#author("2020-07-28T23:39:35+09:00","default:kuzan","kuzan")
三澤諄治郎
『韻鏡諸本 並関係書目』
昭和二十六年一月(五月?)

謄寫版
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA30539635
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB01823778


//1,[[文鏡秘府論]],806-823,六巻,大同・弘仁の間、沙門空海の著、書中に「調四声譜」「四声論」の項があり、[[沈約]]の佚文その他を引く所が多い。



//2,[[九弄図記]],-863,1巻(佚書),釋[[圓仁]]の著として、[[眞源]]の[[悉曇目録]]に見える。圓仁は唐土から始めて[[九弄図]]を将来した。貞観五年寂。



//3,[[悉曇蔵]],880,八巻,元慶四年、五大院[[安然]]の著。内外百家の説を集成し、引證該博、論述極めて組織的、清濁、軽重、怒柔、内外、通落、紐雙などの説がある。第二巻に[[沈約]]の「[[四声譜]]」を引く。(四声譜は漢土に於て佚した書である)応徳二年の写本を叡山の惠心院に蔵する。



//4,[[九弄図私記]],-940,一巻,法性房、釋[[尊意]]の著。赤堀氏の「[[日本文学者年表]]」に見える。(「[[玉篇の研究]]」にも。)尊意は天台座主、天慶三年寂。

//5,[[四声五音九弄反紐図]],-1141,写一巻,法生房(又、宝生坊)[[教尋]]の著。[[九弄図]]についての私記である。[[東寺]]の[[観智院]]蔵。[[岩崎文庫]]蔵。教尋は悉曇学僧。永治元年寂。([[小西甚一]]「[[文鏡秘府論考]]」上、参照)

//6,[[反音抄]],1275,一巻,文永十二年、小川の[[承澄]]著。承澄は教尋の孫弟子にあたる。その大著「[[阿娑バ抄]]」に収む。([[大日本仏教全書]]所収)[[反切]]の論。☆年代前後するも、此處に位置せしむ。

//7,信範本韻鏡◎,1252,写一巻(佚),建長四年、明了房信範書写の奧書あるもの、日本で最古の韻鏡。東京大学に在ったが、大正震災で焼亡。信範本と享禄本との対校異同が[[大矢博士]]の「[[韻鏡考]]」に出てゐる。信範は小川の承澄の高弟。

//8,佐藤本韻鏡◎,?,写一巻,[[大東文化学院]]の教授であった故[[佐藤仁之助]]旧蔵。書写年代は不明であるが、[[馬淵和夫]]氏の調査によって、信範本と殆ど内容が一致すること確められた。佐藤琴子氏蔵。(「国語と国文学」昭和十八年四月号、馬淵氏論文参照)《馬渕氏著書新板に?》

//9,[[悉曇私抄]],1260,写二巻,文応元年十月、明了房信範の著。書中に韻鏡を引いてゐる。[[九弄十紐図]]を収めてゐる。[[東寺]]蔵。[[叡山文庫]]の[[天海蔵]]にも在る。

//10,[[反音抄聞書]],?,写一巻(本と末とあり),信範がその師[[承澄]]の「[[反音抄]]」を注解したもの。書写年月不明。[[高野山正智院]]蔵。(小西氏「文鏡秘府論考」上、参照)

//11,[[九弄十紐図聞書]],1280,写一巻,「[[九弄聞書]]」ともいふ。弘安三年、釋[[教遍]]の著。唐院本九弄を注解したもの。[[東寺]][[観智院]]に二部を蔵する。(小西氏「[[秘府論攷]]」上、参照)

//12,[[調声要決鈔]],1283,写一巻,弘安六年六月、信範の著。反切論で、書中に「[[九弄図正誤訣]]」がある。(同上参照)

//13,[[悉曇字記抄]],1285,写八巻,弘安八年七月、信範の著。「信範抄」「明了房抄」とも呼ばれる大著である。書中に韻鏡を引く。写本は[[東寺]]蔵、[[東京図書館]]蔵。明暦二年(一六五六)には刊行された。

//14,[[九弄十紐図私釈]],1285,写二巻,弘安八年十月、信範の著。韻鏡を引く。[[真福寺]]蔵本が最古の完本である。その他、[[岩崎文庫]]本(下巻)、観智院本、[[正智院]]本、[[高野山真別處]]本がある。[[弘文荘待賈書目]]第十四号にも下巻一帖を出してゐる。

//15,[[元盛五音疏]],1278-1320,巻数不明佚書,「[[道惠抄]]」「[[私抄略]]」「[[印融抄]]」「[[三折一律抄]]」「[[切要抄]]」「[[開奩]]」に引かれて居るが、正確な書名は不明。[[元盛]](ゲンセイ)の著。[[馬淵和夫]]氏によれば、弘安・元応間の成立であらうといふ。開奩(巻四)には「[[五音指元盛疏]]」とあるが、広くは「[[元盛疏]]」と呼ばれる。反切の解説書。

//16,[[元徳本韻鏡抄]],1331,写一巻,元徳三年、[[玄恵]]の著であるが、墨付十丁の零冊。[[読書難]]、[[五音清濁]]、[[四声定位]]、[[列圍]]に訓点を施し、[[九弄図]]にも及んでいる。[[岩崎文庫]]蔵。

//17,[[指微韻鏡略抄]],1387,写一巻,權僧正[[実嚴]]の著。至徳四年、[[惠鏡]]の奥書がある。内容は後に掲げる「[[反音抄]]」([[照珍]])と「[[七種反音]]」([[宗杲]])とを合したものに等しい。福井県丹生郡糸生村、浄勝寺旧蔵。《[[岡井慎吾]]氏蔵本を写したもの[[国会]]に》

//18,[[三折一律抄]],-1404,上の末を[[高野山]]図書館に蔵するが、作者は明かでない。次に掲げる[[覺算]]の「[[私抄略]]」に「[[三十六字母]]、[[帰納助紐字]]、如別紙、三切一律也」「二冬韻、一先韻、私抄(三切一律)馮韻之條々、如謂之、可見之也」とあるから、この書も[[覺算]]の著と思はれる。(馬淵氏の前掲論文参照)

//19,[[三切抄]],?,後に掲げる「[[三四反切私抄]]」に引かれて居るが、具名不詳。[[慈月坊覺算]]の著。[[覺算]]は應永二十四年(一四一七)寂。思ふに本書は「三折一律抄」と同一の書か。

//20,[[指微韻鏡私抄略]],1404,写一巻,[[覺算]]の講述を門弟の[[俊睿]]が聞書したもの。應永十一年の奥書がある。故[[岡井慎吾]]博士が一本を蔵し、昭和十一年に影印刊行せられた。又、河内の[[金剛寺]]にも一本を蔵する。

//21,[[一巻抄]],?,写一巻,「[[三四反切抄]]」にこの書の文を引いて居る。具名は不詳。[[覺算]]の著。

//22,[[韻鏡略抄]],-1401,写一巻,僧、[[絶海中津]]の著。[[京都大学]]蔵。[[絶海]]は正平二十三年(一三六八年)明国に入り、天授四年(一三七八)に帰朝、応永八年(又説、応永十二年)に寂した。

//23,[[反音抄]],1408,一巻,一名「[[韻鏡秘訣]]」、大用上人[[照珍]]の伝へたもの。「[[指微韻鏡略抄]]」の前半と同じい。応永十五年作。[[続群書類従]]、第八八八に収む。「[[韻鏡秘訣]]」は[[高野山正智院]]蔵。(小西氏「[[秘府論考]]」上、参照)

//24,[[指微韻鏡抄]],1418,写五巻,僧[[道惠]]の著。「[[道惠抄]]」「[[道惠の五巻抄]]」「[[指微抄]]」などと呼ばれた。古写本の後半部は[[大谷大学]]蔵。応永二五年[[聖清]](セウシヤウ)の識語がある。後、承応三年(一六五四)に刊行せられた。「[[五巻抄]]」外題「[[韻鏡私]]」といふのを[[川瀬一馬]]氏蔵。(馬淵氏前掲論文参照)

//25,[[韻鏡字相伝口授]],1423,写一巻,[[頼勢]]の著か。桑門[[実慶]]の写。応永三十年の奥書あり。故[[大槻博士]]旧蔵。

//26,嘉吉本韻鏡◎,1441,写一巻,奥書に「嘉吉元年中春候。權律師、[[俊慶]]」とあり。[[醍醐三宝院]]蔵。昭和十二年に影印せらる。

//27,[[七種反音]],1449,写一巻,書名も無い巻子本で「七種反音者……」といふ句から始まる。その本づく所は[[実嚴]]の「[[指微韻鏡略抄]]」の後半と同じ。宝徳元年、僧[[宗杲]]の写。[[東寺観智院]]の蔵。

//28,[[五韻反]],1485,写一巻,美濃紙十一枚の仮綴。文明十七年、[[任尭]]の著。[[高野山金剛三昧院]]蔵。([[高野山大学]]図書館寄託)([[岡井博士]]の「[[日本漢字学史]]」参照)

//29,[[三四反切私抄]],1487,写一巻,[[印融]]の著。書中に[[元盛疏]]、[[道惠五巻抄]]、[[覺算]]の[[三切抄]]、[[一巻抄]]を引く。内容は殆ど[[三切一律抄]]を襲用する由。奥書に「文明十九丁未初冬之頃、為松寿稽古、令草案之、同延徳三年辛亥初秋之頃、重而令再治了、印融」。世に「[[印融抄]]」として名高い。[[東寺]]蔵。[[静嘉堂文庫]]蔵。[[川瀬一馬]]氏蔵。(三沢も又一本を蔵する)《三沢本、福永氏著書に》

//30,[[韻鏡珪玷集]],?,写二巻,[[韻鏡序例]]の解釈。著者も年月も不明であるが書中に[[印融抄]]のことを論じてゐるからこゝに序次する。[[高野山大学]]図書館に二本を蔵する。名古屋大須の[[宝生院]]にも一本を蔵する。

//31,延徳本韻鏡◎,1491,写一巻,延徳二年の識語あるもの。本文は異筆で、それ以前の写であらうといふ。[[龍門文庫]]蔵。(馬淵氏前掲論文「[[韻鏡諸本考]]」参照)

//32,文亀本韻鏡◎,1502,写一巻,巻末奥書に「自現良意法印相伝、[[高野山惣持院]]当住、阿闍梨[[快盛]]、于文亀二年八月廿八日書畢」とあり、[[高野山宝亀院]]旧蔵。[[亀田次郎]]氏「[[韻鏡古注と道恵抄]]」([[立命館文学]]、3ノ7)[[弘文荘待賈書目]]、第十五号参照。

//33,大永本韻鏡◎,1526,写一巻,大永六年に[[菅原和長]]の書写したのを、大永八年に[[藤原言継]]の移写したもの。現所在不明であるが、その奥書が「[[古事類苑]]」に載せてある。この書を以て寛永十八年本に校合を加へた韻鏡を[[川瀬一馬]]氏所蔵すと。(馬淵氏前掲論文参照)

//34,享禄本韻鏡◎,1528,刊一冊,享禄元年に日本で初めて印刊せられた韻鏡。刊行者は堺の[[宗仲]]で、[[清原宣賢]]の跋文がある。[[三条西実隆]]が宗中論師宛の書状に「・・抑韻鏡開版之由聞及候、一覧大切候、餘本候者、一本可預芳志候・・」とある。([[堺市史]]所収)(「[[日本書誌学の研究]]」参照)[[岩崎文庫]]蔵、[[成簣堂文庫]]蔵、[[吉沢義則]]博士蔵。

//35,享禄本無跋韻鏡◎,1528,刊一冊,[[龍谷大学]]蔵。本願寺十二世[[准如上人]]の蔵書印がある。[[宣賢]]の跋文は削って刷ってあるが紛れもない享禄印本であると推定せられてゐる。(川瀬氏、馬淵氏論文参照)亀田教授の識語「この書は准如上人愛蔵の享禄板無跋本なり。天下の古本珍重すべし。」

//36,[[韻鏡秘訣]],-1529,写本(巻数不明),[[東坊城和長]]の「[[元号字抄]]」([[続群書類従]]、第二七八)に引かれてゐる。[[和長]]は享禄二年没。又、[[東寺観智院]]に同名の書がある。両者の関係は不明。

//37,天文本韻鏡◎,1539,写一巻,[[岩崎文庫]]蔵。奥に「□己亥三月吉日書写畢、執筆[[文隆]]、歳次三十八才。」享禄の跋を有する写本で、享禄本に他本で校訂を加へたものの書写。天文八年と推定せられる。

//38,永禄本韻鏡◎,1564,刊一冊,享禄本の板木に重校を加へたもの。巻末に埋木して次の刊記を白字で出してゐる。「頃間求得宋慶元丁巳張氏所刊之的本而重校正焉、永祿第七歳舍甲子王春壬子」。[[岩崎文庫]]蔵。[[久原文庫]]蔵。[[京都大学]]蔵。「[[古逸叢書]]」にも収められた。

//39,元亀本韻鏡◎,1571,写一巻,故[[佐藤仁之助]]教授旧蔵本。奧書「元亀二歳辛未梅月上旬日、孝山老衲書之」内容は享禄本とも違ふ所があるといふ。現在佐藤琴子氏蔵。

//40,享禄本韻鏡伝写本◎,1571,写一巻,[[身延文庫]]蔵。奧書「元亀二辛未夷則朔日、翰者林珖房日整」。身延山十六世貫主日整の書写。川瀬氏「日本書誌学の研究」一七〇六頁参照。

//41,韵鏡私書,?,写一巻,旧尾州徳川家の蓬左文庫蔵。室町末期写。川瀬氏「日本書誌学の研究」の中、「駿河御譲本」参照。

//42,韻鑑紀聞,?,写一巻,「弘文荘待賈古書目」第十四号に見ゆるもの。韻鏡の伝来、序文の注解。

//43,慶長十年本韻鏡◎,1605,刊一冊,本宮泰彦氏「日本印刷文化史」に見ゆるもの。その書題跋集に「韻鏡、慶長十年刊、京都久原文庫蔵。(序文末刊記)慶長乙巳重刊」とあるが、従来耳にせぬものである。張氏序文の末にはどの本にも「慶元丁巳重刊」の文字が有るが、両者の近似に一片の疑雲が漂ふ。

//44,慶長活字本韻鏡◎,1608,刊一冊,宮内府御蔵、木活字本。刊記「慶長戊申中春日、下洛涸轍書院新栞」(戊申は十三年にあたる)若干の誤植が目につく。例へば序文の「二冬韻」が「二冬籟」、「鷄鳴」が「鷄嗚」の如き。川瀬氏「古活字版の研究」参照。

//45,元和本韻鏡◎,1615-1623,刊一冊,無跋無刊記なので従来単に「古版韻鏡」と呼ばれたが、黒川春村は元和刊ならんと推定した。(岡本保孝「韻鏡攷」参照)これに二種あって、、序例に界行の有るのと無いのとあり其他内容に若干の差が有る。後者は前者の訂正本と見られる。近時は寛永頃の刊ならんと言はれてゐる。岡井博士旧蔵(三沢も亦、有界、無界両書を蔵する)慶長活字本の系を引き、誤植を継承してゐる箇所が多い。

//46,[[韻学秘典]],1621,写四巻,内閣文庫蔵。土師玄同(菅得庵)の著。元和七年写とあるが、正集に「音韻日月燈」の引用があり、[[日月燈]]は明の崇禎六年(日本の寛永十年)の序があるから後出の筈、依って本書もずっと後の作だろうと言はれる。(馬淵氏説、小西甚一氏所引)、正集第一巻仮名反切秘伝、第二巻名乗反切秘伝、第三巻諸例秘釈、第四巻[[調韻秘訣]]、続集、九弄図解。(日本漢字学史参照)

//47,[[韻鏡看抜集]],1624,写一巻,紙数三十枚に足らず、序例、調韻指微等を本文とし頭注を施したもの。[[東京大学]]図書館旧蔵、「寛永元年十一月、宗寛書写」。東京大学国語研究室旧蔵。「寛永十一天甲戌三月廿一日午刻書写畢、下野国皆川庄木村にて云々、來雲生年(三二八歳)哀哉哀哉」。[[京都大学]]目録にも一本見える。○[[国書解題]]に依れば写本二巻、寛永二年乙丑の校合本、東京大学図書館保存とある。○[[後藤朝太郎]]「[[文字の研究]]」には二巻釈[[惠善]]撰、東大図書館蔵とある。《国会》

//48,[[等子韻鏡]],-1626,(不明),「韻鏡切要鈔」「韻鏡開奩」に引いてゐる。二十一段(転)に分つとあるから「四声等子」に拠って作られたものか。但し四声等子は二十転であり、引用文に的合する所は現行のには見当らぬ。

//49,[[韻鏡切要鈔]],1626,刊一冊,寛永三年、[[徃誉無絃]]の著。(諸書に[[堯誉]]或は[[住誉]]とあるのは誤)序例の解、及び反切を主としてゐる。書中に「[[等子韻鏡]]」「[[韻開]]」「[[元盛疏]]」「[[道恵抄]]」を援く。作者名も刊年もないが、「[[韻鏡頓悟集]]」や「[[韻学発蒙]]」によって知られる。

//50,[[韻鏡開奩]],1627,刊六冊,寛永四年、[[自等庵]]法橋[[宥朔]]の著。第一巻、各転校勘、不載字母、助紐字説。第二巻、六対十二反切例。第三巻、字子略。第四巻、第五巻、序例解。第六巻、九弄十紐図解。(慈覚大師将来図による。)正保四年および万治二年に重刷した。

//51,寛永五年本韻鏡◎,1628,刊一冊,寛永五年孟夏板、大よそ元和本により初に「五音五位の次第」「アヤワ喉の歌」を添へ、本図に十六通摂を記入したのは此書を以て初見とする。中型本。○刊記に「十兵衛開版」といふ文字の有るのと無いのとがある。([[奥野彦六]]氏「[[江戸時代の古版本]]」参照)《[[勉誠社文庫]]([[三根谷徹]]蔵)》《[[福井大学]][[好日文庫]]「市兵衛?」》

//52,寛永九年本韻鏡◎,1632,刊一冊,奥野彦六氏「江戸時代の古版本」、寛永板本目録の中に見える。中型本。

//53,寛永十二年本韻鏡◎,1635,刊一冊,奥野彦六氏「江戸時代の古版本」に見える。大型本。

//54,寛永十八年本韻鏡◎,1641,刊一冊,大型本。享禄本が一旦慶長元和の頃に刊行せられ、更に寛永十八年に刊記を入れられたものとの説が有る。内容は享禄本と同じである。昭和四年に佐藤仁之助教授の手によって景印せられた。

//55,寛永二十一年本韻鏡◎,1644,刊一冊,寛永五年本を襲うた中型本。但し、末頁に「指微韻鑑」の文字なく跋文の文字も大きい。

//56,正保二年本韻鏡◎,1645,刊一冊,寛永五年本の系を引く中型本。

//57,正保四年本韻鏡◎,1647,刊一冊,馬淵和夫氏の前掲論文に見える。中型本。

//58,慶安元年仲秋本韻鏡◎,1648,刊一冊,宮内庁御蔵。寛永五年本の系に属する中型本。

//59,慶安元年異版本韻鏡◎,1648,刊一冊,東京図書館蔵。中型本。

//60,[[指微韻鏡抄]],1654,刊五冊,承応三年刊。僧[[道惠]]の著(即ち本書目の二四番)を刊行したもの。すでに寛文書目、元禄書目に見える。

//61,明暦本韻鏡◎,1656,刊一冊,寛文十八年本の重刷。刊記「明暦二丙申初秋吉祥日」

//62,万治二年本韻鏡◎,1659,刊一冊,馬淵氏前掲論文中に見える。中型本。

//63,万治本頭書韻鏡◎,1660,刊三冊,[[岡本保孝]]「[[韻鏡攷]]に見えるもの。韻鏡の本図の上右下の三方に字子を出す。尚、[[国学院雑誌]]明治三十九年二月号、[[岡井慎吾]]「韻鏡学書目解題」参照。万治三年刊。

//64,大字韻鏡◎,1662,刊一冊,寛永十八年本、明暦本の摸刻。外題は「(新刻)韻鏡」であるが序例に訓点がなく大字を以て刻せられ、中型本に比してか字も大きいので大字韻鏡と通称せられた。刊記「寛文二(壬寅)霜月穀日、高橋清兵衛」

//65,改字韻鏡◎,?,刊一冊,[[龍谷大学]]蔵。題箋が破缺してゐるが「改字韻鏡」と判ぜられる。体裁はすべて大字韻鏡と酷似し、刊年なく「書林 古川参郎兵衛」とあるのみ。依ってこゝに序次する。

//66,韻鏡遮中鈔◎,1663,刊四冊,寛文三年、太田嘉方の著。一名、「頭書韻鏡」「首書韻鏡」「古版遮中鈔」などと呼ばれるものである。第一冊は主として序例の遮中解、六対十二反切例。第二冊以下に「頭書韻鏡」三冊を収める。その内題は「韻鏡字子」とあるので書名に混乱を感じる。本書は新渡の「音韻日月燈」によって大に改竄を加えている。

//67,頭書韻鏡◎,1663,刊三冊,前掲の[[遮中鈔]]から独立して行なはれたもので万治本に対して寛文本頭書韻鏡ともいふべきものである。前述の如く[[日月燈]]には拠ったが、後の新版[[遮中鈔]]とも差異がある。刊記「寛文三稔癸卯六月吉辰、[[長尾平兵衛]]開版」○[[国書解題]]に「[[韻鏡字子]]三巻」とあるのは即ち本書のことで、恐らく題箋が剥落して内題に拠ったのであろう。

//68,寛文四年本韻鏡◎,1664,刊一冊,[[宮内庁]]御蔵。大体寛永五年本の系に属し、その誤謬をも承けてゐるが大に相違する点もある。

//69,韻鏡集解・翻抄,1668,刊五冊,寛文八年、禅人天霊の著。巻一、二、三は「韻鏡集解」巻四、五は「韻鏡翻抄」。そのために書目などには「集解 三巻」、「翻抄二巻」「翻抄五巻」、或は「切鈔」など区々に記されてゐる。

//70,[[韻鏡見妖解]],1669,刊四冊(或三冊),泉浜の[[井上松齋]]の著。寛文九年秋九月の跋がある。

//71,[[韻鏡秘事]],1669,刊一冊,寛文九年、[[小亀益英]]の著。片仮名文を以て反切を解説した書。題箋は「(新版)[[韻鏡秘事]]」内題は「[[韻鏡秘事抄]]」柱は「韻鏡秘事、巻全」

//72,[[韻鏡秘事大全]],1670,刊合一冊,寛文十年刊。[[小亀益英]]著。前条の書を上巻とし、内題「韻鏡秘事大全二」とするものを下巻とした。

//73,[[韻鏡諺解]],?,刊四冊(天和書目に二冊とする),刊年不明(寛文十年頃か)、小亀益英(益奥とも署す)の著。未見。「[[韻鏡秘事諺解]]」とも言ったから(元禄書目、[[韻学発蒙]])前条の書をも包含するか。小亀氏の告白に「秘事大全は我少歳のとき手ならひのため、かきとめしを、おもわず板行せしによつて、少々のあやまりこれあり。故に其の後ち諺解を作り、通韻軽重清濁をあらわし……」(寛文十一年刊。九弄指南抄)とある。

//74,[[韻鏡解詮]],-1670,(不明),その名が次条の「[[韻鏡頓悟集]]」第三丁に見える。作者不明

//75,[[韻鏡頓悟集]],1670,刊一冊,寛文十年、[[牧野重長]]の著。主として[[開奩]]に拠り、[[字母]]・[[翻切]]のことを解く。[[静嘉堂文庫]]蔵。東大図書館蔵。(三澤も亦一本を蔵する。)

//76,[[韻学捃拾]],1670,刊三冊,寛文十年刊、[[寂玄]]の序。各韻によりて例文をあげたるもの。[[龍谷大学]]蔵。中型本。

//77,[[韻鏡図]]◎《本図?》,-1670,刊一冊,寛文十年刊の書目以来、各書目に見え、元禄書目には「本法寺僧作、韵鏡の伝を片カナに記」とあり、[[韻学発蒙]]には、「案、所立、与切要抄同」とあり、次条の[[韻鏡指南抄]]には、「[[韻鏡切要抄]]、又[[韻鏡図]]アリテ近世流布シテ世ニ行ルル」とあり、[[日本文学大辞典]]には「[[小亀益英]]の[[韻鏡図]]」とあり、的確なる作者名を知らぬ。

//78,[[韻鏡指南抄]]◎,1671,刊三冊,寛文十一年刊、[[太田嘉方]]の著。現本によると外題に区々たる所があるが、要するに上巻は序例の注解と六対十二反切例。中巻は「[[訂正韻鏡]]」と題し、[[音韻日月燈]]によって改訂を加へた図を出してゐる。第十七-二十の各転を[[内転]]に改めたのは此書に始まる。([[神宮文庫]]蔵のものは下巻に「訂正韻鏡」を収めてゐる。)下巻は反切論である。

//79,[[韻鏡九弄指南抄]],1671,刊二冊,寛文十一年、[[小亀益英]]の著。主として[[開奩]]の説によって[[九弄]]を平易に解説した。[[神宮文庫]]蔵。

//80,[[韻鏡反切指要抄]],1673,刊三冊,寛文十三年、安芸の隆向寺僧、[[周海]]の著。上巻には六対十二反切を、中巻には[[人名反切]]を、下巻には[[直音]][[拗音]]を主として述べた。

//81,[[指微韻鏡索引管見抄]],1674,写一巻,延宝二年の写、作者不明。全部漢文。[[神宮文庫]]蔵。

//82,[[新板/韻鏡秘事大全]],1679,刊二冊,寛文十年刊書の重刷、乾坤二冊。巻末に「延宝七年七月吉日、[[津高益奥]]矧古記之」とあり、もとより[[小亀益英]]の別名である。[[龍谷大学]蔵。

//83,[[韻鏡諺解大成]]◎,1679,刊二冊(元禄書目には六冊),延宝七年、[[津高益奥]](即ち[[小亀益英]])の著。曩の[[諺解]](本書目七三番)を増補したものであらう。元禄書目に「[[韻鏡秘事諺解大成]]、六」とあるのは前項の[[秘事大全]]をも包含するものか。近年、[[羅常培]]教授はその「[[釈内外転]]」にこの書を引用してゐる。

//84,[[韻鏡秘録]],1680,写二巻,延宝八年の写、[[小亀益奥]]の作。序によると前条の[[諺解大成]]に対する疑問に答へたものといふ。[[静嘉堂文庫]]蔵。

//85,[[韻鏡相伝書]],?,刊二冊,刊年不明であるが、元禄五年書目以来見える所である。[[小亀益英]]の作。(或は、前条の秘録と異名同書か。)

//86,[[画引韻鏡]],-1681,刊二冊,天和書目(天和元年刊、西一六八一)、元禄書目等に見えるが、内容、作者、不明。

//87,[[韻鏡便蒙抄]],-1681,刊一冊,天和書目に見える。「[[日本文学大辞典]]」には「[[不孤斎有必]]、[[韻鏡削補便蒙抄]]」とある。

//88,[[韻鏡近道秘抄]],-1681,刊一冊,作者不明、天和書目以来見える。

//89,[[韻鏡秘伝抄]],-1681,刊一冊,天和書目に「真言沙門[[宗雅]]」の著と見える。その他の書目にも著録する。

//90,天和本校正韻鏡◎,1682,刊一冊,天和二年刊、岡本保孝の「韻鏡攷」に「寛文一一年本を[[藍本]]となせる故に[[開合]]の誤全く同じ。」とある。[[東京図書館]]蔵。

//91,貞享二年孟春本韻鏡◎,1685,刊一冊,寛永一八年本の重刷。巻末に「貞享二年乙丑孟春吉旦 書肆」とのみで書肆名は無い。

//92,貞享二年本正字韻鏡◎,1685,刊一冊,[[龍谷大学]]蔵。本図は上下二巻に分れ、巻頭に七音総括之図、直音拗音之図、廣韻四声通韻、正字韻鏡凡例、補字目録、所反之字嫌類(キラフタグヒ)、切父韻母帰納字、蒼頡始制文字、籀古篆隷体、等の諸項を掲げ、巻末に[[竹下良縄]]の署名がある。

//93,[[韻鏡求源抄]]◎,1685,刊五冊(或は四冊),貞享二年、[[鸞鏡子]]、[[西村重慶]](シゲヤス)([[湯浅重慶]]、[[湯浅嘉右衛門]]とも称する)の著。巻一は序例の解、巻二は反切図解、巻三・四・五に本図を分出し、三方を字庫とする。

//94,[[音韻指掌]],1686,(不明),「[[磨光韻鏡餘論]]」(中巻十五丁、下巻十七丁)に、貞享三年、[[竹下朋縄]]が作と見える。[[司馬光]]の「[[切韻指掌]]」に拠るという。《東北大・岡島》

//95,合類韻鏡◎,1687,刊一冊,貞享四年、[[西村重慶]]の作。序文によれば、次条の[[問答抄]]の付録なれども、独立して行はれたらしい。《岡島》

//96,[[韻鏡問答抄]],1687,刊三冊,貞享四年、[[湯浅重慶著]]。書目には四冊とあるが、これは前条の「[[合類韻鏡]]」を併せて言ふのである。三冊のうち第一冊は全部仮名交り文で韻字反切其他の問答、第二冊は序例解の前半で仮名交じりと漢文体の混淆。第三冊は序例解の後半で全部漢文である。時に第二・第三冊を合綴したものもある。《岡島》

//97,[[重鐫/韻鏡遮中鈔]]◎,1687,刊五冊,[[太田嘉方]]の著、寛文三年刊の「[[遮中鈔]]」を訂正再刻したもの。第一冊の見返しに「[[鼇頭韻鏡]]」と大書し、内容は古版に同じく、序例の遮中解と六対十二反切例。第二冊以下には「重鐫頭書韻鏡」と外題して本図を三分し、三方に字子を出した。第五冊は追加で、六書八体、名乗字集、其他を収める。この書は「新板の遮中鈔」或は「首書新板」などと呼ばれ、その綴り方が区々で、二巻本、四巻本などもある。貞享四年刊。出版書肆も[[勝村治兵衛門]]版と、[[長尾平兵衛]]翻刻と二種ある。

//98,[[鼇頭韻鏡]],1687,刊一冊,貞享四年刊。前条の「[[遮中鈔]]」の第一冊が、独立して行はれたもの。多くは題箋が剥落した為に、見返しによって書名を冒したのである。従って内容は序例解・反切例に過ぎない。《岡島蔵。前条の合冊本。順不同の綴じ2冊あり》

//99,[[韻鏡諺解]],?,刊一冊,元禄書目に「立石徳右衛門作」とある。

//100,[[韻鏡易解]]◎,1691,刊四冊,元禄四年、沙門[[盛典]]の著。上の本末、下の本末に分つ。第一冊は序例解、第二冊は本図、他は諸項の解説。

//101,[[名乗手鑑]],1691,刊一冊,著者不明。名乗字の反切を示した横綴本。刊記「元禄辛未年八月中旬、浪華府書肆浅野弥兵衛版」。原刻はそれ以前と思はれる。《岡島蔵》

//102,[[韻鏡字母集]],1692,刊一冊,元禄五年、[[太田冨任]](ヨシタフ)の編。京洛住醫、[[上田快庵]](真)の序文を冠する。内容は寛文十一年に既刊した[[太田嘉方]]の「[[韻鏡指南抄]]」の下巻を改題したものであることは沙門[[盛典]]の喝破した通りである。(次条参看)[[東京図書館]]蔵。

//103,[[唐本韻鏡]]◎,?,刊二冊,沙門[[盛典]]の「[[新増韻鏡易解大全]]」によれば、これは[[太田嘉方]]の「[[訂正韻鏡]]」を採りて改題したものであるといふ。(前条参照)「[[韻鏡発蒙]]」「[[磨光韻鏡余論]]」には「太田氏」と注し、「[[日本文学大辞典]]」には「[[太田嘉方]]の[[唐本韻鏡]]」と見える。嘉保の署名ありや否や。

//104,改正韻鏡◎,-1692,刊一冊,「元禄五年書目」以下諸書にその名が見える。作者刊年不明。

//105,袖珍韻鏡◎,-1692,刊一冊,「元禄五年書目」以下諸書にその名が見える。作者刊年不明。

//106,韻鏡字彙,-1692,刊一冊,「元禄五年書目」以下に著録する。太田嘉方の著、刊年不明。[[神宮文庫]]蔵。

//107,[[韻鏡字引]],-1692,刊二冊,太田嘉方の著。「元禄書目」に見える。

//108,[[韻鏡明解]],-1692,刊四冊,[[中根元珪]](暦数家)の著。「[[韻学発蒙]]」には「未刻」といひ、「磨光余論」には「密存」とあるが、「元禄五年書目」に出てゐる。

//109,元禄六年本校正韻鏡◎,1693,刊一冊,題箋不明、見返しに「校正韻鏡」と題し、更に「世間流布之韻鏡、其誤多……故[[日月燈]]、[[切韻指掌]]等之以古本、逐一改之、新號[[校正韻鏡]]、鏤于梓」と、序例および跋文に悉く傍訓を施した。京都、[[中村五兵衛]]版。

//110,元禄六年本訂正韻鏡◎,1693,刊一冊,題箋不明、見返しに「訂正韻鏡」とあり。[[龍谷大学]]蔵。[[中村五兵衛]]開版。

//111,[[韻鏡秘訣袖中抄]]◎,1695,刊七冊,元禄8年刊、[[毛利貞斎]]の著。第一冊、韻鏡及反切の解説、第二冊、名乗字大全、第三冊、字子集、第四冊、序例抄、第五冊は外題「訂正重改、韻鏡袖中図」扉には「[[玄微韻鏡]]」目録には「訂正韻鏡」とある本図。第六・七冊は続編の「愚蒙記」である.この書に原刻本のあったことは序文に「往歳鈔述此書、附與梓人、刊行于梓、流傳于世、今覧之、烏焉〓〓不少、故重訂之。」とあるによって知られる。その字子集は原刻の俤をとどめ、此書の本図と内外転を異にする所がある。

//112,元禄九年本校正韻鏡◎,1696,刊一冊,序例に文段を施したのを特色とする。京都刊と大阪刊とあり、京都は川勝五郎右衛門板、大阪は田原屋平兵衛梓。《見返しに元禄六年本と同様のもの》

//113,五百字増補韻鏡懐中本◎,1697,刊一冊,元禄十年刊(又、元禄十一年正月既望とも)弘湍(ヒロセ)幽閑の著。小折本。

//114,韻鏡和漢二流指南目録,?,写一巻,反切、名乗反切から「字彙」の直図横図にも及んでゐる。弘湍幽閑の著(元禄頃の人物)。静嘉堂文庫蔵。

//115,九弄羅文,1698,写一巻,撰者未詳、叡山南溪蔵の所蔵。奥に「于時元禄十一戊寅年六月十九日書之」とあり。(小西氏「文鏡秘府論考」上、参看)

//116,[[帰元韻鏡]]◎,1699,刊四冊,[[岡玉摩]]の著、元禄十一年成立、元禄十二年刊。本図を収む。

//117,[[韻鏡字子列位]],1699,刊二冊,沙門[[盛典]]の作、元禄十二年刊。「韻鏡易解」の追加である。

//118,[[韻鏡秘訣]],1700,写三巻,[[藤原尚皛]]の著、元禄十三年写。静嘉堂文庫蔵。(「日本漢字学史」参看)

//119,[[韻鏡詳説大全]]◎,1701,刊四冊(或は五冊ともいふ),[[萍風子]]の著。(或は[[三雲]]の著ともいふ)元禄十四年刊。[[東京図書館]]蔵。

//120,[[韻鏡詳解評林]]◎,1702,刊六巻(或は五巻四冊),著者不明、元禄十五年刊。一名「合解評林」ともいふ。(四冊本は、第一冊、序例解、第二冊、五処三内以下二十九項、第三冊、九弄図の解、第四冊は巻四・巻五を合し、本図を出す。)《岡島》

//121,[[韻鏡図解綱目]]◎,1702,刊五冊,僧[[尊慧]]の著、元禄十五年序、寛保元年刊。「韻学発蒙」によれば、図解二巻、綱目五巻。[[東京図書館]]に四冊本を蔵す。「[[國書解題]]」には三巻とする。十二反切図、四十三転図その他を収める。門人[[尚皛]]の「[[典籍秦鏡]]」参照。

//122,[[韻学私言]],-1702,刊一冊,京都の儒者、[[中村惕斎]]の著。「明和書目」に見える。[[惕斎]]は元禄十五年没。《[[九州大学]]蔵》

//123,[[韻鏡清濁辨音抄]],1703,刊四巻二冊,鷲崎(藤原)正親(ノブチカ)の著。元禄十六年刊。[[神宮文庫]]蔵。上冊、直拗音図、序例解。下冊、五音清濁配合七音清濁之図。

//124,[[韻鏡諸抄大成]]◎,1705,刊七巻九冊,宝永二年、[[馬場信武]]の著。「[[切韻指掌図]]」「[[音韻日月燈]]」以下、[[切要抄]]、[[開奩]]、[[易解]]、[[袖中抄]]、[[帰元韻鏡]]、[[求源鈔]]、[[遮中鈔]]、[[指南抄]]、[[問答抄]]、[[詳説大全]]等を引いて、その説くところ概して穏当である。巻一、序例解(本末二冊)、巻二、本図、巻三、十二反切(本末)、巻四、仮名反切、巻五、九弄解、巻六、唇音三位軽重以下の諸項、巻七、和語法訣。

//125,声韻正譌発明/[[韻鏡備考大成]],?,写(不分巻),[[弘湍幽閑]]の伝を門弟[[佐治泰忠]]の集めたもの。年月不明であるが、[[幽閑]]は宝永の始頃歿。[[静嘉堂文庫]]蔵。

//126,[[新増韻鏡易解大全]]◎,1714,刊五冊,沙門[[盛典]]が前著「[[韻鏡易解]]」を訂正増補したもの。正徳四年刊、享保三年(一七一八)に再刊した。大体「[[指南抄]]」に拠ってゐる。巻一、二、反切門法、巻三、序例解、巻四、本図、巻五、字子列位。(六巻と称する時は字子列位を二巻に分つ。)

//127,諸説辨断/韻鏡袖中秘伝抄◎,1715,刊十巻十冊(或は五冊、十一冊),毛利貞斎が元禄八年に著した「韻鏡秘訣袖中抄」を訂正増補したもの。前著を「袖中抄」本書を「秘伝抄」と略称してゐる。本書には(A)正徳五年の刊記ある銭屋本と(B)無年号の菱屋本と(C)無刊記本との三種が現存する。銭屋本は字子集が二冊に分綴せられて十一冊から成り、菱屋本は二巻づつの合綴で五冊。岡本保孝の「韻鏡攷」に著録したのは無刊記本十巻である。巻一、本図、巻二、序例解、巻三、調韻指微、巻四、横呼韻以下、巻五、反切門法、巻六、憑韻以下、巻七、七音配当図以下、巻八、庵号反切以下、巻九、名乗字大全、巻十、字子集。

//128,考定韻鏡◎,1716,刊一冊,長谷川良察の著。享保元年刊。天和本韻鏡に拠るといふ。「享保書目」や、岡本保孝の「韻鏡攷」に「考正韻鏡」とあるのが或は正名か。

//129,聲音対,1720,刊一冊,釋天産の撰。享保五年刊。漢音呉音について客の問に答へる形の講述。十五篇から成り、漢文で綴る。付録に韻書字書目録あり。天産は但馬豊岡の僧で霊苗といひ支那音を操った人なる由。

//130,韻鏡井蛙抄,1720,刊一冊,何羨子、岡島道高の著。享保五年刊。三十葉の冊子。《東洋大》

//131,韻鏡易引,1725,刊一冊,沙門盛典の著、享保十年刊。「韻学発蒙」には「易引図、一巻」、「享保書目」には「韻鏡易解易引、一」と見える。

//132,韻鑑古義標註◎,1726,刊三冊,沙門叡龍(俗名、河野通清)の著、享保十一年刊。巻上は序例解、巻下は「旧本韻鏡」として本図を収めた。元文元年(一七三六)に至り、補遺一巻を加へ、その伝授の弁に「さりながら世上流布の名乗切をかたる韻鏡は無益の学問なり、古義正統の韻鏡によって学ぶときは諸を読む時に人しらぬ意味を校へ得るなり。」とある。即ち永禄本に依拠した。通清は堺浦の産、漣窩・巣雲軒などと号した。

//133,韻律分配,?,刊一紙,叡龍の著、享保十四年書目に「分配例、折一枚」とあり、刊年不詳。「韻学発蒙」には「音律分配例、一紙」とあり、小折本で「韻鑑古義標註」の付録と思はれる。

//134,翻切例,?,刊折本一枚,叡龍の著、刊年不明。「享保書目」に見える。

//135,韻学津梁,?,刊二巻,叡龍の著、刊年不明。「古事類苑」文学部、反切の条に引いてあるのは本書であらう。《東涯の名?》

//136,備考韻鏡◎,1727,刊一冊,東武江の岡島隆紀の著、享保十二年孟春刊。

//137,韻鏡調,?,刊一冊,河合元の著、刊年不明。(「日本漢字学史」三二九頁参看)

//138,韻鏡楊明鈔◎?,-1729,刊四冊,「享保書目」其他に見える。作者は「辻氏」となってゐるが、思ふに「宝暦書目」に「四書字引」を撰した「辻柳陰」がその人ではあるまいか。刊年不明。

//139,参考反切例,-1729,刊(冊数不明),「享保書目」に見える。作者も刊年も不明。

//140,反切捷徑指南,-1729,刊(冊数不明)「享保書目」に見える。作者・刊年何れも不明。《穂積以貫序の刊本あり》

//141,九弄反紐相伝和解,1730,刊二巻(或合一冊),沙門盛典の著、享保十四年序、享保十五年刊。京都山口茂兵衛板。

//142,韻鏡九弄安知鈔,1734,写(巻不明),若山閑謹の著、享保十九年八月作。東京大学国語研究室蔵。(小西氏「文鏡秘府論考」上、参照)

//143,九弄十紐口訣,1734,写一巻,穂積以貫の著、享保十九年成。藤井常枝補注。神宮皇学館旧蔵本は「九弄十紐真訣抄」(小西氏「文鏡秘府論考」上、二四八頁参照)又或本は「韻鏡九弄秘訣」と外題したのもある。以貫は湯浅重慶の門弟。

//144,韻鏡造〓抄,-1734,写二巻(一巻),著者不明、但し宮内庁御蔵本の目次の末に「右河内国一宮坂村、徳峯寺住僧春奥記之」とあり、或は著者か。同書に「韻書目録」が付録せられ、開奩以下、備考韻鏡までを網羅してゐるが、その中に「享保十九年甲寅年迄……年になる」との記事が二ヶ所見えるから、その頃の作であらう。静嘉堂文庫蔵本は一巻。

//145,改点韻鑑伝授切紙,1737,写一巻,筆者不明、元文二年写。河野通清の系に属する。(「日本漢字学史」参看)

//146,声音対出処,1741,写一巻,小野全光の作(?)。昭和十三年十月、鹿田松雲堂古書目所見。寛保元年写。

//147,韻鏡翼◎,1741,刊三冊,讃岐高松の僧、乗雲の著、寛保元年刊。河野通清の「韻鑑古義」の本図に小訂を加へたもの。高松図書館蔵。

//148,音韻闡秘抄,1741,写七巻,福井藩の家老、松平正般の著、寛保元年写。東京図書館蔵。一、序例篇、二、仮名反、三、十二反切篇、四、九弄篇、五、雑篇、六、悉曇篇、七、秘訣篇。

//149,寛保二年本校正韻鏡◎,1742,刊一冊,題箋および見返しに「新彫校正韻鏡」とあるが、序例に文段を施してある所から元禄九年本の直系と思はれる。大阪、田原屋平兵衛版。(岡本保孝「韻鏡攷」参照)

//150,改点韻鏡《◎》,1742,刊一冊,漣窩(河野通清)の口義、永田直の筆受といふ。寛保二年刊。

//151,韻鏡反切定格,1741-1743,写一巻,内題に「韻鏡反切定格並諸例」とあり、十二反切例を挙げたもの。墨付八丁の小冊。表紙に「遺附小松原山定住、魯山和尚徒、祖籃首座書写之、寛保年中。」とあり。

//152,磨光韻鏡◎,1744,刊二冊,京都了蓮寺の釋文雄の著。延享元年刊。上巻に本図。下巻に「韻鏡索隠」「翻切門法」を収む。或本は上巻の末に「平安書肆窗文堂」下巻の末に「八幡屋四郎兵衛梓行」とあり、又或本は下巻の末にのみ、「山本長兵衛梓行」とあり。天明七年に重刷せられた。この書は「合類韻鏡」を採る所が多い。

//153,古今括韻開合図,1748,刊一冊,文雄の作、寛延元年刊。韻鏡・洪武正韻・五音集韻・古今韻会の四書の括韻開合の異同を一図に作ったもの。《内閣文庫》

//154,九弄辯,1750,刊一冊,文雄の著、寛延三年刊。候文体で人の問に答へた体裁。

//155,韻鏡正義篇,1751,刊一冊,僧摩頂の著、全漢文。寛延四年刊。「韻学発蒙」に「乗運・摩頂が徒は通清が唾を甘んず」とあるから古義の系であらう。

//156,重校正字/磨光韻鏡◎,1754,刊一冊,文雄著、隷書体で表した韻鏡。原刻の磨光韻鏡に校訂を加へたもので「今刻の韻鏡」「訂正版磨光韻鏡」とも言はれる。現存のは多く安永九年版であるが、宝暦四年刊と見るのが正しからう。(「日本漢字学史」参看)

//157,磨光韻鏡字庫,1754,刊二冊,文雄著。現存のものは安永九年版であるが、宝暦四年刊と見るのが正しからう。(「日本漢字学史」三四九頁参看)

//158,韻学入門,1757,写一巻,近藤子業(西涯と号す)の著、宝暦七年写。東京図書館蔵。(後、寛政六年(一七九四)に至り、「韻学筌蹄」と題して刊行した。)

//159,韻学発蒙,1757,刊一冊,釋了円義の著、宝暦七年刊。文雄の序文あり。内容は、音韻起由、韻書概論、韻鏡指帰(こゝに信範以来の書目を出し、総計凡四十六家、六十四部、百六十四巻と註してゐる。)、反切大義。

//160,重修韻鏡◎,1761,写四巻,京都瑞蓮寺の僧、釋了円義の著、宝暦十一年写。宮内庁御蔵。三十六図に修した韻図を巻二に収めてゐる。

//161,韻鏡律正,?,写(巻不明),文雄の撰。天明七年、磨光再刻の末に「未刻」とあり。文雄は宝暦十三年寂につき、便宜こゝに次する。《慶応大学・亀井孝》

//162,韻鏡伝来図,?,(不明),文雄撰。(小西氏「文鏡秘府論考」上、二五二頁参看)

//163,九弄辯通,?,(不明),文雄撰。(前条、小西氏「考」参看)

//164,校定巻懐韻鏡◎,?,刊、小折本一部,作者不明であるが、明和書目に「巻懐韻鏡、一、円義」とあるから、作者は円義(本書目、一五九、一六〇参看)か。巻頭に清家御跋、無相文雄師校閲とあり。享和二年刊、節用集の末に本書の広告文があって、「尤訂正究めてよく清家の御跋あり。磨光韻鏡の作者文雄の賛せられたり」と見える。「日本文学大辞典」に「校定巻懐韻鏡、文雄」とあるのはいかが。刊年不明。

//165,韻学口訣,1761,刊一冊,大阪の学者、池田柳絮説を、門人田川周芳の撰したもの。書中に「畢竟、韻鏡は字書を見る合文と意得べし。其合文の合せやうを覚へて字書を穿鑿するを韻学と云なり。」とある。大阪図書館蔵。宝暦十一年刊。

//166,韻学古誼伝,1764,写一巻,河野通清伝授、意心齋編輯。「古義伝」ともいふ。明和元年写。(「日本漢字学史」三四一頁参看)

//167,[[韻鏡名乗反切安見録]],-1772,写一巻,「日本文学大辞典」に見える。[[多田秀湖]]の作。年月不明。この書は天明六年(一七八六)に「[[名乗即鑑]]」と改題刊行せられた。(大阪出版書籍目録参看)○明和九年書目に「[[韻鏡妥見録]]、[[多田秀銅]]」と見えるのは、本書と思はれる。著者の秀湖、秀銅は何れも[[秀洞]]の誤刻であらう。(本書目一九〇番参看)

//168,[[韻鏡秘釈]],-1772,刊一冊,[[啓明]]の著か。[[明和書目]]に見える。

//169,[[韻鏡序例二六啓明]],-1772,刊一冊,[[義宣]]の作。[[明和書目]]に見える。

//170,[[磨光韻鏡後篇]],1773,刊二冊,釋[[文雄]]の講述を門人[[文龍]]の校正したもの。一冊は「[[韻鏡指要録]]」、一冊は「[[反切伐柯篇]]」といふ。「[[正字韻鏡]]」一冊、「[[字庫]]」二冊(何れも前掲)を併せて後篇五冊とした書目もある。安永二年刊。

//171,[[韻鏡古音正図]]◎,1773,刊二冊,[[寺尾正長]]の著。([[源正長]]、通称[[伊織]]、字[[正長]]、[[東海]]と号す)安永二年跋。(國書解題参看)「日本文学大辞典」、後藤氏「[[文字の研究]]」に「[[韻鏡古音正図弁]]」とある。「大阪出版書籍目録」には安永三年十二月十一日許可とある。

//172,[[韻鏡講述]],1775,写一巻,[[河野通清]]の講述を聞書したものらしい。安永四年写。筆者不明。(「日本漢字学史」参看)

//173,[[和漢字名録]],1775,刊二巻四冊,紀州の医、[[藤井常枝]]の著。安永四年成。(天明六年刊)上巻は和訓、下巻は字音の仮名遣を主として述べ、付録に韻鏡諸家?書正誤、三十六字母切韻字解、等を収めてゐる。

//174,[[字音仮字用格]],1775,刊一冊,[[本居宣長]]の著、安永四年成、五年刊。この書に対し大沢〓の「弁誤」四巻、[[岡本況斎]]の「存疑」一巻がある。

//175,[[韻鏡藤氏伝]]◎,1776,刊二冊,[[富森一斎]]がその先考[[藤原直養]]の伝によって撰したもの。明和六年(一七六九)の序があり、安永五年の刊。外題に「国字訳開合法/韻鏡藤氏伝改正乾(坤)」とある。乾の巻に本図を収めてゐる。[[大阪図書館]]蔵。

//176,[[喉音用字考]],1777,写一巻,蛎坂今道の著、安永六年成。[[今道]]のことは「[[呵刈葭]]」の[[上田秋成]]説中に見える。(「国語学書目解題」参看)

//177,[[韻学家最要篇]],1777,写一巻,[[河野通清]]の門人の筆記を輯めたもの。標註講弁、字彙巻末切紙、或問〓字篇、同上補闕、九弄紐字小引、伝授切紙補闕。安永六年の後記あり。[[静嘉堂文庫]]蔵。(「日本漢字学史」参看)

//178,[[韻学撥乱]],?,写一巻,大阪の学者[[小田真卿]](淳夫)の著。年月不祥(安永頃と思はれる)

//179,[[復古韻鑑]]◎,?,写一巻,[[小田真卿]]の作。年月不明。(「日本漢字学史」三五九頁参看)

//180,[[通韻図]],?,写(巻不明),[[小田真卿]]の作。転の内外を大に改めたる由。(「日本漢字学史」参看)

//181,[[韻学蘊要]],1780,写一巻,[[小田真篤]]翁著と署名あり。安永九年、門人、[[石野脩]]、[[伊藤融]]の校。書中に「予観[[磨光]]、豈其磨光哉、且所用者、宛然俗音、宋以来行于世者、與古霄壞。」など[[文雄]]の著を斥けてゐる。[[真篤]]翁は即ち前条の[[真卿]]であることは、天明元年「[[韻学図解]]」跋文に「曩者、著[[韻学撥乱]]、[[韻学蘊要]]、[[韻疇]]、等─」とあるので推せられる。(三沢蔵)

//182,[[韻疇]],?,写一巻,[[小田真]]の著、前条参看。内容、年月等不明。

//183,[[韻学図解]],1781,写一巻,[[小田真]]([[小田真卿]]、[[小田真篤]]翁)の作。七音字母清濁沿革圖、内外転隠語軽重相通圖、華漢語三音清濁沿革圖、外転軽重横呼均布圖、外転軽重横呼均布圖、七音総括清濁相通圖、字母和読清濁圖を収む。跋文の末に、「天明元年四月甲寅、摂州華府、芦州小田真」とある。(三沢所藏)

//184,[[韻鏡経緯]],1781,刊一冊,僧[[龍音]](大分県日出町、光蓮寺第六世)の著。天明元年刊。光蓮寺蔵板。

//185,[[韻鏡反切伝]],1784,写一巻,僧[[了快]]の写、天明四年。静嘉堂文庫蔵。。

//186,漢字三音考,1785,刊一冊,本居宣長の著、天明四年成、天明五年刊。

//187,[[解経秘蔵]]◎,1785,刊三冊,[[寺尾正長]]の著。安永四年の自序あり。第一冊、六書、形声、仮惜、字体変更、音韻、四声、五音、字音軽重兼備、韻母、十二疇、古音徴、四声動声。第二・三冊は「五音図」と称して四十七図を収める。天明五年刊。

//188,[[解経秘蔵要略]],?,刊一冊,[[寺尾正長]]の著。天明刊といふ。東京図書館蔵。

//189,[[韻学資講]],1786,写一巻,[[蕃正]]の著。序例摘解、音注例、[[名乗反切]]、[[反切十二例]]など。天明六年の記がある。神宮文庫蔵。

//190,韻鏡反切/名乗即鑒,1786,刊一冊,[[多田秀洞]]の著、[[寺尾東海]]の序がある。凡例の末に「[[廣瀬幽閑]]末流 加州金澤 [[多田秀洞]]識」とある。天明六年刊。○本書は前に「[[韻鏡安見録]]」といったのを改題したもの。小型本。

//191,[[韻鏡一家言]],1786,写二巻一冊,[[小田真卿]]の著。天明六年写。全部漢文。東京図書館蔵。

//192,[[韻学筌蹄]],1794,刊一冊,[[近藤子業]]([[西涯]])著。[[文雄]]の序がある。宝暦七年(一七五七)の「[[韻学入門]]」を改題して寛政六年に出版したもの。外題には「磨光指南」の角書がある。[[京都府立図書館]]蔵。

//193,[[声韻断]]([[音韻断]]),1799,刊三冊,[[泰山蔚]]の説を門人[[原照]]の録したもの。「[[音韻断]]」とした書目もある。見返しに「磨光韻鏡弁正韻鏡非藤氏伝」と二行に書す。寛政十一年刊。[[神宮文庫]]蔵。(「日本漢字学史」参看)

//194,地名字音転用例,1800,刊一冊,本居宣長の著、寛政十二年刊。

//195,[[磨光韻鏡余論]],1801,刊三冊,釋文雄の講述を門人利三の孫、利法の校刊したもので、磨光の疏注に当る。享和元年序、文化二年刊。

//196,[[補正韻鑑]]◎,-1807,写四巻,皆川淇園訂定の下に門人の編した四十三転図。淇園自筆の序文ある板下本が[[岩瀬文庫]]にある。年月不明。(淇園は文化四年歿)

//197,[[華音韻鏡]]◎,1810,刊二冊,有坂博士「国語音韻史の研究」(二四〇頁)によれば[[星野元令]]の著で文化七年刊とある。(拙蔵のものには作者名も刊記もない)上巻に四十三転を収め悉く[[華音]]を施し、下巻は「[[韻鏡開伝]]」と内題し、[[内外]][[軽重]]等の諸項を説く。書中に文化七年漁夫遭難の記事がある。

//198,[[名乗字彙]],1810,刊一冊,[[本莊博正]]の著、文化七年刊。岩瀬文庫蔵。

//199,[[韻鏡秘伝]],1812,写六巻,[[関秀将]]の写、文化九年(?)。古書目録所見。

//200,皇国韻鏡,1813,刊一冊,木崎幸敦(若狭の人)の著。韻鏡の知識を基礎として日本の五十音図を説いたもの。文化十年(?)刊。《木崎は高橋昌彦氏の何かにあった。北海関係》

//201,[[掌中韻鏡口輪]],1815,刊一冊,作者不明

//202,[[漢呉音図]]◎,1815,刊一冊(付巻五冊),太田全斎の著、刊年不明、初刻本に文化十二年の自序あり、再刻本、後刻本、各々訂正がある。附巻に「[[漢呉音徴]]」一巻、「図説」一巻、追加に「[[音徴不尽]]」「[[同カ音図]]」「[[音図口義]]」各一巻がある。〇大正四年、[[浜野知三郎]]氏によって複刻印行せられた。

//203,[[音韻啓蒙]],1816,刊一冊,[[鳥海恭仲]]([[松亭]]と号す)の著。文化十三年刊。(國書解題参看)

//204,[[音暎]]◎,1817,刊一冊,[[若槻敬]]([[畏庵]]と号す)の著、文化十一年序、文化十四年刊。附言三十四則の次に四十七転より成る図を出す。東京図書館、[[京都大学]]、[[岩瀬文庫]]蔵。或は「音〓」とも書く。

//205,[[韻鏡秘授書]],1826,写一巻,

//206,[[韻学階梯]],1832,刊二冊,[[近藤子業]]([[西涯]])の撰を[[三浦茂樹]]([[道斎]])の次いだもの。[[藤井高尚]]の序あり。天保三年刊。(作者名義は[[三浦道斎]]になってゐる)

//207,[[韻鏡初学捷徑]],1834,写一冊,

//208,[[磨光韻鏡説約便蒙]],1835,写一巻,水戸の学者、[[神林復所]]の稿、天保六年序。「弘文荘待賈古書目」第三号所見。

//209,[[韻学提凡]],1839,刊一冊,大槻平泉著、天保十年刊。(國書解題参看)。宮内庁御蔵。

//210,[[声調篇]],1840,写二巻,関藤政方の著、天保十一年成。発音の根元、音韻の沿革等を詳説する。付録に「[[男信質疑]]」あり。《明治謄写版あり》

//211,[[九弄口受記]],1840,写一巻,鶴峯戊申撰、天保十一年写。[[東京大学]][[国語研究室]]蔵。[[神習文庫]]蔵。

//212,[[韻鏡童喩]]・[[字音仮字要略]],1841,写一巻,足代弘訓の作、天保十二年。

//213,[[そでかゞみ]],1841,刊一舗,

//214,[[洪韻解鑑]],-1841,写五巻二冊,

//215,[[韻鏡発揮]]◎,1842,刊一冊,

//216,[[韻鏡発揮同音考]],?,写九巻(?),

//217,[[男信]],1842,刊二冊,義門法師の著、天保十三年刊。

//218,[[傭字例]],1842,刊一冊,

//219,[[磨光韻鏡撮要]],1843,写一巻,

//220,[[九弄十紐筆〓]],1844,写一巻,

//221,[[萬葉集字音辨證]],1855,写二巻,

//222,[[名乗字引]],1855,刊一冊(豆本),見返しに高井蘭山先生輯、清間齋先生刪補とあり、文政《ママ》二年刊。凡例に「凡毎字因五音、具五姓者、就韻鏡而爰載之」云々とある。

//223,[[古言梯韻鏡照対]],?,写二巻,

//224,[[古言清濁論韻鏡照対]],?,写一巻,

//225,[[韻鏡序例抄]],1856,写四巻,

//226,[[韻鏡便蒙]],1858,写一巻,

//227,[[磨光韻鏡口授記]],?,写(巻不明),鶴峯戊申編

//228,[[韻鏡往来反切私説]],?,写(巻不明),日尾荊山の著、年月不明。(荊山は安政六年歿)

//229,[[音韻仮字用例]],1860,刊三冊,

//230,[[音韻考証]],1862,写二十二巻,黒川春村撰、文久二年稿。一名を「皇国訳音」、又「皇国釈音」といふ。

//231,[[磨光韻鏡便蒙]],?,写三巻,神林復所稿。文久二年序。「弘文荘待賈書目」第三号所見

//232,[[韻鏡攷]],?,写一巻,岡本保孝撰。黒川春村補。東京図書館蔵。年月不明。韻鏡諸本の考説である。

//233,[[十六通摂攷]],?,写一巻,岡本保孝撰。東京図書館蔵。

//234,[[磨光韻鏡攷]],?,写一巻,岡本保孝(況斎)撰。年月不明。東京図書館蔵。

//235,[[漢呉音図補正]],?,写二巻,岡本保孝が木村正辞と漢呉音図を対読せし時の記録。東京図書館蔵

//236,[[音韻答問録]],?,写一巻(或二巻),岡本保孝撰。「韻鏡開合考」以下八十九条を収める。東京図書館蔵。又、写二巻、[[岩崎文庫]]蔵。

//237,[[音韻啓蒙]],1874,刊二冊,[[敷田年治]]の著。明治7年刊。

//238,[[韻鏡国母例]],1875,写一巻,岡本保孝の撰、明治八年序。([[弘文荘待賈書目]]、第八号所見)

//239,[[漢呉音図正誤]],?,写一巻,[[木村正辞]]博士の撰。年月不明。

//240,漢文典附韻鏡の解釈,1898,刊一冊,

//241,[[音韻漫録]],1898,刊一冊,大島正健の著。

//242,[[支那古韻考]],1898,刊一冊,大島正健の著。

//243,[[韻鏡音韻考]],1912,刊一冊,大島正健の著。

//244,[[翻切要略]],1912,刊一冊,大島正健著。明治四十五年刊。

//245,改訂韻鏡◎,1912,刊一冊,大島正健著。明治四十五年刊。

//246,[[支那音韻断]],1915,刊一冊,満田新造

//247,[[韻鏡考]],1924,刊一冊,大矢透

//248,[[漢字音韻提要]],1924,刊一冊,[[佐藤仁之助]]の著。

//249,[[韻鏡新解]],1926,刊二冊,大島正健博士著。

//250,[[韻鏡と唐韻広韻]],1926,刊一冊,大島正健著。

//251,[[支那古韻史]],1929,刊一冊,大島正健著。古韻を十部二十類に分つ。昭和四年刊。

//252,寛永十八年本韻鏡◎,1929,刊一冊,昭和四年刊。

//253,[[韻鏡研究法大意]],1930,刊一冊,佐藤仁之助著。昭和五年刊。

//254,[[漢字音韻考]],1930,刊一冊,大島正健著。昭和五年刊。

//255,[[漢音呉音の研究]],1931,刊一冊,大島正健著。昭和六年刊。

//256,[[隋唐音図]],1932,刊一冊,大矢透著。

//257,[[玉篇の研究]],1933,刊一冊,岡井慎吾博士著。書中に「[[九弄十紐図]]」に関する詳細なる研究がある。昭和八年、[[東洋文庫]]刊。

//258,[[日本漢字学史]],1934,刊一冊,岡井慎吾著。韻鏡の書誌、並に研究史に関する記事に富む。昭和九年刊。

//259,[[指微韻鏡指掌略]],1936,刊一冊,本書目二十番の写本を影印複製したもの。原本は岡井博士所蔵。同博士の解説を付す。昭和十一年刊。

//260,嘉吉本韻鏡◎,1937,刊一冊,本書目二十六番の写本を影印複製したもの。原本は醍醐三宝院蔵。昭和十二年刊。

//261,[[国語音韻史の研究]],1944,刊一冊,有坂秀世博士著。書中第二部に韻図等呼に関する説がある。昭和十九年刊。

//262,[[文鏡秘府論考]],1948,刊一冊,小西甚一教授著。書中に反切、音図、九弄に関する詳細な研究がある。昭和二十三年刊。



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