太宰治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card2277.html


私は、生来口が重い上に、ご存じの如くひどい田舎訛《いなかなま》りなので、その新入生たちにまじって、冗談を言い合う勇気もなく、[…]それは仙台の人たちだって、かなり東北訛りは強かったが、私の田舎の言葉ときたら、それどころでは無く、また、私も無理に東京言葉を使おうとしたら、使えないわけはないのだが、どうせ田舎出だという事を知られているのに、きざにいい言葉を使ってみせるのも、気恥かしいのである。これは田舎者だけにわかる心理で、田舎言葉を丸出しにしても笑われるし、また努力して標準語を使っても、さらに大いに笑われるような気がして、結局、むっつりの寡黙居士《かもくこじ》になるより他は無いのである。


きっと東京者にちがいない。早口の江戸っ子弁でぺらぺら話しかけられてはたまらない。


東京者ではない、と私はとっさのうちに断定した。たえず自分の田舎訛りに悩んでいる私はそれだけ他人の言葉の訛りにも敏感だった。ひょっとしたら、私の郷里の近くから来た生徒かも知れぬ、と私はいよいよこの歌の大天才に対して親狎《しんこう》の情を抱《いだ》き、
「いや、僕こそ、しつれいしました。」とわざと田舎訛りを強くして言った。


いかにもたどたどしい東京言葉で


言葉が妙に、苦しくて演説口調


言葉も、私より東京弁が上手《じょうず》なくらいで、ただ宿の女中に向って使う言葉が、そうして頂戴《ちょうだい》、すこし寒いのよ、などとさながら女性の言葉づかいなのが、私に落ちつかぬ感じを与えた。たまりかねて私は、それだけはやめてくれ、と口をとがらして抗議したら、周さんはけげんな面持ちで、だって日本では、子供に向っては、子供の言葉で、おてて、だの、あんよだの、そうでチュか、そうでチュか、と言うでしょう、それゆえ女性に対した時にも女性の言葉で言うのが正しいのでしょう、と答えた。私は、でも、それはキザで、聞いて居られません、と言った

太宰治「「惜別」の意図」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card52678.html


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