つかこうへい
「東京弁たい!」 「テレビに出とんしゃる人みたいばい」 シゲルのなめらかな標準語がオレたちにはおかしくてならなかった。子供たちは、自分たちの方がなまりがあることなどまったく気づいてはいなかったのだ。今から考えると恥ずかしいが、それは博多弁をしゃべれずにおかしな言葉をつかう者に対してのおかしな優越感だった。 文庫 p.72