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[[岡野久胤]]
愛媛県方言

一名 昭和の濱荻

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001587126-00
https://www.dropbox.com/s/kb0yyw0k767v1yd/%E5%B2%A1%E9%87%8E%E4%B9%85%E8%83%A4%E3%83%BB%E4%BC%8A%E8%B1%AB%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E6%96%B9%E8%A8%80%E9%9B%86.pdf?dl=0


昭和十三年三月二十五日発行
著作者 岡野久胤
発行所 春陽堂書店



献辞 上田萬年先生に
序 昭和十三年二月 橋本進吉 2頁
安原貞室「片言」より引用 1頁
伊豫節 1頁
總説 1-4
音韻と語法 松山方言の特質 5-21
凡例 22-24
語彙 1-309
附録 311
 大阪語 313-318
 大阪語((大阪語は松山人にとっては大変大切である。大阪へ往来することは特に多い。商売取引は重に大阪としてゐるといっても差支ない程である。茲に見本を少し掲げる。)) 313-318
>アオタ
アンジョー
イケイケ
イッチハナダッテ
イヂマシイ
イラチナイ
イリアワセ
ウサル
ウッツカツ
ウットシイ
エッサラモッサラ
エテシテ
カッカ
キシンドイ
ゴテ
スカタン
ズコイ
セイダイ
セングリ
セキマイ
センド
タマカラ
ダンナイ
タンノー
ヂンバリ
テンゴ
ドーラク
ノホーヅ
ハッサイ
ヘラコイ
ボケ
ホゲタ
ボロクソ
ボヤク
ミテル
モッサリ
モッチャク
モムナイ
ヤマ
ヨクセキ
 東京語  319-328
>アカマンマ
アケスケニ
アタリバコ
アタリバチ
アタル
アッケナイ
アト
アヤフヤ
イカモノ
イケスカナイ
イジラシイ
イタマエ
イタバ
イマシガタ
インゴー
イーグサ
ウスッペラ
ウソッパチ
ウッチャッテオク
ウッチャル
ウブ
ウラダナ
ウンザリスル
エホーマヰリ
エンニチ
オキャン
オシタジ
オシンコ
オソマツサマ
オソロイ
オソワル
オチオチ
オチャウケ
オチャヤ
オチューゲン
オツクリ
オットリ
オッポリダス
オハコビ
オホロイ
オブー
オミアシ
オミオーキク
オミオツケ
オワイヤ
オタンチン
カガミビラキ
カケダシ
カシ
カジリツク
ガタピシ
ガツガツ
ガッチリ
カナボーヒキ
カブリツク
カラッキシ
カンカン
キショク
キンピカ
ギリギリ
クサル
グレル
ケタチガイ
ケツ
コダワル
サクラ
サクラズミ
サンザッパラ
シギヤキ
シャクル
ショッパナ
シラバクレル

スイッチョ
スケベー
スケル
スッタモンダ
スッポカス
スル
ズベコ
セッカチ
ソソッカシイ
ソッポ
ソレシャ
タタキツケル
タテル
タナコ
タナダテ
タナチン
タルミコシ
ダモノ
ダレル
ダー
チッポケナ
チリ
チンチンモガモガ
ツッカカル
ツッケンドン
ツッパネル
ツマサレル
ツマシイ
テクテク
テクル
テンカラ
テンデニ
デカイ
トシマ
トッカエル
トッツキ
トノガタ
トンダ
ドサクサ
ドザエモン
ドッシリ
ドロンコ
ナガシ
ナガシ
ナクナル
ナマアゲ
ナレッコ
ナンダッケ
ニクラシー
ネソベル
ネッコ
ノッペリ
ノッポ
ノロケ
ハタク
ハタキ
ハネ
ハルギ
ハレボッタイ
ヒトイキレ
ヒョーキン
ピーピー
ブッチガイニ
ベソヲカク
ヘソノーキッテ
マダルッコイ
マトモ
ミヅガシ
ミットモナイ
ミバ
ムッチリ
モヤモヤ
ヨーキ
リョーケン
ロクズッポ


橋本進吉序
> 近來民俗研究の興隆に件つて方言の研究も未曾有の盛況を呈し、方言に關する著書や論文の公刊せられるものも年々夥しい數に上り、種々の部面に亙つて、有益で特色ある研究も少からず見られるが、或一地方の方言集として、蒐集せる語彙が豊富であり、發音の表記や語義の解読も正確且つ周到であつて、秀れた内容體裁を有するものはあまり多くないやうである。これは畢竟、方言研究者として必要な諸學の素養に乏しく、十分な用意を缺くからであらうと思はれる。
 岡野久胤氏は、夙に言語研究に興味をもたれて、東京帝國大學言語學科に學び、新村出博士等と共に上田萬年先生其他の教を受けられた方である。卒業後、久しく教育事業に從事せられたが、近年職を辭して閑を得られてからは、伊豫松山の方言を蒐集整理して三百頁にあまる方言集を著し、今回之を印行せられた。氏は言語に關する諸學に逋ぜられ、方言研究者として十分の素養を有せられる上に、松山は氏の郷里であり、松山方言は氏自身の言語であつて、その發音も語義も氏自ら體驗せられてゐる所のものである。誠にこの書は著者にその人を得たものであつて、他人には容易に及び難い長所がある事を疑はない。
 氏は又近來國語問題、殊に標準語の問題に心を注いでゐられるのであつて、此の方言集に一々東京語を對照せられたのも、一方標準語教育の爲にも資せんとする用意からであらうと思はれる。實に、方言は、その地の人々が最初に習得する言語であつて標準語を習ふに就いても、又、古代語や外國語を學ぶに當つても、その基礎となるものであるから、標準語教授を有効適切ならしめる爲には、その地の方言と標準語との異同について明かな知識を有する事が、必須の條件であるべきである。本書の如きはよくこの要望に答へるものであらう。我々は、國語學の爲にも又國語敏育の爲にもこの書の出現を慶賀し、啻にこの書を編せられたばかりでなく、自ら資を捐てゝまでも本書を印行せられた岡野氏の國語愛の精紳に甚深なる敬意を表するものである。
昭和十三年二月
文學博士 橋本進吉


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