#author("2021-08-09T23:41:25+09:00","default:kuzan","kuzan")
[[坪内逍遙]]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/887426
>http://blog.livedoor.jp/bunkengaku/archives/50711902.html>
新潮日本文学大辞典 高須芳次郎
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はしがき
 英のクレイク翁アリボン翁などは批評家の尤物株なり。古今の小説家の著作を評して勝手放題なる小言をいひ、また非評もいはれたりき。さはあれ、件の翁たちにお説のやうなる完全なる稗史を著てよと乞ひたらんには、予には不能と逡巡して、稗史は著で頭を掻べし。これ他なし、小説の才と小説の眼と相異なるがためなるのみ。眼ある者必ず才あるにあらず、才ある者いまだ必ずしも眼あらざるなり。予輓近『小説神髄』といへる書を著して大風呂敷をひろげぬ。今|本篇を綴るにあたりて、理論の半分をも実際にはほとほと行ひ得ざるからに、江湖に対して我ながらお恥しき次第になん。ただし全篇の趣向の如きは、おさおさ傍観の心得にて写真を旨としてものせしから、勧懲主眼の方々にはあるひはお気に入らざるべし。予は敢てこの書の中より模範となるべき人物をば求めたまへと乞ふにあらず。他の行見て我風なほし、前の人車の覆るを見て降坂なら|降車たまへと暗に読者に乞ふのみなり。作者は勧懲を主とせざれども、此を訓誨の料にすると此を奨誡の資にするとは、読者輩の心にあり。飴は味ひいと美き一種の食物に外ならねど、用ひやうにて孝行息子が親を養ふ良薬にもなり、盗賊が窃盗のすてきな材料にもなりしと聞く。作者は皿大の眼を開きて学生社界の是非を批評し、この書の中に納めたれば、読者輩は地球大の智慧の袋の口を開きて是非曲直を分別して、陋劣を去り、薩きを取る実際の用に供へたまはば、美術の名ありて簾といふべも覲が未熟なる稗史の中にも、人の気格を高うすてふ自然の効用のなからずやは。あなかしこ、心して読ませたまへ。
  十八年の五月といふ月やうやうに散りてゆく庭前の八重桜に落残る月の下に。
                           [[春のやおぼろ]]
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