutu,「従って」や「因りて」はag jag t∫i:te:を用い,「そんなら」はag
jara:という。
 (二) 逆説的接続詞の「しかし」・「だのに」・「だが」などは,(ag)ja∫i ga
という。例えば「春が来た,しかし温くない」は,普通の表現法を用いると,
  haro:nato:∫i ga, nukuko:ne二9
といい,強いて「しかし」という語に忠実に訳せば,
  haru nata9, (ag) ja∫i ga, nukuko:ne=rag
という。なお「春が来た」を直訳すると,haru nu t∫agとなる。またagは省
略する場合が多い。nukuko:は形容詞nukusag(終止形,「ぬくい」の意)の
副詞形(nukuku)の孤立形である。
3
 那覇方言の副詞も本来のものは,至って少なく,その数も国語に比べるとは
なはだ貧弱で,わずかにma5i(<madzu,まつ), tada(>tara,ただ), kagna5i
(<kanarazu,かならず), nna(<mina,みな)などのごとき,数語に過ぎな
い。これら以外のものは,やはり,他の品詞から転来したもので,用法その他
も国語のそれらとほとんど変りがない。
 強いて,特徴を挙げるならば,擬声・擬態より転成したものは語形が国語
と,かなり異なったものが多く,なお,転来語の中には畳語が愛用されている
というより,これが割合発達していることなどであろう。その数例を挙げてみ
ると,
issuji-kassuji(it∫u9)
utt∫e:一fitt∫e:(tatat∫ug)
5i:guji-hja=guji(sug)
∫ikkuji-hakkuji(nat∫ug)
jo:ge:一fi:ge:丶(nato=9)
いそいそと(行く)
したたか(叩く)
ぐつぐつ(言ふ)
しくしく(泣く)
くねくね(曲ってゐる)
のごとく,これに類似のもので,国語に適訳を見出しかねる語が外にも数十に
及んでいる。
 かような造語法は,漢語においては,いわゆる畳韻(例えば,朦朧モ立ロ立;
爛漫,ラ∠マ∠;撥剌,ハヱラ∠)の名で,よく知られているもので,また国
語にも,「しんねり・むっつり」,「じた・ばた」,「やっさ・もっさ」などのこと
きものがあって,決して珍しい語形とはいえないが,国語に比べて,那覇方言
には,その数が遙かに多く,また,他の品詞にも,この類の造語法が,盛んに
採用されている。(例えば,「たそがれ」・「夕暮」の意のakOl-kuro:,「近所・
隣り」の意のtagkaI-magka:,「喧嘩」の意のo:je:一ti:je:,「飛んだり跳ねたり」の
意のtunu5a:一fi:5al,「i奪ひ合ふ」の意のbalkel-filke:)。
 なお,形容詞の副詞形及び副詞的用法などについては,形容詞の章で述べる
ことにする。
第8章 動詞
1
 那覇方言の動詞は,ほんの少数の特例を除いては,ア・イ・ウの三段に活用
しているが,已然と命令両形の尾母音iはeの転訛したものであるので,大
体,国語の四段活用,なかんずく,良行変格に近似している。といっても,そ
の終止形などは著しく形を異にしているし,なお,その他にも特殊なものが二
三見受けられる。
 次に,kat∫ug(書く)の活用の一例を表示して(115頁掲載)その諸活用形
の用法について説明を加えることにしよう。
2
 現在時の諸活用形の用法は,大体,次の通りである。まず,未然形について,
文例を挙げて説明してみると,
 (イ) 5i:ja wag kaka (字は私が書かう)
 (ロ)tigamel kaka-ni (手紙は書かないか)
 (ハ)tigame:kaka・9 (手紙は書かない)
 (二)tigami kaka:,……(手紙を書いたならば,……)












活用形

第亠形
第二形
第三形
第四形
第五形
第六形
第七形
第八形
第九形
第十形
未 然
連 用
終一連一已
止㎜体一然
命 令
がノ結
下 略
疑 問
テ 形
kaka
kat∫i
kat∫ug
kat∫uru
kaki
kakl
kat∫ura
kat∫u
kat∫umi
kat∫i
ag

kat∫ara
kat∫ei
kat∫ag
kat∫aru
kat∫ari
tag

kat∫utara
kat∫utei
kat∫utag
e:9

kat∫elra
kat∫e:i
kat∫e:9
kat∫utaru
kat∫utari
[e
可一∬
e
㎞}a
一k
kat∫eIru
kat∫e:ri
α9

kat∫Olra
kat∫・li'
αtag形
αtag形
kat∫e:tara
kat∫e:tei
kat∫o:9
kat∫αru
kat∫Olri
Ikat∫e:tag

kat∫e:taru
kat∫e:tari

kat∫o:tara
×   }  ×
kat∫ara
kat∫utara
1  ー
   印i}
×
kat∫e:ra
kat∫αtei
kat∫a厂a
kat∫i:
×
kat∫uta
kat∫uti=
kat∫e=
kat∫elmi
kat∫uti
i
kat∫e:ti

kat∫〇二ri

t
kat∫Olra

kat∫o:
kat∫0:mi

kat∫o:ti

kat∫0:tag
kat∫o;taru
kat∫αtari
×
kat∫e:tara
kat∫e:ta
kat∫elti:
    ×
×
kat∫o:tara
kat∫o:ta
kat∫0:ti二
    X


 116  言   語
 (イ)のkakaは,国語において,未然形に未来の助動詞「う」「よう」をつ
けたのと同じ意味を表わすのに,単独に用いられる。換言すれぽ,那覇方言に
は,未来の時の助動詞は無い,というよりも必要としない。それで,未然形そ
のままで,未来の行為動作を表わすのに用いるのが,那覇方言の特徴であると
もいえる。
 (ロ)のkaka-niは否定の疑問形で,断定の疑問形kat∫u-miに対するもので
ある。助詞niは,否定の助動詞の終止形g(<nu)に,疑問の助詞jiの融
合したものの転訛である。(助詞の第6項と助動詞の第2項参照)
 (ハ)のkakagは,否定の助動詞9との接合形である。動詞の活用形と助動
詞とを強いて区別すると,kaka-9という風に分かち書きにするのが正当であ
るが,助動詞については,一種の複語尾として取り扱うべきものであるという
説もあるし,なお,実際に発音される場合なども考慮に入れて,本書では表記
法(綴字法)は,すべて接合形を採用しておいた。
 (二)のkaka:は,未然形と助詞wa'との融合形で,仮設条件を示し,国語
の未然形に助詞「ぽ」(ba)の接合したのと,向一用法のものである。
 文例に示した以外に,未然形には,受身と可能の助動詞ri:gと,使役のsug,
∫imi:gなどが接続する。それらについては,助動詞の章に述べておいたので,
省略する。,
3
 連用形kat∫iの語尾t∫iは,国語と異なっているが,これはkiの口蓋化し
たものであるから,やはり,国語の連用形kaki(書き)に該当する。用法も,
大体,国語と同一で,用言に続けて熟語を作ったり,文の中止に用いたり,名
詞に転用されることも似ている。
 助動詞との接続については,助動詞の章に述べてある通り,可能のU:sug,
推量のgisag,希望のbusag,敬譲のjabi:9, mise:9, mise:bi:9などに続けて用
いるが,敬譲のjabil9に接合する場合は,尾母音iは,次のjabi:9の語頭ja


                          那覇方言概説  117
に融合,iとjは共に消滅して, tigami kat∫abi:9(手紙を書いてゐます)にお
けるkat∫abi:9(<kat∫i-jabi:9)のごとき形をとる。このkat∫abi:9のkat∫a
は,過去の第八形下略形kat∫aと全く同形であるが,これと混同してはならな
い。
 なお,連用形は次のごとく,いわゆる孤立形(助詞waとの融合形)と接合
形(助詞gとの融合形)が用いられる。
  3i:g kat∫e:u:sag(字も書けない)
  〔直訳5i-mo kaki-wa o:senu〕〔字も書きおほせぬ〕
  tigami kat∫ig narag(手紙を書くこともできない)
  〔直訳tegami kaki・mo naranu〕〔手紙書きもならぬ〕
 文例のkat∫igは,国語における,助詞「て」(te)との接合形「書きて」
(〉書いて)に該当する後述の「テ形」と仮りに命名しておいたkat∫iに,助詞9
(<mu<mo)の接合したkat∫igと同形になっているが,亡れと混同してはい
けない。この場合は,連用形と「テ形」との識別は難しくなってしまっている
が,その他の動詞,例えば,jumug(読む)などにおいては,その連用形は
jumi,「テ形」はjudi(>juri,読んでく読みて,.に該当する)となっているの
で,一見してその差異を判別することができる。(那覇方言動詞活用一覧表参照)
4
 終止形kat∫ugは,連用形kat∫iに「をり」(居り)の意のwugの結合し
た特殊な形で,従って国語の「書く」(kaku)とはその成り立ちが,全く異な
っている。
 那覇方言にも打消しの助詞「な」(na)との接合形kaku・na(書くな)が用
いられていて・このkakuは,終止形の古形を保存しているものであるかも知
れないが,これは助詞naに続く以外の用法はない。
 また・このkakuは,他の動詞におけると同様,後述の下略形と同形のka.
t∫uに変じて,kat∫u-naと発音される傾向がある。
鳶!ーーー1



118 言  語
t
{
1第一形
悌二形
i
i羸謹一、
第三形
第四形
i第五形
」6"


ご"
1第六形
1第七形

1第八形
L
未然
連用
終止
連体
已然
命令
がノ結
陣,在過去
l
lWU「a
完  了
i

・第九形
L.一
i
昏第十形
}

Wutara lwUt・lra
ara
wui
ai
  l
   atara
   
_」wutei、
ate:ra
!atei
wug
ag
 
iwutag
wuto二i
ateli
i(wut・・ig)
lwuru
aru
iatag iate・9
1wuta「翌 WutO:「U
lataru
l
latelru
wuri
Wutari  tWUtOlri
    I
ari
一×一×
n一
㎏ 
a一
1  .
}ate:n
wurl
ia「1
 
レwutOlri


1
甘wura
ara

下略
1レwu
1
a
   iwumi
疑問
   』mi
  」i
テ形lwuti
   ati
wutara
atara
wuta
ata
wutil
at1:
  ×
wutOlra
ate:ra
wuto:
ate:
(wuto二imi)
ate:mi

1wut・二ti
×/(at・:ti)
過去完烈
wutOltara
.、乙
wuto:tel
×
wuto:tag
×
wuto:taru
×
wuto:tar1
 ×
 ×
 ×  l
wuto:tara
  × 1.
wut・:ta 1
  ×「

wut・:t1:1
×
玄}
×
 那覇方言の動詞の終止形の語尾については,従来,種々の説が行われている
が,やはり,最初に述べた通り,すべて連用形とw二ugとの複合形であると見
る方がよいらしい。(『方言』第2巻第10号所載,服部四郎氏の「琉球語」と「国語」と
の音韻法則〔三〕,琉球語の動詞参照)
 国語の良行変格の「をり」(居り)と「あり」(有り)は,那覇方言において
'


                           那覇方言概説  119
も,不規則の活用の部に属している。それらの諸活用形は,前表の通りである。
 前表の現在時の已然と命令両形の尾母音iは,既述の通り,本来のeの転訛
であることは明らかであるし,なお,連用形も,それぞれwori>wuri>wuji

wui, ari>aji>aiの変遷を経てきたものに違いないことは,那覇方言と国語
との音韻を比較した場合,o>u, ri(>ji)>iの対応関係が認められるので,
「居り」「有り」の両者の活用形は,終止形を除いては,国語の文語と完全に一
致している。ただ,残念なことには,その終止形が,国語と著しく形を異にし
ている理由については,まだ信頼するに足る程の満足な解説は見当らない。
 なお,参考までに書き添えるが,琉球語のうち,徳之島と大島方言では,
「有り」の終止形は,やはり,国語と同形のariが保存されているし,喜界方
言では,これが規則的にaji(<ari)に変じている。その他の諸方言では,宮
古がam,八重山,沖縄本島,沖之永良部はagとなっている。四百数十年前
に首里方言を,諺文で記載してある『語音翻訳』には,「有り」の疑問形とし
てariが見えているが,これは終止形ari(有り)に疑問の助詞ji(<je<ja冫
の融合したものであろうという説があるので,首里・那覇方言においても,ag
の古形はariであったらしいことは,推定してよいが,いつの頃から,いかな
る原因で,これが現在の形に転じたかは,やはりつまびらかでない。(w叨,ag
については,服部氏の前出の論文22頁,伊波先生の『南島方言史攷』53-57頁参照)
 このwug, agを,不規則の活用の例に挙げたのは,問題の終止形の形で,
これらは一一般の動詞の活用に従うとすれば,wujug(またはwuig), ajug(ま
たはaig)とならねばならない。
 本島の国頭地方の今帰仁方言には,那覇方言の疑問形amiに対するajimiと
いう形があって,これはajig(<ajug)を基にして作られたもので,これによっ
て,ag(有り)も他の動詞の終止形の影響を蒙り,いわゆる類推作用で,同一の
活用形に変ろうとする傾向のあることが解る。この傾向は,前表のwugの完
了の終止形wutolig(<wutoljig<wutoljug),疑問形wutolimi(<wutoljimi

wuto:jumi)にも現われている。


 120  言   語
 また,wugとagは,現在時の活用形以外の過去,完了,過去完了の諸形が
完備していない点も,一般の動詞と相違している。つまり,wug, agの過去は
tag形, wugの完了と過去完了は,0:9形と0:tag形, agの完了はe:9形で,
過去完了の諸活用形を欠いている。

wugとagの現在時以外の諸活用形の用法,その他についても,文例などを

示して,一々説明すべきであるが,それらについては,最初に掲げたkat∫ug
の用例などに関連して,触れる機会があろうと思うので,割愛する。
5
 那覇方言の動詞の連体形は,すべて,語尾がruで終っている。これは,連
用形にwugの連体形wuruの結合した結果によるものらしい。それで, ka-
t∫ug(書く)の連用形kat∫uruはkat∫i-wuruの転訛で,国語の連体形kaku
とは,成り立ちが全く違う。しかし,その用法は国語と一致している。
 国語の助詞「ぞ」の用法に似ているduの結びとして,連体形がくること
は,助詞の第5項に文例を挙げておいたが,沖縄本島の国頭方言には,特に
duの結びのみに用いる語尾ru形の連体形の外に,語尾nu形の別種の連体
形がある。
 このnu形は,奄美大島や喜界島方言の連用形が,すべてg形であるのに近
似している。(『南島論叢』所載,仲宗根政善氏の「加行変格〔来る〕の国頭方言の活用
に就いて」参照)
 已然と命令両形は,語形も用法も国語と変りはない。尾母音iがeの転訛で
あることは,既に幾度も説明しておいたが,已然と命令共に,次の通り,本形
の外に,助詞waとの融合形を用いることが多い。
 (イ)tigami kaki wadu najuru (手紙を書かねばならぬ)
    tigami kakel∫imug   (手紙を書けばよい)
 (ロ) tigami kaki       (手紙を書け)
    tigami kake:      (手紙を書けね)


                          那覇方言概説  121
 文例(イ)の一の訳文に,那覇方言の已然形に対して,国語の未然形を用いて
おいたのは,本文が那覇方言特有の表現法であるからで,これを直訳すると,
tegami kake ba zo naru,つまり,手紙を書けばすむんだがなあ,どうしても
書かないといけないそ,という意が含んでいる。najuru(>nairu)はnajug
(>najig>naig,成る,済むの意)の連体形で,複合助詞waduの中のduの
影響でその結びとして,終止形の代わりに用いられている。

6
 第七形kat∫uraは,国語には,これに該当する形がない。その用法は,次の
通りである。
 (イ) tigami ga kat∫ura    (手紙を書くのやら)
 (ロ) tigami kat∫ura:∫imug  (手紙を書くのならよい)
 (イ)におけるごとく,係助詞gaの結びとして用いられるのが,この形の特
徴でもあるので,「がノ結」形として,前表にも挙げておいたが,この外に,
(ロ)のような用法がある。
 (イ)の場合は,訳文に示した通り,国語動詞の終止形に「のやら」を添えた
意に近い。本文は,手紙を書いているのであるか,それとも何か外のことでも
しているのか,はっきり判らない,という意を含めた表現法である。
 (ロ)のkat∫ura:は,助詞waの融合した形で,これが,普通多く用いられ
る。
 この形は,下略形kat∫uに,起源不明のraが接尾しているかのようにも見
えるが,あるいは,連用形kat∫iに, wugの未然形wuraが結合して生じた
ものであるかも知れない。
 第八形の下略形は,Chamberlain氏がApocopated Formと命名したもので,
国語には,これに該当する形はない。この語尾の原形は,agの下略a形以外,
すべて,母音Uで終っているので,この尾母音のみに着目すると,国語の終止
形の語尾に似ている。
聾匿


 122  膏   …伍
 しかし,那覇方言の動詞終止形は,後にも述べてある通り,少数を除いて
は,jugで終っていて,このjugはjigを経てigに変じ,なお,その前に母
音iがある時には,さらにこれと合併してi:9に転ずる傾向があり,下略形の
語尾も,やはり長母音i:に転訛しているのを見ると,これは那覇方言の終止形
の尾音gの省略されたもので,語形の成り立ちは,国語の終止形とは,全く関
係のないことが解る。その用法は,
 (イ)nu:kat∫u ga     (何を書くのか)
 (ロ) tigami kat∫u kutu, matt∫olri
    (手紙を書くから,待って居れ)
 (ノ・) tigami du kat∫u∫i ga (手紙を書いてゐるんだよ)
 (二)tigami kat∫u sa    (手紙を書くよ)
におけるがごとく,助詞ga, kutu,∫i, saなどに続けて用いられることが多
い。
 また,最初の表の過去にtag形として掲げておいた諸活用形も,この下略
形に,時の助動詞とでも見做すべきtagの諸活用の接合したものである。ただ
し,このtagについては異説がある。(本章の第9項参照)
 次に,第九形の疑問形kat∫umi, kat∫uti:の語尾mi, ti:に関する,細かレ
語源上の分析と解釈から,しぽらく離れて,単に現在の語形のみに着目して,
これらを抽出した上で,miとti:を現在と過去の疑問を表わす接尾語として
取り扱えば,これと結合している語形は,全く下略形と同一である。
 これを換言すると,下略形には,疑問の接尾語mi, tilを接続して,現在と
過去の疑問形を作る用法があると見てもよいことになる。
 なお,疑問形については,別の解釈のあることなど,助詞の第6項で,疑問
の助詞に関連して,詳しく紹介しておいた。
7
第十形「テ形」は,連用形に助詞「て」の接合したものに対して,仮りに名


                          那覇方言概説  123
づけておいた。
「書きて」(kakite>kaite,書いて)に該当する那覇方言のkat∫iは,連用形
kat∫i(<kaki)と全く同形になっているが,これと混同してはいけない。 rテ
形」のkat∫iは,いわゆる音便形で,古形はkakiteに近いものであったと考
えられるが,kiの母音の影響で,次のtがt∫に変じ, kiにあたる部分が,同
化あるいは脱落などによって消失した結果,生じたものと見るべきものである。
(服部氏の前出の論文第2節12項と14項参照)
 従って,連用形kat∫iが,国語の連用形kakiを基にして,これから転訛し
ているのとは,音韻変遷の過程を全く異にしている。
 この「テ形」あ用法の主要なるものは,次のごとく,疑問の助詞jiを融合し
て,過去の疑問形を作ることである。
 (イ) tigame:kat∫i: (手紙は書いたか)
 (ロ) tigame:tutti: (手紙は取ったか)
 (ハ) tigame:judi: (手紙は読んだか)
 (ロ)(ハ)のtutti:, judi:(>juri})は, tujug(取る), jumug(読む)の「テ
形」で,国語の音便形「取って」「読んで」に該当するtutti, judiを基にして
作られたものである。
 (イ)のkat∫i:の一例のみによると,ややもすれば,連用形に疑問の助詞ji
が融合しているかのようにも考えられるが,(ロ)(ハ)の動詞の現在の連用形は
tuji(>tui), jumiであるし,これには助詞jiは,決して接続することがない
ので,その見方の正しくないことは,明らかである。
 那覇方言の「テ形」の中には,前出のtutti(<totte,取って)などのごとく,
特に国語の音便形に酷似しているものがある。
 また,この音便形は,那覇方言動詞活用一一覧表にも見えている通り,国語の
四段・上・下一段活用動詞に該当するものに現れ,上・下二段活用動詞に当るも
のにおいては,二三の特例(上二段多行の「満ちて」mit∫iteはmitt∫i,「朽ち
て」kut∫iteはkut∫i,下二段佐行の「任せて」makaseteはmakat∫i)を除




…、』. 一躙躍題■職

国類.へ
.厘




 …一「}一 二…へ


  1
叮「
伊}く
未然
kaka
形1連用
  l
   kat∫
  t
  !
   ku:5i
那 口
   形i
  讐
i
覇方
終 止
ikat∫ug
}
i㎞嬲
形:
動 詞活
連体形
kat∫uru
ku:5uru
用   覧表
已然形}命令形1
「て」の接合形
N吋軋
1カ



サ行
L___
タ 行
   1
ハ1清
   ;
行隅
   }
マ 行
L
ラ 行
1ラ行


漕 ぐ
返す



ku:ga
ke:sa
  i
   つ吻
   ふlko:ra
   .ぶ tuba
読む{juma
  l
kel∫i
lut∫i
lko:i
㌦ubi
}

 亅um1
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L__
5

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ke:SUD
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ko:jug
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jumug
   義
ke:suru
ut∫uru
ko:juru
l

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1
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1



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ヒ  
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J1;
」1:Jug

1




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ukil
ukijug
   コ

j1:juru

l
ukijuru
亅11rl
ukiri
Jllr1
」1:t1






  }
タ1清


1
寄す
交 ず
捨 つ
aglra
ju∫ira

ma51ra
∫itira
ag1:
ju∫i:

ma31:
  
ag1亅ug
  の  
ag1亅uru
aglr1

F
ju∫ijug
   
ma51亅ug
ju∫ijuru
ma31亅uru
l
ju∫iri
   コ 
ma31r1
ukiri
!
u:kiti
∫it1:
  ロコ
aglr1

aglt1
ju∫iri
ju∫iti
     
ma51r1
lma3iti


ナ 行
出 づ
∫itijug
∫itijuru
兼 ぬ
∫itiri
ノ、



マ 行
ヤ 行
考 ふ
り 
n31ra

   σ

n3】:
りコ ゆ
n31Jug

   ・・

n31juru
kanira
9
kagge:ra
調お
止 む
越 ゆ
∫irabira
Jamlra
kwi:ra
kani:
kagge:i
∫irabil
亅am1:
kanijug
kagge:jug
∫irabijug
 
亅am1Jug
kanijuru
kagge:juru
∫irabijuru
f
コ     ロ  コ
亅amljuru
kwil
kwi:jug
kwi:juru

n51r1
kaniri
kagge:ri
∫irabiri
          i
∫itiri      l∫ititi
          i
'n5iri     'n5iti
          i
kaniri
kagge:ri
kaniti
kagge:ti
∫irabiri
∫irabiti
Jamlr1
1
kwilri
コ              り
亅amlr1
1
 コ                
ρamlt1
1
kwi:ri
kwi:ti



8


』吋噺
'.`



 128  言   語
き,これが,用いられないことなども近似している。(音便形における,那覇方
言と国語との音韻の対応関係及び,音韻転訛の過去に関する説明については,服部氏の
前出の論文第2節14項参照)
 なお,この「テ形」は,過去・完了・過去完了の諸活用形を作る根幹とし
て,動詞ag, wugの諸活用形に接合していて,実は前出のkat∫il, tuttil, judi:
などのごとき疑問形も,この系列に属する活用形の一例に挙げるべきものであ
ることは,最初のkat∫ugの諸活用形の一覧表の過去のag形に示しておいた
通りであるが,これらの諸活用形に関しては,別に解説することにした。(本
章の第9項及び第10項参照)
8
 以上で,大体,kat∫ug(書く)の現在時の諸活用形の用法その他について
は,一通りの説明は済ませたの,で,今度は,那覇方言の動詞の活用と,国語に
おける活用の種類との比較を,試みてみたい。
 那覇方言の動詞は,その活用一覧にも見えている通り,ほとんど全部が一定
の型に従い,同様の語尾変化を行なっている。次に,各動詞の活用形におけ
る,共通の語尾のみを抽出してみる。
  未然 連用 終止  連体 已然  命令
  a  i ug uru i  i
 この例外に属するのは,わずかに,ag(有り)の終止形agと, t∫Ulg(来
る)の未然・命令両形のku:の語尾Ulだけに過ぎない。なお,連用形の尾母
音i:は,すべてi+jiの転訛し韋ものであるから,やはり,短母音iが本形で
あるとみてよかろう。
 さらに,已然・命令両形の語尾についてみると,少数を除きriが優勢で,こ
れらの動詞は,国語の四段活用良行の動詞に該当するもの,例えば,tujug(取
る)の,
1


                           那覇方言概説  129
   未然  連用  終止  連体  已然   命令
   tura     tul   tuJug   tu亅uru    turl     tun
と,大体,同様な活用形を有している。つまり,那覇方言の動詞は,この良行
に活用するものが多い。
 このtUjugの連用形・tuiは, tOri(取り)>tUri>tUji>tUiの変遷を経たも
のであるから,尾母音iはriが原形であった。
 また,已然・命令両形の尾母音iは,国語と那覇方言との音韻対応関係e>i
の規則に従えば,eが本来の形であった。
 次に,終止と連体両形は,連用形の過渡形tujiにwug(居り)の終止形と
連体形が接合して,・それぞれtUji-WUg>tUjUg, tUji-WUrU>tUjUrUの過程を経
て生じたものであることは,既に述べておいた通りである。

wugの語尾gの原形については,異説が二三行われているが,ここではri

の転訛であるという説(服部氏の論文3節22頁参照)に従うとすればtujugの各
活用形の語尾の古形は,
  未然   連用   終止   連体   已然'  命令
  ra    I'i(>ji>i)  ri (>9)    ru,    r爭 (>ri)  re (>ri)
  居ら   り    り    る    れ    れ
で,国語の良行変格活用と一致する。
 つまり,那覇方言の動詞の活用は,国語の良行変格活用の型が規則的で,こ
の様式に従い,ア・カ(ガ)・サ・タ・ナ・バ(ハはラ行に活用)・マ・ラの各
行に活用している。
 ただ,国語の加行変格の「来る」だけは,やはり不規則動詞である。また,
現今の全動詞の終止形の語尾ugと異なっているという点から見れば, ag(有
り)は,仲間のwug(居り)と離れて,前に述べた通り,那覇方言では一種
の不規則動詞として取り扱わねばならない。
 那覇方言で,良行に活用する動詞が優勢であることは,前記の通りである
が,国語の各段の波行清音(下二段では濁音も)の動詞は,すべて,良行に活


 130  {…'  董五
    口
       口口
用しているほか,上・下一二段の各動詞も,やはり,その仲間入りをしてい
る。
 これは,那覇方言の動詞が,国語の上・下二段の文語そのままの形に,該当
するものでなくて,すべて,上・下一段に活用する口語形,例えば,上二段の
加行の「起く」は上一段の「起きる」,下二段加行の「受く」は下二段の「受け
る」のごとき語形しかないので,その語尾の「る」(ru)が.良行であるのに,
由来するものである。
 ただし・上二段の確行濁音だけに限り・国語のバ行四段と同様の活用をして
いる。(「亡ぶ」のhuruba, hurubi, hurubug, huruburu,. hurubi, hurubi)

i那覇方言動詞活用一覧表掲載の各動詞一語一語についてもレもっと詳しく説

明すべきであるが,これは省略して,終止・連体両形の語尾について,今少し
書き添えておきたい。
 那覇方言の良行動詞の終止・連体両形の語尾の本形jug, juruは,その前に
母音iがある時は,ijug<ijig<i:g, iju加>ijiru>i:ruのごとく転訛する傾向が
ある。それで,一覧表にijug, ijuruと記載しておいた諸動詞の終止・連体両
形の語尾は,すべてi:g,i:ruと発音してもよいものである。
 なお,実際の会話などにおいて,ijugとi:gのそのいずれが余計に使われる
かは,人により,また動詞によって,多少の相違があって,その混用期の観を
呈しているが,いずれかといえば,大勢はilgの方に向いつつあると見てもよ
かろう。
9
 那覇方言の動詞の過去・完了曾・過去完了に関しては,ただちに文例を挙げて
解説するよりも,一応,これらの語形を分析してその成り立ちを示しておいた
方が,便宜が多いので,まず最初に諸活用形を作る上で,基本的な役割を演ず
るag, wugの過去形について述べてみたい。これらに対しては,次のごとぐ,
二通りに解釈することができる。


                          那覇方言概説  131
黜襁糊画溜〉一血9
 甲型におけるagは,本来動詞であるが,動詞ag自身に接続して,過去形
に変ずる作用を持っているので,時の助動詞の一種と見做してもよかろう。こ
れは,国語において,良行変格に活用する現在完了の助動詞「り」に,次の乙型
におけるtagは,:また「たり」に,それぞれ語形も用法も共に近似している。
 那覇方言動詞の終止形現在が,すべて連用形にwugの接合したものである
ことについては,既に述べておいたが,これを仮りに丙型と名づけておく。そ
の一例として,jumug(読む)を分解してみると,次の通りである。
  丙型 (連用形)jumi+wug=jumug(終止形現在)……読む
 以上,甲型(テ形に接続)・乙型(下略形に接続)・丙型(連用形に接続)三
つの型を,念頭において,那覇方言動詞活用の過去のag形とtag形に適用し
て見ると,次の通りである。ここでは,連用形と「テ形」とが同形の「書く」
(kat∫ug)を避けて,以下jumug(読む)の例を示すことにした。
  甲型  (テ 形)judi+ag=judag(過去形)……読んだ
寓耋躑:謡臨〉一鯛(塰黝・懇ξた

tag形のjumutagには,乙と丙両型を適用し得る。二つのうち,丙型が語

源上,正しいかも知れないが,ここでに∫しばらく音韻上の説明の割合平易
な,乙型の解釈に従っておく。
 次に完了形は,下記の通りである。
  丙型 (連用形過去)judei+ag=jude:9(完了形)…∵・読んである
                           読んでゐる
  丙型  (連用形過去)judei+wug=jndo:9(完了形)・・
                           読んでをる
 連用形過去のjudei(<judai)は,語源上「テ形」judiにagの連用形現在
aiの接合したものであるから,これらをさらに細かく,それぞれjudi+ai+
ag, judi+ai+wugの三つに分析すると,両方共に甲型に入れることもできる。



 132  '雪   ま五
    ロ
       ロロ
な:お,jude:9を,連用形現在のjudi+agと解すると,音韻上ag形のjudag
と同形になるので,これは連用形過去judeiとagとの結合したものと考える
べきである。
 ここで,e:g形におけるagを,完了の助動詞と見るならばo:D形を作り出
すのに用いられているwugも,やはり,助動詞に準ずるものとして取り扱っ
てよかろう。
 ただし,この場合はagもwugも,音韻転訛が著しいためにその原形を見
つけ出すのは困難であるから,完了のe:g形とOlg形の簡易な作り方につい
ては,次の過去完了形と共に,別の手法を提案しておいた。
 最後に,過去完了に対しては,
甲型 (テ
乙型 (下略形完了)
丙型 (連用形完了)
jude:ti+ag jude:tag・一・読んであった
形)

judo二ti十ag
jude:+tag
judo:+tag
jude:i十atag
judo:i十wutag

  盆
  去
  完
  こ
judo:tag……読んでをった
の三通りの解釈のうち,乙型が音韻上からは,説明が簡単である。
 なお,丙型における連用形完了のjude:i, judOliは,連用形過去の一種の転
形とも見られるので,これをさらに分析すれば,完了形におけると同様,judi

  1. ai+ati+ag(またはjudi+ai+a+tag), judi+ai+wuti+ag(またはjudi+
    al+wu+tag)となり,「テ形」にag, wugの三重に接合したもので,従って,
    甲型に属せしめてもよい。
    10.
     以上に述べた過去・完了・過去完了の動詞の諸活用形における,共通の語尾
    を抽出して表示すると,次の通りである。

隔べ÷]∵一
「第二形…未一然1「ara tara 

e:9
e:ra
那覇方言概説  133
 了{過 去 完 了
。ガ鴨面∵鋤
   1
                       0:ra
l第二形連用i:ai itei eli ・・i
笙r私終北⊥聖一圭tag,∵・玖
第四形連体;iaru taru e:ru
第諺』己'烈arrr taヨ``邑'一謡
               
第六形ゆ釧× i× ×
第七形iがノ結1.ara ltara e・ra
     
第八形i下 略  a    ta    el
  __._L
e:tara
Oltara
e、tei l。、tei
・:g le:tag i・ltag
O:rU     e:tarU    O:taru
0:ri       e:tari
O二ri    ×
}0:tari
;一一一

0:ra      e:tara     O:tara
。:  e、ta ;。:ta
        }
.勉型疑問il
ti:
e:mi
Olmi
e二til
t
O
第十形1て 形1×
   l         lr
t
elti
Olti
×
×
 表に掲出したagとtagの二つが,国語の時の助動詞「り」「たり」に酷似
していることは,既述の通りであるが,これに準じて,完了と過去完了の語尾
e:g,Olgとe:tag, o:tagをも一種の助動詞と見てもよかろう。
 なお,那覇方言には,国語の未来の助動詞「う」「よう」に該当するものが
ないことは,未然形の所(116頁)に述べておいた。

ag形の作り方は,動詞ag, wugを除いては,すべて「テ形」に接続するの

で甲型,tag形は,このtagを単独の助動詞と見る立場からすれぽ,すべて下
略形に接続するので,これは乙型に属している。ただし,これをwutagの転
訛とすれぽ丙型となる。
 完了・過去完了の語尾が,agまたはwugの二重・三重に接合したものであ
ることは・既に説明しておいたが,一般動詞のag形におけると同じく,やは
り「テ型」に接続するものと見ることができるので,甲型に入れてよかろう。
これが完了・過去完了形の最も平易な作り方でもある。
 ここで特に「テ形」を選んだのは,那覇方言の「テ形」は,一般動詞の過去


 134  言   語
形を作り出す,基本形となっているし,また,大方国語の「テ形」と語形も近
似しているので,初めて那覇方言を学ぶ者にも,この形はすぐに見つけやすい
便利があるからでもある。
 それで,完了と過去完了の作り方も,本書においては,語源上の細かい分析
による解釈からは,しぽらく離れて,「テ形」に接続する甲型と見ることにし
た。
 なお,那覇方言の動詞の過去・完了・過去完了諸形は,乙型に属するtag形
が,下略形に接続する場合を除き,甲型の「テ形」接続にしろ,特に丙型の連
用形接続などにおいては,時の準助動詞ag, wugとの音韻の融合・同化の度
合が著しく,agとtagは別としても, e:g以下を強いて時の助動詞として抽
出するよりも,これらを単に一種の複語尾として取り扱うのが,無難であるか
も知れない。
 那覇方言におけるagは,動詞の「テ形」に接合して,過去形を作る以外に,
形容詞の語尾として,名詞形に接合しているし,また,tag形やOlg形とo:tag
形を作る場合の一説に述べておいたwugも,動詞の終止形や連体形を作るの
に用いられたりしているので,このagまたはwugが,二重・三重に結合し
て生じたelg, o:g, e:tag, o:tagなども, agやwugと共に特殊な造語能力を
有する複語尾と見るのも,根拠のある有力な解説ではあるが,本書では,国語
の助動詞との比較や,造語法の便宜の上から見て,前表のag以下を国語にお
ける時の助動詞に準ずるものとして掲げておいたことを,特に断っておく。
11.
 次に,過去・完了・過去完了の動詞の用例を挙げて,それらに多少の説明を
加えることにする。未然形以下の諸活用形をも,一々掲げるべきであるが,こ
こでは,特に終止形のみに止めておく。
 文例の(イ)は,過去のag形,(ロ)は過去と完了のtag形,(ハ)(二)は完
了のe:g形とo:g形,(ホ)(へ)は過去完了のeltag形とOltag形である。


                          那覇方言概説  135
 (イ) julbi tigame:judag (昨夜手紙は読ん起)
 (ロ)warabi nu nat∫utag (子供が泣いてゐた)

atagとwutagは,その成り立ち(ati+agまたはa+tag, wuti+agまたは

wu+tag)が, ag形とtag形の両様に解釈されることは,前述の通りで,そ
の用法もまたt∫inu:made:kume:ataΩ(昨日までは米は有った)や, ju:be:ja=
gkaji wutag(昨夜は家に居っ彑)は, ag形のごとく単純過去, nama sat∫i
madel atag,またはwutag(たった今先までは有っ些,または居左)の場合は,
tag形に似て,現在の完了を表わすものと見るべきであろう。
 (ハ) tigame:kisa kat∫el9 (手紙はさっき書いてある)
 (二)warabi nu nigto:9  (子供が寝てゐる)
    ami nu futo:g    (雨が降って亙る)
 (ハ)は現在の完了態,(二)は現在の存在態と進行態を表わしている。なお,
elgとo:gは,次のごとく,未然の完了態などにも用いられている。 ja:g nu
nat∫i ne:ja:g tatitelg te:(来年の夏には家も建ててあらうよ)。最後のte:は
多少感嘆の意を含む助詞の一種である。at∫a nu nama guro:u:saka t∫it∫o:9
(明日の今頃は大阪に着いてゐよう)。
 (ホ)kume:ku5u ko:te:tag (米は昨年買ってあった)
 (へ)funi kara:urito:tag  (船からは下りてをった)
12.
那覇方言の自動詞と他動詞の対応関係は,次の通り,大体国語に近似してい
る。
     国    語
ε:濫畷罕一護:く二
が自)立つ(四 段)ta/tSU
)(他)立てる(下 一 段) \teru
那覇方言
 /ajug (>agaig)
ag\ijug(>agi:9)
/t∫ug
ta
\tijug(>tati:9)


 136  言   語
鶏蝋;繼:㎞<:1㎞ぐ1(<ke:ig)
 ((自)沸 く(力行四段)  /ku   /t∫ug
                kasu wa\kasug
こ(他)沸かす(サ行四段)wa\
ε:騰綴;纖:㎞<1:》〈rijug(rasug〉㎞Lg)
 ((自)燃える(ヤ行下一段) /jeru  /jug(>me:ig)
○(他)燃やす(サ行四段)mo\jasu mα\sug
 しかし,次のごとく,那覇方言独特の一対のものが見受けられる。
3:膿二蹄離:㎏〈:二ka<麟〉㎞ig)
 那覇方言のkarasugは,(ホ)の「枯らす」(karasu)の構造に似ている。
ε:1灘:;嬲㎡ぐu鬻〉(>m:9)
 那覇方言では,母音の長短で,自・他を区別しているが,次のごとく,連用
・終止・連体においては,同一・になっている。
 (自)  nilra, ni:, ni:jug (>ni:9), ni:juru (>ni:ru), ni:ri, ni:ri
 (f也) nira, ni:, nijug(>ni:9), nijuru (ni:ru), niri, niri
 この「煮る」には,国語では,(へ)の対応と同じく「煮える」(自・也行下
・一段)と「煮やす」(他・佐行四段)があるが,これに該当する語形は,那覇
方言にはない。
第9章 助  動  詞
1
那覇方言の助動詞は,二三を除いては,国語と著しく異なっているし,ま


                           那覇方言概説  137
た,その種類も少ない。次に表示したものが,主要なるものである。
 なお,時の助動詞はこれらのものとかなり趣きを異にしている。それで,別
に,動詞の第10項(132-134頁)に述べておいたので,表には掲げないことにし
た。
酬本磁塑
:妾身にll9
 一.」
可能
使役
 
}
ril9
 レ 
!U・sug
l;
i!sug
{∫imi:9
1定語1避
「敬il(j)abi:9
   1mlse:9
譲lm蜘
    
'打斟P _
                 
i推量ll gisag
i l、
}鑑i謁一
1指膳樋二二
l   l

敬ll jaibilg

l             冒一
未  然
ra
ra
U:sa
sa
∫imira
91sara
busara
gutOlra
jara
jaibira
Jamlsel'
ra
亅amlsel-
bira
(j)abira
mlse=ra=
miselbira
連用終止{連体1已蜘令
ri:
 
lri・9
ri=
ri:9
■-冒

層`、.-
U一〜
lUlsug

lsug
∫imi:1∫imi、9
一 一一一 一市一一冨一〜一
(5i)  19
 .    } .
91sa:   !91sag
busal
gutα
jai
jaibil
ri:ru
ri:ru
U:suru
suru
∫imi:ru
riri
riri
riri
U:si
1
1
∫i
1∫i
∫imiri
}∫imiri
9
91saru
1(ni)
gisari
lbusag busaru busari
19αt・:9gut・:ru gut・lri t
jag       jarU      Jar1
Ijaibil9
. .  i. .
    卩amlse:9
Jamlsel
鵡mlse卜鵬1se卜
     
(j)abi:  i(j)abi=9
mise:
mise:9
mise:bi■mise:bilg
    I
jaibi:ru
jamlsel-
ru
亅amlsel・
bilru
(j)abi:ru
mlse:ru
jaibiri
Jamlsel-
ri
亅amlsel。
biri
(j)abiri l(j)abiri
miselri
mise・bi・rul misebiri
misO:ri
{mise・biri;
 前表の各助動詞の活用は,打消しの9が特殊で,推量のgisag,希望のbus-
ag,比況のguto:Dは形容詞的で,他はすべて動詞的である。
 次に,他の品詞との連続について,これらを分類してみると,(イ)受身の
ri:g,可能のrilg,使役のsug,∫imi:g,打消しのgは,用言の未然形に,(ロ)可
o


 138  言   語
能のu:sug,推量のgisag,希望のbusag,敬譲の(j)abi:9, mise:9, miselbi:9
は,用言の連用形に,(ハ)比況のguto:gは用言の連体形及び助詞nuに,(二)
指定の助動詞は,用言の終止形及び体言に接続する。
2
 受身と可能のrilg(<rijig<rijug)は,語尾jugの諸動詞,例えば「取る」
に対してtujugとtuig(<tujig)が用いられているように,やはり,原形の
rljugを,そのまま使うこともある。むしろ,この形が丁寧な言葉遣いといっ
てもよかろう。
 国語の加行変格の「来る」は,那:覇方言でも,他の動詞と異なり,ku, t∫i:,
t∫u:9,t∫u:ru, kuri(助詞waとの融合形はkure:), kulと不規則な活用をす
るので,この語に限り,可能の場合は例えば,ku-rari:9(語形は,国語の「来
られる」ko-r鼻reruに該当するが,意義は「来れる」ko-reruと同じ)のごと
く,rari:9(<rarijig<rarijug)という助動詞が使われている。
 このrari:gと前記のri:gが,それぞれ国語の受身・可能の助動詞「られる」
(rareru)及び「れる」(reru)と同一語源に属する語であることは,語形のみ
ならず用法の一致している点から見ても明らかである。
 可能のU:sugは,「果す」・「遂く・」・「終ふ」などの意に用いられる国語の他
動詞「おほす」と語源上は同一の語で,那覇方言では,これを助動詞に転用し
ている。
 使役のsug,∫imilg(<∫imijig<∫imijug)は,語形・用法共に,国語の「す」
(su),「しむ」(∫imu)と一致している。
 打消しのgは,国語の「ず」の用法と似ているが,その連用形5i(<z山く
zu,国語の「ず」に該当するもの)は, umal5i-hural3{(「思はず知らず」とで
も訳すべき一種の畳語)やtara3i so:g(直訳「足らずしをる」tarazu∫i-woru,
意訳「足らぬ」)などのごとき,二三の慣用の語句において,わずかにその用
例が認められるのみで,一般にはほとんど使われなくなっている。


                          那覇方言概説  139
 その已然形は,助詞waとの融合形ne(<ni+wa)を用い,原形のniを,
そのまま使うことはめったにない。
 このne:も,実際には,次の文例におけるがごとく, g-ne:と発音されるこ
とが多い。
  tarag-ne:t∫a:su ga  (足らねぽどうするか)
 推量のgisagは,「嬉しげに」,「楽しげな」などにおける接尾語「げ」(ge)
や,昔噺の語法などに見受けられる「あったげな:」などの「げな」 (gena)と
一脈相通ずる意がある。このgisagは
  ari ga it∫i-9isag  (彼が行くらしい)
の訳文に示してあるように,語の形は全く違うが,意味は国語の推量の助動詞
「らしい」や「やうだ」に似ている。
 推量を表わす場合には,gisagを用いる他に,連体形に『はず」(hazu,筈)
と同根のha5iを添えて,
  ari ga it∫uru ha5i  (彼が行くだらう)
のごとき表現法を採用することが多い。
 希望のbusagは,「欲し」(ho∫i)と同根の語であるが,いわゆる連濁の結
果,語頭hがbに転訛したもので,原形の形容詞はhu:sag(終止形)という。
語形と語義は,国語の願望の助動詞「まほし」(maho∫i)によく似ている。
 しかし,「まほし」は未然形に,このbusagは連用形に接続するので,用法
の点では,語形が全く違うけれども,やはり連用形に接続する「たし」に近
い。
 比況のgutOlgは,語形・用法共に,九州及び四国方言の「花の二とある」,
「花のこたる」などにおける「ごと」(goto),特に「ごたる」(gotaru)に酷似
している。これは那覇方言では,
  hana nu guto:g  (花のやうだ)
という。
 前出の「ごたる」(gotaru)は,文語の「如し」(goto∫i)の語幹「ごと」に

{


 140  言   語
「ある」の結合したgoto-aruの転じたものであろうという説があるが,那覇方
言のguto:9は語幹に厂ある」の代わりに「居り」(wori)に該当するwugの
結合したgoto-wug(>gutu-wug)の変じたものであるらしい。
3
 指定と敬譲の助動詞は,那覇方言では関連が深い。
 指定のjag, jaibi:9, jamise:9, jamiselbi:9は,語形を離れて,意義・用法を
比較対照すると,それぞれ,国語の「だ」,「です」,「であります」,「でござい
ます」に似ている。
 指定のjagは,関西地方の「そや,そや」の厂や」(de aru>dja>塾の変遷
を経たものという説がある)や,親愛の意を表わす「見やる」(見あるの転訛
という説がある)の「やる」(jaru)などと関係のある語かも知れない。

jaibil9曁は,またjajabi:9ともいうりで,これは,指定のjagの下略形jaと,

敬譲のjabil9の接合形の,さらに転訛して生じたものと考えられぬこともな
いが,jagの連用形jaiにjabil9が接合する際に, jal-jabi:9>ja-jabil9>jaji-bil9

jaibilgの変遷を経てきたものであると解釈した方がよかろう。

jamise:9とjamiselbi:9は,やはりjagの連用形に,それぞれ敬譲のmisel9

とmiselbil9の接合したものであろう。
 この外に,次のような慣用句に使用される特殊な助動詞がある。
 (イ)magi:delg na:  (大きいですね)
 (ロ)nifel delbiru   (有難うございます)
 文例(イ)のdel9(>re:9)は,国語の助詞「で」(de)の原形に,「あり」(有
り)の那覇方言ag(終止形)の接合したde・ag(「である」に該当する)の転
訛したものであるかも知れない。これは終止形あみしか見当らない。
 (ロ)のdelbiru(>re:biru)は,前の解釈を適用すると,やはり「で」(de)に,
jaibi:9の連用形jaibiruの接合したde-jaibiruの変形と考えてもよいが,この
方は,de:9が, deに終止形が接合しているのと異なり,連体形が来ているこ



                          那覇方言概説  141
とから推すと,那覇方言の助詞で,連体形の結びを要求するdu+jaibiruの転
形と見るぺきであるかも知れない。
 このde:biruは,古くは, dajabiruともいっていたらしい。これらは連体形
以外は,ほとんど用いられなくなっている。
 な:お,nife:はmife:(<mi-fai,御拝)の転訛したものであるという説に従
ってよかろう。
4
 敬譲のjabi:9第一音節jaは,次に示してある通り,先行の用言の連用形の
尾母音iと融合して,母音aに変ずる傾向がある。
 (イ)wa:ga jumabilD  (私が読みます)
 (ロ)ari ga it∫abi:9   (彼が参ります)
 それで,文例中のjumabi:9, it∫abi:9は,それぞれjumug(読む)の連用形
jumi+jabi:9, it∫ug(行く)の連用形it∫i+jabil9の転訛したものと認めてよか
ろう。
 (イ)のjumabi;9の例のみによると,一見,,語頭のjumaが,未然形juma
と全く同形であるために,これに単にbi:9の結合したものらしく考えられる
ことや,なお,jabil9が,原形のままに用いられることのめったにない点など
から推して,敬譲の第一の助動詞は,bi:9の形で一向差し支えないかのように
思うかも知れないが,その見方では,文例(ロ)のit∫abi:9は解釈できない。
というのは,「行く」の活用は,那覇方言では,ika, it∫i, it∫ug, it∫uru, it∫uri
(助詞waとの融合形it∫ure:), iki(助詞waとの融合形. ike:)となっていて,
その未然形はikaといい,決してit∫aと発音されることがないからである。
 第三のmise:bil9は,前の解釈を適用すると,第二のjabi:9の連用形mise:
(<misei)に第一一のjabi:9を接続した複合形である。

misel9の命令形は,理論上はmise:riとなるのが規則的であるが,普通

miSO:ri(助詞との融合形miSO:rel)を代用していう。これはmiSOIra(未然形)・


 142  言   語
miso:ri(已然形及び命令形,助詞waとの融合形misolrel)の活用形を有する
特殊な助動詞で,連用形,終止形,連体形を欠いている。このmiso:riは,那
覇地方の物売りの呼び声や,一般の会話で,しばしば耳にする。
 (イ)∫i∫ikoli-miso:ri  (肉をお買ひ下さい)
 (ロ)kurUma nUi-miSO:ri (車にお乗り下さい)
 (イ)の∫i∫iは「鹿のしし」「猪のしし」などの「しし」(宍)で,肉のこと
を指し,一一般には豚肉にいう。koliはkozjug(>ko=jig>ko:ig,買ふ)の, nui
はnujug(>nujig>nuig,乗る)の連用形である。

miso:riと助詞waとの融合形miso:re:の第二音節以下のso:re:は,「候へ」,

(so:rae)の音に,よく似ているために,那覇方言では「候言葉」が盛んに使用
されているかのごとく,思い込んでいる人を見受けることが多い。
 しかし,これはmisO:re:の語頭のmiを,聞き落しているというよりも,
勝手に無視した上での解釈で,音韻の対応関係を考慮に入れて比較したなら
ば,純粋の命令形miso:riは, me∫i+woreの転訛とでも見るべきもので,む
しろ,国語の「召され」(mesare<me∫i+are)に近い。それで, ko:i-miso:re=
を直訳するとkai-mesare jo(買い召されよ)とでも解すべきで, kai-so:rae(買
ひ候へ)のごときは,遙かに原形に遠い。
 また,wag ko:jabira(<ko:i・jabira,私買ひませう)などにおける, jabi:9の
未然形jabiraは,「侍ら」(habera)の音に似ているので,「侍り言葉」が那
覇方言に行われているかのごとく,考えられていたものであるが,jabiraと
haberaとを比較した場合,第二音節以下のbe>bi, ra=raはよいとしても国
語のhaが,那覇方言でjaとなるという対応関係は見当らないので,両者を
ただちに同根の語と解するのは早計で,もっと,考究してみる余地が十分ある
と思う。


那覇方言概説  143
第10章形容詞
1
 那覇方言の形容詞の活用は,次に掲げてあるtu:sag(遠し)の活用表に見え
ている通り,国語と著しく異なっている。
            tu:sag(遠し)の活用表
潺遁聖『未然陣刷終止陣倒巳然・仮定
現  在
過  去
tu:sara
tu:satara
tu:sai
tu:satei
tu:sag
tu:satag
tu:saru
tu:sataru
tu:sar1
tu:satari
2
 終止形現在のtUlsagは,動詞の場合から類推すると,「遠し+あり」(to:∫i

  1. ari),すなわちtUl∫i+agの転訛したものと,考えられがちであるが,これ
    は名詞形tUlsaに, agの結合して生じたものである。つまり,形容詞現在の
    各活用形は,すべて名詞形に,動詞agの各活用形の結合したものと見てよか
    ろう。それで,この活用形を,国語のク活・シク活に対して,仮りにrag活」
    と命名しておく。
     終止形過去のtu:satagは,現在のtu:sagの場合と異なり,これは名詞形tu;sa
    に助詞のti(<te,国語の助詞「て」に該当するもの)の結合したtu:satiに
    agの接合したもので,つまり,形容詞の過去の各活用形は,このtu:sati,すな
    わち「テ形」(動詞の第7項参照)に,agの各活用形の結合したものと見るべき
    である。
     しかし,tagを時の助動詞とすれば, tu:saをtUlsagの下略形と見なして,

 144  言   語
これにtagの各活用形の接続したものと考えてもよい。
 この「テ形」のtu:satiに,助詞g(<mo,国語の助詞「も」に該当するも
の)の接合したtulsatigは,国語の「遠くても」(to:一ku temo)の意に用いら
れる。
 この場合も,tigを国語のtemoの転訛したものと見れば,名詞形(または
下略形)に,これが接合していると考えてもよかろう。
 已然形として挙げたtulsari, tu:satariは,語尾に助詞waが融合して, tu:。
sare:, tulsatarelとなる場合が多い。
 未然形に,助詞waがi接合する時は,已然形の語尾riが, relになるのと
異なり,その融合形はtu:sara:, tu:satara:のごとく,尾母音aが長音化するだ
けである。
 連用形は,未然形と同様,中止形に用いられるのみならず,次のごとく,推
量の助動詞gisagと共に使うことが多い。
  tu:sai gisag   (遠いさうだ)
  tu:satei gisag  (遠かったさうだ)
3
 下略形現在のtu:Sa(終止形tulSagの尾音9の省略形)には,過去形tu:Sata
があるので,これと同形の名詞形tu:saと混向してはならない。その用法は動
詞の下略形と同じく,例えば,次のごとく,助詞kutuの前などによく使われ
る。
  tu:sa kutu ikag    (遠いから行かぬ)
  tulsata kutu ikagtag  (遠かったから行かなかった)
 また,助詞∫iの前に用いられることもある。
  tu:sa∫i ga it∫umi   (遠いが行くか)
 このtulsa∫iを, Chamberlain氏はt亘sasiと綴り,この形に対してVer-
bal Noun(動詞状名詞)と命名してあるが,これは下略形に助詞の接合した


                           那覇方言概説  145
ものと解すべきである。(助詞の第7項参照)
 現在のいわゆる疑問形tulsamiに対する過去形はtu:sati二が用いられてい
る。これに対しては,それぞれtu:Sam(tu:Sagの古形),「テ形」tU:Satiに疑
問を表わす助詞jiの,融合して生じた形であるという解釈もあるが(助詞の第6
項及び動詞の第6項),t∫it∫asa垂(近いか);t∫it∫asa趣(近かったか);takasa垂
(高いか),takasatil(高かったか), fikusa血(低いか), fikusa塗(低かったか)
その他すべての形容詞におけるがごとく,これを語形のみから抽象して考える
ならば,那覇方言の形容詞の疑問形は,名詞形(または下略形)に現在形はmi
を,過去形はti:を接尾して造られると見てもよかろう。
4
 次に,名詞形は助詞nuを接合して,例えば,次のように,理由や原因など
を表わすのに,用いることがある。
  tu:sa nu mi:rag    (遠≦一二⊆見えない)
  at∫isa nu numarag   (熱くて飲めない)

Chamberlain氏はtulsa nu, at∫isa nuをt亘sanu, atsisanuと綴り,これを

Causal Form(理由形)と名づけ,なお,「琉球語のnは,屡々日本語のmに
相当するので」,この語尾nuは,古い和歌に見えている「都を遠み」,「風寒み」,
f光冴やけみ」などにおけるto:聖玉samu匹sajake唖.などの語尾miと関係
の深いものであろうと推定している。(前出書118頁)
 那覇方言において,名詞形に助詞nuを接合したsanu形は,国語における
形容詞の副詞語に,助詞「て」(te)を接合したkute形の用法と,意義上は
一致するので,この場合の那覇方言の名詞形は,国語の副詞形に似ている。
 那覇方言における形容詞の名詞形の副詞的用法は,次のごとく,またagの
敬語jabil9(>jibi:9)の前においても見受けられる。
  tu:sa jabi:g    (遠互ございます)
  t∫ikasa jabi:9   (近うございます)


 146  言   語
  at∫isa jabi:9    (暑互ございます)
 この場合には,国語の形容詞のいわゆる「ウ音便」の連用形の用法に酷似し
ている。
5
 最初の表に掲げた活用形の他に,次のごとく,国語のク活,シク活に該当す
るものが,やはり用いられている。
  tUlku nato:9   (遠くなってゐる)
  tUlkome:rag   (遠くはない)
  mi5ira∫ikoz nel9  (珍らしくはない)
 那覇方言の形容詞は,ク活が優勢で,シク活もク活に活用される場合が多
い。例えば,「ひもじい」(腹の減ること)の意のjalsaや「驚うしい」の意の
uturusagなど,古風の人はja:∫iku, jal∫ikαやuturu∫iku, uturu∫iko:などと
いうのが普通であるが,若い者の間ではja:ku, ja:ko:やuturuku, uturuko:な
どのごとく用いているのを見受ける。
 ク活・シク活の語尾ko:は, kuに助詞waの融合されて生じたものであ
る。(助詞の第2項参照)
 なお,古くはク活の語尾はsag,シク活の語尾は∫agと発音して区別して、・
たらしいが,那覇方言では,現在は一様に,形容詞の語尾はsagというのが普
通である。
 那覇方言の形容詞のク活・シク活は,未然と連用の形のみで,国語の終止形
以下に対しては,rag活」の諸活用形を,代用している。
 要するに,那覇方言においては,形容詞の活用は,名詞形にag'の諸活用形
を接合したrag活」が優勢である。
 この「ag活」は,動詞「あり」に接合して造る点だけは,国語の形容動詞
「クアリ活」「ニアリ活」「トアリ活」に酷似しているので,これにならって,
また「サアリ活」と呼んでもよかろう。「サ」は名詞形の語尾saを,「アリ」


はagを指したものである。
那覇方言概説  147
6
P
 ある一部の形容詞に限って,次のごとく,語幹に語源不明の接語尾tα9を
添えて,副詞形の代わりに用いられることがある。
 (イ) o:tte:g nato=g      (青くなってゐる)
 (ロ)gatte:g-gwa:mut∫agi:g  (いと軽々と持ち上げる)
 (ハ) ku:teg-gwa:jatig∫imug (たった少しだけでもよい)
 (二) matte:g so:g      (まん丸い)
 各語の終止形は'o:sag(青い), gassag(<garusag,軽い), ku:sag(小さい),
marusag(丸い)である。
 それらの名詞形は,o:sa, gassa, ku:sa, marusaであるが,これらに該当す
る純粋の名詞としては,olrul, garul, gumal, maru:などが用いられている。前
出の文例は,副詞形(連用形)を使うと,次のごとく言い換えられる。
 (ホ) Olku(またはo:rUlku)nato:g
 (へ) garUlkU・gWal mUt∫agi:9
 (ト) ku:ku(またはguma:ku)jatig∫imug
 (チ) maru:ku nato19
 なお,一二の語について多少の説明を加えると,「軽い」の意には,gassag
の外に,kassag(<karusag)という語があるが,後者は主として,病気や負担
などの軽いことを表わすときのみに用い,前者は物品などの軽いのを示し,い
わゆる清濁によって,両者を明瞭に使い分けている。音の清濁によって意義の
分化しているのは,動詞にもあって,例えば,清音のkeljugは単に「帰る」
を意味し,濁音のgeljugは「還俗」という特殊な場合を指す。
 なお,「軽い」のgassagに対する「重い」は普通'nbusagというが,人間
の体重を示すときには,この語を嫌い,∫it∫usagという特別な語を使う。人間
の場合は,屍体の重さを指す場合にのみ,'nbusagは用いられているので,こ


 148  言   語
れは卑語というよりも一種の忌み言葉でもあった。
 文例(ロ)のgatte:9-gWalなどにおけるgWalは指小または愛称の接尾語(本
書の76頁参照)で,これは副詞形にも添えて用いられているのは,garulku・gwa:
に示した通りである。
 文例(二)のmatte:gは,国語の「全き」(mattaki),「全く」(mattaku)など
の語に,語形の上からは幾らか似ているが,これらとの関係は不明である。

te:gを語尾とする語は,次のごとく,いわゆる孤立形や接合形をとることが

ある。
  mattelnOl∫el wUrag   (丸くはない)
  ku:te:nug ne:rag    (少しもない)

ku:te:9に対する厂大きい」を示す対語に, datel9(>rate:9)という語があ

るが,その語源は不明である。
付説 那覇方言研究資料と文献
6
 那覇方言に関する文献としては,特に那覇と銘うってはないが,その内容が那覇
方言を取り扱ったものであると判断されるものが二三ある。
 那覇方言の研究者として最初に挙げるべき人は,ベッテルハイム師(B.J. Bettellheim)であろう。べ師(漢名伯徳令)はハンガリー生まれのユダヤ人であるが,
英国に帰化した宣教師で,西暦1846年,英国の海軍伝道会から琉球に派遣されて,
ここを立ち去った1854年に至るあしかけ9年間,那覇に滞在して那覇語を学び「その
民に了解せらるる言語」をもって布教に従事したといわれ,その渡琉翌年香港やウ
ィーンで刊行された琉球訳㊧福音書は欧州に伝えられた琉球語の最初の見本として
特に名高い。しかし,これは所々に日本の文語が加味されているばかりではなく,
例えば「イエス答へて曰く」を「エスクテーティーブソニ」としてあるように,琉
球における四書五経の講釈口調なども取り入れてあつて,純粋の那覇方言ではな
い。この聖書訳から推すと,日琉比較文典どもいうべきその自筆稿本の内容も,大
体は想豫し得られる。その扉にElements/or/Contributing/tQwards/a/Loochooan
&/Japanese Grammar/Loochoo, Napa, September,1849とあるのをみると,こ
れは那覇に渡来して3年後に,脱稿したものであることがわかる。この文典は縦28、5


                           那覇方言概説  149
cm,横22cmの洋紙52葉から成る一冊本で,現在大英博物館の東洋研究室に所蔵さ
れているので,当分日本人はこれに目を通す機会は無いわけであるが,'幸いに大東
亜戦争勃発以前に,土井忠生博士がこれを閲覧して,その内容の大略を,雑誌『方
言』(第4巻第10号)の琉球語特輯号に紹介してある。
 それによって判断すると,Chamberlain氏の琉球文典の首里語の研究に比べて遙
かに劣り,歴史的文献であるという以外に,学問上の価値を認める必要はないとい
ってもよかろう。
 べ師より2年前に渡琉して,13ヵ月那覇に滞在した仏国宣教師フォカード(For・
cade)も,その「琉球日記」(Le Journal de mgr. Forcade)の中に,琉球語研
究の苦心談や,1万語以上の語彙を採集したと書いてあるが,この稿本も出版はさ
れなかった。その語彙は,やはり那覇方言であるらしい。

Chamberlain氏の『琉球文典及び語彙』は,首里語に関する著作であるが,那覇方

言の語法は,ほとんど首里語と同一であるので,これはまた那覇方言の文法書とい
っても差支えない。この本が出版されてから,約半世紀もたっているが,これが今
でもなお,首里語の唯一一の文典であるばかりでなく,これ程纒ったものは,奄美方
言をも含む琉球地方の諸方言のいずれに対しても未だ刊行されてはいない。もちろ
ん,宮良当壮氏の『八重山語彙』が,その欠陥を幾分埋合せてくれているとはいう
ものの,これは音韻の方が最も詳しく,語法は動詞の活用にも説き及んではいる
が,その他は割合簡単にしか取り扱ってないので,やはり書名の通り単語集で,文
典の名には値しない。
 それで,琉球語の諸方言の中の文法の典型を知りたい人は,一応Chamberlain
氏の文典を繙く必要がある。今でもそれだけの価値は十分ある古典である。

Chamberlain氏の文典と同時に,明治28年に刊行された仲本政世氏の『沖縄語典』

は,沖縄を冠してあるが,内容は那覇方言集といってよい。菊判本文279頁のうち,
名詞が208頁を占め,文法的説明が少しばかりつけてはあるが,要するに語彙集に
過ぎない。これは県人によって編まれた最初の方言集という意味で,特筆すべき労
作ではある。
 県人の著作に今一つ『沖縄語の研究』がある。桑江良行氏の編著で,昭和5年に
発行されているが,これもまた,前の『沖縄語典』刊行の主旨と同じく,大体,方
言矯正という見地に重点をおいたもので,やはり沖縄を冠しているが,那覇方言を
主とし,首里語にも触れている。四六判二段組438頁,内容は.
 1.沖縄県の学生が特に誤り易い語句及び音韻について


150  言
ウ臼OJバ75ρ0

同語異義弁
沖縄語の音韻及び其の転訛について
本州の古語がそのまま沖縄の方言で現在使用せられつつあるもの
標準語及び沖縄語間で適訳を見出すに困難を感ずるもの
標準語及び沖縄語間で互に適当な直訳がないと思われる語句
の6篇より成り,これを辞書体に編纂したもので,現在,標準語と那覇方言とが,
単語の上でどの程度に開きのあるものであるかを知るには,最も手頃なそしてまた
代表的な参考書である。ただ,語法に興味を持つ人にはその資料が提供されていな
いので,きっと物足りない感じがするであろう。
 那覇方言の音韻については,特に一冊に纏ったものはないが,琉球語の音韻を総
括的に論じた伊波普猷先生の研究は,那覇方言の音韻組織を知るためにも,ぜひ一
通りは読んでおく必要がある。これらの諸労作は,大体『南島方言史攷』 (昭和9
年刊行,楽浪書院発売)の一冊に収められているので,それについて見るのが便宜
である。
 伊波先生の論説と共に,服部四郎氏が『方言』 (第2巻第7号及び第8・10・12
号)に掲載した「琉球語と国語との音韻法則」も,那覇方言だけの研究ではない
が,これを見落してはならない,というより,これはまた琉球語の音韻研究史上で
も,一時期を画する論説であるといってもよい。それで,ぜひ一読せねぽなるま
い。なお,伊波先生と服部氏の説は,音韻組織のところで随時引用紹介して,それ
らについての私見をもつけ加えてあるので,ここでは詳しく述べないでおく。
 那覇方言のアクセントについては,数年来,県師範校の大湾政和氏が研究してい
るが,最初にその調査に着手したのは,服部氏であった。両氏に次いで,最近平山
輝男氏は・琉球語におけるこの総括的な観察を行い,その結果を発表している。こ
れらの紹介はアクセントの項に出しておいた。
                      1944(昭和19)年8月刊行



15上
琉 球 語
1 名称
 従来,いわゆる「琉球語」と呼ばれていたのは,沖縄本島の言葉一文献に
関する限りでは,もっと狭く,旧王都首里語一を指しているが,これを言語
学上から見ると,その分布地域は,沖縄本島を中心に,北は,島津氏の琉球入
り(慶長14・1609年)以前,琉球王国治下にあった奄美大島諸島を含み,南は,
宮古島と八重山諸島に及んでいる。
 現今,南西諸島とも称されている,これらの島々は,日本の古文献による
と・また「南島」の名で知られ,大体,奈良朝初期(8世紀初葉)頃から,この
名称は用いられていた。
 とくに・徳川中期の新井白石の『南島志』(享保4・1719年)以降,近年に至る
まで・この南島の名称は,学者・文人の間に愛用されているので,この地域に
行われている諜輙扱った舘や論説にも,「南島」を冠したものが多9
     む  くコ
 白石の『南島志』は,その旧著『琉球国事略』 (宝永7・1711年)の増訂版で
あるから,その指すところの「南島」は「琉球」の代りに用いたものとみなし
てもよいが・これと同じく,この島々の言語にも,「南島」の他に,「琉球」を
         (2)
冠したものが,少なくはない。
 この「琉球」という呼び名については,沖縄出身の一部の人士の間では,こ
れが古来の名称でなく,隣りの大国から押しつけられた国号に過ぎないという
理由と・今一つは,この名付親のシナの人たちが,自らの地名「支那」という
文字や字音に付随して連想する不快の念と,ほぼ似たような感情(これを精神


 152 言   語
分析すると,多分,心理学者のいわゆるinferiority complex一劣等感一によるものらし
い)から,これを用いることを好まない傾向があった。
 それで,この呼称をさけて,その代りに,固有の島名と思いこんでいる「沖
縄」を使う方がよいと主張する者も,見受けられる。
                む  くコ くコ  
 この「沖縄」という文字は,地名オキナワの音を写したまでのもので,実
は,このオキナワが,現在の沖縄本島の汎称に,広く用いられるようになった
のは,最近の研究によると,「琉球」(隋書初見「流求」)という名称よりも,ず
         (3)
っと後代のことである。また,オキナワに「沖縄」の二字を当てたのは,新井
              (4)
白石が初めであるという説もあり,それで,この「沖縄」の用字が,もし,そ
の古さを争うとしても,決して「琉球」という文字よりも先にあったのではな
い。
 次に,この「沖縄」は,明治12(1879)年の廃藩置県以降,行政上,沖縄本
島に,宮古と八重山諸島を含めた沖縄県という県名に用いられてきたもので,
その中には,いうまでもなく,鹿児島県の一郡に編入された奄美大島は包括さ
れていない。
 大体,この「沖縄」というのは,多くの場合,固有名詞としては,宮古・八重
山をも除いた沖縄本島だけの呼称に限られることが多く,従って,この外に奄
美大島をも含めた地域の言語の総称に冠するには,余り適当ではない。むし
ろ,.「沖縄語」というときは,単に沖縄本島とその周辺の離島における諸方言
の総称程度に止めた方が,最も適切であろう。
 これを要約してみると,薩南の種子・屋久を除いた南西諸島に行われている
言葉に対しては,これまで,「南島語」(または南島方言)・「琉球語」(または
琉球方言),あるいは「沖縄語」(または沖縄方言)など,大体,三種の用語が
見受けられるが,最初の「南島」の場合は,その方位を示す地域が,あまりに
も広漠として,聞く人によっては,南島語を,「南洋」諸島の言語でもあるか
                   (5)
のごとく,まぎれるおそれが,多分にあるし,また,「沖縄」の場合は,これに
反して,前に述べた通り,この地域を指すには,その範囲が,余りに狭過ぎる


琉 球 語  153
きらいがある。
 最後に,「琉球」の名称は,先に書いたように,語感の上から,多少の難色
はあるが,これまで,永く広く,国際的にも使用されてきているし,また歴史
                   む   
の上から,これらの地域  いわゆる琉球文化圏内の島々(奄美大島をも含め
る) の言葉を論ずるときにも,便宜が多いので,学術用語としては,これ
を冠して琉球語とするのが,いろいろな点で,他に優るものと考えてよかろう。
 注
                  む  む                          くラ
   (1)首里語の辞書で,山内盛熹編『南島八重垣』,東条操『南島方言資料』,宮良
       む くひ                           くラ                                        む
  当壮 「採訪南島語彙稿」,安藤佳翆 「南島方言えらぶ語の研究」,伊波普猷 「南
  む
  島方言史攷」等。
        む  む
   (2)伊波 「琉球の方言」(『国語科学講座』第7巻国語方言学中の分冊),東条
                                   む
  『国語方言区劃』一大日本方言地図の解説書一P.12〜22「国語と琉球語」,東
                   む  む                くラ  
  条 『方言と方言学』p.258「日本語と琉球語」,宮良「琉球語概論」(『民族学』15の
  2)。
   (3)伊波普猷 『沖縄考』昭和17(1942)年参照。
   (4)東恩納寛惇 『南島風土記』昭和25(1950)年P.17。
   (5)例えば,泉井久之助「日本語と南島諸語」(『民族学研究』17の2)における
  南島は,琉球や沖縄ではなく,マライ・ポリネシアを指す。
司、
H 系

 琉球語に初めて接する日本本土の人や,または多少日本語を習得した外人の
場合でも,これを耳に聞いただけでは,ほとんど全く了解できないことが多い
ので,琉球語というものは,日本語とよほど大きな違いのある言葉でもあるか
のような印象を受けるらしい。それで,一部世人の間には,琉球諸島の地理的
環境や,日シ両属の特殊な歴史上の政治的関係などから推して,ややともすれ
ば,琉球語とシナ語とを結びつけて考えたがる風潮がいまだに遺っている。こ
れには,大体二つばかりの型があって,琉球語は日本語とシナ語とが混淆して


154 言   語
出来上った言葉ではなかろうかという多少念の入った見方と,今一つは,ただ
漠然とシナ語の一種かも知れないという,至って手軽な考え方とに分けてみる
ことができる。
 琉球語に関する,この日シ両語混淆説とシナ方言説とでもいうべきものは,
いずれも素人考えの俗説で,琉球語そのものについて,言語学的に,音韻・語
彙・語法などをシナ語と比較研究した上で唱えたものではない。
 琉球とシナとの永年の政治・通商関係が,琉球の文化の上にも著しく反映し
て,特に建築・美術・工芸方面においては,その影響を蒙るところが多かった
のは事実であるが,言葉の点では,一般の人の想豫に反して,事情は全く異な
り,シナ語の伝来したものは,特殊な事物関係の単語,つまり名詞だけにとど
まり,語法の点では,その片影すら探し出すことはできない。なお,琉球語に
借用されているシナ語の単語も,よく調べ上げたところで,至ってわずかなも
ので,長崎方言におけるそれに比べても,その数ははるかに少ない位である。
 琉球語の所属系統を,科学的に言語学上から論じて,日琉両語同祖説を提唱
した最初の学者は英人B.H. Chamberlain(チェンバレン)で,同氏は琉球語と
日本語との系統的関係を次のように示している。
        /祖語(Pafent Language)\
  古代琉球語(Archaic Luchuan)  古代日本語(Archaic Japanese)
      l                l
  現代琉球語(Modern Luchuan) 現代日本語(Modern Japanese)
 琉球語と日本語との精密な比較研究は,その名著『琉球文典及び語彙』(明治
28・1895年)の中に詳しくでている。

Chamberlainの研究発表以降,琉球語が日本語と同じ系統に属する言語であ

ることについて疑いを抱く学者は,少なくとも,日本の国語学界にはいない。
それで,この目琉語同祖説は通説というよりも,まず定説とでもいってよかろ
う。
 ただ,この両語間の近親の度合に関しては,姉妹同士として相対立せしむべ
きものであるという説と,一方ではまた,琉球語を日本語内の一方言と見做し


                           琉 球 語  155
てもよかろうという意見とに分かれていて,その点だけは,・一致していない。
ただし,方言説の場合でも,例えば,日本本土における鹿児島方言と青森方言
とのごとき並立関係としてではなく,琉球語は,これらの南北の地域に行われ
ている諸方言を一纒めにした,いわゆる内地方言と対立する大方言として取り
扱うぺきである,という条件をつけてはいる。

Chemberlainは,その日琉両語の系統図に明示してある通り,両者を姉妹関

係(the sisterly relationship)にあるといい,また,これが琉球語と日本語との
近親関係についての姉妹語説の初めでもあった。
 この日琉姉妹語説に対して,方言説を発表した最初の人は,東条操氏で,同
氏は,日本語(国語)を次の通り,二つセこ大別してい織
日本語{籍
 普通一般の常識で判断すると,「姉妹語」同士は,諺にいう「兄弟は他人の
始まり」ということなどを連想しがちで,両者の間柄が,いかにもよそよそし
い感じを抱かせるに反して,「方言」というと,それよりももっと親しみがあ
り,相違の開きも少ないという印象を与えるかも知れない。
 しかし,いま,日本語と琉球語に関する 「姉妹語説」と 「方言説」につい
て,よく詮議してみると,これらは,なんら琉球語そのものの本質的な相違を
示すものでないことがわかる。
 大体,「姉妹語」という呼称は,祖語なるものから,二つ以上の言語の分岐
している状態を人倫関係において,親から子(兄弟姉妹)の生れ出ることに譬
えて名づけたものである。一方,「方言」という用語は,これらのものが地域
的に分散して,方処を異にしながらも,しかもなお,共通の相似点を持つ言語
同士を指しているが,そのいずれの場合も,同一の祖語を根源にして分かれた
ものであることを前提としているのには変りはない。
 同じ言葉に対し「姉妹語」と呼ぶときには,直接祖語との縦横の関係を通時
的に表わし,「方言」と称する際には,祖語から派生した言語を,共時的に横の


ユ56 言   語
みの関係のつながりを重く視ただけの違いしかないことになる。
 それで,琉球語の取扱いについても,語学史に余計に関心を持ち,言語の系
統を重んずる人は,自ら琉球語を日本語の「姉妹語」と見る傾向があり,ま
た,琉球と日本本土との地域的相違によって生じた両語間の差異を,現状に即
して観察する側の人は,琉球語を日本語の方言と呼んでいるとしても,それぞ
れ相応の論拠はあるので,ただちに一方が正しく,他は誤りであるというわけ
         (2)
にはいかないのである。
 この見地から,好む人によって,琉球語を琉球方言と呼んでも一向さしつか
えはないが,「琉球語」という用語が,特に愛用されているのは,これが簡潔
で,また耳に熟していること,今一つの理由は,いわゆる内地方言,すなわち
      む                                             くラ
従来の「日本語」に対立する大方言と見なされる言語の総称としては,「琉球

語」の方がふさわしいと考えられるからであろう。
Chamわerlainのいう祖語なるものから琉球語が分岐した年代は明らかでな
い。古代日本語と古代琉球語の「祖語」というのが仮説的なもので,具体的に
は,その実体は判っていない。また,安藤正次博士の説に従い,「原始日本語」
なるものがあって,それから古代日本語と古代琉球語の二つが派生したとして
も,この場合の"原始日本語"もChamberlain氏の「祖語」と同じく,やは
り仮説的な域を脱しないもので,現在伝わる文献や日本国内の諸方言の資料を
基にして,これを復原してみようとすることは,ほとんど不可能に近い。
 日本語において,人称代名詞等の一人称の厂あ」は厂わ」よりも古い形であ
                     む  くコ
ると見做されているが,琉球諸島の方言では,現在,第一人称としては厂わ」
のみが行われている。それで,これを例証に挙げて,日琉両語の分岐した年代
を,日本本土で,完全に「わ」の勢力の成立した時期,つまり,奈良朝時代以
後であろうと推定した文法学者もいるが,これは早計である。というのは,鎌
導ぐ・蝋榔・ぐ・戀kいミこミ5詮感さお誤黙rさ丶スさよし」に1敦・二さこさ盡
んに用いてあるし,わずか200年前に軸纂された『實肖島旧記よ○甲○歌、こも,
やはり,この「あ」は見えているからである。


                            琉 球 語  157
 また,Chamberlainのいう古代琉球語なるものが,理論上,たしかに存在
したことは想定できるが,それに関する文献を欠いていることや,現在の琉球
地方の諸方言の研究の手持ちの資料によっては,その原形をつきとめることは
ほとんどむずかしい。同じく琉球語圏内の諸方言がそれぞれ分岐した順位や年
代も,はっきり判っていないのが現状である。
 注
   (1)『国語の方言区劃』p.18。
   (2)この問題に関する別の見地については本書「総説」p.9参照。
皿 方言区分,分布地域と人口
1. 琉球語の方言区分
 琉球語の区分で,最もよく知られているのは,日本方言学の権威東条操氏の
                       (1)
説で,それによると次のように,三つに区分してある。
…言{韃iiミ
 (1)は,奄美大島・徳之島・沖之永良部島と喜界島を含み,種子・屋久の二島
は内地系統であるので除く。(2)は,沖縄本島とその離島を包括し,行政区画で
は,鹿児島県に属している与論島もこの中に入れる。(3)は,宮古・八重山を一
纒めしてある。この分類は,主として母音・子音の性質や,動詞・形容詞の活
用形の相違によったものである。これを,仮りに,三区分説と名づけておく。
『南島方言史攷』の著者伊波普猷氏は,これを大別して,「沖縄・宮古・八重
山・大島・徳之島・鬼界・沖之永良部の七方言」に分けている(同書P.9)。こ
れを七区分説と呼んでおく。
 次に,『八重山語彙』の編者宮良当壮博士は,次のごとく,これを五つの方
言に大別している(同書総説P.1)。


158 言

南島語
(又は南島方言)
奄美大島
沖縄北部
沖縄南部
宮  古
八重山
(方言)(1)
(方言)(2)
(方言)(3)
(方言)(4)
(方言)(5)
 沖縄本島を,南北に二分したのは,両地方の間に,音韻上顕著な差異が認め
られること,特に北部でp音が保存されているのに対して,中南部では,これ
がf音またはh音に変っている点などが,主なる理由であるらしい。これを五
区分説と称しておく。
 東条氏の三区分説,伊波氏の七区分説と宮良博士の五区分説を見ると,その
いずれの場合も,日琉両語の祖語なるものがあって,それから日本語と同時に
分岐した琉球語なるものがあり,さらに,この原始(または古代)琉球語とで
も名つくべきものを母胎にして,現在の琉球地方の諸方言は派生したという印
象を受ける。しかし,これが原始琉球語から分出した順位を示すものでないこ
とは,どちらの区分説も同様である。というのは,これまでの研究の程度で
は,その根拠になる十分信頼できる資料がないからで,東条氏の三区分説や宮
良博士の五区分説の配列の順位も,単に地理的に北から南へ並記したという以
外に深いわけはない。
 これを今一歩進めて検討してみると,人類学上のいわゆる天孫種族の南進説
が∫無意識の間ではあろうが,織りこまれている。これと比べた場合,伊波氏
の説は,沖縄本島を最初に挙げてあるので,この方は,歴史上における政治・
文化の中心の所在と,その伝播の経路に,重点を置いているかのように見受け
られる。事実,文献の伝えるところでは,まず沖縄本島に国が栄え,この島を
中心にして,北は奄美大島・喜界島・徳之島・沖之永良部に,南は宮古・八重
山諸島に,各方面で種々の影響を与えている。ただ,これまでの比較研究だけ
では,沖縄方言が,他の島々の言葉に及ぼした影響の度合を,明確に識別・判
定する域には達していない。現在わかっていることは,沖縄本島の政治」文化
の中心であった王都首里や,城下の開港場として発達した那覇は,外来の文化


                           琉 球 語  159
との接触が頻繁で,これを摂取する速度も速く,言語の上でも改変が行われて
きたらしく,他の琉球諸方言より著しく近代化しているのに比ぺ,これ以外の
諸方言は,変遷の跡は割合に少ない。
2. 分布地域と人ロ
 琉球語のうち,宮良博士の五区分説における沖縄南部方言に属する首里方言
は,その地が数百年王府の置かれた所として,政治的に優位にあったし,また
文化も進んでいた関係上,永く琉球諸島の標準語の位置を占め,その通用範囲
はほとんど全島に及んでいたが,維新後の廃藩;置県(明治12・1879年)以降,県
庁の所在地に選ばれた那覇の方言が,これに代りつつある。しかし,首里方言
と那覇方言とは,アクセントの対立的な相違は別として,それに二,三の音韻
を除くほか,語彙も語法も,ほとんど同じといってもよい位に似た言葉である
ので,首里方言の通ずるところでは,また那覇方言も十分了解される。
 琉球語の標準語の中心,首里・那覇の人口をも含め,琉球語の行われている
全地域の人口は,現在(昭和28・1953年),約100万と称しそいるが,『沖縄群島
要覧』(1950年版・群島政府統計課編1951刊行)によると,終戦5年後の昭和25
(1950)年における,各地区の人口は,沖縄582,611人,宮古島74,612人,八重
山43,973人,大島219,024人,計92万余,日本内地人口の100分の1より少
しばかり多い。
 戦前(昭和15年)の統計類によると,琉球語圏内の総人口は大略80万と称
され,これを大別すると,沖縄が約60万,奄美諸島が,その3分の1の約20
万で,これをさらに細分してみると,奄美諸島が,その属島の半分よりやや多
く約11万,喜界島は約2万,徳之島が約46,000,沖之永良部島が約25,000,
与論が8,6∞。
 次に沖縄についてみると,本島はその離島を併せて,県内人口の6分の5を
占め,残余の10万のうち,宮古約65,000,八重山はわずかに35,000で,那覇
市全人口の約半分しかなかった。


160 言   語
         ヤンパル
 沖縄本島は,俗に山原言葉,すなわち沖縄北部方言の行われている国頭郡
が,・本島人口の5分の1の約106,000,南部方言の中頭郡が約146,000と島尻
郡が約154,000,合わせて30万で,総人口の約半分に当り,那覇市は約65,000
で,宮古全人口に等しく,旧王都の首里市は昭和5年頃までは,2万を越えて
いたが,その後1万台に下り約19,000で,大体,喜界島に匹敵していた。
 注
   (1)『国語の方言区劃』p.21。
IV 語

1
 琉球語の語彙の中には,日本の古語が,多少音韻は転訛しているが,割合忠
実に保存されているものが多いので,古代日本語の研究に便宜を与えている。
近世及び現代琉球語と日本の古語との類同を拾い出し,これをもって日琉両語
同祖の論証に挙げる試みは,すでに徳川中期頃から始まり,特に明治・大正の
学界では一種流行の観さえあった。ただ,琉球語のみから,日本の古語を探し
求めようとする極端な風潮は,大正中期以降,日本の各地の方言研究の活発な
進展に伴い,是正された。それまで,琉球語のみに見られると考えこんでいた
古語が,日本内地の諸方言の中からも,次々に数多く発見されたからである。
2
 もちろん,琉球語の中から日本語と類似の語彙を拾って比べ合わせてみると
いう研究作業が完成しているとは,まだいえないが,それと並行して,琉球語
の中に含んでいる日本語にない語彙の解明にも,向じ程度,あるいはそれ以上
の興味と努力を払うのが,今後の琉球語研究の仕事の一つである。いわゆる小
型の複合文化の一種である琉球文化を分析してみると,民俗の他にも日本以外
の異質文化の国々から伝来借用していると考えられる言葉が,発見される可能


                            琉 球 語  ユ61
性があるからである。
 例えば,平常使われる琉球語のti:da〈太陽〉, nishi〈北〉, wikiga(〈男〉;
winagu←wonago〈女〉に対する語), karaji〈髪〉, gamaku〈腰〉, saba〈草履〉
などの外に,琉球の文献によくでてくる主長(村の長)の意味のkawara(chara
→jara;wuna・jara〈女の按司〉, waka-jara〈若い按司〉)や,信仰上の楽土の義
のnirai-kanai(またはniruya-kanaya),城のgusuku(→gushiku),巫女の
yutaなど,そのうち二,三は日本語による解釈が行われてはいるが,まだ満
足すべき定説の聞けないものが多い。
 造語法に特殊の手法を採用しているのも,琉球語の特徴の一つに数えてよかろう。
 例えば,単に〈酔った人〉を指すwitchuに対して,〈酔払い〉をwitcha:,
〈酒淫〉をwichUlなどのごとく,主として語尾の母音を代えることによって,
いくつかの単語を造りだしている。また,名詞や形容詞の語幹の尾母音を,単
に長音化または長母音a:に代えることによって,〈行為者〉またはく性質所
有者〉などを表わす語を造ることも,よく行われる。例えば,kuruma〈車〉か
らkuruma:〈人力車夫〉, saki〈酒〉からsaki:.〈酒飲み,酒淫〉, saku(←sh・
aku)〈癇癪〉からsaku:〈癇癪持ち〉や, chura(名詞形churasa←kiyorasa,清
らさ)からchural〈綺麗なもの,または美人〉などのごときものである。
A
             主要参考文献
辞書・文典・会話書・言語専門研究書(単行本)
○琉球王府編 「混効験集」,康煕49(1710)年。一名内裏言葉。古琉球語唯一の辞書。
○宜湾朝保 「琉語解釈」,(明治初期)。30数語の琉球語と記紀万葉中の古語と比較したもの。
○沖縄県庁編 「沖縄対話」,明治13(1880)年。
○仲本政世「沖縄語典」,明治28(1895)年。
○伊波普猷編 「琉球語便覧」,大正5(1916)年。沖縄対話をローマナィズしたもの。


162 言   語
   ○東条操編 「南島方言資料」,大正12(1923)年。
  ○奥里将建 「琉球人の見た古事記と万葉」,大正15(1926)年。'古事記・万葉中の古語と琉球語との比較研究書。
  ○宮良当壮「採訪南島語彙稿」,大正15(1926)年。
  ○宮良当壮「八重山語彙」,昭和5(1930)年。
  ○桑江良行 「沖縄語の研究」,昭和5(1930)年。
  ○伊波普猷 「琉球の方言」,昭和8(1933)年。
  ○安藤佳翠 「南島方言えらぶ語の研究」,昭和9(1934)年。
  ○伊波普猷 「南島方言史攷」,昭和9(1934)年。
  ○大湾政和「語調を中心とせる琉球語の研究」,昭和12(1937)年。
  ○岩倉市郎編 「喜界島方言集」,昭和16(1941)年。
  ○金城朝永 「那覇方言概説」,昭和19(1944)年。
  ○島袋盛敏編 「首里方言集」(稿本),昭和26(1951)年。
  ○島袋盛敏編 「首里語辞典」(未刊)。
              *       *       *
  ○茅伯符 「琉球館訳語」,明の永楽頃。
  ○申叔舟「語音飜訳」,弘治14(1501)年。海東諸国記附録。16世紀初葉の琉球語の唯一の見本。「金沢博士還暦記念論文集東洋語研究」の中に,伊波普猷の"語音飜訳釈義"あり。
              *       *       *
  ○安藤正次 「古代国語の研究」,大正13(1924)年。琉球語と日本語との比較研
   究の章節あり。
  ○橘 正一 「方言学概論」,昭和11(1936)年。琉球語103語と内地方言との比
   較の章あり。
  ○平山輝男 「全日本アクセントの諸相」,昭和15(1940)年。琉球語のアクセン
   ト研究の章あり。
B 資料(琉球文学書・碑文)
  ○首里王府編 「おもろさうし」,康熙8(1710)年。12世紀中葉から17世紀中葉に
   至る歌謡1552首を収め,古琉球語研究の貴重な資料。
  ○「琉歌百控乾柔節流」 乾隆60(1795)年。
  ○「琉歌百控独節流」 嘉慶3(1798)年。


                              琉 球 語  163
  ○「琉歌百控覧節流」 嘉慶7(1802)年。
  ○伊波普猷編 「校註琉球戯曲集」,昭和4(1929)年。琉球の歌劇組踊の代表的な
   作品をローマナイズしたもの。
  ○伊.波普猷 「琉球戯曲辞典」,昭和13(1938)年。組踊の難解な古語の註釈。50
   音順に配列。
  ○「琉球国碑文記」。16世紀から17世紀にかけて散文で書いた金石文は,韻文のおも
   ろさうしその他と共に古琉球語研究の貴重な資料である。
C 雑誌掲載の主要論文
  ○伊波普猷 チェムバレン先生と琉球語(「国語と国文学」12の4)。
  ○新村  出 王堂先生の南島語研究   (    〃     )。
  ○吉田澄夫 チェンバレン氏の琉球語研究(「言語と文学」6号)。
  ○服部四郎琉球語と国語との音韻法則(「方言」2の7〜12)。
  ○「方言」4の10は,琉球語特輯号。伊波以下数名執筆。
  ○服部四郎 琉球語管見(「方言」7の10)。
  ○服部四郎 日本語と琉球語,朝鮮語,アルタイ語との親族関係(「民族学研究」
   13の2)。
  ○鈴木重幸 首里方言の動詞のいいきりの形(東京大学大学院,昭和28年度「言
   語学演習」〈服部四郎〉レポート。未刊)。
  ○宮島達夫 首里方言の複合語について(同上)。
  ○雑誌・新聞掲載の琉球語関係論文目録としては,「方言」(昭和9年)と「月刊民
   芸」(昭和15年)所収金城朝永編の目録のほかに,上野図書館編の「琉球文献目
   録稿」(昭和27年刊行)などがある。
                   『世界言語概説』1955(昭和30)年5月


                    那 覇
                      サ
例訪三然形導用形終
下二段
方言動詞活用一・
止形}連体形1已然
覧 表
ラ 行1枯
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ワ 行 植
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      …
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上  一 段

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Last-modified: 2023-12-14 (木) 09:51:40