#author("2020-09-28T11:35:46+09:00","default:kuzan","kuzan")
>>
諺文 世界の文字の一種【總論】諺文([[朝鮮音]])は[[朝鮮]]固有の文字で、[[諺字]]・反切ともいひ、また[[韓文]]・[[國文]]等とも稱せられ、[[李朝]][[世宗]]二十八年(1446) 「[[訓民正音]]」の名の下に、國字として判定公布せられたものである。初め世宗、諸国各々文字を製し、その言語を記すに、獨り[[朝鮮]]にこれ無きは甚だ遺憾なりとし、局を禁中に開き、[[鄭麟趾]]・[[申叔舟]]・[[成三問]]・[[崔恒]]等をして、これを撰定せしめたものである。時會々明朝の翰林學士[[黄斑]]が謫せられて遼東にゐたのを機とし、三問等は彼の地に往來すること凡そ十三度、親しく彼に就き音韻の學を質問したと言ひ傳へられてゐる。「[[訓民正音]]」の示す二十八種の文字及ぴその解説は次の如きものである。
>>
ㄱ牙音 如君字[[初發聲]]、並書如虯字初發聲。
ㅋ牙音 如快字初發聲。
ㆁ牙音, 如業字初發聲。
ㄷ舌音 如斗字初發聲、並書如覃字初發聲。
ㅌ舌音 呑字初發聲。
ㄴ舌音 如那字初發聲。
ㅂ唇音 如彆字初發聲、 並書如歩字初發聲。
ㅍ唇音 如漂字初發聲。
ㅁ唇音 如彌字初發聲。
ㅈ齒音 如卽字初發聲、 並書如慈字初發聲。
ㅊ齒音 如侵字初發聲。
ㅅ齒音 如戌字初發聲、並書如邪字初發聲。
ㆆ喉音 如挹字初發聲。
ㅎ喉音 如虚字初發聲、 並書如洪字初發聲。
ㅇ喉音 如欲字初發聲。
ㄹ半舌音 如閭字初發聲。
ㅿ半齒音 如穰字初發聲。
ㆍ如呑字[[中聲]]
ㅡ如卽字中聲
ㅣ如侵字中聲
ㅗ如洪字中聲
ㅏ如覃字中聲 
ㅜ如君字中聲
ㅓ如業字中聲
ㅛ如欲字中聲
ㅑ如穰字中聲
ㅠ如戌字中聲
ㅕ如彆字中聲。
[[終聲]]復用[[初聲]]。 ㅇ連書[[唇音]]之下則爲唇輕音、[[初聲]]合用則並書。 [[終聲]]同。 ㆍㅡㅗㅜㅛㅠ附書初聲之下、 ㅣㅓㅏㅑㅕ附書於右、凡字必合而成音、左加一點則[[去聲]]、二則[[上聲]]、無則[[平聲]]、[[入聲]]加點同而促急、[[漢音]][[齒聲]]、有[[齒頭]][[正齒]]之別、ᅎᅔᅏᄼᄽ字、用於[[齒頭]]、ᅐᅕᅑᄾᄿ字、用於[[正齒]]、牙舌唇喉之字、通用於漢音。
<<
茲にある[[初發聲]]とは、一綴音中の[[頭音]](initial)、[[中聲]]とは[[母音]]、[[終聲]]とは[[末音]](final)を意味する。例へば〓なる綴音に於ては〓は初發聲、、〓は中聲、〓は終聲である。以上の如く「訓民正音」は標準として二十八種の文字を公示したけれども、そは単に諺文の基本たるべきものを示したに過ぎぬのであつて、事實としては、それ以外の諺文がなほ獨立の價値を以て普通に使用せられたのである。例へば「並書如糾字初発聲」などある並書とは、〓、〓等の文字を二箇並べて〓、〓の如く書くものなることを意味し、「○連書唇音之下則爲唇軽音」とあるは、○を唇音例へば〓〓等の文字の下に書けば、〓、〓等となつて唇軽音を表はすに至ることを意味したものであり、又漢音の歯音中の歯頭音と正歯音とを區別せんがため、特に、〓、〓字の變體を案出し、又その並書を採用したる如き、それ等が単なる韻學上の理論を試みた如きものにあらずして、實際上に使用せられたものであることは、「訓民正音」そのものの諺解、また「訓民正音」とほぼ時を同じうして出版せられた「龍飛御天歌」「四聲通攷」、降つてはその後の諸書に於て、この種の文字が盛んに使用せられて居るのを見ても、一般を知ることが出来よう。今これ等の諺文が古く漢字の頭音として如何に配置せられたか、又朝鮮の普通文に於て如何に使用せられたかの概略を知らしめんがため、上に「[[四聲通解]]」所載の[[洪武正韻]]三十一字母圖の略圖、及び世祖天順年間に出版せられた[[法華經]]の諺解例を掲げた。
f:id:kuzan:20090210211232g:image
f:id:kuzan:20090210211233g:image
以上は、「訓民正音」發布當時、及びその後久しきを經ざる時代に於て使用せられた諺文の種類であるが、一は確かに形式的理論的に走り過ぎたのと、一は朝鮮語自身が變遷して發音が變化した等の関係より、一部の文字、例へば〓、△の如き、並書の如き、軽唇音を表はす文字の如き、漢音を表はす〓〓の變體、又その並書の如き、各種の文字は近代に於ては普通に使用せられぬやうになり、今日にありては普通に
f:id:kuzan:20090210211234g:image
の二十五字が使用せられて居る。但しその中の・は原音は既に忘れられて、各種の場合に庶じてa・u・〓等の音に變じ、〓は終聲にのみ用ひられ、初聲無音の場合には別に〓を以て表記せられる。而してまた一方に於ては,古く「華東正音通釋韻考」が徴母〓字の代りに〓を、申景濬が母音〓字の代リに〓字を〓製したやうなことがあつたけれども、これ等の新文字は世間一般に通用せらるゝには至らなかつた。
【排列順】母音の排列順は、「訓民正音」にありては

とあり、・より始まり、先づ單母音を掲げ、次に複母音に及んで居る。然るに「訓民正音」後、幾くもなくして出版せられた「四聲通攷」凡例の文に就て見ると、
の順で呼ぱれた如く見える。降りて嘉靖年間の「訓蒙字會」に至れば、最後の部分が少しく順位を変更して
となり、「真言集」「三韻聲彙」「華東正音」等、何れもこれに従ひ、現在またこの順によつて居る。
子音の排列順は、「訓民正音」にありては牙音・舌音・唇音・唇音・喉音・半舌音・半歯音の順によつてゐるが、こは言ふ迄も然く支那韻書の順序によつたもので、間接には印度悉曇の影響をも認めねばならぬ。然るにその後の「訓蒙字會」に至ると、子音を「初聲終聲通例八字」と「初聲獨用八字」とに分ち、
  「」c己ロ日Λ6(初感蛤郎通川八字)  ヨロ江冗穴△○方(神原稿川八字)
の順序にしてあるが、『尽言集」はこれに従ひ、「三間原句」は右の中心〇二字を省略して次の暇に改めた。
  「」c己ロ日Λ6(初脈絡郎活用八字)・ 祭ハ己月江一〇  (神原稿用六字)
宥の外、外国人の著宮中などには別種の排列法を採つたものもあるけれども、今目印卵人間に最も剪通に行はれてゐるものは「三詞好きに一部の受更を加へた「」こ己口日〈67ハコロ公方の排列をなしたものである。
【稱呼法】諺文は西岸諸国のアルフ″でトの如く苔字に励するが、彼の俎にてfをエフ、mをエムなど将へる如く、各字に對する特別の稱呼法を而して居る。まづ録音に就いて見るに「訓民正音」は・を説明して「如呑字中原」、一を説明して「如印字中原」などいぶ如く、単にそれ等の苔を甲原に合める漢字を例示するに止まり、文字そのものの稱呼法を示しては居らずヽ「三間辞彙』の傾きも、一大酸これに従つて居るが、「屑蒙字會」は


の如く、最後の三者に対しては説明的の字句を使用してゐるけれども、大剪に於てその文字の発音を以て、その文字の稱呼として居る。今日にありては普通


(最後のaは短音)と稱へられてゐる。
次に子音に就いて見るに、「訓民正音」には「を玖て「如君字初・発郊」、Lを以て「如那字初発原」と脱明せる如く、それんyの音を頭音に合める漢字を例示して、発音法を示してはゐるが、その文字に對する名将とては定められて居らぬ。然るに「訓蒙字會」に至ると、「初原紡原助川八字」として


初原伺用八字として


の如き稱呼法を掲げてある。作諺文の下にある漢字は原則として谷で撹むが、圏内にある文字はその圖によつて呼ぶべきものなる事を示したもので、要するに作字の稱呼法は最初より順次に
(又は

と稱ふべきものなることを示したものである。近時合理的なる稱呼法が一部人士間に行はれて居らぬではないが、最も普通なるは矢張り「訓蒙字會」のそれである。


【起原】鄭麟趾の「訓民正音」序中に諺文の起原を記して「象形而字倣古篆」としてある。朝鮮の諸學者の中にはこの説をそのまゝ信奉して、象形又は古篆説を唱導するもの勿論多きに居るが、中には異説を唱へた學者が無いではない。彼の「慵齋叢話」()や「芝峰類説」()が梵字起原を同へ、「星湖〓説」()が蒙古字起原を論じたるが如きはその例である。又外国人側では、H. A. Giles, G. vonder  Gabelentz, M.  Courant. J. Scott, W.G. Aston  の如きは梵字説、L.  de  Rosny,H. B. Hulbertの如きは西藏文字説、Abel.Remusatは契丹・女真文字説、T. Edkinsはシリア文字説、J. S.  Galeは古篆説を支持し、金澤博士の如きも、或る程度まで梵字起原を主張してゐるが、今日のところなほ未決の問題として取殘されてゐるといふのが至當の評であらう。
【研究史】 「訓民正音」や「訓蒙字會』等が早く我が國に傳來した結果、我が國部の學者は諺文の何たるかを知つて居たやうではあるが、多くはこれを物珍しく取扱つただけで、根本的の研究までは及ばなかつたやうである。「三国通覧圖説」に、伊呂波に配せる諺文綴字なるものを示してあるけれども、全然體をなさぬが如き、「昆陽漫録」に假名を以て諺文字母の讀方を示せるも、その寫音の極めて不完仝なる如き、何れも諺文に對する知識の如何に貧弱であつたかを示すものである。唯この間に立ち、伊藤東涯及び行智等がやゝ精確な知識を有せるは特記するに足る。また日文なる文字は、我が國固有の所謂神代文字であるか或は諺文と関係あるものであるか、又肥人書・薩人書なるものは、諺文と何等かの関係が存するものであるか否か等の問題につき、古く新井白石の「同文通考」平田篤胤の「神字日文傳」伴信友の「假字本末」等の間に學説上の議論が行はれ、當時の限界を賑はした。朝鮮にあつては、諺文は既に發布當時に於て崔萬理等の反対運動あり、その後も婦女子の文字として軽視せられてゐた結果、これに対して學術的研究の勃興すべき餘裕が無かつたが、近世に至り漸くその機運が熟するに至つた。英祖朝申景濬の「訓民正音圖解」、正祖朝洪良浩の「經世正音圖説」、純祖朝柳僖の「諺文誌」、李太王朝美〓の「國文字母分解」など、何れも諺文の組織特質を論じたものである。殊に日清戰役語、朝鮮が完全なる獨立国となるに及び、国民は自国語及び自国文字に就き自覺心を起し、翕然としてこれが研究に向つて精力を傾注するに至つた。即ち政府としては光武元年(明治三十八年)に新訂國文を制定して諺文の綴字法を改良せんと企て、同十一年これが研究調査のため、特に国文研究所なるものを設けたるが如き、また私人としては周時經が朝鮮語法の整理を行はんがため諺文綴字法の上に新しき試みをなしたるが如き、最も注意すべき事件の二三である。併合後總督府は普通学校に於ける諺文綴字法を平易なるものに一定せんとして調査會を組織し、その結果を明治四十五年四月以後の敦科書に適用したが、最近政府は更に改正の必要を認め、調査委員會に諮り、別箇の綴字法を制定して昭和五年度よりこれを實施した。   〔小倉〕

<Div Align="right">小倉進平(新潮日本文学大辞典)</Div>
<<
f:id:kuzan:20090210211231g:image
f:id:kuzan:20090210211229g:image
f:id:kuzan:20090210211230g:image

>http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/kokusi/0501.html>
ヲンモン  諺文 [名義]朝鮮の文字を云ふ、「ウンムン」と音して、通俗の文字と言はん程の意[起原]朝鮮四代の君圭、世宗荘憲王の二十八年鄭麟趾申叔舟成三問等に命じて撰定せしむ。此文字の制作につきては數説あリ、伊東長胤は梵字よリ出てしとし、佛蘭西の東洋學者「レシュザー」は、遼金の韃靼に基きしとし、「クラプルト」は百済人の手に成リて、漢字の一片を取て製るとし、「テーロル」は佛教文字の古體とし、「エトキン」は梵語よリ出でしとし、「プルベルト」は西藏文字に基き、之を支那文字の形に倣ひて、方形形となしたるとなす、自鳥博士は、文字の形及び、歴史上の關係よリ、西藏文字よリ出てし八恩巴文字よリ出てしとなす、即ち梵字よリ西藏文字、西藏文字よリ八思巴文字、八恩巴文字より諺文と順次變化し來りしなリ、今次頁に諺文の字を、日本古代文字考によリて示す、
<img SRC="http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/kokusi/images/0502.gif" width=600>
<<


トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS