#author("2021-09-17T18:03:24+09:00","default:kuzan","kuzan")
小林信彦
小説


新潮文庫上巻
p.112
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ルビで笑わせるこの方法は、辰夫の知っている限りでは、戦前のモダニズム雑誌「新青年」のコラムで始まったものである。この手は、だれにでもできそうで、じつは非常にむずかしい。漢字とルビが不即不離で、あるときはルビが一つの批評になっていなければならない。
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下 p.252−3
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〈リバイバル〉という英語が、説明抜きで使われるようになったのは、ごく最近で、いわば、流行語である。(中略)旧作の興行収入が新作を凌いだのは初めてであり、〈リバイバルーブーム〉なる新語が大新聞を飾ることになった。
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p.414
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 「山の手と下町では、言葉までちがった。ほんの十年まえ、昭和二十年代には、まだ、そうだったよ」
 「本当ですか?」
 「本当だとも。ぼくは山の手の高校へ通っていたのだが、ある日、かっとなって、『てめえ、薄汚ねえ奴だな!』と怒鳴った。もちろん、良い言葉ではない。相手が殴りかかってくると思っていると、げらげら笑いだした。ぼく以外の生徒は、そういう言葉が現実に使われるのを初めて耳にしたのだ。つまり、落語の中で使われる架空の言葉だと思っていたのさ」
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p.425
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「中級以上の商家の主人は、非常にていねいな言葉を使う。表現も、江戸弁の名残りというか、独特なものだ。いわゆる標準語とはちがう。もっとニュアンスに富んだ、洗練されたものだよ」
「そうですか……」
「ラジオがいけなかったのだ。職人言葉を使う、妙な〈江戸っ子〉が出てくるドラマを、戦後、すぐに流した。NHKの責任だ」

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//上
//p.76 「だいたい、きみがぼんやりしとるから、わしらが、あれこれ、余計な面倒を見んけりゃ、ならんのじゃないか!」
//p.407 「おれは面白いね。株で言や、買いだね」
//p.439 声を低めるのが誠実さの証拠であるかのように語りかけた。
//p.450 ちょっと押して(遅れて)るんだ。

//下
//p.83 居流れている



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