熊本県方言
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA67071905?l=ja

国立国語研究所蔵本による。

表紙に

昭和七年五月二十二日
肥後葦南方言考
葦北郡湯出尋常高等小學校長 齊藤俊三稿

一、序言 一-五
二、總論 七-八
三、活用 九-五八
四、單語 五九-一二六
五、音韻 一二七-一四九
六、結論 一五〇-一五六

例言
一、本稿は昭和五年十月徳冨蘇峯先生の水俣御出の節に水俣郷史の原稿と共に徳永邸で御覽に供したものであり水俣郷史と姉妹関係がある。
一、其後稿を幾度か修正したが成らずして昭和七年の春を迎へた。時恰も蘇峯先生古稀に達せられて三月十三日に祝賀式が催されることを知ったのでそれまでに是非とも完成し度いと日夜稿を修正したが尚完成の域に達せずして上京した。
一、東京から帰ると學年末と學年始とをすぐに迎へ稿の修正などは夢にすることの出來ない程の多忙であつたので殆ど放任して居たが四月の終りから再び着手し休日のある毎に謄寫に附し五月二十二日に至つて之を終ることができた。
一、本稿は不完全ながら蘇峯先生古稀祝賀の記念とし先生の崇高なる御人格をしのぶ資料とする。
一、部数は全部で四十、恩師及び同好の人に配布し方言改善の参考資料に供する。

小言
名附けるに芦南方言考の名を以てする。
芦南とは肥後芦北郡の南部を称する名稱で水俣を中心とし、津奈木、久木野を含む地域をさす。
水俣は一千年の昔から肥後南端の宿邑として知られ、肥薩街道中の要衝であつた。石坂を過ぎて大口へ、袋村の神川を渡つて米の津へ通ずる道路があり何れも水俣を通つて肥に出るの要路であり、自ら水俣は交通上の要地であった。言葉の如きにしても薩の影響を受けることが大で、水俣は言葉は七分が肥後で三分は薩であると称せられたのも故あることゝ思ふ。近年水俣に肥料會社が設立せられ過去十ケ年間に人口は倍加し各地の言葉は輸入せられ、一方には鉄道は開通し往来は便に言語の変化をして急速に至らしめつゝある。
変化の中に注目すべきは消失するものと増加するものとの二つである。勿論消失するのは不必要ではあるが、國語學上より見れば然うでないのもある。増加するのは必ずしも上品なもののみとは言はれぬ。近時敬語法の乱れたる如きは俗悪に傾ける証とするに足る。此際失はれるを記録として保存し、東京語の用法を普及せしめる如きは水俣として實に緊要なることゝ思ふ。

第二篇 單語集目次

第一章 代名詞
 其一 人代名詞
 其二 指示代名詞
第二章 名詞
 其一 人物
  一、親族
  二、性別
  三、職業性格其他
 其二 肢体
  一、身体
  ニ、病氣
 其三 住居
 其五 慣行 二二
 其六 食事 二六
 其七 動物 ニ七
  一、昆虫其他
  二、魚類其他
  三、鳥類其他
 其八 植物 二三
  一、野生
  二、作物
 其九 地文 三六
 其一〇 幼児語 三十
 其十一 地名 三八
第三章 動詞
 其一 四段活用
 其二 下ニ段活用 四五
 其三 左行変格活用 四六
第四章 形容詞 四七
第五章 副詞 五〇
第六章 雜詞 五三
第七章 接辭 五七
第八章 方言改善私案(其ニ)


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Last-modified: 2026-08-12 (水) 11:34:54