#author("2020-04-14T01:01:29+09:00","default:kuzan","kuzan")
>>
本書編纂の大意



(一)此書は、日本普通語の辞書なり。凡そ、普通辞書の體例は、專ら、其國普通の單語、若しくは、熱語(二三語合して、別に一義を成すもの)を擧げて、地名人名等の固有名稱、或は、高尚なる學術專門の語の如きをば收めず、又、語字の排列も、其字母、又は、形體の順序、種類に従ひて次第して、部門類別の方に據らざるを法とすべし。其固有名稱、又は、専門語等は、別に自ら其辭書あるべく、又、部門に類別するは、類書の體たるべし。此書編纂の方法、一に普通辞書の體例に據れり。


(二)辞書に擧げたる言語には、左の五種の解あらむことを要す。
其一、發音。發音の異なるものには、其符あるを要す。例へば、サイハヒ(幸)は、サイワイと發音し、アフギ(扇)アフミ(近江)は、オウギ、オウミと發音し、アフグ(仰)アフヒ(葵)は、アオグ、アオイと發音し、ハフ(破風)ラウ(煙管竹)は、假名のままに發音すれども、ハフ(法)ラウ(牢)は、ホウ、ロウ、と發音するが如し。是等の異同、必ず標記せざるべからず。
其二、語別。例へば、ヤマ(山)カハ(川)等の名詞なる、ワレ(我)ナムヂ(汝)等の代名詞なる、ユク(行)キタル(來)等の動詞なる、ヨシ(善)アシ(悪)等の形容詞なる、ナリ(也)べシ(可)等の助動詞なる、ハナハダ(甚)カナラズ(必)等の副詞なる、マタ(又)サテ(扨)等の接續詞なる、ガ・ノ・ニ・ヲ・ハ・モ・ゾ・コソ等の天爾遠波なる、アア(噫)カナ(哉)等の感動詞なるが如き、其他、数詞、枕詞、發語、接頭語、接尾語の類語毎に必ず標別せずはあるべからず。
其三、語原の説くべきものは、載するを要す。例へば、クレナヰ(紅)は、「呉の藍」の約なる、ホシイマママ(恣)は、「欲しき侭に」の音便なる、ダンナ(檀那)は、梵語、陀那鉢底(施主)の略轉なる、ビロウド(天鴛絨)は、西班牙語Velluda.の轉なるが如き、是等の起原、記さざるべからず。
其四、語釈、語の意義を釋き示すこと、是れ辞書の本分なり。例へば、サイハヒ(幸)は、「好き運命」、クレナヰ(紅)は、「色の赤くして鮮なるもの」、の如き是れなり。又、其意義の轉ずるものは、區別せざるべからず。例へば、ヤマ(山)(第一)本義は、「土の平地より高きもの」、(第二)轉じて「物の堆く積れること、」等の如く、又、ダンナ(檀那)(第一)本義は、「僧より施主を呼ぶ稱」、(第二)轉じて「家人より主人を恩義あるに就きて呼ぶ稱」、(第三)更に轉じて「商業よりして顧客を敬ひ呼ぶ稱」等の如し。
其五、出典。某語の某義なることを證せむとするとき、其事は某典に見えたりと、其出所を擧ぐること、是れなり。
以上五種の解ありて始めて、辞書の體を成すといふべし。此書も、一に其例に從へり。


(三)日本語を以て日本語を釋きたるものを、日本辭書と稱すべし。従來の辭書類、和名鈔、新撰字鏡、類聚名義抄、下学集、和玉篇、節用集、合類節用集、伊呂波字類抄、和爾雅、會玉篇、名物六帖、雑字類編等、枚擧すべからず。然れども、是等、率ね、漢字に和訓を付し、或は、和語に漢字を當てたるものにて、乃ち、漢和對譯辭書にして、純なる日本辭書ならず。而して、希に注釋あるものも、多くは漢文を取れり。又、其語字の排列、索引の方法も、或は漢字の偏旁畫引に従へるあり、又或はイロハ順に従へるものも、其大別に至りては、率ね部門類別の法に據れり。
本篇、各語を、假名にて擧げて、又普通用の漢字、又は、漢名を配したり、是れ、尚對譯の體を遺傅せるが如し。然れども、日本普通文の上には、古來、假名、漢字、并用して、共に通用文字たれば、日本辞書には、此一種異様の現象を存せざるを得ず。
其他、東雅、日本釋名、冠辞考、和訓栞、物類稱呼、雅言集覧等、尚あれど、或は專ら枕詞を論じ、又は方言を説き、或は語原を主として、語原を漏らし、或は雅言の出典のみを示せり。(語彙は阿、伊、宇、衣の部に止る、惜むべし)以上数書の外に、尚許多ある辞書體のものを、遍く集めて其異同を通考するに、尚、全く發音と語別との標記を欠き、固有名を普通語に混じ、且、多く通俗語の採輯を闕略せり。之を要するに、普通辞書として、體裁具備の成書を求めむとすれば、遺憾なきこと能はず。今、本書は衆書の長短得失を取捨折衰し、繁簡異同を刪修増訂して、以て體裁を徴具せしめたり。然りと雖も諸先哲が遺澤なる、是等の諸著作ありたればこそ、本書も成りたれ、されば本書は諸先哲が辛勤功勞の集成なりともいひつべし。


(四)辭書は、文法の規定に據りて作らるべきものにして、辞書と文法とは、離るべからざるものなり。而して、丈法を知らざるもの、辞書を使用すべからず、辞書を使用せむほどの者は、文法を知れる者たるべし。先哲が語學の書、亦乏しからず、和字正濫抄、あゆひ抄、かざし抄、詞ノ玉緒、古言梯、詞ノ八衢、詞ノ通路、山口栞、活語指南等、亦枚擧すべからず。或は仮名遣を論じ、或は動詞の語尾変化を説き、或は語格起結の法を定め、其苦心考定せる所、粗、盡せり。然れども是等先哲の諸著作は、率ね、言語の古音、古義、古格の解し難く誤り易からむものの局虚を釋くを専らとしたれば、通俗語、方言等は固より説かず、且、雅言とするものも、音義分明にして、誤るべきやうなきものは、甚だ闕略せり。故に普通文典として、體裁を一書に具備せるもの、固より無く、又衆書を集めて通考するにも、文典の範圍内に於て、未だ論及せざる件、尚、多し。されば、本書を編纂するに當り、遍く古今雅俗の語を網羅して、一一之を區別せむとするに際して、語別、名稱の何と呼び何に入るべきか不定なるもの、假名遣、語格の不定なるもの古今、都鄙、語、同じくして、用法を異にするもの等、輩出して、甚だ判定に苦めり。是に於て、別に一業を起して、數十部の語學書を参照し、假名遣、語格の基本に至りては、契沖、真淵、宣長、春庭、義門等、諸哲の規定に據りて、其他に推及し、而して、西洋文法の位立を取りて、新に一部の文典を編して、其規定を本書に用ゐたり。されば、文法専門の新造語も多く出来れり。此書の篇首に語法指南とて掲げたるは、其文典中の規定の、辞書に用ある處を摘みたるものなれば、此書を覧む者は先づ之に就きて、其規定を知り、而して後に、本書を使用すべし。


(五)従來、語學家は、概して、古くよりある語を雅言と稱し、後世出來れる語を俗言と稱するが如し。是れ、其謂はれ無きが如きを覺ゆ。年代を以て別を立てむには、中古言も上古言に比べば、俗言と謂はざるを得ざらむ。蓋し、雅俗の別は年代に因りて起るにはあらずして、貴賤、都鄙、文章、口語の上の所用に因りて起るなるべし。古言中にも雅俗あらむ。今言中にも雅俗あらむ。古くは雅言なるが、後に俗言となれるもあらむ。古くは俗言なるに、後に雅言となれるもあらむ。又、古雅なりとて、今世普通に用ゐられざるものは、死言といふべく、今俗なりとて、日常に用をなすものは、活言といふべし。此篇古今の衆語を網羅したれども、其雅俗、死活の別は、すべて此義に據れり。


(六)漢土の文物、盛に入れば、漢語、遍く行はれ、佛教勢を得れば、梵語佛経語用ゐられ西洋の交通、大に開くれば、洋語随ひて來ること、自然の勢にして、又、従來、我國に無かりし事物の、其國國より來れるには、随ひて其國國の名稱を用ゐること、亦理の當然にして、且、便利なりとすべし。此篇中、諸外國語も、入りて日常語となれるは皆取れり。近頃入れる洋語のピストル(短銃)ガス(瓦斯)メシン(裁縫機)の如き、既に略定まりて用ゐらるるは皆收めたり。


(七)近年、洋書翻譯の事、盛に起りてより、凡百の西洋語率ね譯するに漢語を以てせり。是に於て、新出の漢字譯語、甚だ多し。然れども其學術専門語の高尚なるものは收めず、普通の語に至りても、學者の譯出新造の文字、甲乙區區にして、未だ一定せざるもの多し。故に是等の語も、篇中に收めたる所、甚だ多からず。應に後日一定の時を待つべし。其他、新官衙、職制等の倏忽に廢置變更せるもの、亦然り。


(八)辞書の體例は、首條條に述べたるが如くなるべしと難も、編纂の上に就きて、浩瀚ならむを旨とするあり、簡約ならむを旨とするあり、浩瀚は、大辭書の集成に望むべくして、遽に及ぶべきにあらず。今、此篇は、簡約を旨として、凡そ收めし所の言語の區域、及び解釋等の詳略は、大約、米國の碩學<u>[[ヱブスター]]</u>氏の英語辞書中の「おくたぼ」と稱する節略體のものに傚へり。故に、發音、語別、語原、語釋(東西同事物の釋の如きは、洋辭書の釋を譯して挿人せるもの多し)等は微具せしめたれども、出典に至りては、淨書の際、姑く除けり、簡册の袤大とならむを恐れてなり。其全備の如きは、後の大成に讓らむとす。


(九)此篇に引用參考せる和漢洋の典籍は、無慮、八百餘部、三千餘巻に渉れり。其他、或は耳聞せる所を取り、或は諳記せる所を筆し、或は自ら推考せる所をも記せり。其一一出所を擧げざるは、前述の如し。各語に當てたる漢名の出所も、亦然り。


(十)各語を、字母の順にて排列し、又索引するに、西洋の「あるはべた」は、字数、僅に二十餘なるが故に、其順序を諳記し易くして、某字の前なり、後なり、と忽に想起することを得。然るに、吾がイロハの字數は、五十弱の多きあるが故に、急に索引せむとするに當りて、某字は、何邊ならむか、と瞑目再三思すれども、遽に記出せざること多く、その在らむと思ふ邊を、前後數字、推當てに口に唱ヘて、始めて得ることとなる。(一語中の第二、第三、四、五等の音も亦然リ、困苦想ふべし)、此事、慣れ易かるべくして、甚だ慣れ難きは、編者が編纂數年間の實驗に因て、確に知る所なり。扨、又、五十音の順序は、字數は、イロハと同じけれども、先づ、アカサタナ、ハマヤラワの十音を記し、此十箇の綱を舉ぐれば、其下に連るカキクケコ、サシスセソ等の目を提出すること、甚だ便捷にして、イロハ順は、終に五十音順に若かず。因て、今は五十音の順に從へり。


(十一)此書、明治八年二月、命を奉じて起草し、十七年十二月に至て成橋せり。初め、先づ、今古雅俗の普通語を、假名の順序を以て、蒐輯分類せること四萬許、次に之が解釋に移れり。然るに、各語を逐ひて、一一之に語別、語釋、語原等を付せむとするに當て、書册の記述なく、文献の徴すべからざるもの多く、而して、其語は、和、漢、梵、韓、[[琉球]]、[[蝦夷]]、[[葡萄牙]]、[[西班牙]]、([[南蠻]])[[和蘭]]、[[羅甸]]、英、佛等に渉りて、中外、古今、雅俗、凡そ、宇宙三才、森羅萬象の事事物物の語の出來ることなれば、其解釋の間に、書に就き、人に就き、此に索め、彼に質して、其年月を徒費せしこと、實に豫想の外にありき。且前述の如く、假名遣、語格の未定なるもの多く、因て、新に一業を起して、文法を考定することとなりて、更に、又、年所を歴、此前後、公務の他書編輯に渉れることも少からず、而して、通篇の編纂、校訂、實に并に獨力に出でたれば、遂に十年の歳月を費せり。抑も、編者の年齒なる、淺学寡聞なる、其誤脱なく、迅速ならむこと、固より望むべからざるのみならず、畢竟、當初、自ら辭せずして、此重命を奉じたること、多く其量を知らざるを見るのみ。然りと雖も、九層の臺も、累土より起り、百仞の高きも、足下より始まる、聞くならく、歐人の書を著はす、其第一版發行のものは、著者、看者、共に、例に、其誤謬あらむを、業の免るべからざるものとし、必ず、年所を逐ひて、刪修潤色の功を積み、第二版、三版、四五版にも至りて、始めて完備せしむと云ふ、此書の如きも、亦然り、唯、後の重修を期せむのみ。

明治十七年十二月 文部省准奏任御用掛 大槻文彦識


本書、草稿全部、去年十月、文部省より下賜せられたり、因て私版として刊行す、文彦又識
明治二十二年一月
(原文と片仮名平仮名逆。ただし「あゆひ抄」「かざし抄」「ヱブスター」は本のママ) 
<<

[[『言海』]]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992954/5

トップ   編集 差分 履歴 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS