姫路中学校共究会
筆号、後閑柳剛?

姫路中学校第八回生。
『菊池庫郎全歌集』によれば、菊池の従兄で近松秋江の友人。早稲田大学文学科、明治三十四年卒。

「私と一緒に早稲田の文科を出た人に、今は大阪に居る後閑宣太郎君といふのがあって」(『早稲田文学』M40.3.1「無題録<1>」『近松秋江全集』第九巻による。p.71。

正宗白鳥とも同期。「それともう一人、これは早く亡くなったけれども後閑といふ人」『正宗白鳥全集』第三十巻p.85「文藝雑談」。

近松秋江・正宗白鳥らと、読売新聞紙上で「月曜文学」と題して、文芸批評を連載す、と。

明治三十四年四月二十二日の「月曜文学」は、「秋江生・白鳥子・五葉庵・山水子・星月夜」の五人の発言がある(ヨミダス歴史館の「明治・大正・昭和の読売新聞記事画面」による。第一七回の月曜文学まで「山水子」のあることを確認。)

『共究会文章会』31号(明治32.5)の長澤蓼水「ゐぬころ日記」に「在東都山水子」とみえ、早稲田文学についてのことなどが書いてあることから、山水子が後閑宣太郎であろうことが推察される。

なお、読売月曜會の写真が様々な書籍に載せられるが、「宜太郎」と誤植されることもある(『早稲田と文学の一世紀』p.54など。)
http://merlot.wul.waseda.ac.jp/sobun/m/ma008/ma008p01.htm 「後閑宜太郎」

a href="http://books.google.co.jp/books?id=2gkqAQAAIAAJ&q=後閑宣太郎&dq=後閑宣太郎&hl=ja&sa=X&ei=4UUbUfj7OtCdkgXg_YGoCA&ved=0CDIQ6AEwAA">『関西大学百年史』</a>資料編p.541に逝去記事。昭和十年。関西大学第一商業学校。

関西大学創立五十年式典(昭和十一年五月二日)の際に慰霊祭のあった物故学員の一人として名が上がる(関西甲種商業教諭)。『関西大学百年史 資料編』平成8 p.541。


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