音便形 おんびんけい 國語學
【解説】音便(別項)といはるゝ音韻變化の結果、活用形の形に變化を生じたもの。「書きて」が「言いて」、「よろしく」が「よろしう」となつた類。
【由来】平安朝時代に起つた音韻變化の爲めに、用言の活用形にも種々變化を生じた。その中「書きて」が「書いて」となつたのは、「き」を「い」として變ったまゝに假名も記したが、「言はず」「言ひ易し」が「言わず」「言い易し」となつても、假名はもとのまゝに改めることをしなかつた。發音の變化するに伴つて、假名も發音通リに記したのを特に音便と云ふが、その為めに活用形も平安朝時代に至つて不規則なものとなつた。この音便形は、今日の文語にも用ひられるが、口語に於ては廣く用ひられる。
【種類】活用形に現れる音便は次の四種である。
(一)イ音便。「き」「ぎ」「し」が「い」となるもの。四段活用動詞に於て、「書きて」「騒ぎて」「放して」が「書いて」「騒いで」「放いて」になり、形容詞の「高き山」が「高い山」となり、助動詞の「べきかな」が「べいかな」となる類。平安朝に於て、動詞の連用形に現るゝこの音便は、動詞が他の動詞・助動詞・助詞に續く時、やゝ廣く自由に用ひられたが、今はカ行四段で「き」「ぎ」が「い」となるのは、文語では「て」に續く時、口語では「て」「た」に續く時のみに起り、サ行四段の「し」が「い」となるのは口語で、僅かに愛知・岐阜・福井・石川・富山・岡山・鳥取・島根等の方言に於て限られたる語彙の上にのみ起る。又形容詞の連體形「き」が「い」となることは、體言の修飾及び體言に準ぜられる場合にのみ起ることは、今も昔も同じであるが、今日は專ら口語に限られる現象で、文語では、「かな」に續く場合の如き特例の外一般には用ひない。因みに形容詞の終止形の「高い」「面白い」などは、終止形の「し」の音便ではなく、連體形の「き」の音便で「い」となつたものが、終止形にも用ひられるやうになつたものである。
(二)ウ音便。「ひ」「び」「み」「く」が「う」となるもの。四段活用動詞の連用形「襲ひて」「及びて」「揉みて」の「襲うて」「及うで」「揉うで」となり、形容詞連用形「面白く」、助動詞「べく」「たく」「まじく」が「面白う」「べう」「たう」「まじう」となる類。「ひ」が「う」になるもの、これも平安朝時代には連用形に於て種々の場合に廣く用ひられたが、今は文語で「て」に續く時、口語で「て」「た」に續く時にのみ現れる。「み」「び」が「う」になるのは、鎌倉・室町時代以後のもので、文書に現れたのは、當時の口語をその儘寫したものである。今日では、山口・九州等の方言にのみ殘ってゐる。凡てウ音便は関西方言に屬する習慣で、形容詞の「く」が「う」になるのも、今日普通文は勿論、口語にも東京語には用ひない(「ございます」に續く時は例外)。國定讀本にもその例がないのは、東京語を標準としてゐるからである。
(三)撥音便。「に」「た「び」及び「り」「る」が「ん」となるもの。奈變動詞の「死にて」が「死んで」、四段動詞の「讀みて」「呼びて」が「読んで」「呼んで」となる類と、良變動詞「あり」が「めリ」「なり」等に接して「あんめリ」「あんなり」等となる場合とある。後者は鼻音に續く爲めに生ずるもので、平安朝中期頃から見えるが、後者はそれ自身の變化で、當時も「て」「た」に續く時に起り、今日も文語で「て」に續く時、口語で「て」「た」に續く時にのみ起る。
(四)促音便。「ひ」「ち」「り」「き」等が「つ」となるもの。四段活用動詞の「買ひて」「持ちて」「取りて」「行きて」が「買つて」「持つて」「取つて」「行つて」となる類。「取り附く」「引き越す」「おひ拂ふ」等が「取つ附く」「ひつこす」「おつ拂ふ」などとなるやうに、動司に續く時にも起る。これは鎌倉時代以後の文書に見えるもので、専ら関東方言の上に於て起った音韻變化らしく、今の口語でも関西方言ではウ音便の習慣を守つて、「思うて」「買うた」など云ふに對し、関東方言では普通、「思つて」「買つた」などいふ習慣である。       〔小林〕

新潮日本文学大辞典 小林好日
http://f.hatena.ne.jp/kuzan/20090316212103

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Last-modified: 2022-08-08 (月) 09:56:13