#author("2021-08-09T23:40:09+09:00","default:kuzan","kuzan")
http://uwazura.seesaa.net/article/8947613.html
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1177471/195
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 おれが、此一両年、始て外出を止められたが、毎日〳〵諸々の著述、物の本、軍談、また御当家の事実、いろ〳〵と見たが、昔より皆々、名大将、勇猛の諸士に至まで、事々に天理を知らず、諸士を扱ふ事、又は世を治るの術、乱世治世によらずして、或は強勇にし、或はぼふ悪く、或はおごり、女色におぼれし人々、一事は功を立るといへ共、久しからずして天下国家をうしなひ、又は知勇の士も、聖人の大法に省く輩は、始終の功を立ずして、其身の亡びし例し、あげてかぞへがたし。和漢とも皆々天理にてらして、君臣の礼もなく、父兄の愛もなくして、とんよくきょふしゃ故に、全き身命を亡ぼし、家国をもうしなふ事、みな〳〵天の罪を受る故と、初めてさとり、おれが身を是までつゝがなくたもちしはふしぎだと思ふと、いよ〳〵天の照覧をおそれかしこみて、なか〳〵人の中へも顔出しがはづかしくて出来ずと思ふは、去ながら昔年、暴悪の中よりして多くの人を金銀をもおしまず世話をしてやり、又人々の大事の場合も助けてやったから、夫故に少しは天の恵みがあった故、此様にまづあんのんにしているだらふと思ふ。
 息子がしつまい故に、益友をともとして、悪友につき合ず、武芸に遊んでいて、おれには孝心にしてくれて、よく兄弟をも憐み、けんそにして物を遣はず、麁服をもはぢず、麁食し、おれがこまらぬよふにしてくれ、娘が家内中の世話をしてくれて、なにもおれ夫婦が少しも苦労のないよふにするから、今は誠の楽隱居になった。
 おれのよふな小供が出来たらば、ながく此楽は出来まいと思ふ。是もふしぎだ。神仏には捨られぬ身と思ふ。孫や其子はよく〳〵義邦の通りにして、子々孫々のさかえるよふに心がけるがいゝぜ。
 年は九歳からは外の事をすてゝ、学文して、武術に昼夜身を送り、諸々の著述本を見るべし。へたの学問よりははるか増だから、女子は十歳にもなったらば、髪月代を仕習て、おのれが髪も人手にかゝらぬよふして縫はりし、十三歳くらゐよりは、我身を人の厄介にならぬよふして、手習などもして、人並に書く事をすべし。他へかてても、事をかゝず一家を治むべし。おれが娘は十四歳のときから、手前の身の事は人の厄介になった事はない。家内中のものが却て世話になる。
 男子は五体を強よくして、そしきをして、武芸骨をり、一芸は諸人にぬき出ていを逞ましくして、旦那の為には極忠をつくし、親の為には孝道を専らにして、妻子にはじあいし、下人には仁慈をかけてつかひ、勤をばかたくして、友達には信義をもって交り、専らにけんやくしておごらず、そふくし、益友には厚くしたひて道をきゝ、師匠をとるなら、業はすこし次にても、道に明らかにして俊ぼくの仁をゑらみて入門すべし。
 無益の友は交るべからず。多言を云事なかれ。目上の仁は尊敬すべし。万事内輪にして慎み、祖先をまつりてけがすべからず。勤は半時早く出べし。文武を以て農事と思ふべし。少しも若き時はひまなきよふ、道々を学ぶべし。ひま有時は外魔が入て身をくづす中だち也。遊芸にはよる事なかれ。年寄は心して少しはすべし。過ればおのれのよふになる。
 庭へは諸木を植ず、畑をこしらへ、農事をもすべし。百姓の情をしる。世間の人情に通達して、心にをさめて外へ出さず守べし。人に芸の教授せば、弟子を愛して誠を尽し、気に叶ぬものには猶〳〵丹誠を尽すべし。ゑこの心を出す事なかれ。万事に厚く心を用ひする時は、天理にかなひて、おのれの子孫に幸あらん。何事も勤と覚らば、うき事はなかるまじ。
 第一に利欲は絶つべし。夢にも見る事なかれ。おれは多欲だから今の姿になった。是は手本だ。高相応に物をたくわへて、若、友達か親類に、ふ慮の事があったならば、をしまずほどこしやるべし。
 縁者はおのれより上の人と縁組べからず。成丈にひん窮より相談すべし。おのれに勝るとおごりかって、家来はびんばう人の子を仕ふべし。年季立たらば分限の格にして片付てやるべし。
 女色にはふけるべからず。女には気を付べし。油断すると家を破る。
 世間に義理をばかくべからず。友達をば陰にて取なすべし。常住坐臥とも、にうわにして、家事を治め、主人のいかうをおとすことなし。
 せいけんの道に志て、万慎みて守るときは、一生安穏にして、身をあやまつ事はなかるまじ。
 おれは是からはこの道を守心だ。なんにしろ学問を専要にして、能く上代のをしへにかなふよふにするがいゝ。随分して出来ぬ事はないものだ。それになれるとしまひには、らくに出来る物だ。
 けっして理外の道へいることなかれ。身を立て、名をあげて、家をおこす事がかんじんだ。譬へばおれを見ろよ。理外にはしりて、人外の事ばかりしたから、祖先より代々勤めつゞいた家だが、おれがひとり勤めないから、家にきづを付た。是が何寄の手本だは。
 今となりて覚て、いく様も後悔をしたからとて、しかたがない。世間の者には悪輩のよふにいわれて、持てゐた金や道具は、かしとりにあいて、夫を取にやれば、隠居が悪法で拵らへた道具だから、何返すに及ずといふし、金もまた、その心持で居るから、ろくに挨拶もせずによこさぬは。悟ば向ふが尤と思ふ。よい。かよふの事が出ても、人をばうらむものではない。みんなこちちのわるいと思ふ心がかんじんだ。怨敵には恩を以てこたへば、間違はない。おれは此度も頭よりおしこめられてから、取扱のものどもをうらんだが、よく〳〵考へて見たらば、みんなおれが身より火事を出したと気がついたから、まいばん〳〵罪ほろぼしには、ほけ経をよんで、陰ながら、おれにつらく当ったと、おれが心得違た仁々は、りっしんするよふに祈てやるから、そのせいか、此ごろはおれの体も丈夫になって、家内のうちに、なにもさいなんもなく、親子兄弟とも一言のいさかひもなく、毎日〳〵笑てくらすは、誠に奇妙のものだと思ふから、子々孫々も、こふしたらば、よかろふと気がつゐた故に、ひまにあかして、折々書付た。善悪の報ひをよく〳〵味はふべし。
 恐多くも東照宮の御幼少の御事、数年の御なんせん故に、かくの如くに太平つゞき、万事さかへるうれひ忘れ、妻子をあん楽にすごし、且は先祖の勤苦、思ひやるべし。夫より子孫はふところ手をして、先祖の貰た高を取うけて、昔を忘れて、美服をき、美味をくらひ、ろくの御奉公をも勤めざるは、不忠不義ならずや。こゝをよくおもって見ろ。今の勤めは畳の上の畳事だから、少もきづかひがないは、万一すべってころぶくらいの事だ。せめては朝は早く起く、其身の勤にかゝり、夜は心を安して寝て、淡白のものを食し、おごりをはぶいて諸道に心をつくし、不断のきるいは破れざれば是として、勤の服はあかのつかざれは是とし、家居は雨もらざれはよしとし、畳きれざれば是として、専らに、けん素にして、よく家事を治め、勤めつき合には、身分に応じて事をすべし。なんぼけんやくをすればとて、吝しょくはすべからず。倹吝の二字を味をふてすべし。数巻の書物をよんでも、心得が違ふと、やろふの本箱字引になるから、こゝを間違ぬよふにすべし。武芸もそふだ。ふころの業を学ぶと、支体かたまりて、やろふの刀掛になる故、其心すべし。
 人間になるにも其通りだ。とくよく迷ふと、うはべは人間で、心は犬猫もどふよふになる。真人間になるよふにい心懸るが専一だ。文武諸芸ともみな〳〵学ぶに心を用ひざれば、不残このかたわとなる。かたわとなるならば、学ばぬがましだ。よく〳〵この心を間違ぬよふに守が肝要だ。
 子々孫々とも、かたくおれがいふことを用ゆべし。先にもいふ通り、おれは今までも、なんにも文字のむつかしい事はよめぬから、こゝにかくにも、かなのちがひも多くあるから、よく〳〵考へてよむべし。
  天保十四寅年の初冬、於鶯谷庵かきつゞりぬ
                           左衛門太郎入道 夢酔老


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